異世界姉妹と始めるプロモーション 5

 父上との交渉を終えた後、帰り際に招待状を渡された。クリス姉さんとも交流のある有力な貴族令嬢のデビュタントで、父上の代理として二人で出席するようにと言われたのだ。

 もちろん、俺は二つ返事で了承した。ウィスタリア伯爵の代理としてデビュタントに出席する意味は大きいし、反撃の根回しという意味でも大きな価値がある。

 何故そんな援護をしてくれるのか疑問に思ったが、水車の使い道について俺の口を割らせるのが目的だったようだ。応用について根掘り葉掘りと質問をされた。

 ……まあ、どのみち教えるつもりだったから構わないんだけどな。



 そんなこんなで、俺とクリス姉さんはデビュタントに出席する。

 クリス姉さんはデビュタントを済ませているが、未婚の女性で婚約者がいない。そんなわけで、同行した俺が姉さんをエスコートする。


 二人で会場入りを果たすと、あちこちの貴族令嬢から声を掛けられた。姉さんの顔が広いというのもありそうだが、石鹸を初めとした美容品の噂が広がっているようだ。


「あら、クリスお姉様。来てくださったのですね」

「ミランダ、ご機嫌よう。こっちは弟のアレン。でもって、彼女はミランダよ」


 クリス姉さんが互いの紹介をしてくれる。彼女がこのパーティーの主役であるミランダ・アルノルト。アルノルト伯爵家のご令嬢のようだ。


「お初にお目に掛かります、ミランダ嬢」

「こちらこそ。あなたがアレン様ですのね。お姉様から色々と聞いていますわ」

「色々、ですか? 姉さんは、なにか変なことを言っていませんでしたか?」

「いいえ。優しくて格好いい弟だと言っていましたわ」

「おや、そうでしたか。ではさぞかし実物を見て幻滅したことでしょうね」

「ふふっ、話に聞いていた通りの方だなと感心していたところですわ」

「薔薇のようにお美しいあなたにそう言っていただけるとは光栄です」


 社交辞令を返しながら、ミランダ嬢の口の巧さに舌を巻く。悪い娘ではなさそうだが、デビュタントを開催する歳とはとても思えない。

 油断をしていると痛い目に遭いそうだ。


「ところで、わたくし、その優しいアレン様にお願いがあるのですが……」


 ほら来た――と、声に出さなかった俺は偉いと思う。


「実はわたくし、噂を耳にしたんです。ジェニスの町で作られたとある試供品を手に入れたグライド侯爵夫人の髪や肌がとても艶やかになった、と」


 思わずニヤリとしそうな自分を抑えるのが大変だった。グライド侯爵のパーティーで蒔いた種は俺の予想を遙かに上回る速度で芽吹いたらしい。


「そういうことでしたか。ミランダ嬢がおっしゃったようにあれは試供品でして、正式に販売を始めるのはもう少し先になる予定です」

「……そう、ですか」


 すました顔を作ってはいるが、物欲しそうな内心が隠しきれていない。


「そんなことを言わずに、試供品くらいなら構わないでしょう?」

「……クリスお姉様」


 助け船を出したのはクリス姉さん。

 心強い味方を得たミランダ嬢がキラキラとした瞳で俺を見る。ここでダメだと言えば、ミランダ嬢を落ち込ませることになるだろう。非常に断りづらい状況に陥ったわけだが、実のところクリス姉さんの言葉は予定されたものだ。


「クリス姉さんがそういうのなら……今回だけは特別です。ミランダ嬢にはデビュタントのお祝いに一セットだけお贈りさせていただきます」

「わぁ……ありがとうございます」


 用意していた試供品を手渡すと、年相応の彼女が顔を覗かした。


「今回は特別だと言うことを忘れないでくださいね」


 つまり、試供品で新商品の素晴らしさを知らしめて、今後も美容品が欲しければ様々な対価を用意して交渉に来てくださいという意味。

 だが、無邪気に喜ぶミランダ嬢がそれに気付いているかは怪しい。頭の回転が速い令嬢だと思っていたが、美容品が欲しくて頑張っていただけなのかもしれない。


 まあ――彼女は幸か不幸か有力貴族の娘だ。結果的には取引をすることになると思うので、せいぜい親におねだりしてもらおう。


 その後、ミランダ嬢に加えて、周囲で物欲しそうに見ている令嬢達も集まってくる。彼女達の対応をクリス姉さんに任せ、俺はそっと離れる。


 どこか目的があるわけじゃないんだが……なにやらクリス姉さんが俺のことをあちこちで話していたようで『噂の――』と言われるのに辟易したのだ。クリス姉さんがお茶会とかに出席してるのは知ってたけど、一体なにを言っているのやらである。


 という訳で適当に料理に手をつけ、出くわした貴族の子息達と世間話をする。それで気付いたのは、ウィスタリア伯爵家はむちゃくちゃ厳しいと言うことだ。


 デビュタントで大人の仲間入りとはいえ、実際には十六歳の子供でしかない。まだまだ未熟さの残る時期に、あれだけのことをやらされるのは普通あり得ないようだ。


 ミランダ嬢のデビュタントにしても、クリス姉さんが発表する予定だった魔導具のような品もなければ、俺が発表したような珍しいお菓子もない。

 押さえるべきところは押さえているが、ごく普通のパーティーだし、彼女が一人で準備をしたと言うことでもないようだ。

 だが、先ほどから他の者達と話している限り、それに物足りないと感じている者はいない。


 だけど……考えてみれば当然だ。前世の記憶と経験がある俺から見て、同じ年頃の相手が自分よりも未熟に見えない方がおかしい。

 にもかかわらず、周りにはクリス姉さんやリディアのように、俺よりも大人びている相手が当たり前のようにいる。ウィスタリア伯爵家はかなり特殊だと思う。


 もっとも、多くの貴族は女性に政治をさせようとしないし、よほどのことがなければ長男に後を継がせるのが当たり前。

 他の家に生まれていたら、次男であり庶子でもある俺や、女性であり養子でもあるクリス姉さんにチャンスは与えられなかっただろう。

 そういう意味では、ウィスタリア伯爵家に生まれてよかったと思う。


 クリス姉さんも楽しそうだし――と、少女達に囲まれている様子を盗み見る。

 穢れなきプラチナブロンドは、本人の物腰を体現しているかのようにふわふわで、遠目にも髪に艶があるのが分かる。姉さんは翠玉のごとくに瞳を輝かせ、美容品の説明をしている。


 ドレスはどこぞの妹みたいに大胆なデザインではないが、姉の魅力を最大限に活かす華やかな色合いで纏められている。端的に言って、うちの姉は可愛い。


「アレンくん。クリスさんがキミの下についていると言うのは本当かい?」


 さっきまで世間話をしていたルーカスという青年。ミランダの兄で、アルノルト伯爵家の次期当主と目されているらしい彼が唐突にそんなことを言った。


「ええ、父上に許可をいただいて、私のもとで働いてもらっています」

「では、キミが彼女の将来を左右する立場にあると言うことか?」

「……どういう意味でしょう?」


 世間話をしていた段階では警戒するようなやりとりはなかったが、いまの言葉には含みがあった。俺がクリス姉さんの自由を奪っていると……思われているのか?


「あぁすまない、聞き方が悪かったな。おおよその事情は知っているんだ。その上で、彼女の嫁ぎ先もキミが握っているとの噂を耳にしてね」


 俺は更に警戒心を強めた。

 ロイド兄上にクリス姉さんが蹴落とされたことも、オーウェル子爵代行に姉さんが求婚されて、俺が断ったことも知っていると彼が言ったからだ。


 アルノルト伯爵家のルーカスさん、か。前世の記憶で水増しされている俺とは違う、クリス姉さん同様の純然たる優秀者だな。


「それで……どうなんだい?」

「さきに、どうしてそのようなことを聞くのかお聞きしても?」

「うん。彼女を私の妻にしたいと思ってね」

「――っ」


 おぉう。予想していなかったと言えば嘘になるが、直球ど真ん中で来るのは予想外だ。思わず息を呑んでしまったじゃないか。


「どうして急にそのようなことを?」

「言っただろう、ジェニスの町のことはそれなりに把握しているんだ」


 ……なるほど、政略結婚か。伯爵家の次期当主がジェニスの町に対してそこまで評価をしているのは驚きだが、そんな理由じゃクリス姉さんは渡せない。


「それに、あの交渉能力も素晴らしい。もしうちに来てくれたら、ぜひとも私の仕事を補佐してもらいたいね」

「……彼女を政治に関わらせる、と?」

「アルノルト伯爵家は、キミのところと同じ道を歩もうとしているのさ」


 この国において女性の地位は高くない。女性を政治に関わらせる貴族はウィスタリア伯爵家を初めとした一部の貴族だけ。そこに続こうとしているようだ。


「それにね。キミに救われて恩を返そうとする義理堅い性格に、周囲を惹きつける柔らかい物腰。あれだけの美しさを持ち合わせているのに、少しもお高くとまっていない。だからこそ、彼女を私の妻にしたいと思ったんだ」

「……なる、ほど」


 オーウェル子爵代行の求婚とは違いすぎて驚いた。

 ルーカスさんは、有力貴族の跡取り。しかもクリス姉さんの政治的価値、能力、性格、外見。その全てを評価して、そのうえで嫁に欲しいと言っている。

 クリス姉さんにとって、これほどの良縁はないだろう。


 だけど、いまクリス姉さんを失うのは痛い。……いや、それでも、クリス姉さんが幸せになるのなら、父上に進言するべきだ。

 だけど……


「兄上、兄上ぇ。なんの話をしているんですか?」

「こら、クルト。他の人と話しているところに邪魔をしてはいけないよ?」

「……ごめんなさい」


 会話に入ってきたのは、十二、三歳くらいの可愛らしい……男の子? 女の子みたいに可愛い子だけど、着ている服は男物だから美少年っぽいな。


「キミはルーカスさんの弟なのかな?」

「はい。ボクはクルト・アルノルトです」

「そっか。私はアレン・ウィスタリアだよ。クルトくん、よろしくな」


 少しかがみ込んで挨拶をすると、クルトくんの顔がぱぁっと輝いた。


「もしかして、クリスお姉さんの弟さんですか?」

「え? ああ……そうだけど、姉さんを知っているのか?」

「こら、クルト、待ちなさい」


 ルーカスさんが少し焦った様子でクルトくんを止めようとする。だけどそれとほぼ同時に、クルトくんはこう言った。


「――クリスお姉さんをボクのお嫁さんにくださいっ!」


 ……わぁお。クリス姉さん、モテモテだな。でもって、ルーカスさんが頭を抱えている。この様子からして、弟がクリス姉さんにお熱なのを知っていたな。


「キミは、クリス姉さんのことが好きなのか?」

「えっと……あの……」


 恥ずかしそうに真っ赤になってしまった。

 なんて分かりやすい。そして……純愛っぽい。


「アレンくん、驚かせてすまない。ここからは私が説明しよう」

「……そうですね。お願いします」


 弟が好きな相手に求婚した理由も含めてと視線で促す。

 そうして聞いた話によると、とあるパーティーで困っていたクルトくんをクリス姉さんが助けたらしい。それが切っ掛けで、すっかりお熱だそうだ。


「私が断られたら、クルトを推薦するつもりだったんだ」

「……あぁ、なるほど」


 クルトくんがデビュタントをすませる頃には、姉さんは二十歳を過ぎている。その辺りの事情も全部お見通しという訳か。

 だが、こちらの事情を考慮してくれる姿勢は悪くない。


「事情は理解しました。なら、私も単刀直入に応えます。政治的観点から言って、彼女をウィスタリア伯爵家から出すという選択はあり得ません」

「……そうか」

「――ですが、弟としての俺は、姉さんの幸せを心から願っています」


 クリス姉さんが彼らのどちらかと結婚したいというのなら、それを応援する。クリス姉さんが俺を手伝ってくれているのは好意だ。その恩に仇で返すつもりはない。

 まあ……弟としても、もうしばらく一緒にいたいとは思うけどな。


「ダメって……こと、ですか?」


 クルトくんにはいまの含みが伝わらなかったんだろう。しょんぼりと落ち込んでいる。だから、俺は彼の前で膝を曲げて目線を合わせる。


「クリス姉さんはいま、うちで作った石鹸、それにシャンプーやリンスという美容品について説明をしているんだ」

「……美容品、ですか?」

「そうだ。女性しか使わないって思うかも知れないけど、そんなことはないぞ。というか、クリス姉さんは綺麗好きだからな。興味があるって言ったら、喜ばれると思うぞ?」

「えっと、えっと……っ。ボク、話を聞きに行ってきます!」


 ぱぁっと顔を輝かせて、クリス姉さんのいる輪の中に飛んでいった。それを見守っていると、ルーカスさんがなにか言いたげな視線を向けてきた。


「なんでしょう?」

「アレンくんは、ミランダだけではなく、クルトも政治利用するつもりかい?」


 表情は穏やかだが、もしそうなら許さないという圧力を感じる。この男は、どこまでも俺と物の考え方が似ているようだ。


「彼女達があなたやご当主に、うちの商品をねだってくれれば良いとは思っていますよ。ですが、そこに付け込むようなマネはしない。それは約束します」


 相応の対価は求めるが、アルノルト伯爵家とは取引する用意がある。娘や息子を煽っておきながら、無理難題をふっかけたりするようなマネはしないという意味。

 それは正しく伝わったんだろう。ルーカスさんはふっと表情を和らげた。


「そうか……ならば問題はない。キミの求める対価を用意できるように準備をしよう」

「楽しみにしております。あなたとは、長い付き合いになりそうですから」

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る