第16話 異世界姉妹と続ける町開発 4

 俺はレナードを伴って、アストリー侯爵家へと向かう馬車に揺られていた。

 ジェニスの町から、アストリー侯爵家までは馬車で数日。

 今回はアストリー侯爵領へ産業を提供するという名目があるので、少しアストリー侯爵領を見て回りながら屋敷へと向かう。


 前回訪ねたときにもなんとなく感じていたが、本当に豊かな土地だ。

 大地は肥沃だし、鉱山にダンジョンまで抱えている。


 ああ、ちなみにダンジョンというのは、魔物が発生する場所のことだ。洞窟型の物もあれば、まるでどこか別の場所のようなフィールド型も存在する。

 共通するのは、中に入るには祭壇にある転移を使う必要があると言うこと。


 魔物は危険な生き物だが、魔石を得ることの出来る貴重な存在だ。しかも、ダンジョンの場合は、転移の魔法陣でしか出入りが出来ないため、魔物が外に出ることはほとんどない。

 ゆえに、鉱山同様に資源地として貴重な存在なのだ。


 ちなみに、ダンジョンに挑むのは冒険者。町に冒険者が集まるので、領地は潤うはずなのだが、アストリー侯爵領は貧困に喘いでいる。

 山崩れや水害による被害が原因である。


 父上は不運に見舞われているようなことを言っていたが、視察をした俺の意見は違う。

 山崩れは大規模な伐採をした辺りで発生しているし、水害は川の曲がった場所で発生している。前世の国であれば、対策を取られるような状況が放置された結果の災害だ。


 たぶん、俺と同じ記憶を持つフィオナ嬢も気付いている。だが、アストリー侯爵家においては、女性が政治に口を出すことは出来ない。

 ゆえに、問題がいままで放置されているのだ。


 ……なんて言うか、こういう状況を目の当たりにすると、フィオナ嬢が俺と結婚したがるのも分からなくはないな。この国の女性は総じて立場が弱すぎる。




「よく来てくれた、アレン殿。待っておったぞ」

「お久しぶりです、アストリー侯爵」


 アストリー侯爵家のお屋敷にある応接間。

 再びフィオナ嬢の父、ゼム・アストリーと対面する。前回よりも歓迎されているように感じるのは気のせいじゃないだろう。


「それで、今日はなにやら提案があると聞いたが?」

「その通りです。実は従来の石鹸よりも、良く汚れが落ちる石鹸を開発していたのですが、材料の確保が、ジェニスの町ではままなりません」

「それはつまり、取引を増やして欲しいというものだろうか?」

「いえ、そうじゃありません。石鹸の材料に取り扱いの危険な物があるんです。石鹸に加工してしまえば問題ないんですが、材料のまま馬車で輸送するのは危険なので、アストリー侯爵領に工房を作りたいと考えています」


 これが、フィオナ嬢から提案された取引だ。

 俺からの提案という形で、アストリー侯爵領に工房を作る。そこで生産、販売した利益の一部は俺が手に入れることになるが、土地の使用料がアストリー侯爵家へと流れる。

 さらに、現地の人を雇用することで、アストリー侯爵領の経済も活性化させる。


 そんな申し出を受けたアストリー侯爵が、歓喜と戸惑いをないまぜにしたような顔をした。


「それは、非常にありがたい申し出だが……」

「なにか問題でしょうか?」

「いや、その提案自体に問題はない。アストリー侯爵領の活性化に繋がるだろう。だが、それだけの提案。見返りもなしにしているわけではないのだろう?」

「まぁ……そうですね」


 俺としてはそれでも構わない――というか、十分すぎる。

 なにしろ、石鹸の作り方を知っているのは俺でなくフィオナ嬢なのだ。俺はこうして、代理で提案しているだけなのに、将来的にかなりの利益が見込める。


 見返りは必要ないと言いたいところだが、安売りすると要らぬ疑いを掛けられかねないし、そういった前例を作ると後で困るというのがフィオナ嬢の見解だ。

 ゆえに見返りになにを求めるか、色々と考えた末に一つの結論に至った。


「見返りに求めるのは一つだけ。うちから援助する資金の使い道を決めさせて欲しい」

「援助する資金の使い道を決める、だと? それはつまり、石鹸の工房を初めとした、アレン殿の施設に援助資金を使えと言うことか?」


 俺の目的は、見返りという名目でアストリー侯爵家の利になる交換条件を出すことだが、そうとは知らない侯爵には物凄く横暴な要求に聞こえたのだろう。

 警戒心を剥き出しにされてしまった。


「誤解です。工房についてはこちらで建てるので、土地と人材を貸してくれれば構いません」

「では、援助の資金をなにに使えというのだ?」

「災害の防止のために」


 自らが治める領地の未来を憂いていた侯爵が見開いた瞳に、戸惑いの色が滲んだ。彼にとって優先順位が高かったであろう資金の用途を、俺が指定するとは思わなかったのだろう。

 もちろん、それはアストリー侯爵家に利を還元するためにわざと指定した内容だ。


 だが、俺はそんな内心はおくびにも出さずに、自分に必要であることを主張する。

 石鹸の原料の確保には、採掘と栽培が不可欠である。侯爵領に工房を作るのも、この地でそれらの原料を確保するためである。

 ゆえに、水害や山崩れといった災害がたびたび発生しては困るので、石鹸を安定して供給するために、治水工事と山崩れの対策をして欲しいと、具体的な案とともに訴えた。


「それともう一つ。ジェニス方面へ続く領内の街道の整備もお願いしたい。以上に対して援助された資金を使っていただけるのであれば、この領地に工房を作るとお約束します」

「災害対策と、街道の整備……か。悪くない……いや、アストリー侯爵家にとって、非常にありがたい条件だ。だが……本当に、その新しい石鹸は作れるのか?」

「試作品であれば近日中にお渡しできると思います」


 フィオナ嬢がいま作ってるので――とは、もちろん口に出さない。

 だが、石鹸やシャンプーとリンスは、冒険者時代に当たり前のように作って使用していたものだ。製作できるかどうかと言うことになんら不安はない。

 自信を持って答える俺に対し、アストリー侯爵はしばし黙考した。


「正式な契約は、その実物を見てからでも構わぬか?」

「ええ、もちろんそれで構いません」

「……そうか。アレン殿。これから、末永くよろしくお願いする」


 差し出された右手をしっかりと掴む。侯爵領をずっと支えていたであろう侯爵の手は、硬くゴツゴツとしていた。




 ひとまずは仮契約という形で取引は纏まった。

 夜には宴に招かれ、アストリー侯爵家の面々と食事をする。アストリー侯爵夫人とその息子も出席して、俺を歓迎してくれた。


 聞いていたとおり、女性は政治に口を出すべきではないという考えを持っていたが、フィオナ嬢のことは家族揃って大切に思っているようだ。

 ウィスタリア伯爵家とは違う、温もりのようなものを感じた。


 そうして、夕食を終えた俺は、案内された客間のベッドサイドに腰掛けて一息つく。これからのことについて考えながらのんびりしていると、おもむろに扉がノックされた。

 誰だろうと扉を開けると、薄手の部屋着らしき洋服に身を包んだフィオナ嬢が立っていた。



「こんばんは、アレン様。部屋に入れていただいてもよろしいでしょうか?」

「いや、それは不味いだろ」

「ありがとうございます。失礼しますね」


 未婚の男女が深夜に二人っきりで同じ部屋に入るなんて、いくら婚約者でも問題になると口にするより早く入られてしまった。

 ……ちょっとは人の話を聞けよ。


「フィオナ嬢、俺の話を聞いてますか? 不味いと言ったんですが」

「なんで? ムラムラしちゃう?」

「するかっ」


 二人っきりになったからか、妹口調に切り換えたフィオナ嬢が憎たらしい。というか、「ホントに?」とか聞きながら、下乳のところにあるスリットに指を入れるのはやめろ!

 ――って言うかこいつ、下乳のところにスリットがある服を着てやがる! お嬢様っぽいデザインの服なのに、何故そんなところにスリットが……最高か!


「……そんなに釘付けなのにムラムラしてないって言い張るの?」

「ぐぬっ」


 い、いや、違うのだ。

 男というのは悲しい生き物で、胸の谷間とか下乳とかパンツとかを見せられたら、とっさに目が釘付けになってしまうのだ。その時点で、相手が誰かなんて考えない。

 だから、相手が妹だと認識した時点で、視線を外し……はず……ごくり。


「あーもう、分かった、認めるっ! 見ちゃうからやめろっ!」

「……見たいなら、素直に見れば良いのに。というか私、兄さんになら、胸を見られるくらい気にしないよ? なんなら触ってみる?」

「外聞が良くないからマジで自重しろ。誰かに聞かれたらどうする!」


 廊下に誰もいないとは限らないし、不在のフィオナ嬢を探しに来るかもしれない。いくら婚約者とはいえ、まだ結婚はしていない。

 こんな状況を見られたら完全にアウトだ。


「大丈夫だよ」

「……なにが大丈夫なんだよ、なにが」

「だって、あなたのところに行きなさいって、お父様に言われたんだもん」

「……………………は? アストリー侯爵が? そう言ったのか?」

「うん。アレンの部屋を訪ねなさい。そして、アストリー侯爵家の娘としての役目を果たしなさい、って言われたよ。ぶっちゃけ、そういう意味だよね」

「……いやいやいや、おかしいだろ。まだ婚約段階だぞ?」


 貴族のお情けをもらって、融通を利かせてもらおうとする平民とかならともかく、仮にも侯爵家の当主が、娘にそう言うことを勧めるってどういうことだ。

 目眩を覚える俺に対し、フィオナ嬢はどこか楽しげに笑う。


「兄さんが認められたから、だよ」

「……は? どういう意味だ?」

「あのね。私が兄さんと婚約したいって提案したとき本当は、お父様はそこまで乗り気じゃなかったの。だって、兄さんは……」

「あぁ、あまり評判が良くなかっただろうからな」


 記憶を取り戻す前の俺は、全てを諦めて兄に追放される未来を受け入れていて、それが周囲の人間に伝わっていたから当然だ。


「その辺もあって、条件は満たしているしお前が言うのなら――くらいの感じだったの。だけど、バームクーヘンのことはすぐに噂になったし、当主候補に名乗りを上げて盗賊も捕まえた。そして今回の一件で、是非とも娘と結婚させたい相手に格上げされたみたいだよ?」

「……それ、半分はお前のせいじゃないか?」


 石鹸は俺の手柄ではなく、フィオナ嬢の手柄である。


「兄さんじゃなければ、私の知識を活かせないんだから同じようなものだよ。まぁとにかくそんなわけで、既成事実を作って欲しいみたいだよ?」

「みたいだよ、じゃねぇよ……」


 もはやどこから突っ込めば良いのか分からない。

 あぁ、諦めて突っ込めば楽になれるかもな、ははは……


「何度も言ってるけど、俺は妹と結婚するつもりはないからな?」

「婚約はしても?」

「婚約はあくまで建前だ」

「じゃあ結婚も建前でしちゃえば良いじゃない」

「そういう問題じゃない」

「じゃあどういう問題なの? 政略結婚なんだよ?」

「それは……」


 たしかに、政略結婚に愛は必要ない。

 重要なのは政治的な利益と子供が作れるかどうか。

 そういう意味では、フィオナ嬢は問題ないけど、いや、だからそういう問題ではなく、中身が妹であることが問題で……あれ、でも政略結婚だから、関係ない?

 ……なんだか訳が分からなくなってきた。


「良く分からないけど、その一線は越えたらダメな気がする」

「越えちゃったら戻れなくなる?」

「そうだ」


 たしかに、割り切ってしまえば楽になれると思うのだ。でも、なんと言うか……そこを割り切ってしまうとダメな気がする、色々な意味で。


「それはつまり、本当は越えたいって思ってるんじゃないの?」

「え? いや、それは……」


 ないはずだよなと自問自答する。

 だが、自分でも良く分からない。

 たとえば、祖母くらいの年齢の女性と結婚させられる可能性だってあり得たわけで、そうなっても俺は必要なことだからと飲み込んでいただろう。


「ふふっ。まぁ良いや」

「うん? なにが良いんだ?」


 不意に声を弾ませる理由が分からなくて首を傾げた。そんな俺に対して、フィオナ嬢は「なんでもないよ」と笑って一歩下がった。


「兄さんを困らせたいわけじゃないし、今日は大人しく帰るよ」

「……良いのか?」

「良いも悪いも、兄さんにその気がないんじゃしょうがないよ」

「いや、そういう意味じゃなくて。父親に失望とかされないか?」

「そこは大丈夫。大切にされてるって言っておくから」

「そ、そか……」


 それはそれで外堀が埋められそうで困るんだけど……


「あ、ちょっと待ってくれ」

「ふふ、やっぱり我慢できなくなっちゃった?」


 肩越しに振り返ったフィオナ嬢が得意げに笑う。


「なにがやっぱりだ。侯爵令嬢であり、エリスでもあるおまえに頼みがある」

「……兄さんが私に、頼み事? なにかな?」


 フィオナ嬢がクルリと振り返ってすぐに真面目な顔をした。


「最近、街道に盗賊が出没していたことを知ってるな?」

「もちろん、被害を受けたのはうちなんだから知っているよ。発生に不審な点があることも、その盗賊達を兄さんが殲滅したことも知ってる」

「その黒幕をアストリー侯爵に差し出す。そのためにおまえの協力が必要だ」

「……ふぅん? 私はなにをすれば良いの」


 紫の瞳に攻撃的な光が宿る。

 かつて一流の冒険者であったエリスに、俺はとある頼み事をした。

 

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