ルコの町の改革 後編5

 ひとまず、パーティー会場の真ん中で話すことではない。そんな提案をされた俺は、アイリスの案内に従って、客に用意されている休憩室の一つへと案内された。


 テーブル席とソファが並んだシンプルな部屋。

 アイリスのすすめに従って、テーブルの向こう側にあるソファに腰を下ろす。それを確認したアイリスが、入り口側の席に腰を下ろした。

 リリアが見張っているのだろうか? 壁の向こうに複数の気配を感じる。それを意識しながら、俺はアイリスへと視線を戻した。


「さて、取り引きについて話したいと言うことですが、どういうことでしょう?」

「リリア様が貴方と交わした、三年間塩を割り引くという話ですが、条件を再考して頂きたいんですの」

「……条件を再考、ですか?」


 呆れると言うよりも、アイリスがなにを言い出すのかと興味を抱く。俺はひとまず、彼女の言い分を聞いてみることにした。


「ええ。上の兄がしたことは、たしかに失礼だったと存じます。ですが、三年ものあいだ三割引にするほどのことではないでしょう? ですから、条件を再考して頂きたいのです」

「言い分は分かりましたが、俺に受ける理由はありませんね。その条件は、俺とリリアのあいだで正式に交わした取り引きですから」


 罰金の類いであれば、相場と言えるものは存在する。だが、俺とリリアの取り引きは、オーウェル子爵前代行のしたことを水に流すのと引き換えに交わした。

 他人にとやかく言われることではない。


「たしかに、そうかも知れません。ですがアレン様は次期当主となられる身。オーウェル子爵領と不仲になるのは得策ではないのではありませんか?」


 笑顔を浮かべているが、それは明らかな脅しだ。俺が次期当主予定であるため、他領との諍いは避けると踏んでいるのだろう。


「返事をする前に、二つ聞かせて頂けますか?」

「ええ、もちろん」

「では一つ目、交渉をしたいとのことですが、貴方は交渉ができる立場にあるのですか? 新たな当主代理はレギオン殿だとうかがっていますが……」

「私はお兄様の補佐をする立場にあります。ゆえに、交渉をすることに問題はありませんわ」

「そうですか……」


 決定権があるとは言わなかったが、それなりの立場を持っているのは事実のようだ。俺にとってのクリス姉さんみたいなものか?


「では二つ目の質問です。貴方が再考して欲しいという取り引きを纏めたのはリリアですが、それを反故にするのは彼女の意思に反するのではありませんか?」

「リリア様は、ときに私達に課題を出されます。今回の一件、明らかに不平等な取り引きを交わしたのは、自分達でなんとかしてみろという試練だと考えています」

「……なるほど」


 それはちょっと分からなくもない。

 父上も、俺に無理難題をふっかけたりするからな。


「それで、再考して頂ける気になりましたか?」

「残念ですが、再考するつもりはありません」

「良いのですか? 貴方が為替ギルドを作ろうという話は既に概要も聞いていますのよ? もし、私達が別の為替ギルドを作ったら……どうなるかしら?」


 真っ先に思いつくような脅し文句に呆れて溜め息しか出ない。

 アイリスはなんとなく優秀な気がしていたのだが、どうやら買いかぶりだったようだ。そう見切りをつけようとした直前。


「――と言っていたら、私は不合格だったのでしょうね」


 アイリスは艶やかな金髪を指で梳き、イタズラっぽく笑った。


「……どういう意味だ?」

「こういう意味、ですわ」


 だからどういう意味なのか――と、繰り返しそうになった俺は、アイリスが先ほどから艶やかな金髪を指で弄っていることに思い至った。


 女性が髪を弄るのは退屈している仕草なんて聞いたことがあるが、この場合はおそらく違う。彼女は、自分の艶やかな髪を強調して見せているのだ。

 そして、彼女の髪が艶やかなのはおそらく、シャンプーやリンスを使っているからだ。


「……なるほど。シャンプーやリンスの価値に気付いていると、そういうことか」

「それだけではありませんわ。塩がなにに使われているのかも想像がつきます」

「……なるほど」


 シャンプーやリンスが手に入らなくて困るのはオーウェル子爵領。

 対して、塩がオーウェル子爵領から買えずとも、俺は他の領地から買うことが出来る。

 多少のコストアップは避けられないが、シャンプーやリンスが独占状態であることを考えれば、販売価格を引き上げることでコストアップを帳消しにすることが出来る。

 ダメ押しに、値上がりはオーウェル子爵家のせいだと暴露すれば完璧だ。


 ――とまぁ、そんな対策があった訳だが、彼女はお見通しだったという訳だ。


「ゆえに、理不尽な取り引きに見えて、実際にはオーウェル子爵領にとって有益。それを読み取り、貴方と友好的な関係を築くことこそが、リリア様の試験だと判断しました」


 アイリスの言葉を吟味する。

 俺がリリアから聞いていたのは、突っかかってきた相手を叩きのめすこと。それを鵜呑みにするのであれば、アイリスがその結論に至ることは予想外。


 ――だが、アイリスは少し接しただけでも聡明であることを滲ませていた。

 最初の挨拶で対等な者や目上の者にしかおこなわないカーテシーをおこない、続いて席では俺に上座を勧めた。商談相手を立てることが出来る器量の持ち主。

 リリアなら、アイリスがいまの結論に行き着くことも予想していたはずだ。


 となると、リリアに一杯食わされたのは俺の方かも知れない。相手が突っかかってきても叩きのめせるだけの手札は用意したが、そうじゃないときの対策は考えていなかった。


「アイリス嬢の話は分かったが、それならなぜ、取り引きの再考などと言いだしたんだ?」

「再考をしていただきたいのは本当だから、ですわ」

「……どういうことだ?」


こちらに脅しは通用しないと理解しているはずだ。そのうえで取り引きの条件を考え直して欲しいという意図が分からない。


「本当は、このようなことを他領の方に言うべきではないのですが、貴方はリリア様のお気に入りのようですから、正直にお話します」

「……リリアのお気に入り? 初耳なんだが」

「リリア様を気さくに呼び捨てにして、それが許されている。それが証拠です」


 どうやら、エルフの王族でかつての子爵夫人。誰よりも年上な彼女が、誰かに呼び捨てを許すのは相当に珍しいそうだ。


「……なんか、リリア様と呼んだ方が面倒が少ない気がしてきたな」

「あら、せっかくの立場を放棄するのはもったいないですわよ」


 気持ちは分かりますけどねと、アイリスはクスクスと笑った。それから表情を引き締めて、彼女の事情とやらを話し始める。

 それによると、彼女とレギオンは第二夫人の子供だそうだ。ゆえに、当主が亡くなったとき、第一夫人が自分の息子であるジェインを次期当主へと推した。


 それは結局、ジェインは自らの失態で次期当主の座を降ろされたのだが、第一夫人はまだ諦めておらず、あの手この手でレギオンを引きずり下ろそうとしているらしい。

 ゆえに、レギオンには功績が必要ということのようだ。


「アレン様。貴方はたしかにオーウェル子爵領に対する切り札を持っていらっしゃいます。ですが、オーウェル子爵領の当主は友好的な方がいいでしょう?」


 いくら対抗策があるからと言って、ジェインのように面倒な奴が当主よりは、レギオンのように友好的な奴が当主であった方がやりやすい。


「言い分は分かった」

「では――」


 アイリスが目を輝かせるが、俺はまだ話は終わっていないと遮った。


「言い分は分かったが、だからといって俺が譲歩する理由にはならないだろう」


 もうそれしか方法がないと言うのであれば、協力もやぶさかではない。だが、現時点ではそのようには思えない。この程度で譲歩していればキリがなくなる。

 そういって拒絶する俺に、アイリスはけれど怒ることなく頬に指を添えた。


「つまり、理由があれば良いのですか? そういえば……アレン様はどうして、リリア様と一緒にオーウェル子爵領までやって来たのでしょうか?」


 俺に問い掛けている訳ではなく自問しているようだ。青い瞳で虚空を見つめる。彼女がどのような結論を出すのか、俺は興味深く見守った。


「もしや、アレン様はリリア様となんらかの取り引きを……そういえば、アレン様はルコの町へ赴任したとうかがいましたわね。あの町はロイド様の……」


 めまぐるしく動いていた瞳が、不意に俺を捉えた。


「アレン様、なにかオーウェル子爵領に欲しいものはございませんか?」

「ふむ……」


 どうしたものかと考えを巡らす。アイリスは一方的に要求をするのではなく、こちらに利を配ろうとしている。つまり、対等な取り引きが出来る人間だ。

 その辺りが間違っていなければ、彼女と友好を結ぶことは決して損にはならないだろう。


 だが問題もある。ジェニスの町で得られる利益は、ジェニスの町で使う資金と、ウィスタリア伯爵領全体で使う資金に分けられる。

 ウィスタリア伯爵当主でない俺が扱えるのは前者のみだ。ジェニスの町にとって有利な取り引きの撤回と引き換えに、ルコの町への支援を求めるのは職権の乱用となる。


 むろん、いくつかやりようはある。

 ジェニスの町に対して、ルコの町が埋め合わせをするなどもその一つだろう。


「そう、だな。ルコの町が求めるモノはある。それを対価としてくれるのなら、そちらに対してなんらかの譲歩をすることも可能だ」

「それは本当ですか?」


 アイリスが目を輝かせる。先ほどまでの大人びた振る舞いが崩れ、年相応の無邪気な仕草を覗かせた。どうやら、彼女にとって望む結果だったようだ。

 そこで表情に出してしまう辺りが未熟だが、それもまた好感が持てる。


「むろん、対価に相応な範囲でだがな。その辺りはレギオンも交えて相談しよう」


 ウィスタリア伯爵領にはお酒を造るのに適した土地がないが、オーウェル子爵領にはあるかもしれない。他にもオーウェル子爵領ならではのモノがあるかもしれない。

 ジェインとは取り引きをする気にはならなかったが、アイリスや、アイリスに重要な役職を与えているレギオンとなら取り引きをするのもやぶさかではない。


 なにより、隣の領地。仲良く出来るのであればそれにこしたことはない。レギオンやアイリスが動きやすいように、目に見える功績を挙げさせる。

 ゆくゆくは俺の利益へと繋がるだろう。


 ゆえに、その辺りについて話し合おうと提案し、彼女がそれを了承する。それとほぼ同時に、隣の部屋から感じられる気配にも動きがあった。


 リリアがアイリスに対する合否の判断をするのだろうか? そう思ったのだが、開かれた隠し扉の向こうから姿を現したのは見知らぬご婦人と騎士達だった。

 驚きに目を見張ったアイリスが立ち上がる。


「ジュリア様、どうしてここに?」


 ジュリア――その名前は最近学んだばかりのオーウェル子爵家の家系図に載っていた。前当主の第一夫人である彼女はジェインの母親で、アイリスにとっては継母にあたる。


「まったく、嘆かわしい。ジェインを卑怯な罠にはめたその男に煮え湯を飲ませるのかと思えば、レギオンの為に取り引きをする、ですって? そのようなこと、させませんよ」


 その瞳に狂気を浮かべ、ジュリアがすっと右手を挙げた。

 嫌な予感がすると俺が思うのと同時、夫人の引き連れる騎士が俺に近付いてくる。密かに無詠唱にて身体能力の強化をおこなう。それとほぼ同時、俺の視界に影が差した。


「ジュリア様、アレン様になにをなさるおつもりですか?」


 金色の髪に覆われた小さな背中が俺を庇う。どうやら夫人達が隣の部屋に潜んでいたのは、アイリスにとっても予想外のことだったようだ。

 そんな風に考えていると、距離を詰めてきた騎士が、アイリスのドレスを引き裂いた。


「――きゃあああああああっ!?」


 悲鳴を上げたアイリスが破れたドレスを掻き抱いて座り込む。だが、彼女は気丈にも悲鳴をすぐに呑み込み、「誰か、誰か来なさい!」と扉の外に呼びかける。

 それから、キッとジュリアを睨みつけた。


「どういうつもりですか!? こんなことをして許されませんわよ!?」

「ええ、そうですわね。まだ代理とはいえ、あらたな当主の妹であり腹心でもある娘に乱暴するなど、たとえ他領の息子でも殺されて仕方ありませんわ」

「なにを言っているのですか。私がそのような報告をするはずがないでしょう?」

「貴方は乱暴されたショックで、その男を殺した後に自らの命を絶つのです。死者が口を利かぬのは道理。ゆえに、心配は必要ありませんわ」

「……なんという」


 アイリスに乱暴を働いた罪を俺に着せ、アイリス共々始末するつもりのようだ。それに気付いたアイリスが再び部屋の外に呼びかける。

 だが、いまだに誰も駆けつけてこないことを見ると、人払いがなされているのだろう。


「……アレン様、このようなことになって申し訳ありません。私が時間を稼ぎます。だから、貴方は逃げて、このことをお兄様に伝えてください」

「……アイリス嬢?」


 アイリスは立ち上がってこちらに視線を向けると、掻き合わせていたドレスの裂け目から手を放し、俺を庇うように両手を広げた。


「さぁ、アレン様。私に構わず行ってください」


 勇ましい言葉を発する彼女の身体が震えている。ドレスを引き裂かれてなお、騎士達の前に立ちはだかる彼女の姿を美しいと思った。


「ダメだ。逃げられるはずがないだろ」

「いいえ、そんなことはありません。アレン様は賓客で、武器を持ち込んでいません。私が自害したことにするのなら、安易に斬り殺すことは出来ないはずです」


 自分を殺すのには相応の手順が必要だから、そのあいだに逃げろと言うこと。だが、それくらいのことは俺も承知の上だ。

 俺が逃げられないと言ったのは、アイリスを死なせる訳にはいかないから。俺が動けば騎士達も動きアイリスが殺される。だが、俺が動かなければ、騎士もすぐには動かない。

 俺は逃げるのではなく、さり気なくアイリスとの距離を詰めた。


「心配するな。襲撃くらいは予想の範疇だ」


 むしろ、アイリスの行動こそが予想外。

 突っかかってきた愚か者をぶちのめし、その代償に食糧支援を求めるというのがリリアと交わした取り引き。どうやらこちらが本命だったようだ。

 俺は上着を脱ぎながら、更にアイリスとの距離を詰めた。


「襲撃が予想の範疇とはどういうことですか?」

「その話はあとだ。守ってやるから大人しくしておけ」

「――ふぇっ?」


 アイリスの腰を抱き寄せると同時、脱いだ上着を彼女に被せた。


「ア、アレン様、なにを……っ」

「狭い場所での襲撃への対策はこれでもかと立てている、と言うことだ」


 前世の俺は、自宅で襲撃を受けてその一生を終えた。同じ過ちは犯さない。魔力を練り上げ、部屋全体に風の刃を撒き散らす――寸前。


「そこまでです!」


 扉がバンと開いて、そこから騎士を連れたリリアが踏み込んできた。一瞬の沈黙。ジュリアがリリアに向かって詰め寄った。


「リ、リリア様、ちょうど良いところに! この二人が結託して、貴方を葬る計画を立てていたのです。いますぐ、二人を捕らえてください!」

「……あら、そうなのですか?」


 リリアが問い返したのはジュリアではなく、その後ろに控える騎士の一人。彼はいいえと頭を振り、ジュリアの暗殺計画をぶちまけた。

 みるみるジュリアの顔色が青ざめていく。


「あ、貴方、まさか……最初から。そう、そう言うこと。ならば、せめて――っ」


 ジュリアが短剣を取り出して、俺に向かって駈け出す。寸前、リリアの連れていた騎士によって引きずり倒され、そのまま腕を捻って組み伏せられる。

 同時に他の騎士達も動き、ジュリアが連れていた騎士を拘束していく。リリアが現れた時点で観念したのか、彼らは特に抵抗もなく拘束されていく。


「くっ。このっ。その男が、ジェインを、私の息子を罠にはめたのよ! その復讐をして、なにが悪いと言うのですかっ!」


 組み敷かれながらも、必死に俺を睨みつけてくる。その視線を遮るように、リリアが彼女の前に立ち、冷たい声を発した。


「愚かな娘よ。ジェインを次期当主にと推したことは、母親の愛情故と見逃しました。ですが、今回の一件でおまえは越えてはならない一線を越えたのです。……連れて行きなさい」


 リリアの指示で、喚き続けるジュリアや騎士が連れられていく。

 こうして、小さな反乱はあっという間に鎮圧された。

 

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