第9話 異世界姉妹と始める町開発 4

 資料室で作業をしていた俺達の元にやって来たのはクリス姉さんだった。


「クリス姉さんがどうしてここに……?」

「あなたに恩を返しに来たのよ」


 クリス姉さんはそう宣言して、ゆっくりと俺の前へと歩み寄って来た。そうして椅子に座る俺を見下ろして、柔らかな微笑みを浮かべた。


「あなたがお父様に、あたしに慈悲を与えるように言ってくれたそうね。だから、あなたに恩を返すために来たのよ」

「あぁ、そのことか。別に気にしなくて良いぞ」

「あら、ダメよ。あたしを恩人に恩も返さない恥知らずにするつもり?」


 クリス姉さんは緑色の瞳を細めると、椅子に座っている俺の頭をぎゅっと抱きしめた。クリス姉さんの豊かな胸に俺の顔が埋もれる。


「ちょ、クリス姉さん?」

「……ありがとうね、アレン。あなたのおかげであたしを馬鹿にしたロイド兄様に意趣返しが出来たし、束の間とはいえ自由を手に入れることが出来たわ」


 いきなり抱きしめられて驚いたけど、本当に感謝されているらしい。だったら否定する必要もないだろうと、どういたしましてと感謝を受け取った。

 しかし、胸が柔らかいというかなんと言うか……恥ずかしいんだけどな。


「クリス姉さん、そろそろ放してくれないか?」

「あら、どうして?」

「どうしてって……それは」

「あら、お姉ちゃんのおっきな胸の感触に興奮しちゃった? アレンがそうしたいのなら、手で触って感触を楽しんでも構わないのよ?」

「ちょっ!? な、なに言ってるんだよ!」


 俺が胸の中で慌てふためくと、クリス姉さんはようやく拘束を解いてくれた。俺がホッとして顔を上げると、クリス姉さんはイタズラっぽく笑っていた。


「あのね、アレン。あたし、決めたわ」

「……決めたって、なにを?」


 一連のやりとりからなにを決めたと言うのか、予想が出来なさすぎてちょっと怖い。

 そう警戒する俺の目の前で、クリス姉さんはおもむろに跪いた。そうして俺の右手を取り、手の甲を自らの額に押し当てる。

 それは最上級の感謝や尊敬を示す行為だ。


「クリス姉さん?」

「あたしは今日このときより、あなたのために働くわ」

「……どういうことだ?」

「優秀な魔術師を探しているんでしょ? だから、あたしを雇いなさい」

「それは……良いのか? というか、許されるのか?」


 姉さんがどこでなにをするかは父上の決めることだ。

 たとえ姉さんと俺が望んだとしても、元後継者候補の姉さんを自分の陣営に引き入れるなんて認められるはずがない――と思ったのだけど、既に父上の許可はあるらしい。


「……よく許可が出たな」

「当主ではなく、当主の補佐を目指したいと言ったら許可してくれたわよ。周囲の者を取り込むのも当主として必要な才能ですって」


 父上はずいぶん柔軟な思考の持ち主だな。

 ロイド兄上なんかは、絶対文句を言いそうな――


「その話、兄上も知ってるのか?」

「え? ええ、今朝聞いたみたい。反発してたけど、お父様から許可をもらったって言ったら黙ったわ。でも、それがどうかしたの?」

「いや、町を出るときに、徒党がどうとか言ってたから」


 なにかと思ったら、クリス姉さんの件だったんだな。


「ごめんなさい、あたしのせいで嫌な思いをさせちゃったわね」

「いや、なんのことか分からなかったくらいだから気にしてない。それより、本当に協力してくれるのか?」

「ええ、もちろんよ。なにか作って欲しい魔導具があるの?」

「ああ、実は――」


 この町の事情を説明して、早急に認められる必要があること。そしてその手段として用水路に水を引くために、高いところに水を供給する魔導具が欲しいと相談した。


「用水路ってことは、相応の水をずっと汲み上げ続けなきゃいけないのよね? 可能か不可能かでいえば可能だけど、コストがよくないわ。かなりの魔石を消費するわよ?」

「どれくらいの量だ?」

「水量にもよるけど、一日で複数の魔石が必要でしょうね」

「それは、厳しいな……」


 魔物の体内で生成される魔力を帯びた石を魔石と呼ぶ。

 強力な魔物から取れる大きな魔石は、消費した魔力を魔術師の手によってチャージすることも可能だが、普通の魔石は使い捨て。

 そして普通の魔石一つで、灯り程度なら数週間単位で使用することが出来る。そんな魔石を毎日いくつも消費し続けたら維持費も馬鹿にならない。


 だけど、前世の国では川より高い場所にも水路があったんだよな。どうやってたんだ? 魔導具じゃなくて、ほかの方法で水を引いてたのか?

 ……うぅん、考えても分からないな。


「この町はもともと降雨のみで農業をしているんだ。雨が少ないときだけ使用するようにしたらどうだ? それならかなり魔石の消費を抑えられるだろ?」


 隣で資料を読んでいたレナードが提案する。そういえば、同じ部屋にいたんだったな。こいつの前でクリス姉さんの胸に抱きしめられてたとか、ちょっと恥ずかしい。

 そんなわけで俺は慌てたのだが、クリス姉さんはなにやら目を丸くしている。


「どうかしたのか?」

「え? いや、彼はアレンの相談役兼お目付役なのよね?」

「そうだけど?」

「そうだけどって……なんで、あんなにぞんざいな態度なのよ。もしかしてアレン、彼にまだ認められてないの?」

「あぁ……それな。なんかいまの態度に馴染んだから、そのままにしてもらったんだ。というか、クリス姉さんも同じような感じだったのか?」

「ええ、最初はね」


 やっぱり、クリス姉さんも同じ苦難を乗り越えているようだ。そうなると、あれは父上の課した試練であり、ロイド兄上も同じ苦難を乗り越えているのだろう。

 やっぱり、俺に従え――みたいな力業で乗り越えたんだろうか? 俺は苦労したのに、ずいぶん簡単に従えたんだなと思う反面、それで本当に認められているのかとも疑問に思う。


「アレン?」

「あぁいや。えっと……水不足のときだけ使用する、か。コスト面が解決するまでの急場しのぎとしてはありだな。普段はため池にでも水を貯めておくか」


 水を常時汲み上げて川の支流のように出来るのなら、ため池で魚の養殖とかも考えたのだが、水をあまり流せないなら難しそうだな。


「取り敢えず、水の配水システムを魔導具で作ってくれるか?」

「構わないけど、まずは研究室を作るところからだから、すぐには無理よ」

「分かってる。けど、クリス姉さんだけが頼りなんだ」

「し、仕方ないわね。出来るだけ早く作ってあげるわよ!」


 クリス姉さんはツンと顎を反らして言い放つと、さっそく研究室の手配をすると言って資料室を飛び出していった。


「アレンは乗せるのが上手いな」

「なんのことだ?」

「なんだ、天然か」


 なにやら呆れられた。




 その後、俺は町の様子を自分の目で見るために屋敷を抜け出した。踏み固められた砂利道を歩きながら町の様子を観察する。

 モフモフなイヌミミ族に、その他様々な種族が表通りを行き交っている。だが……田舎町であることを差し引いても、少々活気が足りないように思える。

 なにも問題がないという訳ではなさそうだ。


 しかし……本当に様々な種族が一緒に暮らしてるんだな。この国ではもちろん、前世の国でも少数派の種族は迫害されていることが多かった。

 この町はかなり特殊なケースだろう。


「お兄さん、お花買ってくれませんか?」

「……ん?」


 袖を引かれて立ち止まると、イヌミミ族の女の子が花かごを手に俺を見上げていた。十歳前後くらいだろう。少し薄汚れているが、なかなかに可愛らしい女の子だ。


「いくらだ?」

「一束で銅貨一枚です」


 全部買い占めても一食分にもならない程度。見たところ家なき子というわけじゃなさそうだが……なんでそんな割に合わないことをしてるんだ?

 気になった俺は、少し多めのお金を少女の手に握らせた。


「わ、わふ? なんだか、たくさんあるよ?」

「全部買うから、少し話を聞かせてくれないか?」

「……お話しすれば良いの? それなら喜んで!」


 花束と引き換えに対価を支払うと、少女は花かごの花よりも満開の笑みを浮かべた。



「まずは自己紹介だ。俺はアレン。キミは?」

「アオイは、アオイだよ」

「そっか。ならアオイ。キミはどうして花を売ってるんだ?」

「それは……生活のためだよ」


 幼い女の子からいきなり重い答えが返ってきた。

 とはいえ、半ば予想していた答えでもある。よほどの必要に駆られなきゃ、田舎町の道の真ん中で花を売ったりはしないだろう。


「親はいないのか?」


 必要だからと尋ねるが、俺はすぐに後悔することになる。アオイがいまにも泣きそうな表情を浮かべたからだ。


「お父さんがいる、けど……お母さんは先週死んじゃった」

「……そう、か」


 よりによってつい最近。

 少しでもその悲しみをなんとかして上げたくて、アオイの頭を撫でつける。


「お兄さん?」

「いや、辛いことを聞いて悪かった。それで……お金に困ってるのか?」

「……うん。いつもは森で薬草を採ったりするんだけど、最近は森の浅いところにもイノシシみたいな黒い魔物が出没してて、入っちゃいけないって言われてるの」

「イノシシみたいな黒い魔物……ブラックボアか」


 魔物にはおおよそのランク付けがされているが、ブラックボアはBランク。安全に狩るには中級冒険者くらいの実力が必要だと言われている。

 ダンジョンなんかでは珍しくないが、田舎の森で見かける魔物としてはかなり凶悪だ。


「名前は分からないけど、お母さんもそいつに殺されたの……」


 うぐ。続けて地雷を踏み抜いてしまった。

 罪悪感に溺れそうだ。


 しかし……魔物の被害が出てるのか。カエデの奴、なんで対処してないんだ?

 後で確認する必要がありそうだな。


「お兄さん。その……ア、アオイの、は……花も、買って、くれませんか?」

「……はい?」


 花ならさっき買っただろうと思ったが、アオイの花という言い回しに「ん?」と首を傾げる。でもって、真っ赤になっているアオイを見て、もしやという考えに至った。


「……アオイの花って、もしかして……そういう意味か?」


 答えは返ってこない。

 だが、覚悟を秘めた緑色の瞳が、なによりも雄弁に答えを物語っていた。


「そこまで……生活に困ってるのか?」

「今年は畑が不作で、お母さんはそれを補うために森へ採取に行って死んじゃったんです。お父さんも、凄く辛いはずなのに頑張って……でもそれでも足りなくて」


 俺の脳裏に、学んだばかりのこの町の事情が浮かび上がる。

 最初から、この町は農業や畜産で足りない分を森の恵で補っていた。なのに農作物の収穫量の減少と、森に出没した魔物の被害が重なっている。

 一つ一つは限定的な被害でも、重なることでアオイのような存在が現れている。


「お父さん、私に言ったの。今度森へ狩りに行く、って。もしかしたら帰って来られないかもしれないけど、そのときは許して欲しいって。でもアオイ、お父さんにまで死んで欲しくないの。だからアオイを買ってください」


 お も す ぎ る!

 誰だよ、のどかな田舎町とかいった奴! 家の生活を守るために花を売ろうとする女の子に出くわすような町のどこがのどかだ。

 こんな平和は俺が認めない。俺が、この町を変えてみせる。


「俺が、俺がアオイ達を助けてやる」

「えっと……アオイのこと、買ってくれるんですか?」

「違う、そうじゃない。……いや、そうだな。俺がアオイのことを買ってやる。ただし、花を買うわけじゃないから勘違いするなよ」


 領主として、アオイ一人を助けるのは偽善だ。

 だから、最初に助けると言ったのは魔物をなんとかするという意味だったのだが、魔物を退治するまでアオイやその父親が無事とは限らない。

 偽善でもなんでも構わない。寝覚めが悪いのはごめんである。


「えっと……お兄さん、アオイ、どうしたら良いんですか?」

「あぁ、俺のところで働いてくれ。仕事の内容は、主に町の情報収集とか、かな」


 たとえば用水路の件。この町の住人がどんな風に思うかを調べてもらう。その他、この町の住民がどんなことを望んでいて、どんなものを嫌っているかなどなど。

 そういった仕事をしてもらうことにする。


 もちろん、レナードにも調べさせるつもりだが、彼らと同族で、彼らから見ても不幸なイヌミミ族の少女だからこそ聞ける話しもあるかもしれない。


 なんて、実際のところは半分くらいはこじつけだ。

 情報収集が上手くいかなければ、屋敷でメイドでもしてもらえば良い。ただ単に、知り合った子供が不幸になるのを放っておけなかっただけ。

 だから――


「どうだ、引き受けてくれるか?」

「……はい、はい! お兄さん、ありがとうございます!」


 アオイの嬉しそうな顔を見て俺は満足した。

 

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