異世界姉妹と始めるプロモーション 1
「オーウェル子爵代行に宣戦布告してきた」
ジェニスの町へ戻った俺は、会議室に皆を集めてぶっちゃけた。
いきなりのことに、レナードとカエデ、それにフィオナ嬢は訳が分からないと言いたげな反応をする。だけど、クリス姉さんだけは困ったような顔をした。
「……ばか、あたしは呑める条件だっていったでしょ? 聞いてなかったの?」
「聞いてたさ。だけど、あんなふざけた要求を呑めるわけないだろ」
クリス姉さんはおそらく、子爵領に嫁いで手綱を握るとか考えていたんだろう。
たしかにクリス姉さんなら、リディアがロイドをペットにしたように、オーウェル子爵代行を躾けることも出来たかも知れない。
だけど、その選択はあり得ないとあらためて明言しておく。
そのやりとりを聞いていたレナードが「おい、ふざけた要求ってどういうことだ? オーウェル子爵はなにを要求してきたんだ?」と尋ねてくる。
「塩の輸出再開と引き換えに、クリス姉さんを嫁に寄越せってさ」
「なるほど、そりゃダメだな」
「ああ、ふざけてるだろ?」
輸出の再開をしても、再び輸出を止めない保証はどこにもない。だが、クリス姉さんは一度嫁げば、そう簡単に戻ってくることなんて出来ない。
これほどふざけた取引はない。
「シスコンのアレンに姉を寄越せとか、リサーチが足りてないな」
「……は?」
そういう納得の仕方は予想していなかった。
だが、レナードの言葉にフィオナ嬢やカエデもうんうんと頷いている。
「俺のどこがシスコンだ?」
「普段の行動を省みてみろ。そもそも、自分のデビュタントで発表する予定だった切り札を姉のために使ったのはどこの誰だった?」
「うぐぅ」
「あら、レナード。それは違うわ。アレンはただ優しいだけよ。その証拠に、フィオナさんにだってちゃんと優しくしてるじゃない」
姉さん。フォローしてくれるのは嬉しいけど……その子は前世の妹なんだ。後ろからの誤射でとどめを刺された気分だよ……がっくり。
ちなみに、レナードやカエデはなるほどと納得しているが、フィオナ嬢は影でクスクスと笑ってやがる。後で覚えておけよ。
「でも……本当に宣戦布告なんてして良かったの? たしかに無茶な要求だったけど、ある程度は交渉の余地があったんじゃない?」
「構わない。と言うか、交渉の余地はないだろ」
たしかにオーウェル子爵領から塩が買えなくなればコストがかさむ。だが言い換えれば、多少コストがかさむのを我慢すれば塩は手に入る。
オーウェル子爵領の優位性は、そのコストの分でしかない。にもかかわらず、オーウェル子爵代行はその何倍もの対価を求めてきた。
コストの分だけ評価を落とそうとしているリディアと違い、オーウェル子爵代行がそのあたりを理解しているとは言い難い。ゆえにまともな交渉が出来るとは思えない。
仮に取引が成立しても、その内容を遵守するかどうかはもっと怪しい。交渉することで、泥沼化していた可能性も否めない。だから、彼との交渉はあり得ない。
「あいつと交渉する気はない。クリス姉さんがあいつのことを好きなら別だけど……?」
「あり得ないわね」
「なら考えるまでもないな」
姉さんが幸せになれない選択はあり得ない。
俺がそう言うと、クリス姉さんは困ったように眉を落とした。そして「気持ちは嬉しいけど、感情で選んじゃダメよ?」と俺に咎めるような言葉を発した。
自分が不幸になるかも知れないのに、俺の心配をするクリス姉さんは優しいな。
「心配するな。たしかに感情で判断したが、損得勘定なら絶対に却下だから」
「まあ、そうですわよね」
話を聞いていたフィオナ嬢が同意してくれた。
クリス姉さんはいまやフィオナ嬢が作った魔導具の図面も把握している。情報漏洩を防ぐためにはもっとも護らなければいけない人物だ。塩ごときで手放せるはずがない。
「あたしを買ってくれるのは嬉しいけど……リディアに反撃するなら、オーウェル子爵領との取引再開は必須だったんでしょ?」
「いや、出来れば最善だってだけで、オーウェル子爵領と取引しなくても次善策がある」
ただ……他から塩を手に入れるには、どうしてもコストがかさむ。それはつまり、領民に負担を強いることになる、ということだ。
後継者争いで領民に負担を掛けることは出来れば避けたかった。――なんていうと、クリス姉さんがまた責任を感じるだろうから口にするつもりはない。
悪いのはリディアやオーウェル子爵代行であってクリス姉さんじゃないからな。
「フィオナ嬢、悪いがアストリー侯爵と交渉がしたい」
「塩の横流しを頼むんですか? 石鹸の生産が遅れるのを嫌がっていたのでは?」
「出来ればな。だが、この状況を乗り切るのが先決だ」
この状況を乗り切らなければ反撃の機会は得られない。そしてもう一つ、塩の一件でコストを抑えるために足掻くことには意味がある。
「それに、反撃の一手を準備するのに時間が掛かる以上、リディアの目をそらす必要がある」
「欺く、ですか?」
「そうだ。この段階で石鹸に塩が必要だと知られるわけにはいかないからな」
反撃を優先するのなら、石鹸を初めとした美容品の量産を急ぐべきだが、下手に動くとリディアに察知されるかも知れない。
それを防ぐためには、塩の件で防戦一方だと思わせるのが一番良い。塩の件に固執していると思わせることで、リディアの攻撃を誘導することも出来るからな。
「場当たり的な対応で必死――と見せかけて時間を稼ぎ、反撃のための牙を研ぎ澄ます。こちらの準備が整えば、リディアもオーウェルも纏めて排除してやる」
「そうですか。であれば断る理由はありませんわね」
フィオナ嬢がお嬢様口調でそう言いながら、いつもの笑みを浮かべた。表面的な同意ではなく、本心から同意してくれたと言うことだ。
みんなの同意が得られたことだし、今後の方針は決まった。リディアの策略を食い破って、舐めたマネをしてくれたオーウェル子爵代行を叩きのめす。
話し合いのあと、フィオナ嬢とクリス姉さんを連れて厨房へと足を運んだ。
フィオナ嬢と俺がアストリー侯爵領へ向かうことになったので、バームクーヘンの量産に欠かせない魔導具の開発は滞ってしまう。
それを避けるためには、クリス姉さんに引き継いでもらう必要があるからだ。
「フィオナ嬢に設計図を書いてもらっていたのは、バームクーヘンを量産するために欠かせない魔導具だ。――フィオナ嬢、設計中の図面を見せてくれ」
フィオナ嬢の持っていた図面を渡してもらう。クリス姉さんは物凄い勢いで視線を走らせ、はてなと小首をかしげた。
「これ……速度を調節して、棒をクルクル回すだけよね?」
「さすがだな。少し図面を見ただけでそこまで分かるのか」
図面――とは、正確には魔導具を動かすための魔法陣だ。
たとえば、火を熾すだけならわりとシンプルな構造の魔法陣で可能だが、火の大きさを調整するような機能を付け加えると一気に複雑になる。
当然、設計するのは大変で、それを一目見て理解するのはもっと大変だ。
俺は説明されてもあまり分からない。
魔術が得意なフィオナ嬢でも、設計図を読み解くには長い時間を必要とする。こんな一瞬でおおよその内容を把握するクリス姉さんの能力は並外れていると言えるだろう。
「でも……速度調節が出来るとはいえ、ただ回すだけよね? こんなのがバームクーヘンを量産するための鍵になるの?」
「自分で作ったら一発で分かるんだけどな」
魔導具の知識はずば抜けていても、料理の方は普通みたいだ。
自分で作ったことがなければピンと来ないかも知れないが、バームクーヘンを作ったことがある人なら必ずこう思ったはずだ。
焼いているあいだ芯を回し続けるのむちゃくちゃしんどい――と。
バームクーヘンは、芯にバームクーヘンの生地を塗りたくり、クルクル回しながら焼く。それが焼き終わったら、再び生地を塗りたくってクルクル回しながら焼く。
バームクーヘンにある層の数だけそれの繰り返す。
大きくなるにつれて重くなる棒をずっと一定の速度で回し続ける。しかも焼くのは一本じゃない。何度も何度も繰り返すのがどれだけ重労働かは少し想像しただけで分かるだろう。
加えて、貴族に出すお菓子を作る以上、毒物に対する警戒もしなければいけない。
前世の世界では普通に、クルクルと棒を回す魔導具が存在した。だが、この世界に平民の暮らしを支える魔導具は存在しない。魔導具で棒を回すなんて誰も考えない。
バームクーヘン作りはお菓子職人への負担が凄まじいのだ。
「その設計図は未完成なので、わたくし達がアストリー侯爵領へ行っているあいだに改良を加えておいて欲しいんです。ちなみに、未完成なのは――」
フィオナ嬢が設計図を覗き込むのとほぼ同時に、クリス姉さんが「ここと、ここよね」と図面の一部を指差し、フィオナ嬢が目を見開いて硬直する。
俺が想像しているよりも更に、クリス姉さんは魔導具の知識に精通しているようだ。
「この魔法陣は一つに纏めなきゃいけないのかしら? クルクル回すための魔法陣と、出力を調整する魔法陣、二つに分ければ速度を調整できるわよ?」
「――え? 一つの魔導具に二つの魔法陣を刻むつもりですか? そのようなことをしたら、互いの魔法陣が干渉して魔導具が動かなくなるのではありませんか?」
「普通のデバイスならそうね。でもあたしの作ったデバイスは、マルチタスクが可能だから、魔法陣を二つまでなら刻むことが出来るわよ」
「えぇ!? マルチタスクのデバイスを開発したの!?」
もはやなにを言ってるのか分からない。ただ、フィオナ嬢がお嬢様口調を忘れて本性を曝け出すくらい凄いんだなってことだけは分かる。
「ええ。ジェニスの町へ来てから、アレンの役に立ちたいなって色々研究してたんだけど、最近開発に成功したの」
「で、弟子にしてください!」
「で、弟子?」
「うん! マルチタスクのデバイスがあれば、私が断念したあれとかそれとかの魔導具が作れるの! だからお願い! ねぇねぇ良いでしょ?」
フィオナ嬢が暴走を始めた。アストリー侯爵家のご令嬢であるフィオナ嬢しか知らないクリス姉さんが目を白黒させている。
「落ち着け、クリス姉さんが驚いてるだろうが」
「あいたっ。うぅ……酷いよぅ」
頭をはたくと、フィオナ嬢は恨みがましい目を向けてくる。
「姉さん、驚いたと思うけどこれがフィオナ嬢の本性だ」
「ええっと……なかなか茶目っ気のある性格をしてるのね」
「これを茶目っ気で済ますとか、懐が深すぎだろ」
呆れてフィオナ嬢へと視線を向ける。
いまは冷静さを取り戻しているようだが、取り繕うつもりはないようだ。こう見えて、フィオナ嬢はわりと人見知りで警戒心が強い。
たぶん、クリス姉さんになら本性を曝け出しても構わないと判断したんだろう。
「と言うことで、これが私の本性というわけで、弟子にしてください」
「なにがと言うことでだ」
思わず顔を覆った。
単に探究心に火が付いて我を忘れてるだけかもしれない。
「フィオナ嬢は甘やかすとつけあがるから、ダメならダメって言った方が良いぞ?」
先達としてアドバイスすると、クリス姉さんはパチクリと瞬いた。
「どうしたんだ?」
「いや、えっと……アレンは驚いてないんだなって思って。と言うか、さっきフィオナさんの頭をはたいたわよね?」
「……ああ、色々あって見合いのときに本性を知ったんだ」
知ったのは前世の妹という本性だが嘘は吐いていない。
「そっか……えっと。フィオナさん。あたしの弟子になりたいって、本気で言ってるの?」
「もちろん本気だよ。いえ、本気ですわ。クリスさんの技術はそれだけ優れていますもの」
フィオナ嬢が佇まいをただした。
弟子になると言うことは、クリス姉さんの下につくと言うことだ。フィオナ嬢はそれを承知の上で、クリス姉さんの弟子になりたいといっているらしい。
「ん~分かったわ。でも、弟子になる必要はないわよ。あなたはアレンの奥さんになるんだもの。義理の姉として必要な技術は教えてあげるわ」
弟子ではなく義姉として。対等な立場のまま、技術を提供するという意思表示。
「ありがとう――クリス姉さん」
クリス姉さんの意思を受け取ったフィオナ嬢が破顔した。どうやら、うちの嫁と小姑の仲は良好なようだ…………って、安堵してどうする!
外堀、また外堀が埋められてるぅ!
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