閑話 アオイの決断 後編

 アオイに逃げられたおじさん、その後ろ姿を無言で見送った。


「おいおい、また幼女に声を掛けたのかよ」

「なにやら訳ありでお金に困っていそうだったから手を差し伸べたつもりだったのだが。はは、残念ながら逃げられてしまったよ」


 昔ながらの友人に、おじさんは肩をすくめて応じる。彼は困っている幼女を救おうと手を差し伸べた、足長おじさん――


「まったく、幼女に手を出すのもほどほどにしておけよ?」

「わしは幼女と戯れることが出来て、幼女は正当な報酬を得て幸せになることが出来る。誰も不幸にならないんだから、問題ないと思うんだがな」


 ――ではなく、紳士的なロリコンだった。

 そして――


「幼い娘に売春をさせようとしている男がいると聞いてきたが――おまえか?」

「む? わしはただ、幼女を正当な対価で買おうと思っただけだ」

「ふむ。言い訳をしないところは潔いが――詰め所まで来てもらおう」

「良いだろう。わしにはなんら恥じることはないからな」


 紳士的なロリコンは警邏のおじさんに連行されていった。




「……幼女の売春、ですか」


 ジェニスの町の代表であるカエデは、執事の報告に眉をひそめた。


「はい。どうやら畑が不作で食うに困っての行動のようです。父親は健在ですが、母親は森で魔物に襲われて、先日なくなったばかりのようです」

「先日の一件、ですね……」


 カエデは痛ましげに目を伏せた。

 数千人が暮らす町において、人の死は日常的に訪れている。自分が暮らす町で週にどれだけの人が死んでいるのかなんて気にしていられない。――普通は。

 カエデは、町で発生した事件のほとんどを把握している。だから先日、森で女性が魔物に襲われた一件も当然のように把握していた。


「カエデ様、少女の家の状況を調べてみましたが思わしくありません。娘がそのような行動を取ったことからも分かるように、このままでは悲惨な結果になると思われます」

「……分かっています。ですが、彼女を救えば、他の同じような状況の者達が我も我もと詰めかけてくるでしょう?」


 町の代表であるカエデであれば、たった一人の幼い子供を救うことくらいは簡単だ。その認識はある意味で正しく、またある意味では間違っている。


 ジェニスの町はイヌミミ族の集落が大きくなって出来た町だ。

 だが、イヌミミ族の町はやがてイヌミミ族も暮らす町になり、いまではイヌミミ族が住まわせてもらっている町へと変化した。


 名目上はカエデが町の代表だが、人間の代表は他に存在している。カエデが町の代表ではあるが、人間が暮らす区域に対しての決定権はないに等しい。

 形ばかりの代表として、ウィスタリア伯爵の言葉を伝えるだけだ。


 そういった事情もあり、カエデに出来ることは少ない。

 イヌミミ族を初めとした他種族は貧困に喘ぐ者も少なくなく、一人を救えば我も我もと集まってきて立ちゆかなくなるだろう。

 たった一人に手を差し伸べることが、何十、何百という同胞を危険にさらすのだ。

 ゆえに、救うことは、物理的には可能でも、実際には出来ない。カエデは同胞の不幸に胸を痛めながらも、それに耐えることしか許されなかった。


 そのうえ――


「ウィスタリア伯爵から連絡があり、この町が次期当主候補の試験の場に選ばれたそうです。ちなみに、到着は明日だそうですよ」


 先ほど封を開けた手紙の内容を執事に伝えると、彼は露骨に顔をしかめて見せた。


「ウィスタリア伯爵は、この町を潰すつもりなんでしょうか?」

「口を慎みなさい。……気持ちは分かりますが」


 執事をたしなめたものの、彼が口に出さなければカエデが愚痴っていただろう。

 次期当主候補とはいえ、まだまだデビュタントを終えた子供でしかない。それなりに教育を受けてはいるはずだが、実際に町を管理するのは初めてのはずだ。

 安定した町であればなんとかなるかも知れないが、ジェニスの町はそうじゃない。


「カエデ様も、ロイド様が統治される町の状況はご存じでしょう?」

「ええ、良く知っています」


 権力を振りかざして、自分の思うままに統治を進めている。

 ――それ自体は、決して悪いことではない。

 小さな不幸を握りつぶし、大きな幸福をもたらす。町全体を発展させる手段としては決して間違ってはいない。……その行動が理にかなっていれば。


 歳を考えれば決して暗愚ではないが、上に立つものとしてはまだまだ至らない。しかも、この町に来るアレンという少年は、ロイドと比べても評価は低い。

 執事が町の行く末を憂うのも当然だった。


「カエデ様、どうなさるおつもりですか?」

「どうもこうも、受け入れるしかないでしょうね。とはいえ、言いなりになるつもりはありません。もしもこの町の状況を理解できない愚か者なら、私が身を挺して止めます」


 カエデは胸の前でぎゅっと手を握り締める。彼女はたとえ自分の命を差し出したとしても、ジェニスの町の住人を守る覚悟だった。



 ――翌日、カエデの下に次期当主候補のアレンが姿を現した。

 ここでロイドが管理する町のように、アレンの好き勝手にされたら町の治安が崩壊する。そう考えたカエデは、ある覚悟をもってアレンに強固な態度を取った。


「では俺の指示には従うつもりはないと?」

「……現当主の命令なので、基本的にはあなたの指示には従いますが、ジェニスの町に不利益をもたらすような指示であれば、この身に代えても拒否させていただきます」


 斬るなら斬りなさいとアレンを見つめる。

 もし斬られれば、イヌミミ族の反感を買うのは必至。そうなれば彼は次期当主の資格なしと判断され、この町から引き上げさせられる算段が高い。


 イヌミミ族にも他に行き場なんてないが、イヌミミ族や他種族の税収だって馬鹿にはならない。いまのウィスタリア伯爵は、それを捨てるほど愚かではないはずだ。

 アレンを引き上げさせたあとは、荒れたジェニスの町を上手く治めてくれるだろう


 そんな決死の思いは、けれど「分かった、それで問題ない」との言葉で受け流された。カエデは思わず目を見開いた。


「……ずいぶん、あっさりと納得されるんですね。なにを企んでいるのですか?」


 そんな無駄に失礼なセリフをのたまってしまうほどには驚いた。だが、アレンは笑ってそれを受け流す。どうやら噂に聞くロイドとは大きく性格が違うらしい。

 彼ならばもしかしたら――と、カエデは淡い期待を抱いた。




 ――いよいよ父親と約束した期限である三日目。

 アオイは再び籠に摘んだ花を売っていた。もちろん、野花をわざわざ買ってくれるお人好しはいない。そして昨日とは違い、アオイという花を買おうとする者もいなかった。


 このままではなにも出来ずに期限を迎え、父親を失う結果となる。アオイはなんとしても花を売らなくてはという焦燥感に駆られる。

 そして――アオイは身振りの良さそうな青年の袖を掴むという強攻策に出た。


「お兄さん、お花買ってくれませんか?」


 心臓が破裂しそうなほどにバクバクと鳴っている。アオイの内心を知らない青年は値段を聞いてきたが、値段自分の価値なんて決めてない。

 焦ったアオイが答えたのは花束の値段だった。


 だが、青年はその花束を買ってくれた。しかも、少し話を聞かせて欲しいと、多めに銅貨を支払ってくれた。その優しさがなにより嬉しくて、アオイは思わず笑みを零す。


 アレンと名乗った青年は、アオイの環境について質問してくる。

 母親のことを答えると、物凄く申し訳なさそうな顔をした。この優しいお兄さんならと、勇気を振り絞ってアオイの花を買って欲しいと訴える。

 彼は花を買うのではなく、他の仕事を与えるといって金銭を与えてくれた。

 そして――




 ――アレンにつけていた監視から話を聞いたカエデは怒りすら覚えていた。

 イヌミミ族の少女――アオイ。可哀想な女の子に手を伸ばす優しさは評価できる。イヌミミ族に偏見がないと分かったことは喜ばしい。

 だが、カエデが歯を食いしばって見捨てると決めたのには相応の理由がある。それを考えもせず、お金を握らせるなんて度しがたい。

 目先の命を救うことが、他の多くの命を奪う行為だとなぜ想像できないのかと憤った。


 この町で不幸なのはアオイだけじゃない。たった一人をひいきすれば、我も我もと不幸な者が集まってくる。それに対応すれば、この町はあっという間に立ちゆかなくなる。

 アレンがしたことは、一人のために多くの犠牲を強いる行為でしかない。

 だから――


「あら、お早いおかえりですわね。町を実際に見に行ったのではなかったのですか?」


 町を実際に見たのに、たった一人を救って満足して帰ってきたのかと皮肉った。だが、彼はそれにも気付かず、魔物を放置しているのはどういうことかと詰問してくる。


 こっちの事情なんて知らないくせに勝手なことを言う。あげくは、兵を出せないのなら俺が魔物を退治すると脅しを掛けてくる。


 あなたになにかあればイヌミミ族がどうなるか少しは考えなさい! と衝動に駆られた。それを抑え込めたのは、ここで取り乱しては同胞を守れないからだ。

 カエデは同胞を一人でも多く守るため、少数の犠牲を払う覚悟を決めた。なんの訓練も受けていない形ばかりの兵士を、森に派遣すると決めたのだ。


 イヌミミ族を中心に、人間以外の種族で編成する。メンバーは家族がいない者を中心に選んだが、天涯孤独の者はそこまで多くなかった。彼らを失うことで、その家族がアオイのような目に遭うと考えると、命令を下した自分が許せなくなりそうだった。


 だけど、アレンはその覚悟すら踏みにじる。人間を犠牲にしないために編成を考えたのに、アレンが同行するというのだ。

 彼になにかあればこの町がどうなるか考えたくもない。せめて、自分の命で償えることを祈るばかりだった。


 ――だが、アレンは妙な知識を持っていて、魔物を避ける術を知っていた。上手く魔物を避け、罠を仕掛けるだけで帰ってきた。

 初日の被害は零だった。


 その後も、ほとんど被害は出なかった。もちろん皆無とはいかなかったが、それに見合う、いやそれを遙かに上回る結果を叩き出した。


 ブラックボアの肉を売り、魔石を回収して、水路を作って魔導具で水を引く。そのために雇ったアオイに農民達の意識調査をさせているのだという。

 一体どこから計算していたのか想像もつかない。


 彼の計画が軌道に乗れば、同胞は貧困の生活から抜け出せるだろう。


 カエデは破滅の道をたどる同胞を見守るしか出来なかった。

 アオイは父親が死地へと向かうのを見守るしか出来なかった。


 だが、そこにアレンが現れた。


 カエデは思う。

 アレン様であれば、自分が為し遂げられなかった恒久的な平和を得られるかも知れないと。


 アオイも思う。

 アレンお兄さんなら、自分達のような不幸な者達を救ってくれるかも知れないと。


 そしていつか、豊かになっていくジェニスの町を見て人々は思うだろう。彼こそが、他種族が暮らすジェニスの町を擁する――ウィスタリア伯爵家の次期当主に相応しい器だと。


 このとき、立場の異なる女性が同時にそんな確信を抱いた。その予想が当たっているのかどうか、結果が出るのはもう少し先の話である。

 

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