オーウェル子爵領との交渉 3
クリス姉さんはオーウェル子爵家へ交渉へ向かい、他の者達も割り当てられた仕事をこなすために走り回る。彼女達ならきっと、リディアの策略をはね除けてくれるだろう。
だから俺はその後、自分が次期当主になるための一手を打つことにする。
と言っても、現時点でやることは限られている。当主としての統治能力を示すために、推し進めてきた開発計画をこれまで通り進める。
シャンプーやリンスの工房を回って確認をしたり、カエデに提出された様々な書類に目を通してサインをしたりすること数日。
俺は農場の視察をするべくアオイの家を尋ねた。
「あ、アレンお兄さんいらっしゃい!」
玄関から顔を出したアオイがぴこんと耳を立てて駆け寄ってくる。シッポをぱたぱたと振っている姿は、本当に忠犬のようだ。
……ロイド兄上とえらい違いだな。
「アオイ、元気してたか?」
「うん、アオイは元気だよ! アレンお兄さんは?」
「俺は……まぁ、元気、かなぁ?」
体力的には健康だが、精神的にはわりと負担が大きい。せっかくロイド兄上を退けたのに、新しい当主候補――しかも過激な相手が増えるとか予想外だ。
「アレンお兄さん?」
「あぁいや、なんでもない。今日は畑と工房を回ろうと思ってな。アオイに案内してもらおうかなって思ったんだけど……大丈夫か?」
「もちろんだよ。それじゃ、ちょっと用意してくるねっ」
アオイは一度部屋に引っ込むと、麦わら帽子を被って戻ってきた。
「それは?」
「お父さんが、陽差しが強い日に外出するときは帽子を被りなさいって」
「ほうほう……なるほど」
側面にモフモフなイヌミミがあるせいか、浅い作りの麦わら帽子がちょこんとアオイの頭の上に乗っていて可愛らしい。
そんなアオイを伴って、町の外れにある農場へと足を運んだ。
ちなみに、ジェニスの町に様々な種族が暮らしているのは以前にも話したとおりだが、実際にはいくつかの区画に別れている。
まずはイヌミミ族が暮らす区画。最初に出来たのがこの区画で、他領から流れてきたイヌミミ族が作った集落が元になっている。
そしてそれに隣接するように他の種族が暮らす区画と、人間が暮らす区画が存在する。上から見れば、三つの小さな町がそれぞれの頂点となり、三角形を描くように広がっている。
その三つの町に重なるように、中央には商業区画が存在している。
ゆえに、イヌミミ族が暮らす区画に人間がいるのは少し珍しい。最初は人間である俺が歩くことでジロジロ見られたりもしたのだが、最近は気にされなくなった。
毎回のように、隣にシッポをフリフリ楽しげに歩くアオイを連れているからだろう。
「なぁ……アオイは、人間のことが嫌いだったりしないのか?」
「ふえ?」
アオイはどうしてそんなことを訊くのと言いたげに首を傾げた。その反応自体が答えみたいなものだけど、迫害されたりはしてないのかな。
「お母さんが言ってたよ。この町を統治する領主のご先祖様は、他所から逃げてきた私達イヌミミ族を受け入れてくれた優しいお人だって。だから、中には酷い人もいるけど、人間のことを恨んだりしたらいけないわって」
「……そっか」
まぁ、そうだよな。ロイド兄上やリディアみたいな怖い人間もいれば、フィオナ嬢やクリス姉さんみたいに優しい人間もいる。
人間を一括りで考えるのは間違っている。
……とはいえ、どうやっても一括りで考えてしまうのが人情だ。ちゃんと分けて考えられるアオイのお母さんは立派な人だったんだろうな。
「あ、お父さんだ。おぉい、おとうさーんっ」
太陽が降り注ぐ畑で作業をしている父親を見つけたアオイが手を振って走って行った。すぐにこちらに気付いたアオイの父親が俺を見つけてぺこりと会釈をする。
俺はそんな彼らのもとへ歩み寄った。
「よう、畑仕事に精が出るようだな」
「ええ。アレン様のおかげで、今年は豊作になりそうです」
「新しい輪作農法の結果が出るのはまだまだこれからのはずだが?」
「それはもちろん。ですが、他領から集めてた知識を共有してくださったでしょう? それらを試したことが上手く行ったようです」
「……なるほど」
他領から知識を集めたというのは、他所の領地から来た者達がこの町にはない農具を使っていたことを切っ掛けに始めたことだ。
ただ、そうして集めたと名目のもとに伝えた知識の多くは、前世の知識がもとである。それらを導入した結果、今年はいつもより実りが良いらしい。
農業の方面でも、前世の記憶は役に立っているようだな。
「……よくやってくれた。おまえ達が最初の一歩を踏み出してくれなければ確認できなかった。この結果を得られたのはおまえのおかげだ」
「いいえ、もったいないお言葉です。アレン様がいなければ俺達は家族すら護ることが出来ませんでした。俺達の方こそアレン様に感謝しております」
「そうだ、アレン様のおかげで森の魔物が減ったって聞くぞ」
「資材不足も解決してくださったんですよね!」
アオイの父親だけではなく、いつの間にか遠巻きに集まっていた他のイヌミミ族までもが思い思いに感謝の言葉を口にする。
最初は追放や暗殺から逃れたい一心だったけど、いまの俺にはこんな風に慕ってくれる者達がいる。彼らを見捨てるわけにはいかない。リディアには――負けられない。
そのためにも、新しい農法は広めるべきだな。まだ前世と同じ結果が出るとの確証はないから油断は禁物だが、実験する対象をもう少し増やそう。
「おまえ達にも新しい農法を試してもらいたい。……やってくれるか?」
問い掛けると、彼らは顔を見合わせて頷きあった。
「「「もちろんですっ!」」」
一斉に頷いた。
まだ具体的な内容を話してないのにこの食いつきはなんだ。そんな俺の疑問に、アオイの父親が苦笑いを持って答える。
「すみません。俺の畑だけ他の奴らと周期が違っていたので色々聞かれまして。こいつらも試したいって、ずっと言ってたんです」
「あぁ……なるほど。そりゃ、気になるよな」
他の者達が持つ畑は毎年、三分の一を休ませている。にもかかわらず、彼の畑だけ休ませておらず、四分割された畑全てになにかが植えられているのだ。
近くに畑を持っている者であれば嫌でも目についたはずだ。
「そういうことなら話は早い。彼にやり方を聞いて、同じ農法を試してくれ」
「はい、分かりました! ――ソウヤ、俺にも教えてくれよ!」
真っ先に返事をした若者がアオイの父親――どうやらソウヤと言うらしい。彼のもとに駆け寄る。それを切っ掛けに、他の農民達も一斉に彼のもとに集まった。
思った通りの結果が出るかの実験ではあるが――農法を変える準備期間でもある。
新しい農法を使えば、冬季の飼料を大量に確保できるのが強みだが、一気に増やしてもそれを与える家畜の数が圧倒的に足りていない。
この調子なら、新しい農法はあっという間にジェニスの町全体に広がるだろう。それまでに家畜の繁殖と、十分な土地を確保する必要がある。
やることは目白押しだ。
「アオイ、ここはおじさんに任せて、水車のある場所に案内してくれるか?」
「うん、もちろんだよっ。お父さん、私達はあっちに行ってくるね!」
「ん? あぁ、気を付けてな。アレン様もお気をつけて」
イヌミミ族達に見送られた俺達は、川に設置した水車へと足を運んだ。
森の側を流れる大きな川に作られた迂回路。そこには複数の水車が設置され、持ち上げられた水が用水路へと流れ込んでいる。
「水は、ちゃんと流れてるみたいだな」
ちなみに
水車を支える軸の負担が大きいようで、試験運用を初めてから既に何度も修理をするハメになった。重要な部分にだけ金属で加工できないかなど研究中だ。
ただ、魔導具で魔石を消費して水を汲み上げるよりは圧倒的に効率が良くなった。
いまは町から遠い位置にある、川の側にある農地にしか水路は引かれていないが、もう少し改良を加えれば農地全体に用水路を広げられるだろう。
「これで、雨が降らなくても収穫量が下がることはないんだよね?」
「まったく影響がないってことはないけどな。日照りの影響は確実に低くなるぞ」
大雨による被害や魔物の被害なんかもあるから、絶対とは言えない。だけど、いままでのこの町は、少しの日照りで収穫量が目に見えて下がっていた。
そんな事態にだけはならないはずだ。
「そっか。たったこれだけのことで、収穫量を安定させることが出来たんだね。たったこれだけで、お母さんを救えたんだね……」
アオイがぽつりと呟いた。
ちらりと横顔を見ると、アオイの深緑の瞳に大粒の涙が浮かんでいた。あふれた涙が一滴、頬を伝い落ちて地面に小さな黒いシミを作る。
「……すまない。俺がもう少し早くジェニスの町へ来ていれば」
「――え? あ、ち、違うよ! お兄さんを責めてるんじゃないよ! ただ、少し、ほんの少し知識があれば、お母さんは死なずに済んだんだなって思うと悲しくて……」
「そっか……そうだな」
知っているか知らないか、些細な知識一つで人の命は左右されることもある。領主であれば、左右する命の数は物凄く多い。俺はそれを自覚しなくてはいけない。
「ねぇアレンお兄さん。私、もっと色々と知りたい。たくさんたくさんお勉強をして、私みたいに悲しい思いをする子がいないような町を作りたい!」
「……勉強、か」
そんなことは考えてもみなかった。冒険者をやっていたころは、後輩に質問をされることくらいはあったがそれだけだ。
俺が出来ないことはエリスがやってくれたし、エリスに出来ないことは俺がやっていた。けど……そっか。領主を目指すのなら、部下を育てることも必要だな。
「いまのアオイは俺が雇ってる使用人扱いなんだが……将来はなにになりたいんだ?」
「えっとねぇ……お兄さんの役に立てる人!」
「俺の役に? んん……メイドとか?」
「じゃあそれが良い!」
アオイがいきなり将来を決めようとしたので慌ててちょっと待てと制止する。
「たしかに俺を支えることは出来るけど、自分で町のみんなを護る道もあるぞ」
「そうなの?」
「たとえば魔術や魔導具の制作について学ぶとか、イヌミミ族の身体能力を活かして兵士になるとか、後は職人とか研究者とか……色々あるんじゃないか?」
「じゃあじゃあ……全部やってみたい!」
「マジか……」
例として並べただけだったのに、まさか全部と言い出すとは予想外だ。
「……ダメ、かな?」
イヌミミがしょんぼりへにょんと悲しそうだ。
まあ……子供が色々なことに興味を示すのは良いことだな。
「分かった。カエデに話を通しておくから、明日から屋敷に行儀見習いとしてこい。使用人としての仕事の合間に、色々なことを学べるように手配しておく」
基本はメイドとして育てて、将来的になにかやりたい仕事に就けるように支援しよう。
あまり優遇しすぎるとひいきだと、周囲との軋轢を生むかもしれないけど……応援してやりたくなったんだから仕方がない。
「……ホント?」
「ああ、好きなように学んで、ジェニスの町に貢献してくれ」
「わぁい、ありがとう! アオイ、がんばるね!」
アオイがいつかジェニスの町にとって欠かせない存在になることを願う。このときの俺は、このひたむきなイヌミミ少女の本気を良く理解していなかった。
屋敷に戻った俺は、さっそくカエデにアオイを行儀見習いとして屋敷で働かせることを伝える。アオイの名前を聞いたカエデはなにやら驚いていた。
「もしかして知ってるのか?」
「ええ……まあ。少しだけ」
カエデが少し愁いを帯びた表情を浮かべる。
より多くの命を救うために、少数の命が失われるのを黙認したカエデが、実はそうして失われた命や、その家族をちゃんと覚えていた……なんて、考えすぎか?
気になるところだが、いまはその話は置いておこう。
「ひとまず、使用人としての教育の他に、彼女が学びたいことを学べるようにすると約束した。彼女が努力を続ける限りは優遇してやってくれ」
「かしこまりました」
後はカエデが上手く取り計らってくれるだろう。そう思って彼女の執務室を後にしようとしたのだが、寸前で少し耳に入れたいことがあると引き留められた。
「なにかあったのか?」
「実は、オーウェル子爵家と不仲だという噂が流れているんです」
「そんな噂が? アオイはなにも言ってなかったが……」
「噂は人間を中心に広がっているようです。だから、イヌミミ族や他種族でその話を知る者はまだほとんどいないと思います」
「……なるほど」
タイミング的に考えてリディアが噂を流したんだろう。
「クリス姉さんが交渉に成功すれば問題はなくなるはずだが……念のために気を付けておいてくれるか? 塩が不足してるなんて思われたらパニックになるからな」
「ええ、もちろんです。抜かりありませんわ」
なら安心だとねぎらいの言葉と共に引き続きの情報収集を頼み、執務室を後にする。ちょうどそこに、クリス姉さん帰還の知らせが入った。
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