ジェニスの町の有り様 5

 クリス姉さんとラッセルさんの活躍により、別の香りや無臭のシャンプーやリンス、それに石鹸の生産も始まった。

 石鹸の生産は塩の確保がネックだったが、父上からも塩の横流しをしてもらえたぶんだけ石鹸に回すことが出来た。おかげで必要最低限の量は取りそろえることが出来た。俺はそれらを、いままでのロビー活動で縁を結んだ貴族達に卸す交渉に入った。


 石鹸は従来の物よりも汚れが格段に落ちやすく、シャンプーやリンスはそもそも存在していなかった。貴族――とくに令嬢にとっては喉から手が出るほどに欲しい商品。

 希少価値もあいまって、彼らはこちらから提示した条件を呑んでくれた。


 これで準備は整った。もうすぐオーウェル子爵代行の横暴な態度に対する返礼が出来る。そうしたら、リディアに対する借りも熨斗をつけて返そう。

 そのための地盤固めに対する最後の仕上げ。

 俺は人間達の代表から求められた、ある要望に対しての許可を出した。

 それは――


「ほらみてアレン兄さん、あっちにも屋台があるよ」


 フィオナ嬢が俺の手を引いてはしゃいでいる。今日はジェニスの町の中央区で開催された、種族入り交じってのお祭りだ。


 商業ギルドの代表は人間至上主義なところがあったが、商人としては一流だった。俺が提案したその日から、彼は他種族の商業ギルドに渡りをつけたのだ。


 提携を組むことで大きくなる代わりに、小さい問題はいくつも発生したはずだ。そもそも、敵対とはいかずとも、いままでは我関せずでやっていたのだ。

 それが今日から手を取り合おうと言われても、すんなりと頷けるはずがない。彼らが協力し合うには、様々な困難が立ち塞がったはずだ。


 だが、彼は他の種族の商業ギルドと協力関係を結んだ。種族が違えど、商売の理念は変わりませんでした――が彼の言葉だった。


 まあ……そうは言っても、いまはまだ形だけ。少し問題が発生したら揺らぐような協力関係で、相手を出し抜く機会くらいはうかがっているだろう。

 だが、それで問題はない。競争することで生まれるモノもあるはずだからな。

 ただ、いがみあっていては俺達が作る新商品の利権に関われない。そのことだけ理解して、協力できる部分で協力していれば十分だ。


 対して、農業ギルドはそれなりに難航している。商売とは違って、他種族と手を組むことの利点が少ないのが原因だろう。


 更に言えば、ギルドの代表達が纏まっても末端の意識が即座に変わるわけじゃない。

 何世代も前のように本当の意味で他種族が一緒に暮らす町になるには、長い時間――それこそ何世代も掛かるだろう。


 ――ただ、オーウェル子爵代行が仕掛けてきた噂については打ち消すことが出来た。前回説得した人間の有力者達が自分の手足を使って噂をただしてくれたからだ。


 更には住民の不満を同じ町の他種族ではなく、ジェニスの町へ嫌がらせをしているオーウェル子爵代行へと向けさせることにも成功した。


 オーウェル子爵代行が塩を盾にクリス姉さんを嫁にしようと画策し、ジェニスの町へ嘘の噂まで流して嫌がらせをしているという話を広げたのだ。

 クリス姉さんの罠のおかげでブラックボアの被害が減ったのは皆が知るところで、オーウェル子爵代行許すまじという流れになったようだ。

 ただ……ブラックボアの被害までオーウェル子爵代行のせいとなっているのは謎である。


 それはともかく、住民の不満はオーウェル子爵代行へと向いた。

 この機会を逃す術はない。他種族と仲良くするための交流を兼ねて、オーウェル子爵領の嫌がらせをものともしていないアピールのお祭りを開催したというわけだ。


 ちなみに、お祭りには屋台なんかがあり、当然ながら塩を使うわけだが――残り少ない在庫を放出した。アストリー侯爵と父上が流してくれる塩だけではこのあと苦しくなるのは必至。

 だが――それについてはもう問題がない。


「ほらほら、アレン兄さん、あっちにもたくさん屋台があるよ~」


 フィオナ嬢が俺の腕を抱きしめてぐいぐいと引っ張ってくる。そのたびに、俺の二の腕にフィオナ嬢の豊かな胸が押しつけられてるんだが……

 とか思ってたら、俺を見てニヤリと笑いやがった。


「役得でしょ?」

「たっく、はしゃぎすぎだ。人混みは危険なんだから気を付けろよ?」


 ロイド兄上はペットに成り下がったが、飼い主であるリディアは俺の敵だ。政治的な攻撃しか仕掛けてきてないからといって、直接的な手段に及ばないとは限らない。

 命を狙われた場合、人混みの中は格好の的だ。


「うん、そうだね。気を付けるよ」


 フィオナ嬢は大人しくなるばかりか、俺の腕を放してきゅっと拳を握り締めた。腕を掴んでいると、いざというときに反応が遅れるから放したんだろうが……


「えらく素直だな?」

「そりゃ……ね」


 なんだ? 町でロイド兄上に雇われた連中に襲撃されて懲りたのか?


「心配するな。気を付けろとは言ったが、俺だって周囲には気を配ってる。万が一襲撃されたとしても大丈夫だ」

「……ホント? もう、私を置いて先に逝ったりしない?」


 ……あぁ、そうか。前世の俺が町で殺されたから気にしてるのか。そう……だよな。前世の俺は、自分の家で襲撃を受けて殺された。

 帰宅したエリスはそれを見ているはずだ。


 俺はフィオナ嬢の頭に手のひらを乗せた。


「……アレン兄さん?」

「大丈夫だ。俺はもう絶対、おまえを残して先に逝ったりしない」

「ホントに? 約束だよ?」

「ああ、約束だ。それに……そこまで心配するな。離れたところに護衛を連れているし、俺とおまえが揃って不意を突かれたり、正面から負けるような敵はそうそう居ないだろ?」

「……うん、そうだね」


 フィオナ嬢はそれでも少し不安そうだったが、小さな微笑みを浮かべた。


「せっかくのお祭りなのに水を差して悪かったな」

「うぅん、私もはしゃぎすぎだったから」


 フルフルと首を横に振ると、今度は腕を抱き寄せるのではなく、俺の脇腹の辺りの服を掴んだ。そこなら、とっさのときにも妨げにならないと言いたいらしい。


「馬鹿、気にしなくて良いっていっただろ。周囲に気を配ってたら十分だ」


 俺は掴んで良いぞとばかりに腕を差し出す。フィオナ嬢は少し困った顔をして――それからイタズラっぽく微笑んだ。


「なぁに、兄さん。そんなに、私の胸の感触を楽しみたいの?」

「やっぱり腕は組まない方がいいかもな」

「あぁん、うそうそ、嘘だからぁ~」


 腕にぎゅうっとしがみついてくる。

 と言うか、俺の腕を自分の胸に埋もれさせる。いくらなんでも大胆すぎだと思ったが……まぁ、周囲への警戒は怠っていない。今日くらいは良いだろう。


「それじゃ兄さん、あっちの串焼きを買ってみようよ」

「はいはい、お嬢様の仰せの通りに」


 フィオナ嬢に腕を引かれるままに屋台へと向かった。近付くにつれて香ばしい匂いが漂ってきて、見るからに繁盛しているのが分かるほど人だかりが出来ている。

 屋台のおっちゃんが、忙しそうに客を捌いていた。それを見ながら列に並んでいると、しばらくして最前列へとたどり着く。


「……って、ブラックボアの串焼きじゃないか」

「なんだい、兄ちゃん。見ただけで分かるのか?」

「あ、あぁ……まぁな。あぁっと……二本くれ」

「はいよっ!」


 おっちゃんは焼き上がった串焼きを取り上げて、パラパラと塩を振りかけてくれた。それをお金と引き換えに受け取る。


「へぇ、塩を振り掛けるだけなんだ?」

「ああ、多少クセがあるが味はしっかりしてるからな、塩だけで食べるのが通ってもんだぜ」

「なるほどなぁ……」


 俺は一本をフィオナ嬢に手渡して、自分の串にはむっと齧り付く。貴族が食べる料理は味付けにこだわったものが多いが……うん。シンプルな味も美味しいじゃないか。


 ちなみに、フィオナ嬢は串焼きなんて大丈夫かと横目で見るが、俺と同じくはむっと齧り付いて「~~~っ。美味しいねっ」とご満悦だ。


 完全に冒険者時代のエリスそのままだな。アストリー侯爵とかに知られないようにしないと、俺のせいでお嬢様らしくなくなったとか言われそうだ。



 それからも、俺達はいくつかの屋台を見て回った。冒険者時代を思い出して懐かしい。そんな風に話ながら歩いていると、フィオナ嬢がそう言えばと口を開いた。


「アレン兄さん、オーウェル子爵領のことは大丈夫なの?」

「ん?」

「さっきの屋台もだけど、今回のお祭りでは塩を大々的に使ってるでしょ? つまり、ウィスタリア伯爵や、私のお父様辺りから塩を得ていることを宣伝したようなものだよね?」

「まぁそうだな」


 いままでは、こそこそとやっていた。

 オーウェル子爵代行は気付いていたかもしれないが、ジェニスの町以外への輸出は変わらずおこなっていた。苦々しくは思っていたはずだが、アストリー侯爵やウィスタリア伯爵と敵対することを避けた結果だろう。

 もしくは、横流しは長く続けられるはずがないと分かっていたのかも知れない。


 だが今回のお祭りは、ジェニスの町に変わらず塩が流れていると知らしめる行為。アストリー侯爵やウィスタリア伯爵が俺に味方をしたと宣言したに等しい。

 オーウェル子爵代行は恥を掻かされたと思っているだろう。


 そして――今回のお祭りにあたって、父上やアストリー侯爵には許可を取ってある。彼らは実際に俺の味方をして、オーウェル子爵代行に敵対するという立場を取った。


 だが、両家への塩の輸出を止めるわけにはいかない。

 両家に輸出する塩の量がオーウェル子爵領で産出される何割になるかは知らないが、大きな比率を占めていることだけはたしかだ。それを止めたら、自分の首を絞めることになる。

 ゆえにオーウェル子爵代行が打てる手は限られている。


 塩の値段の引き上をちらつかせて塩を横流ししないように圧力を掛けたり、なにか理由をつけて横流しできないくらい塩の輸出を抑えたり。

 そうして、こちらが耐えきれなくなるのを待つくらいがせいぜいだ。


 だが――もはやそういう問題じゃない。

 俺が各地の貴族達と交渉に入った瞬間から、オーウェル子爵領への反撃は始まっている。オーウェル子爵代行のもとへもそろそろ伝わっているだろう。


 オーウェル子爵代行は泡を食っているころだ。徹底抗戦をするにしても敗北を認めるにしても、俺のもとに来るしか道は残っていない。

 だからいまは待つときだ。フィオナ嬢にそんな話をしていると、ちょうどレナードがやって来て、オーウェル子爵代行が先触れもなく屋敷に訪ねてきたと口にする。

 オーウェル子爵代行に取っての緊急案件と言うことだろう。

 だが、俺の返事はもちろん決まっている。


「三日後に会うと伝えてやれ。俺達が待たされたのと同じように、な」

 

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