ルコの町の改革 前編1

 数日経ったある日。俺は朝から旅立つための荷物を纏めていた。もっとも、纏めるのはメイドの仕事で、俺は指示をしているだけ、と言いたいところだが――


「馬車旅の期間はそれほど長くないが、アレンはルコの町に滞在する。向こうの町にどれだけの準備があるか分からない以上、可能な限りこちらから持っていくようにしろ」


 メイドに指示を送っているのはレナードで、俺は指示すらしていない。

 お前は乳母かなにかかと突っ込みたい。


「なあレナード、それくらい自分で出来るんだが?」

「お前はそう言って、荷物を最小限に抑えようとするだろうが。次期当主として、そんな適当な真似はダメだ。良いから、俺に任せておけ」


 この調子である。

 前世で冒険者をやっていた俺としては、余計な荷物を持っていくのは非効率に感じる。次期当主、貴族として色々準備が必要なのは分かるんだがな。


「ところで、もうクリス嬢達には出発の挨拶を済ませたのか?」

「ん? あぁ、一応な」


 クリス姉さんを始めとした、屋敷で働く使用人達には軽く挨拶をしておいた。俺が留守の間も、みんなには頑張ってもらう必要があるからな。


「本当か? 誰か忘れたりしてないか?」

「問題はない。後はおまえだけだ、レナード。……俺は、お前が相談役になってくれて良かったと思っている。姉さんもカエデも優秀だが、些細な変化も見逃さない注意力はおまえが一番上だ。俺が留守の間、ジェニスの町や姉さん達を頼んだぞ」


 メイドに指示を飛ばしている右腕に訴えかける――が、反応がない。と思ったら、たっぷり十秒くらいして、ようやく彼はこちらへと振り返った。


「お、おまえ、良くそんな恥ずかしいセリフが出てくるな?」

「恥ずかしいか? 思ったことを言っただけだが」

「うぐっ」


 どうやら照れているらしい。

 普段ぞんざいな口調なくせに、こういうところでは繊細な反応を見せるんだな。


「そ、それよりアレン。フィオナ嬢のことはどうするつもりだ?」

「どうするもこうするも、連れて行くしかないんじゃないか?」

「だが、まだ帰ってきてないんだろ? というか、普通に考えたらまだ数日は帰ってこないはずだ。帰ってきたら、追い掛けるように伝えれば良いか?」

「間に合わなかったらそうするつもりだが、あいつは帰ってくると思うぞ」


 その言葉を言い終えるより早く扉がノックされる。入ってきたのはフィオナ嬢付きのメイドで、あいつがさっき屋敷に戻ってきたらしい。


「それで、出発前の準備をしたいので、少しだけ待って欲しいとのことですが……」


 長旅の汚れを落とすのだろう。

 冒険者時代ではあまり気にしなかったが、侯爵令嬢が埃まみれというわけにはいかない。許可を出すと、メイドは感謝しますと頭を下げて退出していった。


「……おいおい、本当に間に合わせたのかよ。フィオナ嬢はどんな手品を使ったんだ?」

「行きは多めに部下を連れて馬で駆けて、途中で部下を待機させたんだろ」


 行きは馬がへばるたびに休ませる必要が出てくるが、帰りは馬がへばっても、道中に待機させていた部下の馬に乗り換えることが出来る。

 極論で言えば、帰り道は一切休む必要がない、ということだ。


「いやそれ、自分がバテるだろ?」

「そこは魔術で補ったんだろうな」


 自己強化系の魔術を使えば、なんとかなる……かもしれない。

 魔術は魔術で精神的な負荷が掛かるし、長時間の使用はそれなりに負担も大きい。普通はいくら魔術を使っても、令嬢がそんなハードワークを出来るはずがない。

 その辺りはホント、フィオナ嬢だからとしか言いようがない。


「ま、そんな訳だから、馬車の用意を頼む。客席には柔らかめの敷物をしいておいてくれ」


 そんな指示を出し、馬車の用意が調うのを待つ。それから見送りに顔を出してくれた仲間達にしばしの別れを告げ、俺とフィオナ嬢はルコの町を目指して旅立った。



 ルコの町は、ジェニスの町からそれほど離れていない。

 具体的に言えば、町の税率を軽減することで商人を集め、ジェニスの町やオーウェル子爵領に被害を及ぼせるくらいには近い。

 と言っても、馬車でゴトゴト揺られながら向かえばそれなりの日にちが掛かる。俺は隣の席に座るフィオナ嬢へと視線を向けた。


 艶やかな夜色の髪はしっとりとしていて、ほのかに甘い香りを放っている。先ほど湯浴みをしていたはずなので、シャンプーの香りを纏っているのだろう。

 淡い色のドレスを身に纏いし彼女は黙っていれば深窓の令嬢そのものだ。とても、馬で遠乗りをしてきた直後だとは思えない。

 もっとも、その本性は前世の妹で、冒険者としてのお転婆気質なのだが――と横顔を眺めていると、その視線に気付いたフィオナ嬢がこちらを見てふわりと微笑んだ。


「アレン様、長いこと馬に乗って太ももが擦れて痛いので撫でてくれませんか?」

「撫でるか、ばか――っ」


 彼女のメイドが同乗していることを思いだしてとっさにセリフを飲み込む。だが、そもそもフィオナ嬢の発言が問題だし、俺も致命的な言葉を口にした後だ。

 やばい――と思ったがとき既に遅し。

 彼女のメイドは不満気な顔で俺を見ていた。


「薄々、そうかなと思っていましたが……貴方様は、フィオナお嬢様に対する敬意が足りないのではありませんか?」

「リリアナ、止めなさい」

「ですが、フィオナお嬢様」

「他ならぬわたくしが、アレン様がそのように振る舞うことを望んでいるのです」

「そう、だったのですか……?」


 まあ……驚くのも無理はないな。フィオナ嬢は黙っていれば深窓の令嬢そのものだ。いくらフィオナ嬢がおかしなことを言ったとしても普通、ばかとは返さない。


「フィオナお嬢様、出過ぎた真似をして申し訳ありません」

「謝る相手はわたくしではないでしょう?」

「はい。――アレン様、先ほどは失礼を申しました。どうかお許しください」

「いや、構わない。それより、さきほどのフィオナ嬢の態度にそれほど驚いていなかったようだが、もしやおまえもフィオナ嬢の本性を知っているのか?」

「え? ……あぁ、はい。フィオナ様は私の前でもときどき、侯爵家の娘としての責務を丸めてぽいっと放り投げていらっしゃいます」

「そうか……おまえも苦労しているんだな。名はなんと言う?」

「リリアナと申します。アレン様の苦労は分かるつもりです」

「ふむ……同志リリアナよ。これからは同じ苦労を背負う者として仲良くしてくれ」

「はい、同志アレン様」


 向かいの席に座るリリアナに手を差し出す。俺と彼女は固い握手を交わした。その繋いだ手に、ふくれっ面になったフィオナ嬢がズビシと手刀を入れてくる。


「アレン様? わたくしの前で堂々とメイドを口説かないでくださいませんか?」

「そうやって謂われのない罪を擦り付けようとするのは止めろ」


 リリアナとの握手を止め、フィオナ嬢のおでこをペチンと叩く。あうちと呻くフィオナ嬢には侯爵家の娘としての威厳はどこにも残っていない。


「驚きました。フィオナ様がおもしろ――少々お転婆な性格を隠していらっしゃるのは存じておりましたが、アレン様の前ではそのように笑われるのですね」

「……まるで普段は笑わないような口ぶりだな?」

「澄ました微笑みを浮かべられることはありますが、先ほどのように笑われるのは珍しいです。アレン様、私が言うことではありませんが、どうかフィオナ様をよろしくお願いします」

「……あぁ、もちろんだ」


 いや、もちろん、ではないのだが。

 俺は前世の妹であるフィオナ嬢と結婚するつもりはない。頃合いを見て婚約破棄をして、兄妹とは行かずとも、それに似た関係に戻るつもりだ。

 だが……この状況でそんな風に言われて、断るとか言えるはずがない。早めに手を打たなければ、取り返しのつかないことになりそうな気がするなぁ。

 そんな風に考えながら、話題を逸らすことを考える。


「そういや、フィオナ嬢はルコの町がどんなところか知ってるのか?」

「ロイド様が管理していた町、ですよね。それ以上のことは知りませんが、アレン様はご存じなのですか?」

「俺もレナードの集めた情報程度しか知らないが、ジェニスの町と同規模らしい」


 次期当主を選ぶためなので、規模が同じなのは偶然じゃないだろう。ただし、ジェニスの町と違い、暮らしているのは大半が人間。他種族との問題がない分だけ纏まりがあり、ジェニスの町よりもいくぶん商業が発展しているらしい。

 それを聞いたフィオナ嬢が、随分と不公平な条件ですわねと眉をしかめた。


「そうとは言えないぞ。これは俺の予想だが……それぞれの適性に合わせたんじゃないか?」

「適性に合わせた、ですか?」

「それぞれに対して求めていたモノが違う、と言うことだ」


 ロイド兄上の任されていた町は安定した町で、俺が任されている町は他種族間での問題を抱えていた。クリス姉さんの任される予定だった町も安定していると聞いている。


 クリス姉さんは魔導具を始めとした新しい物作りによる改革が得意で、ロイド兄上は他者を蹴落とすことで、周囲を飲み込んでいくような政策を進めていた。

 そして俺は、ライバル関係にあったクリス姉さんを味方に引き入れた。

 それぞれの性質を活かしやすい町を選んだのだろう。


「これは俺の完全な予想だが、ロイド兄上がジェニスの町に圧力を掛けることや、その過程で自爆することも、ある程度は予想してたんじゃないかな?」


 あの性格のロイド兄上が、最初から町の統治を成功させるとは思えない。失敗を重ねるうちに、上手いやり方を学ばせる、くらいのことは考えていた気がするのだ。


「ウィスタリア伯爵様は、町を次期当主達の練習台にしている、ということですか?」


 その言葉を口にしたのはリリアナだった。思わずといった言葉だったんだろう。俺とフィオナ嬢の視線が集まったことに身を震わせる。


「す、すみません。でも、いくら次期当主を決めるためとはいえ、町一つに被害を及ぼすことを良しとするなんて、いくらなんでもあんまりではありませんか」

「リリアナ、止めなさい。それはウィスタリア伯爵を批難することになるわ」

「も、申し訳ありません」


 今度こそ、リリアナは口を閉ざした。

 だが、その瞳の奥には憤りが宿っている。このままではリリアナの中に、領主に対する不満が残るだろう。フィオナ嬢のメイドに、そのようなわだかまりを残すべきではない。

 そう考えた俺は「リリアナの意見はもっともだ」と、その話題を続ける。


「だが、立場が変わればその答えも変わる。リリアナにとって間違っていても、当主としては正しい選択なんだ」

「……どういうことでしょう?」


 疑惑の視線。口調こそ丁寧だが、心の中ではあなたも同類ですか、くらいには思っているかも知れない。だからこそ、俺はこの誤解をとかなくてはいけない。


「たとえば――」


 とある村。自分の目の届く範囲で、見知らぬ人達が農作業をしている。

 片方は二人で、もう片方は五人。年齢も大体が同じくらいで、働きも変わらない。そんな彼らにブラックボアが迫っている。放っておけば、間違いなく七人ともが殺されてしまう。

 自分なら助けることが出来るが、助けに行けるのはどちらか片方だけという状況。


「そんな状況に陥ったとき、リリアナならどうする?」

「そんなの、五人を救うに決まっているじゃないですか」

「なぜだ?」

「農作業をする人達なんですよね? より多くの人を助けた方が、村を助けることになります。あまり多くの働き手を失ったら、村が立ちゆかなくなるかも知れませんから」


 リリアナは自信満々に答えた。

 もちろん、それはしごく真っ当な答えだ。前提条件が決まっているいまの質問で、助けに行かないとか、二人の方を救うと答えるモノは相当なひねくれ者だろう。

 だから俺は、続けて質問を投げかける。


「では次の質問だ。先ほどと同じような状況だが、自分の手には負えない敵。どちらか片方の人間達を殺してブラックボアの注意を引けば、もう片方のグループを逃がすことが出来る。そう言われたら、リリアナはどうする?」

「それ、は……」


 リリアナは先ほどのように即答できない。


「なぜ迷う必要がある? 放っておけば七人全員が死ぬ。さっき、リリアナ自身が言ったはずだ。働き手を失ったら村が立ちゆかなくなる。より多くを助けるのは当然だ、と」

「それは、そうですが……」


 やはりリリアナは答えられない。そうして困った顔で泣きそうになる。それを見た俺は、詰問するような姿勢を止めて、大丈夫だと笑って見せる。


「リリアナの葛藤は人として正しい反応だ」


 人を救えば褒められるだけだが、人を殺せば罪になる。

 多くの人間は、五人を救ったとは言わない。二人を殺した人殺しだと言うだろう。そんな考えが脳裏をよぎるだけで、人は理論的な判断を下せなくなる。


「その判断を下せるのが……いや、下さなくてはいけないのが領主だ」


 父上のやっていることはそう言うことだ。

 領主は世襲制、よほどのことがなければ失脚しない。つまり、その才能がない人間を当主にすれば、領地がどれほどの被害を受けるか想像も出来ない。

 それを防ぐのに、小さな町を実験にするのは人々のため、ということになる。


 もっとも、そんな話を大々的にすれば反乱が起きるだろう。だから、このような話は決しておおっぴらには出来ない。

 たとえば今回の一件。愛する民達には申し訳ないことをした。ロイドがこのような被害を及ぼすとは思ってもみなかったのだ――と、父上は言うだろう。

 もしも聞く機会があれば、だが。


「納得は出来ないだろう。だが、ウィスタリア伯爵家はそういう考え方で領地を経営している。フィオナ嬢のメイドとしてついてくるのなら、その辺りは理解してくれ」

「……はい、かしこまりました」


 今度は素直に頷いてくれた。ただし、文句がなくなったと言うよりは、ショックを受けたという方が正解かも知れない。

 嫌われてしまったかも知れないが、フィオナ嬢は今後も俺の側にいる可能性が高い。つまり、多くを救う為に少数を犠牲にする現場を見ることが多い。

 それを声を大に批難されると、領地の経営に支障が出ないとも限らない。これもまた、より多くを救う為の、小さな犠牲という訳だ。

 そんなことを思っていると、フィオナ嬢が身を乗り出してリリアナを撫でた。


「リリアナ。そんなにショックを受けなくても大丈夫です。アレン様は、そうならないように、あれこれ手を尽くしているんですから」

「手を尽くす、ですか?」


 リリアナが俺とフィオナ嬢を見比べる。


「どちらかしか救えないのであれば、片方を犠牲にするのは致し方ないことです。ですが、力を手に入れれば、両方を救うという選択だって取れるようになるでしょう?」

「では、アレン様が事業を急がせたり、ルコの町に急いで行くのも……?」

「二者択一をしなくて済むようにするためです。別に、わたくしを連れて行きたくなくて、出発を急いでいた訳じゃないですよ?」


 いや、それは少しあった――と思ったが口には出さない。フィオナ嬢がわざわざそれを口にしたと言うことは、リリアナがその手の不満を抱いていたと言うことだからな。

 だがまぁ……婚約者、それも侯爵令嬢に馬で駆けさせたのだ。フィオナ嬢が同行すると言い出したのが原因とはいえ、リリアナの不満も分からなくはない。

 そんな風に考えていると、リリアナがまっすぐに俺を見ていることに気が付いた。


「……どうした?」

「いえ、その……先ほどに続けての出過ぎた発言でした。どうかお許しください」

「分かってくれればそれで良い」


 実のところ、さきほどのイジワルな問題にはいくつかのパターンがある。そのうちの一つは、大切な者が一人と、赤の他人複数人でどっちを救うかといった問題だ。

 リリアナは間違いなく大切な者――フィオナ嬢を助けるタイプだ。


 俺がフィオナ嬢の味方でいる限り、リリアナは俺を裏切らない。信頼できる仲間をジェニスの町に置いてきた俺にとって、フィオナ嬢の次に頼りになる味方となるだろう。

 そんなことを考えながら、ルコの町に向かう馬車に揺られた。

 

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