ルコの町の改革 前編8
「見えてきたよ。あの建物がまるごとそうだよ」
フィオナ嬢が指差したのは表通りから少しだけ外れた場所にある建物。奴隷商の店と言うことだが、見た目はその辺の店と対して変わりない。
フィオナ嬢が調べた情報によると、最近出来た店らしい。
「前はなかったってことか?」
「景気が悪くなって、奴隷商に子供を売る親が増えたんだろうね」
「なるほど、一時的な支店みたいなモノか」
この町で商品を買い集め、他所の町に卸しているのだろう。一般的な商人がルコの町から遠ざかる中、彼らは逆にこの町を商売の起点にしている。
領主としては……不名誉な状況だな。
「なんだ、おまえら。帰んな。ここはおまえらみたいなガキの来る場所じゃねぇぞ」
店の前にいた、おそらく門番的な男達の一人が話しかけてきた。
「俺達は奴隷商に用がある。通してくれないか?」
「うちに用がある、だと? ははぁん、さてはそっちの姉ちゃんを売りに来たか」
「――違う」
「それだけ器量が良ければ、高値で――」
俺と視線を合わせた男は、少し慌てたようにセリフを飲み込んだ。視線を泳がせて「すまなかった」と謝罪する。それに首を傾げていると、なぜかフィオナ嬢が腕を絡めてきた。
「……なんだ?」
「ふふっ、なんでもないよー」
急に機嫌が良くなったりして変な奴だな。
だがそれより、用件を伝えるのが優先だ。
「さっきも言ったが、奴隷商に用事がある。少し話を聞かせてくれないか?」
「……ふむ。ま、まあ良いだろう。ちょっと待っていろ」
その男はもう一人になにか言って店の中に入っていった。それからほどなく、戻ってきた彼は、旦那の許可が出たと告げる。
「分かった。なら、おまえは外で待っててくれ」
「……ん、分かった」
フィオナ嬢はわりとあっさりと頷く。危険な可能性がある場所に行くときは、もしものときにもう一人が助けを呼べるようにする。
実際に危険はないと思うが、念のための対策だ。
ということで、俺だけが奴隷商の待つ店の中へと足を運んだ。
奴隷商の店というと、どんよりとした空気に満たされていることが多いのだが、この店はあまりそういう雰囲気がない。奴隷の管理が行き届いているのだろう。
そんな店の廊下を歩くと、やがて大きな扉の前に行き着いた。
そして――
「ようこそいらっしゃいました。我々に用件があるとのことですが、一体どのような御用向きですかな?」
通された部屋。
商談用とおぼしき部屋で、俺は恰幅の良い奴隷商人と向き合っていた。
「用件というのは他でもない。奴隷の売買記録について見せてもらいたい」
「それは――」
ぶしつけな頼みに商人が反論しようとする。
分かっていると、俺は彼の言葉を制した。
「無茶な要求に対する相応の礼はするつもりだ」
「売買の記録を買う、ということですか?」
「まぁ端的に言ってしまえばそういうことだ」
帳簿の数値では、人の生活がどれくらい苦しいかの目安しか分からない。だが、親が子供を奴隷商に売るのは本当に生活が困窮しているときだけだ。
奴隷商に子供を売る親の割合が分かれば、生活が立ちゆかなくなった家庭の割合も分かる。
「俺が知りたいのは三つ。ここ最近、この町で売買された奴隷の数や年齢。それから、他の町で奴隷が売られる割合。そして最後はとある少女の行方だ」
「……目的をお聞きしても?」
「俺は……まあ商売人みたいなモノでな。仕事を始めるにあたって、この町の経済状況を知りたいと思ったんだ。この町の景気を知るには役に立つだろう?」
俺は奴隷商に子供を売る割合から、生活が困窮している家の割合を出す考えを明かす。それを聞いた商人はしきりに頷いて見せた。
「なるほど、なるほど。そういった発想はありませんでしたが、たしかにそうですね。いや、素晴らしい慧眼をお持ちだ」
褒めちぎられるがいくらなんでも大げさだ。多分にお世辞が含まれているのだろう。俺は肩をすくめてみせることで、褒められるほどのことじゃないと受け流しておく。
だが、なにやら商人の男は目を輝かせた。
「貴方の話に興味がわいてきました。では、とある少女の行方というのはなんでしょう? そちらも、なんらかの状況を確認するのですか?」
「いや。期待させてなんだが、そっちはただの個人的な理由だ」
「個人的? 売られた子供の行く末を知りたいと、誰かに泣きつかれでもしたのですか?」
「まぁちょっと、知り合った子供にな」
これで商人も興味を失うだろう。そう思ったのだが、なぜかなおさら楽しげな顔をする。
「……噂とは当てにならないモノですな」
「あん?」
「すみません、こちらの話です」
どういう意味だと問い返すがはぐらかされてしまう。商人はなにやら楽しげに「こちらからも質問をよろしいでしょうか?」と切り出した。
「その前に、情報をくれるかどうか聞きたいんだが?」
「私の質問に答えてくだされば、その答え次第ではお教えします」
「……ふむ。まぁ良いだろう。その質問を聞こう」
出来れば権力はちらつかせたくない。
犯罪人を取り締まる分には、どれだけ権力を使おうが問題はない。だが、真っ当な商売をしている者に権力で圧力を掛ければ、他の商人まで敵に回してしまう。
この町から商人が遠ざかっているいま、そうなる可能性は少しでも排除したい。
「それで、質問というのはどういうものだ?」
「いまの貴方の態度でおおよそ理解致しました」
「なにを……いや、こちらの対応が知りたかった、という訳か?」
「察しも良い。本当に、噂とは当てにならないモノですね。まぁ、最近では、また違った噂も聞こえていますが……」
そこまで言われて分からない俺じゃない。この奴隷商は、俺がこの町の領主となったアレンであることを知っている。
そのうえで、俺が権力を笠に着るような人間か試した、ということだ。
「……なぜ俺の正体が分かった?」
「この町に新しい領主が着任したとの噂は仕入れています。その方の容姿はもちろん、少し前までは、それほど評価されていなかったことも存じています」
「少し前までは、か?」
「ええ。最近は名声も聞こえてきます。ただし、貴方の姉上が優秀であるがゆえに、貴方を背後から上手く扱っているというのがもっぱらの噂ですな」
本当に良く知っていると驚かされた。
以前の俺が腑抜けていたことはもちろん、その後の活躍も知っている。そのうえで、クリス姉さんが俺の補佐をしていることも把握している。
彼の情報網は相当なようだ。
「……どうやってそのような情報を仕入れているか聞いても良いか?」
「奴隷には、実に様々な人間がいますからね」
「……なるほど」
奴隷として買い取った者達から情報を集めているのか。その中には、ロイド兄上の片棒を担いで犯罪奴隷に堕とされた兵士などがいるのかもしれない。
「それで、おまえは先ほど、噂とはあてにならないと言ったな?」
「ええ。まず、我々のような奴隷商に対しても、貴方は眉をひそめたりしなかった。これだけで、綺麗事が好きなだけのそこらの貴族とは違うと想像がつきます」
「別に、珍しいことじゃないだろう? 出来れば奴隷を必要としない環境が理想ではあるが、この国には必要だ」
非合法な奴隷も存在するが、正規の奴隷商は国に存在を認められている。鉱山など危険な場所で働かせる場合は犯罪奴隷を使う。
それに、この町も、もし奴隷商がおらず、子供を売ることが出来なければ、あちこちの家が一家揃って路頭に迷うことになる。
「普通の貴族は当たり前のように奴隷を働かせておきながら、奴隷を扱う商人は穢らわしいなどと言うのですよ」
「貴族には建前も重要だからな」
「それを建前と言ってしまえるあなたが特殊なのですよ」
そうだろうかと首を傾げる。
だが、商人は確信を抱いているかのように言葉を続けた。
「そうして割り切りながら、誰かの願いを聞いて奴隷の行方を捜すのですからなおさらです」
「矛盾してるって言いたいんじゃないのか?」
「矛盾を飼い慣らしていらっしゃると言いたいのです。冷酷な領主は珍しくない。ただ優しい領主も田舎を捜せばいるでしょう。だが、冷酷に振る舞う優しい領主はめったにいない」
クリス姉さんにも似たようなことを言われた。
だが、そこまで大げさなことは考えたことがない。最初は追放や暗殺の危険から逃げたかっただけ。いまは大切になった者達を放っておけないから。
大層な目的が有る訳ではない。
ただ……俺のそういった部分を甘さではなく、優しさだと評価した。彼の人物像が少しだけ見えた気がする。
「それで、俺の求めには応じてくれるのか?」
「もちろんです。貴方が必要とする情報をお伝えしましょう」
「……情報料になにを望む?」
「貴方との友好を」
友好――友達になるという直接的な意味ではないな。おそらくは持ちつ持たれつ、共存関係を求めると言うことだ。
その担保として、まずは自分が無償の奉仕をしてみせる、ということ。
「良いだろう。俺はアレンだ」
「私はフィリップと申します。以後お見知りおきを」
取り引きは成立だとばかりに握手を交わす。もちろん、無茶な要求をしてくるようであれば切り捨てるつもりだが、相手もそれは分かっている。
おそらくは持ちつ持たれつの関係となるだろう。そんな予感がある。
「それじゃさっそくだが、さきほどの用件を頼めるか?」
「資料は二、三日中に用意いたします。娘の方はどのような?」
「あぁ……そういえば名前を聞いていなかったな。職人通りにある食器を作る店の子供で、ラルフという弟がいる。って、これじゃ分からないな。後で調べて知らせよう」
「いえ、その娘なら心当たりがあります」
少し、いや、かなり意外だ。奴隷商が奴隷の名前ならともかく、その家族の情報から特定できるほどの情報を記憶しているとは思ってもみなかった。
……なるほど。冷酷に振る舞える、優しい人間、か。
「それで、その娘はどこにいるんだ? 元気にやっているのか?」
「……失礼ですが、その質問は本気でなさっているのですか?」
「どういう意味だ?」
「おそらく、貴方の方が良く知っているはずです。その娘は最近、とあるお屋敷の使いに売りました。買い手は、新しくやってくる領主様につけると申していましたよ」
「……は?」
「リーシア。この名前に心当たりはありませんか?」
むろん知っている名前だが、予想外すぎて言葉が出てこない。
だが、たしかに使用人として不慣れな様子だった。使用人として学んだ訳ではなく、実家の店番経験がある程度なら……なるほど、たしかにあんな感じになるだろう。
「そうか、彼女がラルフの姉だったのか」
「問題が解決したようでなによりです。ただ……少々ご忠告をよろしいでしょうか?」
「……なんだ?」
「アレン様はリーシアが奴隷であることを知らなかったのではありませんか? そして、それは、彼女が奴隷とは思えないような職に就いているから、ではありませんか?」
「その通りだな。彼女はメイドとして、俺の世話係をしている。なるほど、おかしいな」
使用人は普通、素性が明らかな人間を雇う。
貴族の暮らす屋敷ともなれば、使用人は名家の娘などが多い。少なくとも、奴隷の娘を買ってきて使用人にすると言うのは普通ではない。
なにか、理由があると考えるべきだろう。
「貴方の行動にも疑問があります。なぜ、奴隷の仕入れ数を調べようとしているのですか?」
「……先ほど、理由は言ったはずだが?」
「だからこそ、です」
どういう意味かと考えを巡らせる。
やがて、俺は一つの可能性に思い至った。
「……予想以上の収穫だった。俺は調べたいことがあるのですぐに屋敷に戻る」
「それがよろしいでしょう。貴方の必要としていた情報ですが……」
「一応纏めておいてくれ。いまは必要なくなったが、今後の対策にも必要となるはずだ」
「かしこまりました」
フィリップは恭しく頭を下げた。
ひとまず、こっちの件は彼に任せておけば安心だろう。そう思って席を立つ。だが、立ち去る寸前、ふと気になることを思いついた。
「もう一つだけ聞かせてくれ。おまえはどうして奴隷商になったんだ?」
「……かつての幼馴染み。彼女がやむにやまれぬ事情で奴隷として売られたのです。そして、非道な扱いを受けて死んだ。彼女のような存在を少しでも減らしたくて奴隷商になりました」
踏み込んだ問い掛けににもかかわらず、彼はまっすぐに俺の目を見て答える。その瞳は真剣そのものだが……不意に破顔した。
「ときどき同じことを聞かれるので、いまのように答えることにしているんですよ」
「……そうか。余計なことを聞いた」
彼は冗談であるかのように笑ったが、おそらくは事実だろう。だが、それは知り合ったばかりの俺が立ち入る話題ではない。それを理解して引き下がった。
また来ると告げて、俺は今度こそ奴隷商の店を後にする。
その後、フィオナ嬢に事情を話しながら屋敷へと帰還。出迎えてくれたリーシアに、ケープスに話があるから呼び出して欲しいと伝える。
――だが、しばらくしてやって来たのはリーシアだけだった。
「ケープスはどうした?」
「そ、それが……すみません。どうも、逃げたようです」
「逃げた!?」
どうやら、俺が思っている以上に、この町は厄介なことになっているようだ。
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