エピローグ
オーウェル子爵家との騒動が終わってから数週間ほど過ぎたある日。お屋敷の中庭では、身内を集めたパーティーが開催されていた。
身内というのは、ジェニスの町を統治する俺にとっての身内、つまりはフィオナ嬢やクリス姉さんを始めとした仲間達である。
なお、仲間達には屋敷で働いているアオイや町の代表者達も含まれる。彼らが緊張するのを避けるために、中庭を使った野外でのパーティーとした。
その甲斐あって、最初こそ緊張していた彼らだが、いまは楽しんでいるようだ。
「あ、いたいた」
ここ数年ですっかりなじみ深くなった声に振り返ると、淡い色のドレスを身に纏ったクリス姉さんが両手に持ったワイングラスの片方を差し出してくるところだった。
「ありがとう。……というか、だいぶ飲んでるのか?」
「ふふっ、少しだけよ~」
ほんのりと肌が朱に染まっているのを少しとは言わない。むろん一口で顔が赤くなるような酒に弱い者もいるが、クリス姉さんはそこまで弱くなかったはずだ。
「クリス姉さん、やっぱり飲み過ぎじゃないか」
「違う、クリスお姉ちゃんでしょ?」
「……はい?」
「あたしは本当は、クリスお姉ちゃんって呼んで欲しかったの~。なのに弟くんったら、あたしのことをクリスさんとか言いだして、あげくに姉弟での結婚なんて……」
「兄妹での結婚? あぁ……」
フィオナ嬢の件でそんなことを零した記憶がある。もしかして、クリス姉さんを困惑させる結果になっていたんだろうか?
「もしかして、迷惑だったか?」
「そ、そういう訳じゃ……ないけど。もぅ……お姉ちゃんを困らせて、ダ メ だ ぞ?」
ダメなのはクリス姉さんの正気である。甘え口調が可愛いけど、完全に酔っ払っている。これ以上飲ませるのは危険だ。
「クリス姉さん、そろそろお酒は止めておいた方が良いんじゃないか?」
「やぁよ。せっかく、弟くんががんばって成果を上げたんだもの。普段は忙しくてお祝いしてあげられなかったから、今日くらいは心からお祝いしてあげたいじゃない」
「……クリス姉さん」
そんな風に想ってくれてたのか――と嬉しく思った瞬間、クリス姉さんはグラスのワインをぐいっと飲み干してしまった。
「ちょっ、大丈夫なのか?」
「えへへ、だいじょうぶ、よ。あたしはちょっぴりしか、酔ってないわ」
「いや、酔っ払いはみんな自分が酔ってないって……あれ? ちょっぴりは酔ってる自覚があると言うことは、わりと大丈夫……じゃないな」
どうしたものかと辺りを見回していると、カエデが気付いて近付いてくる。
「アレン様、どうかいたしましたか?」
「あぁ、クリス姉さんが少し飲み過ぎたようでな」
「なによぅ、あたしはそんなに飲んでなんていないわよぅ」
その受け答えを見たカエデが「あらまあ」と口元に手を当てた。それからメイドを呼びつけて、クリス姉さんを部屋で休ませるように指示を出した。
酔っ払いと言えばごねるものだが、クリス姉さんは素直にメイドに連れて行かれる。
「普段は、あんな風に酔ったことないんだけどな」
「仕方ありませんわ。今回の一件では、自分のせいでアレン様に負担を掛けることになったと、ずいぶんと気に病んでいらしましたから」
「……なんの話だ?」
心当たりがなくて困惑したのだが、塩の取引再開と引き換えにクリス姉さんとの結婚を要求されたことだとほのめかされて更に困惑した。
感情を抜きにしても、塩の取引再開程度じゃ釣り合わない。クリス姉さんの価値を考えれば、塩湖の利権全てと引き換えだと言われても渋るレベルだ。
なのに、気にしてたなんて……
「クリス姉さんは自己評価が低いのか?」
「それだけあなたを慕っているのだと思いますわ」
恩を感じているだけだ――なんてさすがに言うつもりはない。だけど、カエデに指摘されたのが気恥ずかしくて、俺はぽりぽりと頬を掻いた。
「……ともあれ、オーウェル子爵領に煩わされることはもうない。種族間の問題は……まだまだこれからだが、当面の危機は去ったと言えるだろ」
種族間にある亀裂は少しずつ広がりつつあったが、最後の一線は越えていない。もしその一線を越える事件が発生していたら、取り返しのつかないことになっていた。
大きな問題が発生する前に収められたのは幸運だった。
「私では、破滅へ突き進む流れを遅らせるのが精一杯でした。ですが、これからは少しずつでも、種族間の問題が改善していくでしょう。すべて、アレン様のおかげです」
「なにを言ってるんだ。ジェニスの町の住人達を支えているのはカエデだろ?」
「私はオーウェル子爵代行の策略を事前に防ぐことが出来ず、種族別の塩の消費量について思い至りませんでした。私は……無力です。ですがあなたになら、この町を――イヌミミ族の未来を託せます。どうか、わたくしを解雇してください」
カエデが寂しげに微笑んだ。
だが、その瞳には強い光を宿している。衝動的に言っているようではなさそうだ。以前からそんな風に考えていたのだろう。
「カエデの決意は尊重する。だが――解雇はしない」
「なぜですか? 私はあなたのように人材を集める力も、レナードさんのような情報収集能力も、フィオナ様やクリス様のような物を開発する能力もありませんのに」
「それでも、おまえは必死にジェニスの町を護ってきたじゃないか」
三つの町をくっつけただけのような歪な町の、お飾りの代表。命令系統が統一されていない状況で政治をすることがどれだけ難しいかは想像に難くない。
俺が問題を解決出来たのは父上より与えられた権限があり、カエデが俺に従ってくれたからだ。俺がカエデと同じ権限しか持っていなければ、種族間での争いを抑えられなかった。
「塩の消費量が種族ごとに違うと知らなかったなんて嘘だろ? オーウェル子爵代行が仕掛けた流言に気付いて、その噂を歪めようとしたんじゃないのか?」
「なに、を……言っているんですか?」
「人間の代表に会ったとき、真っ先に言われたよ。自分達の種族を優先するカエデをなんとかしろって」
「それは、私が色々とミスをしたから当然ではありませんか」
「違う。本当ならトップである俺が批難されるはずだった。なのに、批難されたのはカエデだった。そうなるように自分で仕向けたんだろう?」
たとえば、イヌミミ族が人間に害される。もしくはその逆。そう言った事件が起きて取り返しのつかないほど逼迫した状況下では、誰かが責任を取らなくてはいけない。
そして――このような状況を招いたのは、同胞を優先しようとしたカエデ。実際、塩の分配も自分達を優先していた――と全ての責任を押しつける。
全てが元通りとは行かずとも、俺は引き続き統治を続ける程度の地位は守れるだろう。
「仲間を、自分を犠牲にしてでも、種族としての存続に尽力した。苦しかったはずだ。それでも、おまえは自分に出来うる最善を尽くした。それを無能だなんて言わせない」
カエデがぽかんとした顔をする。まるでなにを言われているのか分からないと言いたげに、驚いた顔でゆっくりと顔を横に振る。
だけど、ほどなく、その見開かれた目元からぽろぽろと涙を流した。
「誰にも……誰にも理解されなくてもかまわないと思っていました。いま、同胞達が苦しんでも、彼らの子供達が笑っていられる町を作る。それが可能なあなたに託せるのなら、自分はどうなってもかまわないって思っていました」
カエデは泣き笑いのような困った顔で俺の顔をじっと見る。
「今回の一件でおまえの評判は下がっているが、弁明の機会は与えられない。そのうえで、俺はお前を解雇しない。これからも、町の治安維持に努めてもらう」
事実を打ち明ければ、立場のある者はカエデの行動に理解を示すだろう。だが、民衆達からの信頼は確実に地に落ちる。
町のためを考えるのなら、カエデに弁明させることは出来ない。
「……私に針のむしろを歩けと言うんですか?」
「嫌か?」
「いいえ。それがあなたの手伝いになるのなら喜んで」
指で目元の涙を拭い、目を細めて微笑んだ。彼女であれば、この歪な町を上手く纏め上げてくれるだろう。それはきっと、遠い未来のことではないはずだ。
だが、いまは失態を犯したカエデを評価しているように見せることは出来ない。それを理解しているカエデは、叱られて落ち込んでいる振りをして帰りますと会場から退席した。
それを見送っていると、入れ替わりでフィオナ嬢が寄ってきた。俺はそんな彼女から逃げるように別の席へと――
「あら、アレン様、わたくしから逃げるなんて酷いんじゃありませんか?」
逃げる前に捕まってしまった。
「……おまえは酔ってないのか?」
「酔う? ……あぁ、クリスさんのことですか。彼女はわたくしが作った蒸留酒を飲んだので、それで少し酔ってしまったようですわ」
「おまえが原因か……って、蒸留酒?」
冒険者をしていた頃に、蒸留したというお酒を飲んだことがあった。
あのときは、エリスが酔っ払って大変だった。味も俺達の好みじゃなかったので忘れていたが……なるほど。強いお酒は好きな奴も多いだろう。
「美容品でご婦人の心を掴んだあとは、お酒で殿方の心を掴もうって言うのか?」
「悪くないでしょ?」
フィオナ嬢が一瞬、茶目っ気のある表情を見せた。
「たしかに悪くないが、お酒を造るとなると綺麗な水が必要になるぞ?」
ジェニスの町の側には大きな川があるが、お酒を造るのに使えるような水ではない。もっと湧き水に近い、山の近くの水を使う必要がある。
アストリー侯爵領には山があるが、あそこは鉱山だ。採掘場の近くにある川の水は飲み水としては適していないと聞いたことがある。
ウィスタリア伯爵領全体に視野を広げれば候補はあるが、俺の管轄じゃない。
父上に丸投げするか、もしくは俺が当主になってから実行に移すか……
「量産するならその通りですが、当面は身内向けで良いんじゃありませんか?」
「うぅむ……」
たしかに希少価値は増すだろう。だが、中途半端に広めては、政治的な価値を見いだせないまま誰かにコピーされる可能性がある。
世に出すのなら、効果的に使いたいところなんだが……
「――兄さん、そんなに焦らなくても良いじゃない」
声をひそめたフィオナ嬢が目元を和らげた。
「今回の功績を見ても、兄さんがロイドさんに負けるはずない。前世とは違う環境を手に入れたんだから、肩肘張らずに暮らそうよ」
「……それも悪くないかもな」
ジェニスの町は急速に成長した。あまりやりすぎると周囲と軋轢を生むかも知れない。しばらくは足下を固めることに専念した方が良いだろう。
そんな風に考えていると、にわかに入り口の方が騒がしくなった。なにかあったのかと周囲を見回した俺のもとにレナードが駆け寄ってくる。
「どうした、なにがあった?」
「それが……ご当主が現れた」
「……は?」
理解できなかったと言うよりは、理解したくないと思った。
そんな俺の視界に、執事を伴った父上の姿が映る。なぜここにとか、せめて先触れを出してくれとかそんな感情は全て抑え込み、俺はすぐさま父上の下へと駆けつけた。
「これはこれは父上。ご連絡いただければ迎えを出しましたのに」
……うん。セリフに、せめて先触れを出してくれという内心が漏れてしまった。
父上がそれに気付かないはずはないのだが、「おまえの手を患わせたくなかったのでな」とのたまった。俺の対応を採点してる気がする。
……落ち着け。
突然の来訪には驚かされたが、今後もあり得ないとは限らない。というか、オーウェル子爵代行とかリディア――じゃない、リリアで慣れているはずだ。
「なにか火急の用事でしょうか?」
「そう言うわけではないが、おまえに早急に伝えたいことがあってな」
「拝聴いたします」
目的が分からない以上は後手に回るしかないので、内容を聞いてから迅速に対応しよう。そう覚悟を決めて訊く態勢に入る。
「まずは、ロイドについてだ。あいつはリリアが自領に連れて帰ることになった」
「……それは、その……ペットとして、ですか?」
「名目は彼を鍛えるためだそうだ」
……名目はってことは、ペットであることを否定していないってことだよな。
「ゆえに、アレン。おまえに次期当主の座を内定する」
反射的に、感情が顔に出るのを押さえ込む。
だが……そうか。ウィスタリア伯爵の次期当主候補は俺とロイド兄上だけだった。そのロイド兄上がオーウェル子爵領へ行くのなら、そう言うことになる……のか?
「どうした? 喜ばないのか?」
「内定とおっしゃいましたので」
公表するわけではなく内々での決定。わざわざそんな言い方をしたと言うことは覆る可能性があると言うことだ。
「ふっ、さすがにその程度では浮かれぬか。たしかに正式に発表はしない。だが、わしが当主の座を降りるまでにそなたが失態を犯しでもしない限りはそなたが次の当主だ」
だから、そんな風に前提条件をつけられる時点で安心できないんだって――と、俺の心の声は正しく伝わったようで、父上は小さく笑った。
「お主も分かっているようだから単刀直入に言おう。ロイドが治めていた町が荒れている。そなたが出向いて、安定させてみせよ」
「――その命、謹んで承ります」
領主になれば、町一つを管理するだけじゃない。ジェニスの町の改革を進める傍ら、他の町の問題を解決してみせろと言うこと。
どうやら、のんびりと暮らすのはもう少し先になりそうだ。俺と同じ感想を抱いたであろうフィオナ嬢が、視界の片隅で苦笑いを浮かべていた。
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