第20話 転生した前世の妹は意外と可愛い 3
定期報告を終えて数日、俺はまだ父上の屋敷に滞在していた。
報告のときにフィオナ嬢のことを意図的に伝え忘れたので、さっさと領地に帰る予定だったのだが、父上の方から挨拶をしておこうと連絡があったのだ。
本音をいうと、婚約破棄を企んでいるのであまり会わせたくないのだが……あまり露骨に会わせないようにすると見透かされそうで怖い。
あまり大げさな紹介は避けたいが、侯爵令嬢とちゃちゃっと会うわけにもいかない。日をあらためて、個人的な茶会を開くと言うことになった。
そんなわけで、フィオナ嬢は視察という名目で町を見て回っている。対して俺は父上経由で、料理人に頼まれたバームクーヘンの作り方のチェックをしていた。
「なるほど、生地を塗って焼き上げる間隔が重要なんですな」
「厚さでも、焼き加減でも食感が変わるからな。もっとも、その辺は好みもあるから、一概にどうした方が良いとは俺は言えない」
俺は料理本を見てそのまま作っただけ。料理人のように作り方を探求したわけじゃないので、改良するためには知識が足りない。
だが、前世では料理人が突き詰めて作ったバームクーヘンを食べたことがあるので、そのときの味を思い出しながら、あれこれアドバイスをした。
ちなみに、いつもはどこかで自分の仕事をしているレナードが、今日は珍しく俺の側に張り付いている。相変わらずバームクーヘンがお気に入りのようだ。
なにはともあれ、父上に頼まれた確認は終了。俺はレナードを伴って部屋に戻ることにしたのだが、その廊下でロイド兄上と鉢合わせしてしまった。
「おやおや。こんなところで油を売っているとは。一年目でちょっと良い評価を得たからといって調子に乗っているんじゃねぇか?」
いきなりの批判に内心でため息をつく。
調子に乗るどころか、良い評価を得たとすら思っていない。なのにそんなセリフが出てくるのは、ロイド兄上が勝手に嫉妬している証拠だ。
「そういう兄上こそ、領地に戻らなくて良いのですか? 税を軽減したことで生じた他領との軋轢を軽減しなくてはいけないんでしょう? 大変ですね」
「この――っ!」
怒りをあらわに睨みつけてくる。
本当に面倒くさい。
言い返さなくても絡んでくるし、言い返したら怒り狂う。どっちにしても面倒くさい。
「それでは失礼します。兄上の言うとおり、俺も油を売っている暇はありませんので」
「――待て」
さっさと立ち去ろうとしたが、やっぱり捕まってしまった。俺はため息をつきそうになるのを我慢して、なんですかと問い返した。
「その腰の剣は護身用か?」
「あぁ、これですか? 最近物騒なので持ち歩いているんです。それがなにか?」
他家にいるときなら預けるが、自宅で帯剣していたからといって文句を言われる筋合いはない。そう思ったのだが、そもそも質問の趣旨が違っていた。
「なるほど。おまえは色々と危険な目にも遭っているようだからな。護身用の剣を持ち歩くのは必要なことだろう」
「……はぁ、そうですね」
「だが、持っているだけでは意味がないぞ。どれ、俺が剣の手ほどきをしてやろう」
こいつ正気か――と、背後に控えていたレナードが呟いた。
ちなみに、俺も同じ心境である。
「……剣の手ほどき、ですか?」
「襲撃では事無きを得たようだが、どうせ優秀な護衛にでも助けられただけなのだろう?」
「まぁ護衛達は優秀ですね」
「だろうな。だが、いざというときに自分が戦えなくては意味がない。ゆえに、兄である俺がおまえに手ほどきをしてやろうと言っているのだ」
どうやら、剣の稽古という名目で、俺に憂さ晴らしをするつもりらしい。賊を退治したのが俺とフィオナ嬢なのを知らないんだな。
「すみませんが、兄上がおっしゃったように俺にはやることがあるので遠慮しておきます」
「なんだ、逃げるつもりか?」
分かりやすすぎる挑発だ。
日頃の恨みを晴らすべく返り討ちにしてやりたい気もするが、逆恨みを買ってますます狙われるのも面倒くさい。
いつか一撃で次期当主の座から引きずり下ろす機会が巡ってくるまでは我慢だ。
ウォルトを探すが、今は側にいないらしい。ロイド兄上のお目付役である彼なら止めてくれるかもと期待したんだが……いないものはしょうがない。
だから「お好きに」と譲って踵を返したのだが――
「ふっ。ウィスタリア次期当主を目指す者が、剣の一つも振るえぬとはな。父上や他所の貴族達が聞いたら、一体どう思うだろうな?」
背中へ投げかけられた言葉には足を止めざるを得なかった。
もちろん、先ほどと同じ類いの挑発であることは分かっている。だが、父上に甘いと評価された俺が、ここでまた兄上の横暴さに気圧されたと思われるのはちょっと困る。
「……分かりました。そこまでおっしゃるのなら、お言葉に甘えることにします」
「ああ、たっぷりと面倒を見てやる」
――そんなわけで、俺達は中庭へと移動する。先をずんずん歩くロイド兄上の後を追い掛けていると、レナードが「良かったのか?」と耳打ちをしてきた。
「父上を失望させるわけにはいかないからな。兄上が疲れるまで適当にあしらうさ」
兄上がメンツを保てる程度にあしらって、しばらくしたら終わろうと提案する。兄上にいまはまだ有利だが、このままだと負けるかもしれないと思わせれば諦めるだろう。
やって来たのは中庭。
ロイド兄上が部下に木剣を用意させ、その片方を俺に投げてよこした。俺はそれを空中で受け取って軽く振ってみる。
……なんか見えないくらいのヒビが入ってるな。上手く受ける分には折れそうにないが、側面とかで受けたらボキッと折れそうだ。
……まあ、下手に受けなければ折れないから問題ないけど。
「最初に言っておく。油断をすれば怪我をすることもあるだろう。だがそれは油断をした方が悪い。あくまで自己責任だ。怪我をしたくなければ、せいぜい気を付けることだ」
「……ええ、問題ありません」
「では、まずはおまえの力量を見てやる。どこからでも掛かってくるがいい!」
中庭の真ん中で、ロイド兄上が木剣を……構えて? 構えているのか? なんか、突っ立ってるようにしか見えないんだが……
どこからでも掛かってこいと言っているが、本当にどこからでも打ち込めそうだ。
どのくらいを狙えば、ちゃんと受け止めてくれるだろうか? 剣の握り方が乱暴で、下手に打ち込んだら剣を取り落とさないか不安なんだが……
「どうした、来ないのならこっちから行くぞ!」
俺が迷っているうちにロイド兄上が打ち込んできた。助かった。こちらが防御に徹するだけなら、うっかり倒してしまうこともない。
俺は大ぶりで放たれた一撃をギリギリの体で受け止めた。
「ふっ、止めたか。ならこれはどうだ!」
一度引いた剣を大きく振りかぶり、再び上段から振り下ろす。ロイド兄上は受け止められるたびに一度剣を引いて、横薙ぎ、次は袈裟斬りと、単発の攻撃を連続ではなってくる。
流れるような連続攻撃とはほど遠いので、攻撃の合間が隙だらけだ。攻撃は単調で読みやすいのだが……痛い。剣を持つ手が痛い。
大ぶりの一撃を真正面から受け止めるには、俺の身体能力が不足しているようだ。
そんなに剣の稽古をしてるようには見えないが、ロイド兄上は平気なのか? と思って顔色をうかがうと、なにやらムキになって剣を振るっている。
ダメだこいつ、俺を剣でぶん殴ることしか頭にねぇ。
俺はまともに受けるのを諦めて、一撃一撃を上手く受け流すことにした。
衝撃は少なくなるが、ヒビの入った木剣で上手く受け流すには相当な技量が必要になる。俺は細心の注意を払ってロイド兄上の剣を受け流して行く。
「ほらほら、どうした! 防戦一方だぞっ!」
攻めどころと思ったのか、ロイド兄上の攻撃が勢いを増した。
袈裟斬りを掻い潜るように受け流し、返す刀を跳ね上げる。乾いた木剣を擦り合わせる音が中庭に響き、何事かと使用人が集まってくる。
あまり見られたくないんだがな。予想しておくべきだった。
「はぁ……はぁ。なかなか、くっ。やるじゃないか」
息が上がったようで、ロイド兄上が動きを止めた。ここらで手打ちにするのが無難だろうと、手合わせをしてくれたことへ感謝を述べようとする。
その直前、ロイド兄上がそう言えばと切り出した。
「おまえの婚約者、名前をなんと言ったかな?」
その問い掛けに、どうしようもなく嫌な予感を覚える。ロイド兄上の顔には、いつかクリス姉さんをハメたときと同じような嫌な笑みが張り付いていた。
「フィオナ嬢になにをした?」
「俺はなにもしていないさ。父上にも大人しくしていろと言われたばかりだしな」
「なら、なんで彼女のことを話題にした?」
「たまたまだよ、たまたま。ただ……あの娘、侯爵令嬢であるにもかかわらず、ろくに供も連れずに町を歩き回っているらしいな。最近はどこの町も物騒らしいからな。あんな無防備な女が一人で出歩いていたら誰かに襲われても――っ」
ロイド兄上が口を閉ざした。いや、俺が閉じさせた。
互いの距離を一息で詰め、その喉元に木剣を突きつけたのだ。
「今度あいつのことを口にしてみろ。その喉を潰してやる」
「なっ。き、貴様……誰に向かってそんな、口を……」
俺に睨まれた兄上が生唾を飲み込んで黙り込む。俺が剣を引くと、ロイド兄上はへなへなと芝の上にへたり込んだ。
それを見届け、俺はレナードへと視線を向けた。
「レナード、この場を頼む。俺はフィオナ嬢を迎えに行く」
「あぁ、分かった」
「――待て、まだ稽古は終わっていない! 自分から教えを請うておきながら、おまえは俺に挨拶もせずに退出するつもりか!」
苛立ちを覚えて奥歯をかみしめる。だが、挑発に乗っては思うつぼだ。ロイド兄上ですら挑発に乗らない程度の自制心があるのに、俺が乗せられるわけにはいかない。
俺は怒りを抑え込んで、ロイド兄上の方を向いた。
「これは失礼いたしました。急用を思い出しましたので、今日はこれで稽古を終えていただけないでしょうか?」
「ダメだ。この稽古はどちらかが勝つまで続ける」
「では兄上の勝ちで構いません」
「――くくく。そういえば言ってなかったなぁ! どちらかが土下座をして、敗北を認めて泣き叫んだ方が負けだ。それまでは稽古を続けるぞ!」
勝ち誇ったような高笑いが中庭に響き渡る。
「あぁ……そうか。気付かなくて申し訳ありませんでした。ロイド兄上は、俺に土下座がしたくてしたくて仕方なかったんですね」
「ああ? てめぇ、なにを言って――っ」
一瞬で距離を詰め、容赦なく木剣を振るった。
「がはっ! ば、馬鹿な、いま、なにをした……っ」
脇腹を打たれた兄上がうめき声を上げる。
俺は兄上の問いには答えず、無言で追撃を掛ける。手首を打ち抜いて木剣を弾き飛ばし、痛みでくの字になった兄上の太ももに一撃を加えて膝をつかせる。
その瞬間、俺の持っている木剣が折れて使えなくなるが、膝をついて低くなったロイド兄上の顔に回し蹴りを叩き込んだ。
「がああぁぁぁぁああぁぁっ! 痛い、痛いいいいいっ!」
折れた木剣の代わりにロイド兄上の木剣を拾って、芝の上でくの字になって呻くロイド兄上の髪を掴んで引き起こした。
「……違うでしょ。そこは土下座をして、俺の負けです、許してください、ですよね?」
「アレン、き、さまぁ……いい、か。よく聞け。絶対に、絶対に後悔、させてやる。今後、おまえも、おまえの周囲の者も、外を出歩けると思うな――がぁっ」
「あぁそうか、まだ勝負は終わってないって言いたいんですね。その根性は嫌いじゃないですよ、ロイド兄上。でも、急いでるんで、いいかげんにしてください」
顔面を足で踏みつけ、芝の上に押しつける。
「さぁ、早く泣き叫んで負けを認めてくださいよ」
「や、やめ――ぐっ。許さん、絶対に――がはっ。後悔させ――がっ。させっ。ぐっ。ま、待て、うぐっ。待てと、言ってる――ぐふっ」
反論するたびに踏みつける足に力を入れるとようやく大人しくなってきた。
「ところで、フィオナ嬢になにをしたんですか?」
「そ、それは……た、ただの世間話だ! 俺はなにもしてない! おまえこそ、こんな真似をしてどうかしている!」
「どうかしている? まぁ……そうかもしれませんね。でも……兄上も今後は発言に気を付けた方がいいですよ? たとえ事実無根だとしても、フィオナ嬢に危害を及ぼすような発言をされたら……勘違いしてしまうじゃありませんか」
「ぎゃあああああああああああっ!」
利き腕の関節を外してやるとロイド兄上が悲鳴を上げた。
「ひぃ。ま、待て。俺が悪かった、許してくれぇ!」
「もし……もしあいつらが誰かに襲われたら、襲った奴が誰でも関係ない。まず最初におまえを血祭りに上げて、生まれてきたことを後悔させてやる。――覚えておけ」
ダメ押しに頬を掠めるように木剣を突き出して地面に突き刺した。
だが……返事がない。
本当に強情だな――って違うな、気を失ったのか。泣いて土下座をさせるまで稽古は終わらないって話だったが……まあ意識がなければ引き留められることもないか。
「なにをしているっ!」
不意に中庭に響いたのは、父上の声だった。見れば、ウォルトと護衛の兵士を数人連れた父上が駆け寄ってくるところだった。
「これは父上。このようなところへ、どうされたのですか?」
俺はロイド兄上から離れて父上に向き直った。
「ウォルトから少し厄介な話を聞いて様子を見に来たのだが……この惨状はなんだ?」
「剣の稽古をしていただいてました。どちらかが土下座をして、泣き叫ぶまで終わらないとロイド兄上に言われたので土下座させようとしていたのですが気絶されてしまいました。残念ながら勝負は引き分けのようです」
「……いや、どう見てもおまえの勝ちだろう」
ブラックジョークが受け流されてしまった。
父上は俺と気を失っているロイド兄上を見比べて「ふむ……」と呟いた。
「アレン。念のために少し事情を聞かせてもらうぞ?」
「申し訳ありませんが後にしてください」
「……なに?」
断られるとは思ってもいなかったのだろう。父上がピクリと眉を跳ね上げる。
「父上はこの町が最近物騒なことをご存じですか?」
「……なるほど、ロイドから聞いたのか」
予想外の反応を受けて、俺はおやっと首を捻る。
「……実際に物騒なんですか?」
「いや、先ほどウォルトからその話を聞いた」
そうか、ウォルトが側にいなかったのは父上にその件を報告をしていたからか。おそらくはお目付役として、ロイドの行動を見かねて報告したのだろう。だったら話は早い。
「実は先ほどロイド兄上から一人で出歩いているフィオナ嬢が危ないかもと聞かされたので、いまから迎えに行くところなんです」
「……そうか。では、詳しい話は後でよい。ウォルトから話を聞いた限り危険はないと思うが、念のために迎えに行ってやるがよい」
危険がないと言うのはなぜか。
フィオナ嬢が強いからという可能性も考えたが、いまの言い方だとたぶん違う。ウォルトから聞いたと言うことは、大きな問題にならないように手を打ったのだろう。
そういうことなら危険はないと思うが、念のために迎えに行くことにしよう。
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