それぞれの思惑 2
執務室の扉が開き、リディアが姿を現した。
「こんにちは、アレンお兄様。お久しぶりですわね」
「……リディア、どうしておまえがここにいる?」
リディアは布の髪飾りに指で触れ、静かにたたずんでいる。まるでなにかおかしいことがあるのかと言いたげだが、彼女がここにいるはずはない。オーウェル子爵代行を破滅に追い込む寸前、それを阻止するように現れた彼女に警戒を強める。
「屋敷にいるのは、ジェインの同行者としてついてきたからですわ」
「……つまり、オーウェル子爵代行が部外者を手引きした、ということか?」
使用人はオーウェル子爵代行を信用して、その同行者を受け入れた。オーウェル子爵代行が部外者を引き入れたとなれば大問題だと圧力を掛ける。
――だが、オーウェル子爵代行は焦るどころか余裕を取り戻している。彼にとってリディアはそれほど頼もしい存在ということか。
彼女がここに現れたのは予想外だが、予期せぬ攻撃材料を手に入れた。ここでそれを使わない手はない。せいぜい利用させてもらおう。
「オーウェル子爵代行が手引きした部外者が、無断で俺の執務室へ入ってきた。これは明らかに問題行為だ。どう落とし前をつけるつもりだ?」
「お、落とし前だと!? 彼女は――」
オーウェル子爵代行が噛みついてくるが、前に立ったリディアが腕で制した。それから俺に向き合い、その整った眉を落とす。
「そうですわね。まずは謝罪いたしますわ」
「……は?」
「会議中に乱入したことだけでなく、このたびの一連でアレン様に多大なご迷惑をおかけしたこと、心よりお詫びいたします。本当に申し訳ありませんでした」
「………………は?」
表面的な謝罪じゃない。リディアは感情の籠もった声で謝罪を口にして、俺の目を見てから深々と頭を下げた。俺にはそれが心から謝罪しているようにしか見えなかった。
ここから権謀術数を張り巡らせた戦いが繰り広げられると、予想していた俺は思わず間の抜けた返事をしてしまう。
だが、驚いているのは俺だけではなく、オーウェル子爵代行も呆気にとられていた。彼は信じられないと瞬いて、それからリディアに詰め寄る。
「ど、どうしてあなたがこのような男に謝罪なさるんですか!」
「あなたがわたくしの予想を遥かに上回る暗愚だったからに決まっています。引き際すら見極められない愚か者に次期当主たる資格はありません」
「――んなっ!?」
歯に衣を着せぬ言いようにオーウェル子爵代行がよろめいた。だが、リディアは冷たく突き放すように追撃を掛ける。
「たしかにわたくしは、塩を押さえてジェニスの町に揺さぶりを掛けるように指示を出しました。ですが、引き際を見極めなさいとも言ったはずです。忘れたのですか?」
「い、いえ、それは覚えています」
「ではなぜ必要以上に彼を扱き下ろし、不平等な取引を持ちかけたのですか? 修復できないレベルで関係がこじれるに決まっているではありませんか」
「そ、それは……その、まさか、こいつがここまでやるとは思わなくて」
いや、そう言うことを言ってるんじゃないと思うぞ――と、俺が思うのと同時に、リディアも「そう言うことを言っているのではありません」とため息をついた。
たとえ俺が無能だったとしても、バックにはウィスタリア伯爵がいる。俺に無茶を押し通せば、怖い黒幕が出てくると予想してしかるべきだ。
そうでなくとも、追い詰めすぎれば相手がなにをするか分からない。隣接している領地とむやみに関係を悪化させるのは失策も良いところだ。
これはいまの俺にも言えることだが――オーウェル子爵代行はその辺りのことを一切考えていなかった。あまりにお粗末と言えるだろう。
しかし……二人はどういう関係なんだ? まるで、リディアの方がオーウェル子爵代行よりも立場が上、黒幕のように見えるんだが……っ。
そう考えた瞬間、馬鹿げた可能性に思い至って戦慄する。
……いや、馬鹿げた可能性とも言えない。
手に入れた情報の一つ一つが、その可能性を肯定している。
「とにかく、こうなってはあなたに勝ち目はありません。少しでも傷口を広げないように、この場でアレン様に謝罪なさい」
「――なぜ俺がそのようなマネをしなくてはいけないのですかっ!」
「分かりませんか? 自分のしでかしたことに責任を取れと言っているのです。それすら出来ないというのなら、あなたには当主どころか、貴族を名乗る資格すらありませんわ」
「ぐっ。わかり、ました……っ」
どう見ても分かった顔ではないが、オーウェル子爵代行はそっぽを向いて、しぶしぶといった感じで「悪かったな」と吐き捨てるように言った。
そんな形ばかりの謝罪を受け入れるはずがないだろうと、冷ややかな視線を返す。――刹那、リディアが身を翻したかと思うと、オーウェル子爵代行を床の上に引きずり倒した。
驚くオーウェル子爵代行の頭を絨毯に押しつける。
「な、なにを……っ」
「それはこちらのセリフですわ。わたくしは謝罪をしろと言ったのです。心の内を呑み込み、取り繕うことすら出来ずに貴族を名乗るつもりですか?」
「このぉ……ちょっと長生きだからって偉そうにしやがって。こんなことをして母上が黙ってないぞ! 父上がなくなったいま、母上が一番権力を持っているんだからな!」
「彼女を黙らせる口実は既に手に入れました。もはやあなたに後ろ盾はありません」
「なっ、そんなはずはないっ!」
オーウェル子爵代行が反論するが、リディアが彼の耳元でなにかを囁く。その直後、オーウェル子爵代行の目が見開かれた。
「嘘だ、嘘だ嘘だ!」
「嘘だと思うのならそれでも結構ですわ。ただ、ここで謝罪すら出来ないのなら、あなたは自分の首を絞めることになりますわよ?」
「うく……っ。も、申し訳、ありません、でした……っ」
俺の前で這いつくばって、苦渋にまみれた謝罪を口にする。その光景は俺の溜飲を下げるのに少しは役立った。だが、俺の気分が晴れたとしてもなんの実益にもならない。
そんな風に思っていると、リディアがオーウェル子爵代行を引き起こした。
「あとの交渉はわたくしがいたしますから、あなたは領地に戻って謹慎していなさい」
リディアはこちらになにも言わずに彼を退出させてしまう。
それから部屋の外に待たせていた使用人――おそらくはリディアの部下なのだろう。オーウェル子爵代行を確実に、まっすぐ領地へ連れ帰って軟禁するように指示を出す。
俺はそれを無言で見守った。
「お待たせいたしました、アレン様。ですが……わたくしが言うのもなんですが、彼が帰るのを黙って見ていてもよろしかったのですか?」
「問題ない。あいつがやらかした責任はおまえが取ってくれるんだろう?」
カマを掛けると、リディアはわずかに目を見開いた。それから目を細めて微笑み、「さすがに気付いていましたか」と俺の予想を肯定した。
「もしやと思ったのはついさっきだ。それに、まだ分かってないことの方が多い」
だが、大枠の予想は間違っていないだろう。
父上は、オーウェル子爵領に曲者がいると言っていた。正体どころかその影すら踏むことはなかったが……リディアがそうだというのならつじつまが合うことも多い。
彼女がオーウェル子爵家出身なら、塩の輸出を止めることが出来ても不思議じゃない。
問題は、彼女がオーウェル子爵領の人間なら、どうしてレナードが気付かなかったのかと言うことだが……それについても父上がヒントをくれていた。
レナードが照合の対象にしたのは年頃の女性。だが、オーウェル子爵領の曲者について、父上は子供のころに世話になったと言っていた。
つまり――
「こうすれば、アレン様の疑問は解けますでしょうか?」
リディアがブロンドの髪、その耳元に添えられた布の髪飾りを取り払った。その下にはツンと尖った耳。エルフの特長と一致する。
「かつてジェニスの町に流れ着いて、オーウェル子爵領へ嫁いだエルフの王族か」
「正解ですわ」
リディアが優雅に微笑む。知ってしまえば、なるほどたしかに王族に相応しいたたずまいだが、そういう問題じゃねぇんだよ。
「なぜそんなおまえが次期当主候補になった? 父上も共犯なのか?」
「彼はわたくしの正体を知っていますわ。ですが、共犯者とは少し違いますわね。ロイドがオーウェル子爵領に掛けた迷惑の借りを、彼に返してもらっただけですから」
「あれに繋がるのか……」
ロイド兄上が税収を下げて周辺の町に被害を及ぼした一件だ。父上は迷惑を掛けた他領、オーウェル子爵領に対して尻拭いをしたと言っていた。
だが、それだけでウィスタリア伯爵家の次期当主候補にはしないだろう。いや、他に貸しがあったとしても、そんな理由でウィスタリア伯爵家の当主候補にするとは思えない。
だとしたら――
「目的はなんだ?」
「目的、ですか? ウィスタリア伯爵の地位を継ぐこと以外にありますか?」
「少なくとも、父上はそんな理由で当主候補を選んだりしない」
「なるほど、あの子のことを理解しているのですね」
あの子というのが父上のことであると理解するのにしばしの時間を要した。
そうか……エルフだもんな。伝承がたしかなら二百年前には嫁いでいる。父上が次期当主候補だったころから、彼女はいまと同じ姿をしていたはずだ。
「……で、目的は?」
「二つありますわね。ですが、養子として潜り込んだのは、オーウェル子爵領のお隣であるウィスタリア伯爵家の次期当主がどんな人間か知っておきたかったからです」
「……それもロイド兄上が引き金か?」
リディアはこくりと頷いた。
ロイド兄上は周囲への迷惑も顧みず、自分の政策を優先した。周囲への被害を予測していなかっただけなんだが、リディアは動向を警戒する必要があると思ったのだろう。
「事情は分かった。……それで今回の一件の落とし前はどうつけるつもりだ?」
「ロイドがうちの領地に迷惑を掛けたことと相殺――」
ふざけんなと半眼で睨みつける。
リディアはこれ見よがしにため息をついた。
「――するつもりだったんですけどね、ジェインがあんな馬鹿をしなければ。まさか、あなたをあんな風に見下したあげくに、取引再開の条件に結婚まで迫るとは……はぁ」
「おまえの意図とは違うって言うのか?」
「貴方達が後継者争いで及ぼした被害の補填。それであんな無理難題をふっかける愚か者がどこに居ると……いえ、居たから困っているんですが」
「なるほど。筋は通っているな」
挑発して圧力を掛け、どのような反応をするかから相手の性格を見極める。隣の領地の次期当主候補がどんな人間かを知るには十分過ぎる。
そして、塩を押さえることで俺を交渉の席に引きずり出して、後継者争いでオーウェル子爵領に及ぼした被害の補填を要求する。
それが相応の要求であれば、俺は隣の領地との関係を優先して応じただろう。金品での賠償は難しいが、美容品やバームクーヘンの取引を優先するなどの選択はあった。
つまりここまで問題に至ったのはオーウェル子爵代行が原因ということになるのだろう。
だが――
「父上はロイド兄上の尻拭いをしたはずだが?」
オーウェル子爵代行をけしかけたのは彼女だ。オーウェル子爵代行に責任を取らせて、あとは知らないとは言わせない。
「分かっていますわ。ですが、あなたもわたくしにとっては予想外でした。情勢が決する前にわたくしが介入して手打ちにする予定でしたのに、まさか一撃で決めてしまうなんて」
「俺が聞きたいのはどう落とし前をつけるかであって、あんたの愚痴じゃないんだが?」
「分かっていますが、ここまで情勢が決してしまっては、あなたも相応の賠償がなければ納得しませんでしょう? いまそれを必死に考えているんですわ」
「……そう言って、逆転の一手を考えているんじゃないのか?」
あの父上が出来れば敵に回したくないといった相手だ。このまま簡単に引き下がるとは思えない。まだ一戦二戦あることくらいは十分にあり得る。
「先ほど謝罪したのは嘘じゃありません。それに、あなたが思っている以上に完敗ですわ。周辺の貴族は軒並みあなたの味方をしていますでしょ?」
「周辺の貴族に要請すれば、オーウェル子爵領への輸出を制限するくらいは可能だろうな。本来であれば、周囲の者達もいい顔はしないはずだが……」
「殴っておいて、殴り返すのは卑怯だ――なんて言えませんものね」
オーウェル子爵代行は塩の輸出再開と引き換えに、無理難題をふっかけた。多少の報復行為は周囲の者も容認してくれるだろう。
だが、最初に殴ったのがロイド兄上であることを忘れてはならない。俺とジェニスの町は被害者だが、ウィスタリア伯爵家が最初の加害者なのだ。
ここでの増長はオーウェル子爵代行の二の舞を演じるハメになる。
そもそも、ウィスタリア伯爵家に次期当主候補として潜り込むほどの影響力を持つほどの彼女が、寄親や他の貴族に対してまったく影響がないとは思えない。相応の落とし前はつけてもらうつもりだが、オーウェル子爵代行の二の舞にならないためには見極めが必要だろう。
「確認したいんだが、ジェインが次の当主になるのか? いまここでおまえと話し合っても、彼が履行するとは思えないんだが?」
「彼には今回の失態に対する責任を取らせ、一切の権力を奪います。ですから、彼が当主になることは絶対にありません。次期当主は彼の腹違いの弟が継ぐことになりますわ」
「……おまえはそんな決定権まで持ってるのか?」
「詳細は内部事情なので話せませんが、ジェインが当主になることだけはありません。それだけは、この場で宣言させていただきますわ」
「……ふむ」
事情は分からないが、ジェインがお隣の領主にならないことは喜ばしい。次の当主が誰になるかは分からないが、出来れば友好的な人物になって欲しいものだ。
「なら、次の質問だ。宣戦布告をしに来たあの日、他種族は排斥するべきだ、自分が当主になれば他種族を一掃すると口にしたな? あれはただの挑発か、それとも――」
「あら、わたくしは他種族を排斥するなんて言ってませんわ。不和の種を排除すると言ったんです。種族の隔たりなく、みんな仲良くしたいですもの」
「……はっ、なるほど。とんだ食わせ者だな」
他種族を排除するのではなく、種族間の不和の種を一掃する。嘘すら口にせずに、俺には他種族を一掃すると口にしたように思い込ませた。
理由はおそらく、俺の反応を知るためだろう。
彼女自身が他ならぬエルフ、つまりは他種族だ。ジェニスの町を治めるウィスタリア伯爵当主は、他種族に寛大な性格の持ち主が好ましい――と試しても不思議ではない。
「なら、ジェニスの町に流言を仕掛けたのはおまえか?」
「オーウェル子爵家と不仲の噂を流したことを言っているのであればわたくしです」
「なら、他種族との亀裂を広げた流言はどうだ?」
「それはジェインですわ。あなたを試すためだけに血を流しかねないような策略を仕掛けるつもりはありませんでした。ただ……彼の横暴を許してしまったのはわたくしを含めたオーウェル子爵家の責任です。ですから、我々には相応の賠償をする用意がありますわ」
「……ふむ」
そうすると、リディアの仕掛けた攻撃は一線を越えていない訳だ。ジェインの暴走を許したのは彼女の責任だが、彼女自身は危険人物ではないのだろう。
もちろん色々と言いたいことはある。
だが、リディアは謝罪の言葉を口にして、相応の賠償をすると言っている。ここで俺が自分の感情を優先するようなことがあってはならない。
もちろん、相応という限りは、ジェインがやらかした、下手をすれば多くの血が流れていたかも知れない行為への対価も含まれる。
ジェニスの町の発展のため、十分なお詫びを引き出そう。
「最後の質問だ。次期当主が交渉の結果を履行する保証は?」
「そっちは、あとで書面にして渡しましょう」
「そうか。なら――」
リディアと交渉するとは思わなかったが、子爵代行とは交渉するつもりだったため、子爵領が呑めるであろうギリギリのラインは既に調査済みだ。
俺は今回のケジメをつけさせるために、リディアとの交渉を開始する。
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