プロローグ
ウィスタリア伯爵家の当主である父に、次期当主の内定を与えられた。順当に行けば、俺が次世代のウィスタリア伯爵と言うことになるのだが、差し当たっての問題がある。
次期当主として、ロイド兄上が統治していた町の復興を命じられたのだ。
ロイド兄上が統治していたのはルコの町。
森と川に隣接するルコの町は、ジェニスの町と規模もそれほど変わらない。ただし、種族間の問題がない分纏まりがあり、ジェニスの町よりも栄えている。比較的豊かな町だったのだが、ロイド兄上の強引な政策で周囲の領主から反感を買い、現在は経済が落ち込んでいる。
それを立て直すようにと、父上からの命を受けた。
望むところだ――と言いたいところだが問題も多い。
ウィスタリア伯爵家の当主となれば、その豊富な人材を扱うことは出来るが、いまの俺が動かせるのはジェニスの町にいる者達しかいない。
婚約者であり前世の妹であるフィオナ嬢。義理の姉であり魔導具の生産に長けているクリス姉さん。それにお目付役兼相談役のレナードや、この町の代表であるカエデ。
頼りになる仲間達はいるが、彼女達はジェニスの町の経営に深く関わっている。いまこの状態で、彼女達をこの町から派遣するのは難しい。
つまり、ルコの町を立て直すために派遣できる人材がいない。
馬車で数日の距離とはいえ、さすがに両方を管理させるのは不可能だ。そうなると、解決策は必然的に決まってくる。
その結論に達した俺は、カエデの執務室へと足を運んだ。
ノックで許可を得て部屋の中へと入る。
大きな窓から取り入れた光に照らされたシステムデスクの向こう側。艶やかな赤い髪から突き出たモフモフの耳を動かしながら、カエデが書類にペンを走らせていた。
そんな彼女が、俺に気付いてペンを置く。
「アレン様、どうかなさったんですか?」
「ああ、少し話がある」
「そうですか……では、そちらでうかがいます」
カエデが席を立ち、部屋の片隅にあるソファ席に俺を案内する。その流れで、俺とカエデはテーブルを挟んでソファに腰掛けた。
初めてこの部屋に来たときのことを思い出して笑みがこぼれた。
「どうかなさいましたか?」
「いや、初めて会ったときとは随分対応が変わったな、と」
ウィスタリア伯爵に忠誠は誓っているが、その器にない者にかしずくつもりはないと言われた。味方というよりも、敵と認識されていたと言った方がしっくり来ただろう。
「……あのときの自分を恥じ入るばかりですわ」
「いや、責めてるわけじゃない」
あの頃は、俺の評価も最低だった。ロイド兄上の統治の噂も聞こえていたそうなので、俺が警戒されるのは当然だ。
だけど、だからこそ、いまこうして信頼されていることが嬉しい――なんて、恥ずかしいセリフを言うつもりはないけどな。
「それで、お話とはなんでしょう?」
「ウィスタリア伯爵から俺を次期当主に据えるという話があったことは聞いているな?」
「……ええ、内々の話としてうかがっております」
いつもは物腰の柔らかい彼女だが、今日はなにやら緊張しているように見える。その理由を考えながら、俺は更に言葉を続ける。
「次期当主として、ルコの町の復興を命じられた。ロイド兄上の無理な統治で町が荒れているらしい。だから俺は、その対策に向かうことにする」
「やはり、この町を出て行かれるのですね……」
カエデは毅然としたたたずまいを崩していない――が、そのモフモフの耳はしょんぼりへにょんと萎れている。その理由に思いを巡らせた俺は、心配するなと応じた。
「俺がウィスタリア伯爵になった暁には、この町を離れることもあるだろう。だが、それはいまではないし、この町を放り出すという意味でもないぞ」
「ですが……私は前回の汚名を返上できていませんし、種族間の問題も完全に解決した訳ではありません。この状況であなたがいなくなれば、町の統治がままならなくなります」
カエデは両手をぎゅっと握り締めて下を向いた。
彼女は種族を守るために、多くの犠牲を払ってきた。俺が現れたことで、そんな状況から脱することが出来たと言っていた。俺が町を出て取り乱すのは当然だ。
だから俺はテーブルを迂回して彼女の背後に立ち、そのモフモフの耳に手を乗せた。
「……アレン様、なにを?」
「大丈夫だ」
イヌミミ族が耳や尻尾を触らせるのは、家族や忠誠を誓った相手のみ。カエデは俺に忠誠を誓い、その耳に触れることを許してくれた。
だから、いまでも俺が彼女の主であるという証として、カエデの耳を撫でつける。
従者は主に忠義を尽くす。そして主は、その忠節に応える義務がある。成り行きだったとはいえ、彼女を見捨てるつもりはない。
「ロイド兄上の失態を挽回するのは、次期当主となる俺の役目だ。だから、これを断ることは出来ない。だが、さっきも言ったが、せっかく安定してきたジェニスの町を放り出すつもりはない。この街に必要な人材である彼女達は置いて行くつもりだ」
つまりは、俺一人で行くことを予定しているという意味。もっとも、止めてもついてきそうなヤツもいるので、実際に一人で行くことにはならないだろう。
結果的には、必要最低限の人材だけを連れて行くことになるはずだ。
「それで、アレン様は大丈夫なのですか?」
「向こうにも人材はいるはずだからな」
「ですが……ルコの町は新しい領主を歓迎しないでしょう。ロイド様の件で、かなりの被害を出したと聞いています」
「まぁ、そうだろうな」
あの頃のジェニスの町、カエデ以上に俺を警戒するだろう。だが、俺とロイドが違うことを証明することが出来れば、統治することは可能だと考えている。
まあそれでも、頼りになる仲間は多いにこしたことはないのだが――
「おまえ達を見捨てるつもりはない」
俺にとって、初めて統治したのがジェニスの町だ。それは俺にとって特別な意味がある。そんな町をあっさりと放り出すつもりはない。
「だから、この街に必要な人材は置いて行く。そのうえで、カエデに代官として復帰してもらいたい。イヌミミ族や他種族の地位を下げる訳にはいかないからな」
「ですが、私はいま、人間達に不信の目を向けられています」
「それも分かっている。だが、カエデに任せるのが一番なんだ」
実際のところ、クリス姉さん辺りに任せれば、上手く町を纏めてくれるだろう。ただ、それではナンバー2も人間と言うことになる。
せっかく対等になりかけているのに、また人間が増長することになりかけない。せっかく纏まり掛けていた町がまた分裂しては意味がない。
ゆえに、俺がいないあいだの代官にはカエデを据え、その指揮下で町を纏め上げるのが俺の理想。だがそれには、人間の代表とも言える有力者達を味方につける必要がある。
俺が留守にしているあいだ、ジェニスの町が上手く回るように足場固めが必要だ。
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