ルコの町の改革 後編1

「それで、逃げたってどういうことなんだ?」

「みなさんに聞いても行方が分からなくて、ケープス様のお部屋を訪ねたんです。そうしたら、荷物がなくなっていて、代わりにこれが……」


 リーシアが羊皮紙を差し出してくる。

 それを受け取った俺は目を通すなり思わず頭を抱えた。そこには、今回自分がやらかした罪が発覚する前に逃げるといった主旨の言葉が並んでいたからだ。


「たしかに逃げたようだが……これじゃなにがなんだか分からないな。リーシア、彼が逃げたのはいつごろか分かるか?」

「ええっと……つい先ほどまではお屋敷にいたはずです」


 リーシアが言うには、俺が帰ってくる少し前にケープスと話したそうだ。そして部屋には慌てて荷物を纏めた痕跡があったらしい。


「切っ掛けは、出掛ける間際のやりとり、か」


 おそらく、あのやりとりから、なにかが発覚すると焦ったのだろう。

 その罪がなにを指しているのかは分からないが、提出しろと急かしていた書類の中に答えはあるはずだ。更に言えば、フィリップに警告されたこととも関係しているかも知れない。

 彼には訊かなければいけないことが多くありそうだ。


「リーシア、ケープスの顔を知る人間を集めろ。それと、兵士に町から誰も出すなと伝達を出せ! タイミングを考えれば間に合うはずだ!」


 屋敷で荷物を纏めたとはいえ、馬車や食料を持ち出した訳ではない。町を出るには、食料を買うとか、乗合馬車に乗るとか、なにかしらの準備が必要となる。


「か、かしこまりました!」


 リーシアがパタパタと駈けていく。


「アレン様、捕まえられると思ってるの?」


 周囲に誰もいなくなったのを良いことに、フィオナ嬢が素の口調で問い掛けてくる。俺は少しだけ頬を掻いて、小さな溜め息をついた。


 夜逃げをしたというのならともかく、いまは日中で多くの使用人が屋敷で働いている。そんな中、荷物を纏めたケープスが逃げ出したのに、リーシア以外からなんの報告もない。

 最悪、屋敷の人間は俺ではなくケープスの味方だと考えられる。町の出入りに検問を敷いたとしても、検問が機能するかどうか分からない。


 だが、なにがどうなっているのか、なぜわざわざ手紙を残したのか、彼から聞き出す必要がある。このまま逃がす訳にはいかない。


「私が、検問所に出向こうか?」

「頼む。ケープスがこの町から出るとして、一番通りそうな場所に向かってくれ」

「うん、任せておいて」


 そう言うやいなや、フィオナ嬢はリリアナを呼びつけ、即座に検問所へと向かった。彼女の張っている場所を通ったのなら、必ずケープスを捕まえてくれるだろう。

 だが、いくらフィオナ嬢の感覚が優れているとはいえ、ケープスがそこに現れるとは限らない。ゆえに、搦め手で保険を掛ける必要がある。



 それからほどなく、ケープスの顔を知る屋敷の人間がエントランスホールに集められた。俺は彼らを見回し、ケープスが屋敷から逃げ出したことを伝える。


 素直に驚いた様子の者、使用人らしく感情を隠そうとする者。

 そんな中に、明らかに異質な反応をした者達がいる。驚いたような素振りはなく、けれどその瞳に憂うような色を滲ませている。

 それは、逃げたケープスを心配している者の瞳だ。

 だから――


「彼が逃げたのは、いまから少し前。まだこの町にいる可能性が高い。ゆえに、おまえ達には町の捜索と、町から出る者にケープスがいないか監視をおこなって欲しい」


 ケープスが見つかるまで、町から誰一人出さないというのが理想。だが、それをすれば、ただでさえ遠のいている商人の足がなおさら遠ざかるかも知れない。

 商人達の被害は最小限に、ケープスの捜索に当たる必要がある。


 だが、一部の者はケープスを逃がそうとするかも知れない。

 それを防ぐために――


「彼はある重要なモノを持っている。彼に逃げられては、この町でおこなうはずだった支援の数々が水泡に帰すことになるかもしれない」


 同情を断ち切る楔を打ち込んだ。

 彼が持っているのは、この町についての情報。その情報の内容によっては、食糧支援など、俺の立てた計画は頓挫する。

 そんな事実を、彼の逃亡が原因になると誤解させる。


 彼らが、どうしてケープスの味方をしているのかは分からない。もしかしたら、自分の命、あるいは町を犠牲にしてでも彼を逃がそうとするかも知れないが……

 いま、俺の言葉に彼らは動揺している。


 おそらくは多少の恩がある、もしくは少し同情的なレベル。自分達の生活を脅かされてまで、ケープスを守ろうとする者達はいないように見える。

 それでも危なそうな者達は、そうでない者とペアを組ませる。


「俺が今から指定する相手とペアを組み、兵士達と行動しろ。必ず、二人一組で確認するんだ! ケープスを見つけた者には褒美を取らせる!」


 ダメ押しの対策を組み込んでケープスの捜索に当たらせた。そうしてエントランスホールにはリーシアと俺の二人だけとなる。

 残された彼女はどこか緊張しているように見える。ケープスの顔を知っているにもかかわらず、自分だけ残されたからだろう。


「リーシア、ケープスの執務室へ案内してくれるか?」

「え? はい……かしこまりました」


 拍子抜けするような表情。やはり、彼女は内心を隠すのが苦手なようだ。いや、平民の娘らしく、腹芸になれていないと言うべきかもしれない。

 ともかく、彼女に案内を任せて、ケープスの執務室へとやって来た。


「……やはり、資料はここが一番揃ってるんだな」


 棚にしまわれた羊皮紙の束を机の上に広げる。ざっと数年分の帳簿が揃っているようだ。俺はそれを広げながらリーシアに視線を向けた。


「……事情を聞かせてくれないか?」

「私には、良く分からないです」

「だが、おまえは奴隷で、主人はケープスだろ? 今回の反応から事情は聞かされていなかったようだが、なんらかの指示は受けていたんじゃないのか?」

「それは……っ」


 彼女が青ざめる。それだけで、俺の予想が事実なのだと確認するには十分だった。だが、このままでは彼女はなにも聞かせてくれないだろう。


「ラルフが心配していたぞ?」

「――っ。弟に会ったのですか!?」


 過剰な反応を見せる。そんなリーシアに対して、俺は沈黙をもって答える。


 話してくれなければ、こちらも話さないという意思表示。

 答えなければ弟にも危害が及ぶ。そんな可能性があると口にした訳ではないし、そのつもりもない。けれど、その可能性がないことも否定していない。


 そのうえで返事を急かさず、無言で書類整理を始める。時間を与えられたことで、考えうる限りの最悪が、リーシアの脳裏をよぎったはずだ。

 それを見計らい、俺は再びリーシアに視線を向けた。


「ケープスにどんな指示をされたか話してくれるな?」

「……分かりました」


 俺の確認に、彼女は覚悟を決めたようにかしこまった。

 権力で圧力を掛けて、いたいけな奴隷少女から情報を引き出す。その事実に気分が悪くなるが、領主としてこの状況を早急に解決する必要がある。


「ではあらためて聞こう。ケープスからどのような指示を受けていたんだ?」

「大したことは言われていません。貴方の気を惹けと命じられました」

「……気を惹く?」

「最初は……その、よ、夜伽の相手をするようにと命じられました。貴方が部屋から出てこないように、可能な限り相手をしてもらえ、と」


 なるほど。最初にあったときにあんなにも動揺していた理由はこれか。


「だが、おまえは一度も、俺の夜伽を務めようとする素振りは見せていないはずだ。ケープスの命令に逆らったのか?」


 その問いに、リーシアは首を横に振って答えた。


「アレン様が来てから、事情が変わったといわれました。婚約者を連れてきているので、全力で二人の仲を取り持つように、と」

「ははん……。それで、フィオナ嬢と同じ部屋、か」


 いまにして思えば、フィオナ嬢と俺が部屋にいるとき、ほとんど邪魔が入らなかった。それはつまり、俺達がそう言うことをしていると思い、人払いをしていた結果。


「……だが、一度フィオナ嬢の部屋に俺を探しに来たのはなぜだ?」

「あれは、人払いをしていた結果、本当にアレン様の行方が分からなくなってしまったんです。まさか、朝までフィオナ様のお部屋にいらっしゃるとは思わなかったので」

「……うん?」

「その……貴族様は体面を気にするので……」

「あぁ、うん、分かった。それ以上は言わなくて良い」


 体面を気にするので、婚約者の部屋に夜這いは掛けても、朝までいると言うことはないという意味。そう考えると、とんでもない誤解を受けていそうな気がするが……


「俺の気を惹くという指示は分かった。他にはなにか言われなかったか?」

「いえ、私にはそれだけしっかりするように、と」

「ふむ……」


 おそらく嘘ではないだろう。

 リーシアは小さな工房の娘で屋敷で働けるほどの教養がある訳じゃない。複雑な指示を出してもボロが出る。それを防ぐには、シンプルな指示だけ遵守させるのが理想だ。


「それで……あの、私はどうなるのでしょう? いえ、私はどうなっても構いません。けれど、家族はなにも知りません。どうか、お願いですから見逃してください」


 もしこの場で家族のために命を絶てと命じたら従いそうな面持ち。そこまで思い詰めさせてしまったことに若干の罪悪感を抱く。


「心配するな。いまの話が本当なら、おまえやその家族を咎めることはない」


 もし貴族を害していたら、たとえ断れない命令が原因だったとしても重罪になる。だが、リーシアが命じられたのは夜伽だけで、結局はそれもしていない。

 ケープスが逃亡することすら知らなかった彼女に罪はない。


「それは、本当……ですか?」

「ああ、事実だ。もし望むのなら、事件が解決したら奴隷から解放して帰らせてやろう」

「いえ、それは……」


 予想に反してリーシアは一度は浮かべた安堵の表情を不安に曇らせた。


「……どうした、家族のことが心配だったんじゃないのか?」

「心配です。でも……私はお父さんに売られました。もし家に帰れたとしても、私に居場所は残っていません」

「……なるほど」


 たしかに、いまのあの家に子供二人を養う余裕はないだろう。そうなると、リーシアが家に帰ったとしても、また売られる結果になりかねない。

 それに、いくら弟を守るために自分から名乗り出たのだとしても、親に売られたことに対してわだかまりはあるだろう。


「なら、引き続きここで働けばいい。その後のことは、この件が片付いてからにしよう」


 兎にも角にもケープスを捕まえ、この町の状況を知る必要がある。そんなことを考えながら羊皮紙を並べていた俺は、見覚えのある形式の書類を見つけた。


 先日見たのと同じ数ヶ月前のこの町の財政状況を現す帳簿。だが、それに目を通した俺は息を呑み、そこに並んでいる数字を食い入るように見つめる。


「これは――」


 ありえない。いや、あり得てはいけない事実だ。認めたくないという感情が、そこに書かれている数字を否定する。そのとき、ケープスを捕らえたという報告が入った。

 

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