ルコの町の改革 前編7

 控えめな――けれど繰り返されるノックが響く。その音に意識を覚醒させた俺はぼんやりと瞳を開いた。窓辺から差し込む光に思わず顔をしかめた。


「すみません、いらっしゃいませんか?」

「……いや、いる」


 上半身を起こして扉に向かって応えた。


「え、その声はアレン様?」

「そうだが……誰だ?」

「し、失礼しました。リーシアです。朝の準備をお手伝いにあがったのですが……」

「あぁ……そうか、入れ」


 俺が許可を出すと、扉の向こうから躊躇うような気配が伝わってくる。初対面の頃と比べると随分と落ち着いていたはずだが……また戻ってしまったのだろうか?

 それだと少し面倒くさい……なんて思っているとリーシアが部屋に入ってきた。


彼女はその髪と同じくらい頬を赤く染め、俺を視界の隅に捉えて会釈する。

 裸という訳じゃないのに、なにを赤くなっているのやらである。というか、メイドが主を真っ正面から見ないってどうなんだ?

 そう思いつつ、ベッドから降り立とうとした俺は――腕を引かれてつんのめった。


 なんだ? なにが――って、フィオナ嬢!?

 自分の腕を引っ張った――正確には、俺の腕を掴んで眠っているのがフィオナ嬢だと気付いて俺は思わず悲鳴を上げそうになった。

 な、なんでフィオナ嬢が俺のベッドに眠ってるんだ? まさか、夜這い? このバカ、既成事実を作るために、ついに寝所に潜り込むまでやらかしたのか!?


「それで、あの……アレン様が見当たらなかったので、フィオナ様に伺いに来たのですが、えっと……目的、果たしてしまいましたね」

「――っ」


 フィオナ嬢に俺の行方を聞きに来た。

 つまり――と俺は周囲を見渡す。そこは、馴染みのない部屋だが、たしかに覚えている。最初に用意された――つまりはフィオナ嬢が使ってる部屋だ。

 昨日はたしか……そう、深夜まであれこれ話し合いを続けて……その後の記憶がない。

 つまり、既成事実を作ったバカは……俺?


 あぁぁあぁぁ。俺の馬鹿、なにやってんの!?

 そりゃ、冒険者時代なら宿を一室でとか、野営時に近くで寝るなんて珍しくもなかったけど、侯爵家の令嬢と伯爵家の子息が同じ部屋で一晩なんてヤバすぎるだろ!

 しかも、フィオナ嬢が既成事実を作りに俺の部屋に、とかならまだ言い訳のしようもあるが、俺がフィオナ嬢の部屋にいるなんて言い訳のしようがない。


「……リーシア、よく聞け。俺とフィオナ嬢は今朝方まで話し合いをしていたんだ。だからおまえが思ってるようなことはなにもない」

「話し合い、ですか?」

「ああ、そうだ。話し合いだ」


 話し合いであることを訴えかけ、ベッドで眠るフィオナ嬢に視線を向ける。生々しすぎて口には出せないが、なにかあったにしては服が乱れていないだろと言いたい。


 ちなみに、これだけ騒いでも目覚めないフィオナ嬢だが、さすがに周囲がうるさいと感じたのか、その整った眉が真ん中に寄せられた。


「うぅん……アレン様ぁ。少し痛いので、もう少し優しくして欲しいかな、なんて」

「――ぶっ」


 思わず咽せてしまう。

 そしてバッチリその寝言が聞こえていたのだろう。一度は納得しかけていたリーシアの顔に、なんとも言えない表情が浮かびあがった。


「いや、いまのはあれだ。たぶん、俺が頬を引っ張ったときの夢だ」

「い、いえ、大丈夫です。その、お貴族様には、特殊な性癖をお持ちの方もいるとうかがっておりますから、わ、私は気にしてませんっ!」

「違う、誤解だっ!」


 むろん、貴族にだって婚前交渉という言葉は存在する。

 というか、結婚の多くが政略結婚であるがゆえに、第一夫人、第二夫人を政略結婚で得て、本命の愛妾を持つなんてことも珍しくはない。

 つまり、性に乱れた貴族は多い。リーシアが口にしたように、少々あれな性癖で日頃のストレスを発散する者も珍しくない。

 そういう意味で、婚約者に夜這いをかけるくらいは健全な部類に入る。だが、俺とフィオナ嬢が交わしたのは仮初めの婚約だ。


 婚約者に夜這いをかけたと言うだけでもあれなのに、特殊な性癖の餌食にしているなんて噂が広まったらさすがに責任を取らざるを得ない。


 まあ……なんか、最近のフィオナ嬢は、そのまま結婚するようなことを言っているので判断に迷うところだが、前世の妹であることに変わりはない。

 フィオナ嬢が望んだときに破棄できるよう、余計な波風は立てない方がいい。婚前交渉をしまくった末に婚約破棄なんて外聞が悪すぎるからな。


 という訳で、ベッドから飛び降りた俺はリーシアに詰め寄った。彼女はびくりと身を震わせて後ずさるが、それを追って壁際へと追い詰める。

 側面に逃げられないように、ドンと壁に手をついた。


「リーシア、いいか、よく聞け。誤解だと言ったところでとても信じられないだろう。だから信じろとはいわないが、このことは他言無用だ。それだけは絶対に守れ、良いな?」

「は、はい。言いません、誰にも! お、お約束します!」


 リーシアがぶんぶんと頭を振って頷く。どこまで信じて良いかは分からないが……少なくとも、言い触らすような性格ではない。

 それを思いだした俺は少しだけ冷静になる。


「驚かせて悪かったな」


 壁から手を放し、彼女を怯えさせないように距離を取る。それに驚いたのか、彼女は栗色の瞳を見開いて、俺のことをマジマジと見つめる。


「……アレン様?」

「寝起きで冷静じゃなかったようだ。話し合いをしてそのまま寝てしまっただけだが、そう聞いて信じる者はいないだろう。だから、彼女の名誉のためにも黙っておいてくれ」

「はい、もちろんです」

「……助かる。ちゃんと守ってくれたら、今度甘いお菓子を食べさせてやろう」

「甘いお菓子……」


 リーシアは目を輝かせ、けれど次の瞬間には顔を曇らせた。


「なんだ、お菓子嫌いだったか?」

「いえ、そんなことはありません。ありがとうございます、アレン様」


 微笑みを浮かべる。リーシアの瞳の奥には寂しさが滲んでいる。そのことが少しだけ気になったが、不意にフィオナ嬢が寝返りを打った。

 ここに留まると面倒なことになりそうだ。


「リーシア、身支度の手伝いを頼む」

「え? あ、かしこまりました」


 リーシアを連れて、そそくさとフィオナ嬢の部屋を後にした。




 身支度を調えた俺は、まずケープスを呼び出した。


「お呼びでございますか?」

「忙しいところ呼び立ててすまないな。資料についてどうなってるか聞かせてくれ」


 むろん、十日やそこらで出来ているとは思っていない。進捗状況を聞かせてくれという意味だ。だが、急かされていると思ったのか、ケープスは身を縮こめた。


「申し訳ありません。資料は、まだ揃っておりません」

「分かった。ただ、少し急いでくれ。どうも、色々と気になることが出来たんでな」

「気になること、ですか?」


 ケープスがピクリと眉を動かした。


「ああ。先日、少し町に視察に行ったんだが、資料を見たよりも経済状況が悪化してるように見える。数値以上に、町の景気が落ち込んでいるのかも知れないと思ったんだ」

「ま、まさか、そのようなことは……ありません」

「俺もそう思いたいところだが、そのためにも早めに資料を頼む。場合によっては、支援を前倒しする必要があるかも知れない」

「か、かしこまりました」


 俺の指示を受け取ったケープスが足早に立ち去っていった。

 正直、彼の能力がどの程度なのか分からない。資料によると、ロイド兄上が統治するまでは、彼がこの町の代官を務めていた。決して無能ではないはずだ。

 むろん過信は禁物だが、最終的な判断は彼が持ってくる資料を見てから下すとしよう。


 それよりも、彼が資料を用意しているあいだにやるべきことがある。


「フィオナ嬢、少し頼みがあるんだが」

「良いよ、いまから案内すれば良い?」

「まだなにも言ってないんだが?」

「でも、ラルフくんだっけ? 彼のお姉ちゃんを助けるんだよね?」

「……いまどういう状況か確認するだけだ」


 こちらの行動を見透かされているようでなんとなく面白くない。いや、理解されていること自体は、悪い気はしないんだけどな。

 なんか、お見通しだよ? って言われてるみたいでホッペを引っ張りたくなる。


「どうせ大変な目に遭ってたら助けるんだから、隠さなくてもいひゃいいひゃい」


 おっと。思わずホッペを引っ張ってしまった。リリアナがなにか言いたげな顔をしているのでこれくらいで自重しておこう。


「まぁそんな訳で、フィオナ嬢が案内してくれるか?」

「どんな訳だよ! って言いたいところだけど――分かりましたわ。すぐに用意して参りますので、裏門の方でお待ちください」


 フィオナ嬢は微笑んで、スカートの裾を摘まんで頭を下げると、用意して参りますと背中を向けて立ち去っていった。

 言葉の端々にギャップ萌えを入れてくる。芸が細かいと言うべきか……

 ともあれ、裏門で待っていると平民風に化けたフィオナ嬢がやって来た。


「お待たせ、兄さん」

「いや、待ってない。というか、早かったな」

「こっちの服に着替えるならすぐだからねぇ」


 どうやら、メイド達に着替えさせてもらうという過程をすっ飛ばして、自分で着替えて飛んできたようだ。フィオナ嬢に仕えるリリアナは大変だな。


「今日もリリアナは置いてきたのか?」

「やだなぁ、無理に留守番させた訳じゃないよ。無理についてこようとしたら行方をくらますけど、ちゃんと留守番してくれたら行き先とかをちゃんと報告するって交渉したんだよ」

「……教えたのか?」


 返事は沈黙で、悪女のような微笑みだった。

 ……まあ、そうだよな。間違っても、奴隷商のところへ行ってくるね。とかいって説得できるはずがない。町の視察とか、嘘じゃないけどホントじゃない言葉で煙に巻いたんだろう。

 さすがに、俺がリリアナに抗議されるんじゃないだろうか?


「大丈夫ですわ」

「……なにが?」


 いきなり令嬢然として微笑むフィオナ嬢に半眼を向ける。


「アレン様が守ってくれるので心配いりませんと、言ってあります」

「いや、まぁ……良いけどさ」


 有事の際は俺が責任を取ると言うことだ。

 もっとも、フィオナ嬢を危険な目に遭わせるつもりはない。少なくとも、俺やフィオナ嬢が単独で対応できないレベルの問題には直面させない。

 もしきな臭くなるようなことがあれば、それから対応で大丈夫だ。


「取り敢えず案内してくれ」

「ええ、承りました」


 というか、さっきから平民の恰好をしている意味がない。

 あぁ……だからこそのお嬢様口調でギャップ萌えか、芸が細かいな。


 ともあれ、フィオナ嬢の案内に従って町を歩く。しばらく黙々と歩いていると、フィオナ嬢がところでと口を開いた。


「ところで、なんか今日の朝は騒がしくなかった?」

「あぁ……おまえは寝てたもんな。実は――」


 今朝の一件を包み隠さずフィオナ嬢に伝える。おまえもちょっとは慌てろという考えがあったのだが、説明を聞き終えたフィオナ嬢はクスクスと笑った。


「私が寝ているあいだにそんなことになってたんだ?」

「笑いごとじゃないぞ、まったく。大変だったんだからな?」


 危機感のなさにため息をつく。のんきというかなんというか。普通の侯爵令嬢なら卒倒してもおかしくない案件である。


「でもそれ、自分の部屋に戻らずに寝ちゃったアレン兄さんが悪いんだよね?」

「まぁ……そうなんだけどな。でも……俺が寝たとき、おまえはまだ起きてなかったか?」


 ハッキリと覚えていないのだが、開墾クジやらの詳細を煮つめている途中。判断に迷って考えているうちにちょっと横になって、そのまま寝てしまったような気がしている。

 なので、そのときのフィオナ嬢は起きていたはず、なのだ。


「あぁうん、そうだよ。アレン兄さんが寝ちゃったから、私も眠くなってそのまま」

「……俺の横で寝た、と? 半分以上はおまえが原因じゃねぇか」


 俺を起こすなり、フィオナ嬢が部屋を移るなりしてくれればと呪わずにはいられない。


「ん~だけど、アレン兄さんと同じ部屋で寝るって、別に意識することじゃないじゃない。特に昨日は、以前みたいに話し合ってたでしょ? だからうっかり、ね」

「それを言われると弱いな……」


 エリスとメレディス時代ではよくあることだった。そのときの感覚でうっかり寝てしまった俺としては、フィオナ嬢のうっかりを咎めることは出来ない。


「まぁ……仕方ない。次からお互い気を付けるってことで」

「はいはい。私は気にしないから、兄さんだけ気を付ければ良いよ」

「なんでだよ、気を付けろよ」

「だって私、お父様からアレン兄さんを絶対に逃がすなって言われてるし。むしろ、既成事実みたいなことはあった方が都合が良いんだよね」


 ……あぁ、そうだった。こいつは俺といるのが楽だからなんて理由で、政略結婚を受け入れようとしてるんだった。

 つまり、俺が気を付けないとダメってことだな……厄介な。

 

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