第6話 異世界姉妹と始める町開発 1
アストリー侯爵家へと向かう馬車の中で流れゆく景色を眺めていた。
澄み渡る空の下、遠くに見える山まで一面の草原が広がっている。既に侯爵領に入っているはずだが、ずいぶん広大な土地を抱えているようだ。
「しかし、あのバームクーヘンにあんなバリエーションがあるとはな。おかげで、かなりの高評価を得られたようだぞ」
「苦肉の策だったけど、成功だったな」
話しかけてきたレナードに答える。
あれからいくつかお菓子を開発したのだが、この国に既に存在しているお菓子や、食感が未知すぎて敬遠されるお菓子しか用意できなかった。
なので、デビュタントでは新しいお菓子を出さず、紅茶のフレーバーなど、バームクーヘンを何種類も用意することにしたのだ。
もちろん、既存のお菓子にアレンジを加えた程度では、出席した貴族達に鮮烈な印象を刻み込むことは出来ない。
だが、先日発表されたばかりの――表向きはクリス姉さん以外にはレシピを知る者がいないバームクーヘンの亜種を、俺がデビュタントで発表する。
クリス姉さんが当主候補から外れたことは皆が知るところとなっていたので、姉が俺を支持しているという印象を出席者に抱かせることができる。
そんな思惑をもってデビュタントを開催し、俺は見事成功を収めた。
ちなみに、ロイド兄上はまたもや唸っていた。バームクーヘンを持ち帰りたいと言ってきたので、丁重にお断りをしたら怒って帰って行った。
出来れば身内で争いたくはないが、兄上が姉さんにしたことを考えれば油断は出来ない。レシピを解析しようとした可能性も否定できないからな。
とにかくデビュタントは盛況に終わり、俺は後継者候補としての立場を確定させた。そのときの様子は……まぁ機会があれば語ろう。
とにかく、デビュタントを無事に終えた俺は、今度はお見合いをするためにアストリー侯爵家のお屋敷へと向かっているという訳だ。
「そういえば、ご当主が嘆いていたぜ?」
「え、嘆いていた? 俺がなにか失敗したか?」
一瞬ひやりとするが、レナードはすぐにそうじゃないと否定した。
「おまえが政略結婚にあまりにドライで嘆いていた。相手の容姿一つ聞こうとしない、あれは女に興味を持っていないのだろうか、と」
「なにを言うかと思えば……」
貴族たる者、異性の好みで結婚相手を選ぶことなんてありえない。家に利益をもたらすかどうかが重要なのだ――と、前世の俺はそう教え込まれて育った。
もっとも、結局は政略結婚をさせられることもなく追放されたんだけどな。
いや、追放された後は冒険者をしていたから、平民が恋愛結婚をすることは知ってるぞ。
けど、貴族と平民では価値観が異なる。政略結婚は政治のための結婚で、愛する者と結ばれたければ寵姫として側に置けば良いのだ。
実際、俺の母も父上の寵姫だしな。
とまあ、前世のことは伏せつつ俺の考えを伝えたら、なにやら物凄く残念な者を見るような顔をされた。もっと異性に興味を持てということだろうか?
そういや、今世ではあんまり政略結婚についてどうこう言われた記憶がないな。もしや、前世の家に比べると政略結婚の考えは緩かったりするのか?
……いや、そう油断させておいて、俺が好みで選ぶと言ったら、貴族の心構えが出来てないと返す罠かもしれない。やっぱり、政略的な観点以外で判断するのは危険だ。
レナードも俺に仕えると言ってくれたけど、お目付役であることに変わりないしな。
馬車で揺られること数日。
たどり着いた侯爵家のお屋敷はなかなか立派だった。
ただし、貧困の中で見栄を張っているわけではなさそうだ。お屋敷自体は古く立派だが、調度品の類いはかなり質素に揃えられている。
そんな感想を抱きながら応接間で待つことしばし、アストリー侯爵が姿を現した。
「ようこそアレン殿、私が当主のゼム・アストリーだ」
「お目にかかれて光栄です、アストリー侯爵」
「うむ。今日は娘との見合いのために、遠路はるばるよく来てくれた。娘も非常に喜んでいる。いま用意をしているから、少しだけ待っていて欲しい」
アストリー侯爵はそういうと、自ら俺をもてなしてくれた。
その際に少し話を聞いた感じだと、どうやら今回のお見合いはアストリー侯爵の娘が言い出して、それをアストリー侯爵が了承したことで実現したようだ。
どうしてその娘が俺を指名したのか分からないけど、アストリー侯爵は娘のことをずいぶんと可愛がっているようだ。言葉の端々から愛情が伝わってくる。
だが、そんな娘を領民のために政略結婚の道具として使う決断力も持ち合わせている。
アストリー侯爵が有能であるのなら、婚姻を結んで後ろ盾になってもらうのも悪くない。
そんな風に、婚姻について前向きに考え始めた頃、少女が部屋に入ってきた。
青みを帯びた黒い髪をなびかせながら、ゆったりとした足取りで俺の前に立つ。長いまつげの下から覗く紫の瞳が、俺の姿を写し込んでいる。
俺より一つ年下ということだが、将来は確実に美姫と呼ばれるであろう逸材だった。
「また会えましたね、アレン様」
透明感のある声が紡がれる――が、どこかであっただろうか?
そんな俺の疑問を感じ取ったアストリー侯爵が、彼女がクリス姉さんのデビュタントに出席していたことを教えてくれた。
「それは気付きませんで、申し訳ありませんでした」
「いいえ、わたくしが見惚れていただけですから」
ふわりとつぼみが花開くように微笑んだ。
整った顔立ちに浮かぶ無邪気な笑顔が妙に愛くるしい。……って、落ち着け。いまは政略結婚のお見合いだ、外見は関係ないだろ。
俺は佇まいをただして、浮き足立ちそうになる自分を落ち着かせる。
「積もる話もあるだろう。私は席を外すから、彼とゆっくり話すといい」
アストリー侯爵が娘に席を譲ると、俺にくつろいでくれと言って退出した。そんなわけで、俺は彼女とテーブルを挟んで向き合うことになる。
さすが侯爵家の娘というべきか。外見だけでなく、そのたたずまいが美しい。決して付け焼き刃ではなく、既に侯爵家の娘として相応しい気品を兼ね揃えている。
身に着けるドレスは質素だが、端的に見て美しい少女だった。
「ご挨拶がまだでしたね。わたくしはアストリー侯爵の娘、フィオナと申します。お会いできて光栄ですわ、アレン様」
「ウィスタリア伯爵家の次男、アレンです。フィオナ嬢とお呼びしても?」
「もちろん構いませんわ」
黙っていれば綺麗な少女だが、微笑みを浮かべる表情が柔らかい。なんと言うか……俺の好みを体現したかのような少女だな。
政略結婚に外見は関係ないと考えていたけど、もしも政略結婚の相手と想い合うことが出来るのなら、それが一番かもしれない。
……いや、落ち着け。たしかにそれは理想だけど、婚約を受けるか否かはあくまで政治的判断だ。外見にほだされて、流されないように気を付けろ。
自分を落ち着かせ、あらためてフィオナ嬢に視線を向けた。
「フィオナ嬢、さっそくですが話をしましょう。俺をお見合いの相手に指名したのはフィオナ嬢という話ですが、なぜ俺なのですか?」
「そうですわね。その前に一つ。単刀直入に伺いますが、アストリー家がおかれているいまの状況はご存じですか?」
「ええ、おおよそ存じております。災害続きでずいぶんとご苦労なさっているとか」
「その通りですわ。ですからわたくしは、早急にアストリー侯爵領に支援してくださる方との縁を結ぶことを要求されていますの」
「……ずいぶんぶっちゃけますね」
お金のために縁談を申し込んでいると言い切った。俺は嫌いじゃないけど、建前を重んじる貴族の対応としては、さて……どうだろうな。
「隠してもどうせ分かりきっていることですから。それよりも、対価としてうちが出せる手札をお伝えした方が良いと思うのです。アレン様もこちらの手札の価値で、この婚姻を受けるかどうか決めるつもりでしょう?」
「たしかに……そうですね」
まどろっこしいことをせずに、交渉材料を前面に押し出してくる手際は嫌いじゃない。俺は、是非その価値をお聞かせくださいと続きを促した。
「まずは……古くから続く、由緒あるアストリー侯爵家の血筋。ウィスタリア伯爵家の名に箔がつくと思いますが、アレン様はあまり重要視してないでしょう」
地位や名誉が信用に繋がったり、なんらかの取引が有利に運ぶことも事実。だから必要ないというつもりはないが、重要視していないというのはその通りだ。
だが、その考えはあまり貴族らしくない。初対面で俺の少し異質な考えを見透かされるとは思わなくて軽く目を見張った。
フィオナ嬢は「ふふっ」と小さく笑う。
「クリス様から、少しだけあなたのお話を伺いましたから。あのバームクーヘンを作ったのはアレン様だそうですわね」
「もしかして、それが俺を選んだ理由、ですか?」
いつかはレシピを解析されるだろうが、売り出し方を間違えなければ相当な金になる。その利益を見込んでの婚姻となれば理解は出来る。
だが、フィオナ嬢は「それも理由の一つですわ」と答えた。
「一つということは、他にもあると?」
「ええ。ウィスタリア伯爵家は次期当主選びの過程で町を一つ管理するそうですわね? その町の開発に、うちも一枚噛ませていただけませんか?」
「……どういうことでしょう?」
いまいち要点が分からない。
ウィスタリア伯爵家が資金を必要としていて、アストリー侯爵家が資金援助と引き換えに高貴な血筋を必要としている立場なら理解できる。
だけど実際は逆。
フィオナ嬢の思惑が分からなくて眉をひそめる。
「これはわたくしの予想なんですが、アレン様は自分の町で様々な新商品を開発するつもりじゃありませんか? たとえば……新しい農具、とか」
「――っ」
とっさに表情を取り繕った。
内心は表に漏らさなかったはずだ。
「知っていますか? 人は想像を働かせるとき、多くの人が右上を見るんですよ?」
「知っていますよ。ですが、それがどうかしましたか?」
知っているからこそ、さっきの俺は目線をあえて左下に落とした。もし俺の視線を見ていたとしても、俺の内心は読み取られていないはずだ。
「知っているからこそ、想像を働かせるときにはそれを隠そうとして視線を左下に落とす。兄さんは昔からそうだったよね」
「………………は?」
俺の癖を指摘されたことに驚き、彼女の態度や口調が急に変わったことに驚く。そしてなにより、兄さんと呼ばれたことに驚きすぎて理解が追いつかない。
「……フィオナ嬢? あなたは一体何者ですか?」
「まだ分からないの? 私はフィオナ・アストリー。アストリー侯爵家の長女にして、エリスという少女の前世を持つ女の子、だよ」
「エリス、だと?」
「そうだよ、メレディス兄さん」
フィオナ嬢は、前世の妹と俺の名前を口にした。
それが決定的だった。
「エリス……なのか?」
「そうだよ、久しぶりだね、兄さん。何年ぶりなのかは……分からないけど、一緒に冒険者として活動してたころ以来だね」
綺麗な顔に浮かぶ柔らかな微笑みは、言われてみればエリスの笑い方と良く似ている。
たしかに、俺がこうして前世の記憶を持つ以上、ほかにも俺と同じような存在がいてもおかしくはないのだけど……それがまさか妹だとは想像もしなかった。
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