オーウェル子爵領との交渉 1
リディアが見た目通りの大人しいだけの令嬢じゃないのは確信していた。ロイドの謀略に対抗するだけの実力があるとも予想はしていたが――
「ロイド兄上があっさり、リディアに負けたって言うのか?」
「いや、リディア嬢のペットになったと言ったんだ」
「……聞き間違いじゃなかったのかよ。一体なにがあったんだ?」
ペットってなんだよ、意味が分からない。
「俺にも詳細は分からない。だが、ロイドがリディア嬢に喧嘩をふっかけて返り討ちに遭い、彼女のペットとしてほかの連中に紹介されてワンと答えたらしい」
ロイド兄上がワン……
「ずいぶんと可愛くないペットね」
「まったくだな」
クリス姉さんの呟きに心から同意しておく。
「だが考えようによっては、ロイド兄上の脅威が去ったと言える……のか?」
俺が当主の座にこだわっていたのは、ロイド兄上が当主になったら俺は追放され、下手をしたら前世と同じように暗殺されるかもしれないと危惧したからだ。
だが、ペットに暗殺される危険はさすがにないだろう……ないよな?
「まさか、リディア様に当主の座をお譲りになるつもりなのですか?」
「え、そうなのアレン?」
カエデの質問に、クリス姉さんがぎょっとした顔をする。俺は即座にそのつもりはないと答え、不安げな顔をする二人を安心させる。
正直に言えば、追放や暗殺から逃げたいがためだけに当主を目指し始めたころなら譲っていたかも知れない。だけど……いまの俺には護るモノがたくさんある。
それを投げ出すことは出来ない。
……あと、ちゃんと当主になって色々な権力を握っておかないと、いざというときにフィオナ嬢との婚約を破棄することが出来ないから――ってのが一番の理由だ。
「ただ、最悪の事態を避けるために、どちらが勝ってもある程度は協力できるような関係は築いておきたいんだ。そのためにもリディアの情報が欲しい」
レナードに視線を飛ばして続きを促す。
「分かった――と言いたいところだが、ほとんど情報はないんだ。いまはリディア・ウィスタリアと名乗っているが、以前の家名はおろか、どこで暮らしていたのかすら分からない」
それは予想外の答えだ。
婚姻や養子縁組をおこなう理由は大抵、家同士の繋がりを持たせるためだ。今回の場合は能力重視で引っ張ってきたのかも知れないが、それでも家名を隠す理由がない。
あえて隠しているとなると……
「訳ありの貴族、ということか?」
「そう思って調べたんだが、該当する名前はもちろん、同じ年頃の令嬢をあたっても、該当しそうな少女は見つからなかった」
ここに来て、リディアの特異性が浮き彫りになってくる。
レナードの調査能力が低いというわけじゃないだろう。むしろ彼の優秀さは、一緒に行動するようになってから何度も実感している。
よほど巧妙に隠しているのか、もしくは最初から存在しない――
「まさか平民ってことはないよな?」
「あの立ち居振る舞いだぞ? 平民育ちって可能性すらないと思うが……」
「まぁ……そうだよな」
レナードの言う通りだ。貴族としての振る舞いは一朝一夕で身につくものじゃない。
だが、ずば抜けた才能がある――もしくは俺達のように前世の記憶があるくらいの特異性があれば、平民生まれでも立ち居振る舞いをなんとかすることは可能だ。
父上なら、平民でも才能があれば養子にする可能性はある。平民にウィスタリア伯爵家を継がせるかというと疑問だが……可能性は否定できない。
「ねぇ二人とも、平民なら素性が分からないのはおかしいと思わない? もしあたしが平民を養子にするなら、一度どこかの貴族の名を借りるわよ?」
「……クリス姉さんの言うとおりだな」
まずは親戚筋、もしくは名ばかり貴族の養子にして、その後にウィスタリア伯爵家の養子にする。そうすればよほど詳しく調べない限り、本当の素性は出てこない。
「だが、平民でないのならなおさら素性が分からないな。父上の隠し子か?」
「隠し子って、別に隠す必要はないのではありませんか? 貴族が愛人を持つのは普通のことですし、アレン様のお母様も平民ですわよね?」
「まぁ……そうなんだけどな」
貴族は跡継ぎを作るために、愛妾を持つことを推奨される。もちろん、妻が嫌がる場合もあるが、父上は普通に愛妾を囲っている。
俺自身が庶子だし、隠す理由はないと思われる。
「――だが、父上の反応がおかしかったんだ」
「……おかしい、ですか?」
「リディアを愛人と間違われたときに怒ってた。いや……焦ってた気がするんだ。レナードも気がついただろ?」
「……たしかに、言われてみれば態度が少しおかしかったな」
レナードが同意するのを確認して、俺はフィオナ嬢へと視線を戻す。
「だが、フィオナ嬢が言うように普通なら隠す必要はないし、焦ったり怒ったりする必要もない。けど、隠し子を愛人に間違われたら……焦ると思わないか?」
「焦ります……か?」
フィオナ嬢が小首をかしげる。
「いや、焦るだろ。……なあ?」
同意を求めてクリス姉さん、カエデ、レナードへと順番に視線を向けるが誰も頷かない。
「なんで分からないんだよ。隠し子だぞ? 娘だぞ?」
前世の妹ですら、自分の婚約者になったら焦るのに、相手が娘だったらむちゃくちゃ焦るに決まってる。それは勘違いされただけでも同じだろう。
そう力説したかったのだが、フィオナ嬢が前世の妹であることは秘密。結局、誰からも賛同を得られなかった、ちくしょう。
「隠し子かどうかはともかく、あの嬢ちゃんが危険なことはたしかだ。油断していたらロイド様のように食われるぞ」
「……現時点では断定するだけの情報は揃ってないと思うんだが?」
ただ者ではないことは間違いないが、いまはまだ危険人物だとは限らない。なのに決めつけるとは、慎重なレナードにしては珍しい発言だ。
「なにか、断定するような情報があるのか?」
「いや、それは……直感というか、なんというか」
「ロイド兄様をペットにする感性が既に危険じゃないかしら?」
「む、たしかに……」
クリス姉さんの言葉には妙な説得力があった。
よりによってロイド兄上だもんな。言うことを聞かない狂犬もいいところだ。可愛くないし、うっかり手を噛まれそうで嫌すぎる。
――と、そんな会話をしていると、メイドがリディアの訪問を告げた。その報告が意外すぎて、俺達は揃って顔を見合わせる。
「……リディア本人で間違いないか? 先触れとかではなく?」
「は、はい。ご本人がロイド様を連れてお越しです。現在は待合室でお待ちいただいておりますが、どのように対応させていただきましょう?」
ロイド兄上までいるのかよ。
……おかしいなぁ。貴族やその所縁の者が他家を尋ねるときは、数日前に先触れを送るなりするのが一般常識だったはずだが……常識が迷子だな。
「なにか用件は言っていたか?」
「いいえ、アレン様に直接話すとおっしゃっていました」
「連絡もなしに尋ねてくるなんて、ずいぶんと非常識なお嬢様ですわね」
「おまえが言うな、おまえが」
ぽつりと呟いたフィオナ嬢にツッコミを入れる。
こいつは本性が自由奔放な妹であるばかりか、侯爵家の令嬢としてうちに尋ねてきたときですら、事前連絡をなしにやって来た非常識なお嬢様代表である。
「あら、わたくしのときは緊急の案件でしたもの」
「それでも、普通は早馬とかを走らせるものだと思うんだが……」
ロイド兄上の妨害工作に対し、緊急で対抗する必要があったのはたしかだが、早馬とかを使えばたとえ数時間でも早く事前に連絡することが出来たはずだ。
フィオナ嬢の場合は俺の性格を知った上での行動だろうが、リディアが俺の性格をそこまで熟知しているとは思えない。
……まさか、俺の反応を試しているのか?
「分かった、いまから応接間で会うとしよう。レナードは俺と来い。フィオナ嬢とカエデは引き続き話し合いを、クリス姉さんはリディアの案内を頼む」
皆に指示を出して、リディアと会うために移動を始める。すると横を歩いていたレナードがなにか言いたげな顔を向けてきた。
「なんだ、なにか言いたいことがあるのなら遠慮なく言えよ?」
「なら言わせてもらうが、どうしてすぐに会うことにした? フィオナ嬢のときとは状況が違う。むやみに優遇するのは、ライバルに舐められる結果になるんじゃないか?」
「難しいところだな」
貴族社会における人は平等ではない。階級が人を支配している。
予定を組むにしても、ただ先約を優先すれば良いと言うものではなく、彼我の力関係や相手同士の関係を鑑みて決める必要がある。
だが、階級だけで優先していては、重要な案件を蔑ろにする可能性もある。そういった事態を防ぐためにも事前連絡が必要なのだ。
だが、何事にも例外が存在する。
それが緊急の案件だ。
緊急の案件においては事前連絡がどうのとは言っていられない。緊急の案件においては、階級を飛び越えて優先させたとしても許される。
だが、それにもちゃんと法則がある。用件の重要度と、関わる者達の身分の差を天秤に掛けて判断を下す必要がある。
面倒くさくはあるが、これをしっかりと押さえないと軽んじられる。
今回は突然の来訪で、用件も一切告げていない。そんなリディアとすぐに会うと決めた俺の判断に、レナードが疑問を抱くのは当然だ。
だが――
「勘違いするな。俺はリディアに対して配慮したわけじゃない」
次期当主候補のライバルとなり、速攻でロイド兄上を下した。そんな彼女が前触れもなく俺のもとへとやって来た、その事実が俺にとって緊急事態なのだ。
「……なるほど。余計な心配だったようだな。すまない、いまのは忘れてくれ」
「なにを言っている。おまえが色々と気を回してくれるから、俺は失敗を恐れずに決断できるんだ。謝る必要はない。だから、これからも頼むぞ――俺の右腕」
レナードは少し戸惑った素振りでまばたきを繰り返し、それから目を見開いた。
「お、おい、いまの、もう一回言ってくれないか?」
「ばーか、そんな恥ずかしいマネが出来るかよ」
なおも食い下がるレナードを振り切って応接間へと向かった。
応接間に到着した俺は、クリス姉さんに案内されて来たリディアとロイド兄上を出迎える。
だが、先ほどレナードに伝えたとおり、あくまで緊急案件として優先しただけ。リディア達に対して特別な配慮は見せない。
さりとて見下すようなマネもせず、あくまで対等なライバルとして出迎えた。
軽く挨拶を交わして、リディアは俺の向かいの席に座った。だがロイドは座らず、リディアの後ろに控えている。二人が対等ではなく、ロイド兄上が下についている証明だ。
だが、リディアはそれについてなにも言及せず、悠然と微笑んでいる。相変わらず刺繍入りの布の髪飾りをつけていて、深窓の令嬢といった雰囲気を纏っているが……あり得ない。
本当に深窓の令嬢なら、手順を無視した行動をとって平然としているはずがない。これじゃまるで、見た目は深窓の令嬢だけど中身は前世の妹なフィオナ嬢と同じだ。
「本日は急な来訪にもかかわらず、このような席を設けてくださってありがとう存じます」
「俺にとって必要だと思っただけなので気にする必要はない」
レナードと同じ誤解をされないようにココンと釘を刺しておく。それに対して、リディアは穏やかな微笑みを浮かべるのみだ。
だが、いまの俺の返答に顔色一つ変えないことこそが普通ではない証だ。
「ところで、一つ伺っても構わないか?」
「ええ、もちろんですわ」
「なら聞かせてもらうが、どうしてロイド兄上がそこにいる? なにやらペットにしたなどという不可解な噂を聞いたが……事実なのか?」
「あら、真っ先に聞くのがそのことなんですか?」
「一応、それでも俺の兄なんでな」
リディアはふっと笑って、背後のロイド兄上を見上げた。
「ですって。いまのあなたがどういう状況にあるのか、アレンお兄様に話して差し上げて」
「なぜ俺がそんなことをせねばならんのだ」
「――語尾を忘れていますわよ?」
底冷えのするような声。俺に背を向けている彼女の表情は窺えないが、ロイド兄上は息を呑んだ。それから、迷うような素振りを見せたあと「……わん」と付け加えた。
……マジか。本当にあのロイド兄上を従えてるのか。
「……ちっ、なにを見ている」
俺の視線に気付いたロイド兄上が悪態を吐く。
「……一体なにがあったんですか?」
「それは……ふん。いいかよく聞け。俺の能力が劣っているわけじゃない、この女が異常なんだ。おまえもこの女に食われないよう、せいぜい気を付けるんだな」
「おや、俺の心配をしてくれるんですか?」
「勘違いするな。おまえを倒すのはこの女じゃなくて、俺だってことだ。だから一度だけ塩を贈ってやる。もう二度と塩は
なんだ……いまの違和感はなんだ? さり気なくライバル宣言をされた気がするが、違和感を抱いたのはそれじゃない。いまの言い回しはおかしかった気がする。
だが、その理由に思い当たるより早く、リディアが口を開いた。
「――誰がそこまで話して良いと言いましたか?」
「……くっ。お、おまえは、強い奴を叩き潰すのが好きなんだろ? だから、おまえのために、お膳立てをしてやったまでだ」
「ふふっ、言いますね。良いでしょう、今回はそういうことにしてあげますわ。あと、語尾を忘れていますわよ」
「……お膳立てしてやっただけだわん」
「よろしい。ではもう下がっていなさい。これ以上余計なことをしたら許しませんわ」
「わ、わん……」
ロイド兄上は捨てられた犬のような顔を……してはいないな。俺になにか言いたげな顔をして、部屋を退出していった。
……あのワンコ、勝手に屋敷を出歩いたりしないだろうな。
「お見苦しいところをお見せいたしましたわね。本題に入りましょうか」
「ああ。でもその前に、いいかげん、本性を見せたらどうだ?」
「……ふふ、そうですわね。アレンお兄様は既にお気付きのようですし――」
リディアが目を細め、口をにぃっと吊り上げた。たったそれだけで、周囲の温度が下がったような錯覚を抱く。俺の隣に座っていたクリス姉さんがびくりと身を震わせた。
「……それがおまえの本性か」
「あら、本性だなんて大げさですわ。少し佇まいをただしただけですもの」
「そうか。本性を見せるのはまだまだこれからと言うことか」
自分が気圧されたことを悟らせないように、テーブルの下で拳を握り締める。
俺が想像していた以上にただ者じゃない。父上と相対したときですら、これほどのプレッシャーは感じなかった。
……本当に何者だ、この少女。
「あら、わたくしのことはお父様が紹介してくださったではありませんか。リディア・ウィスタリア。次期当主候補の一人ですわ」
「なにを……」
「だって、何者だこの女――って、思ったでしょう?」
俺の心を読んだかのような発言。
まさか、本当に心を読んだのか? そんなことが出来るとすれば……
「魔術、かもしれませんわね?」
……落ち着け。魔術の技術が進んでいた前世でも、その手の魔術は存在しなかった。心を読む能力なんてあるはずがない。
あるとしたら読心術――
俺はあらためてリディア嬢へと視線を向けた。
金糸のように美しい髪に、透明感のある緑の瞳。黙っていれば深窓の令嬢に見えるのはフィオナ嬢と同じだが、いかんせん胸のサイズに格差がありすぎる。
こちらは深窓の令嬢な雰囲気を壊さない慎ましやかな貧乳だ。たぶん、横から見ると、クリス姉さんとのあいだにある、胸囲の格差が見られるだろう。
「あら、クリスお姉様から情報を得ているわけではありませんわよ?」
掛かった――と、俺は笑った。
「……あら? どうやら外してしまったようですわね」
「状況で相手の思考を限定して、仕草から考えていることを読み取る、か」
「よく分かりましたわね。ロイドお兄様はこれで真っ青になってくださったんですが」
「あぁ……ロイド兄上はハメやすそうだな」
いくつか不正を押さえ、それを上手くちらつかせて心を読んでいると思わせる。一度疑心暗鬼にしてしまえば、後は面白いようにコントロールできそうだ。
もちろんリディアの観察力があれば、の話だけどな。
「それで、どうしてロイド兄上をペットにしたんだ?」
「わたくし、自分が強者だと思い込んでいる殿方を徹底的に打ち負かせて、自分に跪かせるのがなによりの楽しみなんです」
「……ゆ、歪んでるなぁ」
フィオナ嬢より内面と外面のギャップが激しいかもな。だが、ロイドを返り討ちにしたとしても、性格が歪んでいたとしても、俺の敵だとは限らない。
可能なら、敵対したくないが……
「それで――用件はなんだ?」
「あぁ、そうでしたわね。わたくしは――宣戦布告をしにまいりました」
どうやら敵対する運命のようだ。
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