旅立ちの前に 1

 ある晴れた日の昼下がり。

 中庭にあるテラス席でくつろぐ俺は、クリス姉さんとティータイムを楽しんでいた。

 アストリー侯爵領から取り寄せた最高級の茶葉を使ったストレートティーに、俺が前世の記憶で再現したバームクーヘン。俺の前に置かれているのは芯に生クリームを詰めたバージョンで、クリス姉さんの前に置かれているのはチーズを混ぜたバージョンだ。

 最初は臭いと涙目になっていたのに、すっかりハマってしまったらしい。


 バームクーヘンを楽しんでいたクリス姉さんは続けて紅茶を一口、ティーカップをソーサーの上ではなく胸の上に置いた。その仕草はフィオナ嬢の専売特許だったはずなのに、いつの間にやらクリス姉さんに伝染している。


 貴族令嬢としてはしたないので止めた方がいいと思うのだが……ギャップ萌えな俺的には眼福なのでなにも言わない。

 豊かな胸に載っているティーカップを眺めていると、クリス姉さんがクスリと笑った。


「ねぇアレン、また招待状が来ているわよ」

「招待状……またパーティーのお誘いか」


 ここ最近、パーティーの招待状が山のように届いている。

 俺が次期当主として内定したことはまだ身内しか知らないはずなので、シャンプーやリンス、それに石鹸を含めた美容品セットの取引が目当てだろう。


 取引を成立させて各有力貴族とお近づきになりたいのは山々だが、各種商品はそう簡単に大量生産することは出来ない。その多くはお断りする必要がある。

 だが、敵対する意図で拒絶する訳ではない。オーウェル子爵領との対立で味方してくれた者達を優遇する意図はあるが、いずれは他の者達とも取引をしたいと考えている。


 だから、パーティーもただ欠席するという訳にはいかない。足を運んで、いまは取引が出来ないが、いずれは取引をする意思があると誠意を見せる必要があるのだが……


「欠席するしかないだろうな」


 当面、ロイド兄上が治めていたルコの町にかかりきりになる必要があるので、俺はどうやっても出席することは出来ない。

 本人が出席出来ない場合、夫人が代理で出席するのが一般的だが俺は結婚していない。さすがに婚約者のフィオナ嬢に、夫人としての仕事をさせる訳にはいかない。

 あまり良い手段とは言えないが、お断りの手紙を送るしかないだろう。


「アレンが出られないのなら、代わりにあたしが出てあげましょうか?」

「クリス姉さんが、か?」


 その名目を考えて首を傾げた。

 たとえば、ウィスタリア伯爵が招待されているのなら、その子供である俺やクリス姉さんが出席することはあり得るが、招かれているのは他ならぬ俺自身。

 俺の代わりにクリス姉さんが出席するとなると、相応の名目を用意する必要がある。


「俺の姉として――じゃ弱いよな。そろそろなにか肩書きを用意するか?」


 右腕ポジはレナードなので、左腕……というのはいくらなんでも安直だ。クリス姉さんは魔導具の開発を担当しているので技術開発部の代表、とか?

 もちろん、開発部と呼べるような規模ではないんだけど……相手を納得させることを考えれば、それくらいの肩書きは必要だ。

 だが、石鹸なんかの開発担当だと触れ込むと、クリス姉さん自体が狙われそうな気もする。


「実は、肩書きについてはあてがあるの」

「そうなのか?」

「ええ。お父様に許可を得る必要があるから、まだ分からないんだけど……アレンが許可をくれるなら、お父様に交渉して見るけど……どうする?」

「……ふむ。それでパーティーの件がなんとかなるのなら頼んでも良いか?」

「ええ、もちろん。お姉さんに任せなさい」


 クリス姉さんが柔らかな微笑みを浮かべる。

 非常に頼もしい。正直、分野によっては俺やフィオナ嬢よりも抜きん出ている。特にパーティーでの交渉なんかは任せておいて大丈夫だろう。

 軽く意見のすりあわせをおこない、パーティーはクリス姉さんに任せることにした。


 だが、パーティーの件はいま聞かされた新たな問題で、そもそもクリス姉さんをお茶会に誘ったのは別の話が有ったからだ。

 俺はそれを切り出すために「クリス姉さん」と名前を呼んだ。それに対して、クリス姉さんはエメラルドのように澄んだ瞳を細めて笑う。


「分かってるわ。カエデがこの町を統治できるように協力すれば良いんでしょ?」

「……どうして分かったんだ?」

「あなたがパーティーに出席出来ないのは、ルコの町に自ら出向いてかかりっきりになるからでしょう? だとしたら、この町を任せられるのは彼女しかいないじゃない」


 さすが、話が早くて助かる。


「カエデに統治を任せるには、人間の有力者達の協力を取り付ける必要がある。前回の一件で味方に引き込んだとはいえ、利がないと動かせないからな」


 いまのカエデには人間の平民からの信頼がない。

 前回の一件で、カエデは全ての不満を自分に向けようとした。有力者達はそれに気付いているかもしれないが、一般の大多数はその事実を知らない。


 つまり、カエデにジェニスの町を統治させるには、人間の有力者達の協力を取り付け、一般の大多数が指示に従うように仕向ける必要がある。

 もちろん、現状維持とするのなら、新たな命令を下さないのならその限りではないが……


「いまのジェニスの町は改革の真っ最中だものね」

「そうだな。美容品とそれに関連する素材の貿易に、農業の改革。あらゆる面で、臨機応変な対応が必要になってくる。その指示を下すのはイヌミミ族である必要がある」

「でも、カエデである必要はないんじゃない?」


 たしかに、新しい代表を選ぶという選択もある。だが、俺はカエデのあらゆる犠牲を払っても、種の存続を守ろうとする一途な性格を気に入っている。

 それに――


「新しい代表がカエデより優れてるとは限らないだろ? 信頼を失っているというデメリットがあるのは事実だが、その能力はたしかだからな」

「まぁ……そうよね。それに彼女、胸が大きいし」

「胸が大きいのは関係ない」


 たしかに豊かな胸が好みだが……なんだか最近、クリス姉さんがフィオナ嬢に毒されてきた気がする。前はもっとツンツンしてたし、こんな冗談をいうタイプじゃなかったのに。


「それより、人間の有力者達の協力を取り付けるアイディアはないか?」

「ん~、要するに、彼らに利を配れと言ってるのよね?」

「一方的にという意味じゃないが、その通りだな」


 結局のところ、自分達に利があるのなら彼らは従ってくれるし、そうじゃないのなら反発する。それはごくシンプルな仕組みだ。


「だったら、こういうのはどうかしら? まず――」


 クリス姉さんの提案に俺は思わずため息をつく。

 その提案が役に立たなかったからじゃない。改革のついでと言うよりも、下手をしたらこっちが改革のメインになりかねない大事業。

 俺よりクリス姉さんが当主になれば良かったんじゃないだろうかと思ったからだ。



 クリス姉さんとのお茶会の後、俺はさっそく人間の有力者達を呼び出した。相手の予定を確認しつつ、緊急と言うことで翌日に招集する。

 集まったのはこの町の人間の有力者達。この町に拠点を置く商会の代表と、商業ギルドの代表と、農業ギルドの代表だ。

 彼らに軽い挨拶を投げかけ、それからさっそく本題へと移る。


「これはまだ内々の話だが、俺が次期ウィスタリア伯爵となる予定だ」

「おぉ……アレン様が次期ウィスタリア伯爵ですか。それはおめでとうございます」


 商会の代表、切れ者の青年といった容姿のレリッシュが真っ先に祝いの言葉を投げかけてくる。それに続いて、残りの二人も祝いの言葉を口にする。


 農業ギルドの代表は特に反応がないが、商人である二人は視線が鋭くなった。おそらく、俺が当主となることで、この町にどのような影響を及ぼすか考えているのだろう。

 伯爵と懇意ともなれば、ジェニスの町はもちろん、彼らの恩恵も計り知れない。それを上手く交渉材料に使えば、彼らの協力も得やすくなるだろう。

 ゆえに――


「さっきも言ったが、これはあくまで内々の話だ。いずれの話であり、俺が失態を犯せば立ち消えになる可能性も十分にある。そのうえで、父上から新たな課題を受けた」


 俺が次期伯爵となってジェニスの町に恩恵をもたらすためには、その課題をクリアしなくてはならない。ゆえに協力する必要があると彼らの意識に刷り込んでいく。

 そのうえで、俺がルコの町へ出向くことを伝えた。


「この町を、離れられるのですか?」


 レリッシュが代表するように問い掛けてくる。彼は前回の件で真っ先に俺に理解を示したことで、有力者達のなかでの地位を上げているようだ。

 理解のある者が代表である方が望ましいと考えた俺は、彼に向かってそうだと応える。


「仲間を全員連れて行く訳ではないが、クリス姉さんは社交界の対応に追われるだろう。レナードは置いて行くつもりなので、彼に代行をさせることも可能だが……」


 パワーバランスを保つために、人間を代表に据える訳にはいかない。そんなことをすれば、あっという間に人間によって他種族が隅に追いやられる。

 それを許すつもりはないとの意思を伝える。


「なるほど。つまり我々に、カエデに従えと言いに来たのですね?」

「その通りだ。いまはちょうど、農業と商業が共に改革の時期を迎えている。重要なのは対応速度だ。一つ一つに時間を掛けているとこの流れが止まってしまう。それは避けねばならない」


 シャンプーやリンスは製法がそれほど難しくない。石鹸は製法が複雑だが、従来の石鹸を改良した物であることを考えれば、新たな石鹸が生まれてもおかしくはない。

 つまり、模倣品が出る前にこれらがオリジナルであると世に知らしめる必要がある。


「むろん、それは我々にも分かっております。それに彼女が町全体のことを考えた為政者であることも我々は知っている。ですが、我々だけで全てを決められる訳ではありません」


 それは予想通りの反応。

 俺が領主で、カエデが町の代表。だからといって彼らが言いなりではないように、彼らの従える者達も決して彼らの言いなりではない。

 だからこそクリス姉さんに相談した。その話し合いの結果を思い出しながら口を開く。


「もちろん、おまえらのごり押しを期待している訳ではない。町の者達を説得するだけの材料は用意した。まず、農業ギルドには――これだ」


 事前に用意した羊皮紙を彼の前に広げてみせる。

 それは農業の推進計画書だ。アオイの聞き込み調査で得た他領で使われている農具を取り寄せる計画に、新たな農法を一気に実施する計画が書かれている。

 一見いままでの延長上の計画に映るかも知れないが、破格の援助が約束されている。


「これ、は……このような支援をいただけると?」

「そうだ。それだけの支援があれば当面、農業の改革にかかりきりになるだろう。それをカエデの名の下で行使させる予定だ」


 カエデに従えなければ、その支援もない。

 そういう名目で、農業ギルドの連中を説得しろという意味だ。


 こちらの意図は正しく伝わったようで、彼はかしこまって計画書を懐にしまった。

 だが、その反面、商業ギルドと交易商の代表の表情は硬いままだ。農業の改革に支援する金額は、いまのジェニスの町にとっても決して安い金額ではない。

 俺の選択が、農業ギルドだけを優遇したように映ったのだろう。


「続いて、二人にはこの計画を対価とする予定だ」


 続けて、別の計画書が書かれた羊皮紙を彼らの前に広げる。

 そこに書かれているのは為替という概念。領主の名の下に為替ギルドを設立して、加盟領地での金銭のやりとりを為替によっておこなえるようにするという内容だ。


 それを見た商業ギルドと商会の代表が目を見開いた。けれど、農業ギルドの男はピンとこなかったようで、「これがなんだというのですか?」と首を傾げる。


「分からないのですか? この為替という仕組みが正しく機能すれば、買い付けの際に重い貨幣を運ぶ必要がなくなるんですよ!」


 興奮した声で捲し立てたのはレリッシュだ。

 貨幣は重くてかさばる上に、盗んでも足がつきにくく、夜盗などに奪われやすい。ゆえに、貨幣を運ぶことがないように、可能な限り物々交換をするなどの工夫が必要だった。

 けれど、為替を使えばその問題を一気に解決することが出来る。交易商である彼には、そのメリットが正しく伝わったようだ。


「この為替は領主の下でおこなう。だが、その運営は加盟領地の商業ギルドに委託する予定だ。この町では、各種族の商業ギルドから人を出してもらう」


 クリス姉さんと話し合った注意点を思い出しながら彼らに利を配る。ここで気を付けなくてはいけないのは、為替の権利を手放さないことである。


 為替の取引が盛んになるほど、管理者の懐が潤っていく仕組み。それはつまり、領地の経営や、国を経営するのと同質だ。


 商業ギルドに全ての利益を与えてしまうと、いずれは商業ギルドが領主よりも力を持つことになるだろうと、俺とクリス姉さんは予測した。


 むろん、為替がそれほどの利益を上げるのは未来の話だ。

 だが、そうなってから対策を立てるのでは遅い。ゆえに、領主の名の下に為替を発行して、委託先であるギルドに利益を分けるという仕組みを採用した。


「これは……いますぐに取りかかれるのですか?」

「いや、現時点ではまだ企画段階だ。おまえ達の反応をたしかめてから、各領主に話を持ちかける予定だったのだが……」


 どうやら、たしかめるまでもないようだ。

 野心に瞳をギラつかせる彼らに、提示した条件と引き換えにカエデに従うように約束させる。そうして必要な協力を引き出した俺は、少しだけ安堵のため息をついた。

 

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