第5話 デビュタント 4

 クリス姉さんのデビュタントは大成功に終わった。俺も準備の合間に少しだけ出席させてもらったが、バームクーヘンは大好評だったようだ。

 自分のデビュタントで使う予定だった切り札を使ってしまった訳だが、おかげでクリス姉さんを助けられた。なにより思惑を外された兄上がむちゃくちゃ悔しそうだったのでその価値は十分にあった。


 だけど、一矢報いただけじゃ満足できない。今度は自分のデビュタントを成功させて、俺達を見下している兄上の鼻を明かしてやる。

 そのために新しいお菓子の開発をおこなっていたのだが――ある日、父上に呼び出された。


「おまえに見合いの話がある」

「――なっ!? 待ってください、デビュタントはまだ終わっておりません!」

「誤解するな。別におまえを婿養子に出すという話ではない」


 後継者争いから外されたんじゃなくて良かった……けど、ならどうして見合い話なんてするんだ? 俺に話をするまでもなく断れば済む話なのに。

 いや、受けるのが前提だから俺に話したんだよな。

 だったら――


「誰かが俺の嫁に来るという話、ですか?」

「その通りだ。アレン、おまえに、是非娘を婚約させたいという話がある。そしてわしは、その話に一考する価値があると考えている」


 なぜという疑問が脳裏を埋め尽くした。

 いまの俺は次期当主になるかどうか分からない、宙ぶらりんな存在だ。あえて言うのであれば、先の華々しいデビュタントを飾った兄上や姉上より期待値は低い。

 にもかかわらず、実際に婚約の申し込みがあり、父上は一考の価値があると考えた。


「もしや、アストリー侯爵家、ですか?」

「……ほう。なぜそう思う?」

「まず、俺が当主になる可能性のあるタイミングで、父上が一考する価値のある相手とおっしゃったので、相応の家柄であると考えました」


 父上はなにか考えるように数秒ほど沈黙、再び話しかけてきた。


「まず、と言ったな。ならば相応の家柄の相手からアストリー侯爵家の名を上げた理由を聞かせてもらおうか」

「はい。それは相手側の事情を考えました」


 伯爵家の当主に相応しい相手であれば、このタイミングで俺と婚姻を結ぶような賭けをする必要がない。逆に当主に釣り合わない相手であれば、父上が見合いを受けるはずがない。


 両立が考えられるのは特殊なケース。

 家柄は相応だが、なんらかの理由で婚姻を急いで結ぶ必要のある家。


「アストリー侯爵家は近年続けざまに災害に見舞われ、没落寸前だと伺っています。ですから、このタイミングで婚約の申し込みがあったのなら、アストリー侯爵家だと考えました」

「ふっ。正解だ。良く他領のことを調べているな」

「……ありがとう存じます」


 恭しく頭を下げるが、内心では心臓がバクバク鳴っていた。

 デビュタントの紹介状を自分で用意する必要があったため、多少他領について詳しくなったから、たまたま知っていただけだ。

 招待状のリスト外に同じような状況の貴族家があれば外していたかもしれない。


 しかし……アストリー侯爵家か。

 父上の目当ては古くから続く名門貴族の血筋で、相手の目当てはウィスタリア伯爵家の資金力による援助、と言ったところだろう。


「ですが……分かりませんね。なぜ俺なんですか? 現時点で次期当主として有力なのは兄上ですし、アストリー侯爵家には長男がいましたよね?」


 相手としては出来れば次期当主と縁を結びたいはずだし、こちらはクリス姉さんを送り込めば侯爵家に血を入れることが出来る。

 もちろん、現時点で次期当主候補のクリス姉さんが嫁に出されることはないが、だからって俺が選ばれる理由が分からない。


「それに関しては不明だ」

「……不明、ですか?」

「相手からのご指名だが、その思惑までは分からんということだ」


 意味が分からない。

 政略結婚として考えた場合、俺の価値はそんなに高くないはずだ。それとも、ロイド兄上の性格を知って、俺の方が無難だとでも思ったか……?


「ひとまず俺である理由は置いておいて、父上は婚約しろとおっしゃるのですか?」

「あの領地が赤字になったのは不運にも災害が重なったため。決して当主が無能なわけではない。縁を結ぶ相手として悪くはないと思っているが、最終的な判断はおまえに任せる」


 判断をゆだねられると思ってなくて目を見張った。


「内心が態度に出ているぞ、未熟者め」


 叱責の言葉はけれど、それほど怒っているようには見えない。こちらが驚くのを見越しての言葉だったのだろう。戸惑う俺を見て楽しんでいるようにすら見える。


「おまえが当主になる可能性を考えれば、無理強いは得策ではないからな。ゆえに見合いはしてもらうが、実際に婚約に踏み切るかどうかは好きにしろ」

「俺が断った場合はどうするおつもりですか?」


 父上は「ふむ……」と呟いて、顎を指で撫でさすった。


「そうだな……ロイドを薦めてみるか? いや、わしの愛妾とするのもありかもしれんな。いまのアストリー侯爵家の状況を鑑みれば、断られることはあるまい」

「そ、そうですか」


 俺と結婚するかもしれない相手が、父上の愛妾になるかもしれないとはびっくりだ。いやまあ、政略結婚とはそういうものだが……ちょっと複雑な気分だぞ。


 次期当主の座を得るための後ろ盾と考えれば、婚約するべきなんだろうな。俺が決めて良いっていうなら、ひとまず会ってから考えるか。


「ひとまず、会ってみたいと思います。ただ……詳しい話はデビュタントが終わってからで構いませんか? いまはそちらに集中したいので」

「あぁ、そうだったな。では、見合いはデビュタント後にするが良い。せっかく正式な当主候補として認めてやったのにデビュタントで失敗されては叶わぬ」

「分かりました……って、ん? 正式な当主候補、ですか?」


 首を傾げる俺に対して、父上はさも楽しげに喉の奥で笑った。


「まだ伝えていなかったな。先日、クリスが当主候補から脱落した」

「――なっ、どういうことですか!」


 バームクーヘンは俺の想像以上に話題に上っていた。

 クリス姉さんのデビュタントは大成功に終わったはずで、次期当主に近付くことはあっても候補から外れる理由はないはずだ。


「あのバームクーヘンというお菓子はたしかに秀逸だった。おまえが作ったそうだな」

「――っ」


 俺が作ったと知られている。

 お菓子のことは料理長はもちろん、レナードとカレンにも口止めをした。ロイド兄上に知られるような失態は犯していなかったはずなのに何故だ?


「勘違いするな。他人の助力を得ることもまた当主として必要な力。クリスがおまえの開発したお菓子で成功を収めたからと言って、その功績を否定することはない」

「……では、どうして?」

「クリス自身が申したのだ。あの功績は自分ではなくアレンのもの。ゆえに次期当主に相応しいのもアレンである、と」

「クリス姉さんがそんなことを……?」


 ロイド兄上にしてやられてあんなに悔しそうにしていたのに、せっかく掴んだ次期当主となるチャンスを自ら放棄するなんて信じられない。


「話を戻そう。ゆえにクリスは当主候補から外れ、おまえは正式な当主候補となった」

「なぜ、ですか? 言ってはなんですが、俺は自分の功績をライバルに譲った甘ちゃんですよ? それに、まだデビュタントを成功すらさせていません」

「甘いことは事実だが、おまえは本来敵であるクリスの信頼を得た。それもまた、当主に必要な能力であるとわしは判断した」


 レナードが俺を認めてくれたのと同じような理由か。


「クリス姉さんが俺に手柄を譲ったというのは分かりました。ですが、そもそも俺が手を貸したのは兄上が原因です」

「むろん知っている。だが、権謀術数もまた当主には必要な能力だ。わしは、次期当主に自分の考えを押しつけるつもりはない。当主になりたければ相応しい才覚を見せつけよ」


 他人を味方にしようが蹴落とそうが、結果を出せばどちらでも良いらしい。

 クリス姉さんを認めてもらうか、それが無理ならせめてロイド兄上にペナルティーを与えてもらえれば良かったんだけど、そう上手くはいかないようだ。


「とにかく、クリスは次期当主候補から外した。これは決定だ。代わりにおまえを次期当主候補として正式に認める。だが、デビュタントで無様なマネはみせるなよ?」

「かしこまりました」

「よろしい。それとバームクーヘンなるお菓子のことだが、おまえはあれをどこで知った?」


 来たか――と、俺は気を引き締めた。

 そうして、あらかじめ用意していた答えを口にする。


「とある文献で知りました」

「その割には、おまえ以外に知る者が誰もいないようだが?」

「そのようですね。ですが、俺が手の内を明かすと思いますか?」


 ちなみに、それっぽいことを言っているが、実際のところは前世で料理本を読んだと頭がおかしくなったと思われそうな事実を言いたくないだけだ。


「ふむ。ではレシピについて教えるつもりはあるか?」


 何気ない口調のようでいて、周囲の空気が張り詰めている。

 どうやら、バームクーヘンは予想以上に好評だったようだな。あれを食べた貴族達が、自分達のパーティーで振る舞うために売って欲しいと集まってくる姿が目に浮かぶ。


「あのレシピはクリス姉さんに譲ったものです。俺が無断で教えるわけには参りません」

「いや、クリスはお前のものだと主張している。あれが誰かに教えることはない。だからこそ、おまえに聞いているのだ」

「そういうことでしたら父上にレシピをお教えします」

「……それで良いのか?」

「むろん、対価は頂きますよ?」

「だが、それではおまえの名声にならぬ。他領の要望に応えてくれるのであれば、おまえの町から輸出しても構わんのだぞ?」


 怪訝な顔をする父に向かって、量産には相応の設備――オーブンなどがいくつも必要なことと、日持ちがしないため、他領に輸送するには保存の魔導具が必要になることを伝える。


「俺が自分の町を得てから、作って売る準備をしていたら時間が掛かりすぎます。あれの価値を最大限に利用するのなら、いまを逃したくないでしょう?」

「良く分かっているな。では対価はなにを望む?」

「姉さんの救済を」


 よほど予想外だったのか、父上は目を見張った。


「もともと、バームクーヘンの技術はクリス姉さんにあげたものですから」


 俺にしてみれば、ロイド兄上への意趣返しに使ったものを、クリス姉さんに返してもらったようなものだ。姉さんのために使うことに躊躇いはない。


「救済と言うが……具体的にはなにを望むのだ?」

「次期当主候補から外れたら、クリス姉さんは政略結婚の道具にされるのでしょう? ですから、出来れば後継者候補への復帰を」

「……おまえは自分のライバルに塩を送るのか?」

「クリス姉さんに負けるのなら別に構いませんから」


 言外にロイド兄上に負けたくないのだと主張する。それが伝わったのかどうか。父上は「おまえ達は同じことを言うのだな」と呟いた。


「同じこと、ですか?」

「いや、なんでもない。それよりも、後継者候補の復帰は認められない。そもそも、あれがそれを望むかどうかも疑問だしな。だが、政略結婚については猶予を与える」

「……猶予、ですか?」


 父上は前置きを一つ。クリス姉さんが二十歳になるか、次期当主が決定するまで、もしくは彼女自身が望まぬ限り、誰とも婚約、または結婚をさせないと口にした。


「最長であと四年、ですか……」

「それ以上は行き遅れになるからな。その条件で良ければレシピと引き換えに受けよう」


 俺は少し考えて、それでお願いしますと取引を成立させた。


「それでは、俺はこれで失礼します」

「――アレン」


 話を終え立ち去ろうとしたところで引き留められた。

 なんですかと振り返る。


「おまえは見合い相手がどのような少女か気にならないのか?」

「ウィスタリア伯爵家に利益があることは先ほど聞きましたが?」

「いや、外見とか、そういう話だ」

「あぁ……」


 指摘されて、アストリー侯爵家の娘であることしか知らないと思い至った。

 だが、政略結婚であれば相手の外見はあまり関係がない。むろん、好みであるに越したことはないが、重要なのはウィスタリア伯爵家、ひいては自分の利になるかどうか。


「どうせ外見で決めるわけではないので、会ったときに確かめますよ」


 俺がそう口にすると、父上はなぜかため息をついた。

 

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