旅立ちの前に 2
会議を終えた俺は、最初にクリス姉さんのもとを訪ねた。
魔導具を始めとした新技術を開発する研究室。部屋の主であるクリス姉さんはドレスを纏ったまま、魔導具に視線を落として難しい顔をしている。
と思ったら、不意にふわりと微笑んだ。
「研究は順調そうだな」
「ええ、この分なら思った通りの結果が――アレン!? ちょ、ちょっと、部屋に入るときはノック位しなさいよね!」
「ノックどころか、返事を聞いて入ってきたんだがな」
生返事をしたのはクリス姉さんの方である。
「え? あ、そ、そうだったのね、ごめんなさい」
恥じ入るように髪を弄る仕草が可愛らしい。からかいたい衝動に駆られるが、怒らすと怖いので自重する。
その代わり、クリス姉さんの隣の椅子に腰を下ろした。
「姉さんに頼みがあってやってきたんだ」
「なにかしら? 為替については提案してきたのよね?」
「ああ。予想通り、連中も乗り気になってくれた。だから、俺がルコの町に行っているあいだに為替のシステムを構築できるよう、各領主に許可を取りたいんだ」
為替はジェニスの町だけで発行しても意味がない。
取引をする町同士での連携が必須だ。
その最初の候補として、ウィスタリア伯爵領、アストリー侯爵領、オーウェル子爵領の当主が治める直轄の町、それにジェニスの町を加えた4カ所を予定している。
アストリー侯爵との話し合いにはフィオナ嬢。ウィスタリア伯爵との話し合いにはレナード。そしてオーウェル子爵代行との話し合いにはクリス姉さんに頼みたいと伝える。
「あたしがオーウェル子爵代行と交渉するの?」
クリス姉さんが困った顔をする。
前回の交渉で当時の子爵代行――ジェインに散々と見下されたからな。
正確に言うのなら、見下されたのは俺なのだが……政略結婚を受けるのなら、塩の取引を再開してやっても良いと姉さんが脅された。
「もちろん、クリス姉さんが嫌だって言うなら行かなくても良い。だけど……」
クリス姉さんを脅したジェインは、オーウェル子爵領の影の支配者とも言えるリリアによってその身分を剥奪されている。
ゆえに、オーウェル子爵家はクリス姉さんに対して負い目がある。
クリス姉さんであれば、オーウェル子爵家との交渉を上手く運べる――というのが建前。クリス姉さんを選んだのは、姉さんが俺に対して負い目を感じていると知ったからだ。
俺はジェインが調子に乗ったことを、クリス姉さんの落ち度だなんて思っていない。だけどクリス姉さんは、自分が原因で俺に迷惑を掛けたと思っている。
だから、クリス姉さんに活躍の場を与えようと思ったのだ。
俺はその内心を隠し、オーウェル子爵家が姉さんに抱く負い目を利用したいと訴えた。それを聞いたクリス姉さんは少し困った顔をして――それからこくりと頷いた。
「それで、アレンの役に立てるのなら、もちろん行くわ」
「ありがとう、クリス姉さん」
感謝の言葉を告げた後、今後の段取りを話す。そうして研究室を後にしようと席を立つ。部屋を出ようとしたところでクリス姉さんに呼び止められた。
「アレン。あたしのために気を使ってくれてありがとうね」
「なに言ってるんだ、礼を言うのはこっちだろ」
「……そうね。でも、ありがとう」
クリス姉さんは胸に手を当てて微笑む。どうやら、俺の気遣いはバレバレだったようだ。
俺は最後までとぼけたまま、肩をすくめて退出した。
続けて、フィオナ嬢を捜す俺は食堂に顔を出した。
「このバームクーヘンは、女性だけでなく男性も虜にするポテンシャルを秘めているとわたくしは思うのです。レナードはそう思いませんか?」
話を聞いているのはレナード。俺のお目付役であり、相談役の青年だ。女性にモテそうななりをしているが、バームクーヘンに目がない甘党であることが最近発覚した。
対して、バームクーヘンについて熱弁を振るっているのはフィオナ嬢。前世の妹にして、この世界ではアストリー侯爵家の娘で――俺の婚約者だ。
前世の妹が婚約者。
端的に言って罰ゲームな状況だが、様々な理由があって婚約関係を維持している。
むろん政治的な理由だ。
次男で愛妾の子供。そんな俺が次期当主候補として台頭するには後ろ盾が必要だった。だから、侯爵家の娘であるフィオナ嬢が前世の妹であると知っても婚約をした。
青みがかった黒髪に、清純そうな顔立ち。にもかかわらず豊かな胸元を惜しげもなく晒すドレスを身に纏っている。ギャップ萌えを体現したかのような美少女。
黙っていれば可愛いとか、妹であることを除けば好みであるとかは婚約と関係ない。
ないったらないのである。
それはともかく――と、俺は二人の元に歩み寄った。
「二人とも、なにをやっているんだ?」
「あら、ちょうど良かったですわ。アレン様も良ければ試食してみてください」
「あぁ、新作だったのか」
フィオナ嬢は基本食べる方が専門だ。いまは侯爵令嬢なので当然だが、前世の冒険者時代も俺に料理を作らせることが多かった。
ただそれは料理が出来ない訳ではなく、自分で作りたがらないだけ。いつの間にやら蒸留酒を造っていたように、あれこれ作れるだけの知識は持っている。
今回も、なにか前世の知識を活かしてアレンジを加えたのだろう。
そう思ってバームクーヘンを一切れ、口に放り込んだ俺は思わず咽せた。口の中に広がるのは甘味と――そして強い酒の味。
バームクーヘンに蒸留酒を染みこませているらしい。
「いかがですか?」
「お酒を染みこませる発想はありだと思うが……酒が強すぎるんじゃないか?」
酒の精はかなり飛んでいると思うが、それでもお酒に弱い者なら酔う強さがある。ちょっとした隠し味と言うよりも、お酒がメインと言えるレベルだ。
「これなら、甘い物よりお酒が好きな殿方でも気に入っていただけるでしょう? それに、お酒に弱い女性を酔わせることも出来ますわよ?」
フィオナ嬢はイタズラっぽい笑みを浮かべ、バームクーヘンを一切れ、上品な仕草で口に運んだ。そうしてもぐもぐと咀嚼すると、いきなりふわりと倒れ込んできた。
――ので、俺はひょいっと避けた。
バランスを崩していたフィオナ嬢はそのまま床にダイブ――することなく、すっと踏み出した足で床を蹴って方向転換、再び俺の方へ倒れ込んでくる。
俺は溜め息交じりにフィオナ嬢を抱き留めた。
「……大丈夫か?」
「バームクーヘンにお酒を混ぜるなんて、わたくしを酔わせてどうするつもりですか?」
「フィオナ嬢が自分で用意したんだろうが……」
レナードの目を気にして心配するフリをした俺の気遣いを返せといいたい。だが、フィオナ嬢だから演技で済んでいるが、クリス姉さん辺りなら本当に酔いそうだ。
なかなか危険な食べ物ではないだろうか?
「ひとまず、お酒が好きな男にも好まれそうだって言うのは同意見だ。父上やアストリー侯爵にも好まれるんじゃないか?」
「ええ、そうですわね。わたくしの父は特に好むと思います」
「そうか。ならちょうど良かった」
「……ちょうど良かった、ですか?」
不思議そうな顔で見上げてくる。そんな彼女に、為替という仕組みを展開するためにアストリー侯爵の許可を取り付けて欲しいと伝えた。
「為替……ですか。また面白いことを考えましたね」
「クリス姉さんの発案だ。最近、研究好きのラッセルと手を組んで、古代遺跡の調査やらなにやらしてるみたいだから、その関係かも知れないな」
俺やフィオナ嬢の前世の記憶ならぬ、古代の記録を利用していると言うこと。
だが、同時にクリス姉さんの発想力が根本にあるとも思っている。彼女は魔導具だけではなく、様々な開発にその能力を遺憾なく発揮している。
「ひとまず仕組みは理解しました。詳細の資料は後でいただくとして、それをお父様に提案するのはかまいません。問題は……」
フィオナ嬢がじぃっと俺のことを見つめてくる。なんとなく咎めるような空気を察した俺は、なんでしょうと身じろぎをする。
「ここからアストリー侯爵領まで、往復でそれなりの日数を必要とする訳ですが、わたくしが戻ってくるまで、アレン様はこの町にいらっしゃいますか?」
思わず明後日の方向に顔をそむける――が、その正面にフィオナ嬢が移動してきた。今度は下を見ると、そこにフィオナ嬢の胸の谷間が飛び込んできた。
驚いて顔を上げると、至近距離でフィオナ嬢と顔を見合わせることとなる。
「どうして顔を逸らすんですか? わたくしを置いて行くつもりじゃ……ないですよね?」
「いや、フィオナ嬢は婚約者であって、ウィスタリア伯爵家の人間じゃないだろ? この町への滞在許可は出ているが、さすがにほいほい他の町には連れて行けないって」
「では、許可があればよろしいのですね?」
「え? いや、まぁ……そうだけど」
この町のことも気になるが、ルコの町もあまり長く放ってはおけない。数日中には出発するつもりだと伝えると、それまでに帰ってきますとの答えが返ってきた。
「――誰か、誰か馬の用意を!」
「……馬? 馬車ですか?」
「いいえ、馬です。大至急、お父様のもとまで行って帰ってくる必要が出来ました」
フィオナ嬢はメイドを呼びつけ、すぐに出発の手配を始める。それから、俺に為替の資料を要求すると、着替えてきますと部屋を飛び出していった。
「おいおい……前からなんとなく思っていたが、フィオナ嬢はなかなかにお転婆だな」
「ははは……」
お転婆というセリフで済まして良いのかどうか。その正体が前世の妹で、元貴族の冒険者であることを知っている俺としては反応に困る。
「しかし、アレン。止めなくて良いのか?」
「……止めて止まるなら止めてるさ」
我ながら名言だと思う。
フィオナ嬢――いや、
……というか、間に合わなくても、後から追い掛けてくるだろう。
「そういう訳だから、レナードは父の許可を取り付けてくれないか?」
「為替、だったか? アレン、おまえなにか隠してないか?」
「へぇ、どうしてそう思うんだ?」
否定はしないけれど肯定もしない。
質問に質問で返した俺に対してレナードはため息をついた。
「バームクーヘンから始まり、石鹸にシャンプーとリンス。あれだけ周囲を騒がせたときですら、おまえは今回ほど根回しをしようとしなかっただろ?」
「なるほど……」
たしかに、いままでのことと比べると、その影響力は段違いだと予測している。ゆえに、いままで以上に根回しをしようとしていたのだが……そこから察知されるのは予想外だ。
身内だから良かったが、今後は気を付けた方が良さそうだ。
「それで、なにを隠してるんだ?」
「為替の本質だ。交易で重い貨幣を運ぶ必要がなくなる。そうして浮いた輸送費の一部が、手数料として為替ギルドを通じて領主のもとに流れ込んでくる。それらは本質じゃない」
それでも十分な価値がある。これから交易が盛んになれば、年貢よりも多い収入源となるかも知れない。だけど、為替の本質はそれじゃない。
領地を豊かにするには、貨幣の流通量を増やすことだ。貨幣を大量に生産して、どんどん町を開拓していけば、他の町よりも圧倒的に発展させることが出来るのは自明の理だ。
だが、貨幣はその価値と同じだけの価値のある金属を使っている。金がなければ金貨は作れない。一領主が貨幣を好き勝手に増やすことは出来ないのだ。
だが――為替はそれを可能にする。
貨幣を預かり、代わりに為替を発行する。
それを常時繰り返すようになれば、商業ギルドには絶えず貨幣が存在することになる。つまりは、利子なしでお金を借りているのと同じ状況だ。
その貨幣を他人に貸し付けることで、疑似的に貨幣の流通量を増やせる。
「貨幣の流通量を疑似的に増やす、だと?」
その瞳がいつになく真剣になる。
俺の優秀な右腕は、それがどのような結果を引き起こすのか計算しているのだろう。
貨幣の流通量が増えれば、取引高が増える。取引高が増えれば商人が集まり、為替の使用量も増える。為替の使用量が増えれば、貨幣の流通量が増える。
むろん、魅力的な商品がなければ集まってくる商人の数も限定されるが、ジェニスの町には美容品という、貴族に注目を集める商品がある。
ジェニスの町は今後、他の町と比べて大きなアドバンテージを得ることになるだろう。
「アレン……それは、ロイドと同じ道をたどることにならないか?」
「その為の根回しだ」
ロイド兄上は税率を下げて商人を呼び寄せるという手段で、ルコの町を潤すと同時に周囲の領地に被害を及ぼして反感を買った。
為替を発行すれば、同じように周囲の領地に被害が及ぶだろう。
だが、為替の発行による軋轢には簡単な解決策がある。同じように周囲が為替を発行すれば、その被害はなくなり、逆に為替の恩恵を受けることが出来る。
そして次に、為替を発行していない領地から反感を買うのは後続の彼らだ。そうして為替が広がっていけば、ジェニスの町がやり玉に挙げられることはない。
そのうえで、先発組が有利なことには変わりない。為替ギルドを置く場所の決定権を握っておけば、ジェニスの町を初めとした為替発祥の地が大きな力を得ることになるだろう。
「……まったく、とんでもないことを考えやがって。この国を支配でもするつもりか?」
「そんな面倒なことをするかよ」
俺のもともとの目的は処刑を回避してのんびり暮らすこと。ロイド兄上が失脚したいま、処刑や追放を恐れる必要はない。
なので、次の目的は、次期当主候補としてロイド兄上に対抗するために交わした契約。前世の妹であるフィオナ嬢との婚約を破棄するだけの権力を手に入れることだ。
現状、俺の地位はアストリー侯爵家の後ろ盾によるところが大きい。ゆえにフィオナ嬢との婚約解消は、次期当主内定の撤回を招きかねない。
それを回避するには、もう少し自分の地位をたしかなものにする必要がある。
だが、俺がウィスタリア伯爵家で地位をたしかにすればするほど、アストリー侯爵家との繋がりも大きくなっていく。
婚約を破棄するには、相当な地位を手に入れる必要があるだろう。
「そう考えると、この国を掌握するのもありかもしれないな」
「……おい、アレン?」
「冗談だ」
俺の目的はフィオナ嬢やクリス姉さん、みんなとのんびり暮らすこと。いくら婚約を破棄して兄妹のような関係に戻れたとしても、この国の管理なんて面倒でやってられない。
俺的には、伯爵領を纏め上げて平和に暮らすくらいがちょうど良い。
――と、このときの俺は考えていた。
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