旅立ちの前に 3

 商会ギルドで為替を取り扱うための根回しを始めた訳だが、俺がルコの町に出発する前にやらなくてはいけないことは他にも残っている。

 それは――と、ちょうど扉がノックされた。執務室のシステムデスクに向かって事務処理をしていた俺はすぐに入ってくれと返事をする。


「お呼びとうかがって参上いたしました」


 少し幼いながらも丁寧な口調。予想と違っていた反応に俺は顔を上げた。

 ウィスタリア伯爵家のメイド服――ただし子供サイズに身を包んだのは、モフモフの耳をはやした愛らしい少女、俺が雇っているアオイだった。

 だが、アオイは十二歳くらい。もっとこう……子供っぽかったはずだ。


「アレン様、どうかいたしましたか?」

「いや、どうしたというのはむしろ俺のセリフだ。その恰好や態度はどうしたんだ?」

「アレン様のご厚意で、色々学ばせていただいたんです。アレン様は領主様で、私の主様ですので、いままでのように話す訳にはいかないと思いまして」

「……それは、誰かに言われたのか?」

「いいえ、自分でそう思っただけですが……おかしいでしょうか?」


 少しだけ首を傾げる。アオイの仕草は洗練されている。もう何年もお屋敷で働いている使用人見習いだといっても信じられるくらいだが……


「おかしくはないし板にもついていると思う。だが、俺にそんな態度を取る必要はない」

「……よろしいのですか?」

「ああ。というか、アオイは外部での情報収集もしているし、うちの使用人っぽく振る舞わない方が、情報収集もはかどるんじゃないか?」


 アオイにはイヌミミ族の生の声を集めさせたり、逆にこちらにとって広めたい事実を噂として流してもらったり、少し大げさな言い方をすると諜報活動をさせている。

 この屋敷に出入りしていることもおおっぴらにはしていないし、あまりうちの使用人っぽく振る舞わない方がいいだろうと提案する。

 直後――


「わぁい、アレンお兄さん、ありがとう~」


 シッポを振ったアオイがシステムデスクを迂回して飛びついてきた。少しだけ驚きつつ、俺はその小さな身体を抱き留めた。


「なんだ、無理をしてたのか?」

「うぅん、そうじゃないけど……でも、カエデ様もアレンお兄さんに丁寧な言葉を使ってるから、アオイもそうした方がいいのかなぁって」

「まあ、対外的なところでは必要だからなぁ」


 たとえば、カエデが俺に馴れ馴れしく話しかけてくるとする。

 俺自身はかまわない。けれど、それを目にした人間が、俺が舐められていると考えたり、イヌミミ族が調子に乗っていると考えたりする可能性がある。

 以前、レナードがため口なのを見て、クリス姉さんが同じ誤解をしていたこともある。


「ひとまず、アオイが気にすることじゃない。いつか、そういうやりとりが必要になるときが来るかも知れないけど、普段は好きなようにすると良い」

「わふぅ~」


 嬉しげに顔を擦り付けてくる。

 アオイが可愛らしくて、俺はその頭を優しく撫でつけた。


「ところで、アオイを呼んだのは頼みたいことがあったからだ」

「頼みたいこと? 今度はなにをすれば良いの?」

「人間が管理する畑にも、急いで新しい農法を広げていくことになった。それで、やり方を知っているイヌミミ族の農民を一時的に雇いたい。そのメンバーを選出してくれ」


 新しい農法はいままでと違うだけで特に難しいものじゃないが、イヌミミ族が人間に教えるという作業は非常に難しい。人間の多くは、いまでも他種族を見下す傾向にあるからだ。


「既に知識を得た人間にも手伝わせるつもりだが、やはり実際に経験しているイヌミミ族の知識は貴重だ。求める者には直接教えてやって欲しい」

「希望する人達だけ、ってことだよね?」

「ああ。だから問題を起こす奴は少ない、とは思うんだけどな」


 自分から技術を学びたいと言っておきながら上から目線。絶対にそういう連中は現れるだろう。レナードなどに監視させるつもりではいるが、問題は必ず起きると考えている。


「そういう連中に上手く対応できそうな人を集めて欲しいんだ。……出来そうか?」

「うん、大丈夫。人当たりの良い人をピックアップしておくね」


 躊躇いなく笑顔で応じてくれるアオイが頼もしい。

 彼女を雇ったときは、不幸な身の上を知ってなんとかしてやりたいという同情が多かったんだが、むしろ助けられているのは俺の方かも知れないな。



 アオイに仕事を任せた俺は、再びクリス姉さんに会いに行く。

 彼女はいまだ、オーウェル子爵領へと向かっていない。本当は先に行ってもらう予定だったのだが、フィオナ嬢が飛び出していったので順番を遅らせてもらった。

 レナード、フィオナ嬢、クリス姉さん。この町に必要な人材である彼らが同時にこの町を空ければ、不測の事態に対応できなくなるかも知れないからだ。


 そんな訳で、彼女を捜して屋敷の廊下を歩く。ふと窓の外を見ると、屋敷から出て行こうとする少女の姿が目に入った。

 わりと平民っぽい服に着替えているが、あのプラチナブロンドは上からでもすぐに分かる。


「――クリス姉さん!」


 窓から呼びかけると、こちらに気付いた姉さんが振り返った。どうしたのと言いたげな姉さんに、そっちに行くと合図を送って窓から離れる。

 玄関を出ると、ちょうど迎えに戻ってきた姉さんと鉢合わせになった。


「アレン、どうかしたの?」

「いや、軽い報告だけでこれといった用事はなかったんだが……クリス姉さんはどこかへ行くつもりだったのか?」

「ええ、ちょっと町の視察を、ね」

「……視察?」


 水車や魔導具、それにポンプなどを開発したクリス姉さんが視察をすること自体は珍しくない。けれど、それだけなら変装をする必要はないはずだ。


 いまのクリス姉さんは、平民の村娘――とは行かないが、裕福な商人の娘くらいの服装に着替えている。彼女を知らない限り、貴族のご令嬢とは思わないだろう。


「……変装までして、どこの視察に行くつもりなんだ?」

「イヌミミ族と人間の垣根を取り払う上で重要な役割を果たしている設備よ。気になるなら、アレンも一緒に付いてくる?」


 そんな設備があるなんて初耳だ。姉さんはいつの間にそんなことにまで手を広げたんだと驚きつつ、ちょっと着替えてくると部屋に戻った。


 その後、クリス姉さんの服装に合わせて準備をした俺は、クリス姉さんと共にジェニスの町へと繰り出した。少し歩くだけでも、町の活気が以前より増していることが分かる。

 自分達の成果が形になっているのを見て嬉しくなった。


「あら、急に笑ったりしてどうしたの?」

「俺達の頑張りで、この町の人達が元気になったんだって思うと、少し嬉しくてな」

「ふふっ。そう言うところ、アレンは領主向きの性格よね」

「だったら良いんだけどな……」


 俺が来るまでのカエデは、被害を抑えるために、あえて小さな被害を黙認していた。

 百人の命を救うために、なんの罪もない一人の命を生け贄に捧げる。領主としては至極当然で正しい選択だ。心の底から、それは必要なことだと理解している。

 けれど、その生け贄になる一人が、いま目の前で笑っている誰かかも知れない。そう考えると、自分達の選択がいかに残忍かを理解させられる。


 住人の一人一人の幸せに一喜一憂するのは、領主として必要な感情とは言い難い。それを口にしたら、クリス姉さんは呆れるような顔をした。


「ばかねぇ。住民の幸せを気にも留めない領主が、良い領主のはずはないでしょ? 一人一人の幸せを願った上で、必要な犠牲を強いる判断を下せるのが良い領主なのよ」

「……それ、難易度高くないか?」

「領主の役目が簡単なはずないでしょ」

「ごもっともで……」


 ぐうの音も出ない正論だった。

 だが、俺の願いは暗殺に怯えなくていい環境で、仲間達とのんびり暮らしたいだけ。出来れば非情な決断なんて下したくないんだがな。

 そんな風に考えているとクリス姉さんに腕を引かれた。


「ほら、見えてきたわよ。あれがあたしの目的地」


 クリス姉さんが指をさした先には――カフェ?

 あれは……ケモミミカフェじゃないか。前に見たときよりも繁盛してるな。店員もメイドだけじゃなくて、執事の恰好をしたケモミミの少年も働いているようだ。


「……あれが、他種族と人間の垣根を取り払う重要な施設、か?」

「垣根、取り払ってるでしょ?」

「まぁ……たしかに」


 人間がケモミミ店員に魅せられて通い詰めている。一部の人間だけだし、ツッコミどころは多々あるが、歩み寄りを見せているのはたしかだ。

 いままでなら、あり得なかった光景と言えるだろう。


「あたしがこの町に来たとき、迫害されているイヌミミ族を見かけたわ。あたしに見られていることに気付いた人間は蜘蛛の子を散らすように去って行ったけど……あぁ、これがこの町の日常なんだって、あのときは思ったの」


 この町の種族間の問題は触れるべきではない。互いに関わらないように隔離することが最善だと、当時のクリス姉さんは思っていたらしい。


「でも、アレンとフィオナさんはその種族問題に切り込んだ。無茶だって思ったし、いまだって決して手を取り合っているとは言えないわ。だけど……」


 クリス姉さんが視線を向けているのはケモミミカフェ。あのカフェに集まる人間はこの町に暮らす住人のごく一部だろう。

 イヌミミ族が人間に奉仕をして対価を受け取っている、その仕組みについて、人間だけじゃなくて、イヌミミ族の中にも不満を口にする者はいる。

 だが、いままでとは違う関係を築き始めている者がいるのはたしかだ。


「あたしは、あなたの進む未来を一緒に見たい」


 不意に告げられた言葉には、強い意志が込められていた。俺は驚いてクリス姉さんの顔を見る。その瞳には強い決意が秘められていた。


「あたしが次期当主候補から降りたのは、あなたが相応しいと思ったからよ。そして、その判断は間違ってなかった。あたしに、これからもあなたの手伝いをさせてちょうだい」

「クリス姉さん……」


 あぁ、そうだ。

 俺が次期当主を目指したのは破滅する運命から逃げたかったから――だけど、いまの俺は、それだけじゃない。クリス姉さんやレナード、そしてこの町の人々。

 多くの人間の想いを背負っている。もし俺が次期当主を目指すのを止めたとしても、この町を放り出すなんて出来ない。


「ありがとう、クリス姉さん。あらためて、俺がどうしたいか分かったよ。そして、そのためにはクリス姉さんの力が必要だ。これからも……貸してくれるか?」

「ええ、もちろん。あなたがルコの町へ行っているあいだ、あたしがこの町を護る。あなたの補佐としての役目、あたしに任せてくれるかしら?」


 もちろん否はない。


「ありがとう、クリス姉さん。俺が留守の間、ジェニスの町を頼む。でも……無理だけはしないでくれ。なにかあれば、俺を呼んでくれ。必ず駆けつけるから」

「あら、それはあたしのセリフよ。アレンに困ったことがあればいつでも呼んで。あたしは、いつだってあなたの下に駆けつけるわ。あなたの……補佐としてね」


 プラチナブロンドが日の光を浴びて輝いている。生き生きとしたその姿を見れば、これがクリス姉さんの望んだ結果であることが分かる。

 クリス姉さんが望んでいるのなら、俺は大歓迎だ。


「ありがとう、行ってくる」

「ええ、行ってらっしゃい、アレン」


 俺は決意を新たに、ルコの町へ旅立つ準備を始めた。このときの俺は、クリス姉さんの言葉に隠された裏の意味にまるで気が付いていなかった。

 

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