第4話 デビュタント 3

 なにはともあれ、レナードを唸らせたバームクーヘンがあれば、デビュタントはつつがなくおこなうことが出来るだろう。

 だけど、最後まで油断しないようにと、俺は準備の仕上げをおこなっていた。そんなある日、準備で走り回っていた俺は廊下で兄上に出くわした。


 ロイド・ウィスタリア。

 正妻の子供にして長男、対外的にはもっとも次期当主に近い人間と目されている。ブラウンの髪の下から覗く青い瞳が、俺を蔑むように見つめている。


 昔からこの瞳が苦手だった。俺は会釈をして、さっさと横を通り抜けようとするが、その途中で兄上に引き留められる。


「……なんでしょう?」

「分不相応にも、おまえも後継者候補として名乗りを上げたそうだな?」

「……ええ。父上が機会をくださいましたので」


 俺が勝手に名乗りを上げてるわけじゃなく、父上の許可があると主張する。それが伝わったのだろう。ロイド兄上は「この下賤な女の子供が」と舌打ちをする。


「……まあいい。おまえもクリス同様に身の程を教えてやる。俺が当主になった暁には、おまえもクリスも追放してやるから、束の間の自由をせいぜい楽しむんだな」


 兄上は言いたいことだけ口にすると、もう用はないとばかりに立ち去ろうとする。だから今度は俺が「――待ってください」と兄上を引き留めた。

 兄上は不機嫌そうな顔をしながらも足を止める。


「なんだ? 下賤な血筋の分際で、俺になにか意見しようというのか?」

「いいえ、聞きたいことがあるだけです」

「なんだ、言ってみろ」

「クリス姉さんに、なにをしたんですか?」


 さっき兄上は、おまえもクリス同様に身の程を教えると言った。

 おまえもクリスもではなく、クリス同様。

 それじゃまるで、クリス姉さんには既に身の程を教えたみたいじゃないか。


「あぁ、そのことか。あの気の強そうな妹の悔しそうな姿は実に滑稽だった」

「クリス姉さんになにをしたのかと聞いているんだ!」


 俺が詰め寄ると、ロイド兄上は俺を挑発するように笑った。


「俺はなにもしてないさ。ただ……たまたま便利な魔導具の研究成果を持ち込んできた奴がいたから、それを買い取って大々的に発表したまでだ」

「魔導具の研究成果? ……まさかっ!」

「あぁ、そうだ。たまたま、クリスも同じ研究成果をデビュタントで発表するつもりだったらしいな。だが、俺が発表した後ではどうにもならん、可哀想に」


 可哀想にと言いながら、その顔は楽しくて仕方がないとばかりに笑っている。

 頭に血が上り、視界が赤くなる。


「なにが可哀想にだ。兄上が盗んだんでしょう!」

「おいおい、人聞きの悪いことを言うな。俺はたまたま持ち込まれた研究成果を買い取っただけだ。クリスが同じ研究をしていたなど、知るはずがなかろう」

「そんな偶然、あるはずないでしょう!」

「いいかげんにしろ、アレン。貴様はなんの証拠もなく、俺を盗人呼ばわりするのか?」

「く……っ」


 たしかに、その研究成果を売りつけた者が個人で盗んだだけかもしれないし、本当に偶然なのかもしれない。兄上が研究成果を盗んだというのはただの憶測だ。


「アレン、俺を盗人呼ばわりして謝罪もないのか?」

「――っ。あらぬ疑いを掛け、申し訳、ありませんでした」


 俺は血が出るほど拳を握り締め、怒りに満ちた顔を隠すように深々と頭を下げた。

 その後、兄上と別れた俺は急いでクリス姉さんを探す。レナードに調べてもらったところ、クリス姉さんは部屋にいるらしい。

 という訳でレナードを伴って部屋を訪ねると、クリス姉さんのお目付役であり相談役でもある女性、カレンが姿を現した。


「これは、アレン様。クリス様はいま取り込み中ですが、なにかご用ですか?」

「ロイド兄上と会って話を聞いた」

「……少しお待ちください」


 カレンが部屋に戻って確認する。

 それから少し待たされた後、俺は部屋へと通された。


 足を踏み入れると、少しだけ甘い匂いが香る。綺麗な調度品で整えられた、華やかな部屋のベッドの上。クリス姉さんはペタンと座ってしょぼくれていた。

 だが、俺の視線を感じたのか、ゆっくりと顔を上げて俺を見る。その顔にいつものような覇気はなく、頬にはわずかに涙の痕が残っている。


「……クリス姉さんの研究成果、ロイド兄上が先に発表したそうだな」

「ええ、すっかりしてやられたわ」


 どうやら、クリス姉さんは以前からウィスタリア伯爵家お抱えの魔術師達と共同で魔導具の研究をおこなっていたらしい。

 そして、父上が雇っている者達に技術を漏洩させるような愚か者はいない。いままでだって大丈夫だったのだから、今回も大丈夫だ――と油断していたらしい。


「……父上に抗議はしなかったのか?」

「もちろんしたわ。でも、自分の部下でない者を信用するおまえが悪いって。ロイド兄様も、情報を漏洩した魔術師もお咎めなしだったわ」

「そっか……」


 料理長のときと一緒だな。

 たぶん、油断していたら情報を流出させても構わない。みたいな命令が父上から出ているんだろう。じゃなきゃ、父上はその部下を首にしているはずだ。


「それで……クリス姉さんはどうするつもりなんだ?」

「どうもこうも、あたしはもうお終いよ」


 諦めの混じった表情で力なく微笑む。それはきっと、前世で、そして今世で兄に嫌がらせされることを受け入れていた俺と同じ顔。


「なんとか、出来ないのか? 研究の発表は無理でも、パーティーまで一日ある。なにかほかのことでデビュタントを成功させるとか」

「無理よ」

「なんでだよ。なんか、珍しいお菓子を取り寄せるとか言ってただろ? それをメインに押し出したら良いんじゃないか?」

「お菓子はないわ」

「……え?」

「買い付けに行かせた馬車が襲撃を受けて、積み荷を奪われたの」

「そこまで、するのか……」


 ここまで来て偶然とは思わない。馬車を襲撃したのは兄上の手の者だろう。

 俺やクリス姉さんより二年早くデビュタントを終え、既に町一つ任されている兄上なら、そういった裏工作をする部下を抱えていてもおかしくはない。


「社交界は華やかに見えても、水面下では足の引っ張り合いが当たり前のようにおこなわれている。なんの警戒もせず……あたしが馬鹿だったのよ」


 そう、なのかもしれない。

 少なくとも、貴族社会においては権謀術数が飛び交うのは当たり前。そう考えれば、悪いのはロイド兄上ではなく、クリス姉さんと言うことになる。

 だけど、ロイド兄上にあそこまで言われて、負けっぱなしだなんてごめんだ。なにより、クリス姉さんが落ち込んでいる顔は見たくない。

 だから、俺はクリス姉さんに手を貸すことにした。


「クリス姉さん、諦めるのはまだ早い。レナード、あれを持ってきてくれ」


 瞬間、レナードは眉をひそめた。


「アレン、本気で言ってるのか?」

「本気だ。だから――頼む」


 レナードはなにか言いたげな顔をしたが、結局は分かったと部屋を出て行った。それから数分と待たず、レナードは皿に乗ったバームクーヘンを持ってきた。

 俺はそれを受け取り、クリス姉さんへと差し出す。


「アレン、これはなに? なにをするつもり?」

「ひとまず食べてみてくれ」


 クリス姉さんは戸惑いながらも一欠片を口に入れ――目を見開いた。


「嘘、なにこれ。こんなお菓子、食べたことないわ。アレンが作ったの?」

「ああ、そうだ。俺がデビュタントで披露するつもりで作った。これを姉さんのデビュタントで披露しよう」

「――なっ!? なに馬鹿なこと言ってるの! それじゃ、あなたの発表するものがなくなるじゃない。そんなこと、出来るわけないでしょ!」


 クリス姉さんは一瞬も迷わず、ダメだと俺を叱りつけた。

 良かった……姉さんを助けようとした俺の判断は間違ってない。自分が当主になったら俺を下僕にするみたいなことを言ってたけど、本当は優しい姉なんだ。


「俺のデビュタントまではまだ二週間ほどあるから大丈夫だ」

「大丈夫って……そんな訳ないでしょ。最低限のパーティーを取り繕うだけならともかく、たった二週間で次期当主に相応しいと思わせるようななにかを思いつくはずないじゃない」

「いいや、俺がレナードに取りに行かせたのも二週間で思いついた」


 嘘じゃない。

 ただし、バームクーヘンはいくつかの偶然が重なったからこそ出来た産物だ。いまから二週間で別のなにかを作れと言われると思いつかない。

 だけど、ロイド兄上にあそこまで言われたら俺だって黙っていられない。


「だから、心配するな。俺は自分を犠牲にするつもりはない。父上にクリス姉さんを認めさせて、俺も認めてもらうつもりだ」

「……アレンが本気で言ってることは分かる。でも、どうしてそこまでするの? あたしだって、あなたのライバルなのよ。ここで蹴落とせば良いじゃない」

「理由か……」


 二人で罠を食い破って、俺達を舐めきっているロイド兄上の鼻を明かしてやりたいとも思うし、ロイド兄上に対抗するのに味方を作っておきたいという思いもある。


 それに、俺が当主を目指しているのは、兄上が当主になって俺が破滅するのを防ぐこと。仲良く出来るのなら、クリス姉さんが当主になっても俺は困らない。


「そうだな。理由はいくつかあるけど……クリス姉さんのことが嫌いじゃないから、かな」

「なっ!? へ、へぇ……そ、そう、だったんだ。全然、知らなかったわ。あ、あたしもアレンのこと、き、ききっ嫌いじゃないわよ」


 むちゃくちゃ動揺してるし。もしかして、自分は養女だから弱みは見せられない――みたいなことを思ってたのかな?

 なんにしても、クリス姉さんに嫌われてないのなら問題ない。


「このお菓子、バームクーヘンを使ってデビュタントを成功させて、俺達を舐め腐ってる兄上の鼻を明かしてやろう」

「アレン……本当に良いの?」

「ああ、もちろんだ」

「ありがとう、アレン。この恩は、一生忘れないわ」



 絶対にほかに漏らさないと約束させたクリスの相談役、カレンにバームクーヘンの作り方を伝授して、明日のデビュタントまでに準備してもらうことになった。

 その後、役目を終えて部屋に戻った俺に、レナードが話しかけてきた。


「……あのレシピを教えて良かったのか?」

「あそこでクリス姉さんを見捨てて当主になったとしても、俺に味方はいない。それに、足の引っ張り合いでボロボロになった領地を治めるなんてごめんだ」

「だから、彼女に手を貸した、と? 彼女が味方になってくれるとは限らないのに?」

「甘いと言われるかもしれないが後悔はない。それに俺だって相手は選んでるつもりだ。クリス姉さんなら、たぶん恩を仇で返すようなマネはしないだろ」

「それで裏切られたら?」

「俺が馬鹿だったってことになるだろうな」


 俺の内心まで見透かそうとばかりに視線を向けてくる。レナードは俺のお目付役でもある。ここで俺が対応を誤れば、父上に俺は甘ちゃんだと報告されるだろう。

 だけど、同情でクリス姉さんを助けたわけじゃない。当主として相応しい器を見せつけるという意味で、クリス姉さんに手を貸した。だから、視線は逸らさない。


 しばらく無言ににらみ合いが続き――やがてレナードはふっと笑みを零した。


「正直、甘いと思わないでもないが……先を見据えているところは評価できる。それに、情に厚いところは短所でもあるが長所でもある」

「……だから?」

「ひとまず、俺が仕えるに値する相手だと認めてやる」


 そう言い放ったレナードは、佇まいをただして俺の前で床に膝をついた。


「今日この瞬間より俺はアレン様の部下です。非才の身ではありますが、全力でお仕えいたします。どうか、好きなように使ってください」

「……いきなり口調を変えられると気持ち悪いんだが」


 素直な感想を口にすると、レナードは顔を上げてなんとも言えない顔をした。


「せっかく俺が忠誠を示してやったのにそりゃないぜ」

「忠誠はありがたく受け取るが、態度はいままで通りの方が良いな」

「そうかよ。なら、そうさせてもらおう」


 立ち上がった瞬間、さっきまでの態度はどこへやら。いままで通りの気安い感じに戻る。

 うん、こっちの方が俺も楽で助かる。


「さて、忠誠は良いんだが……実際どうするつもりだ? 俺はなにをすれば良い?」

「俺は残りの時間で、自分のデビュタントで披露するなにか別の物を考える。だから、ほかの準備を引き継いでくれないか?」

「任せておけ。アレンに相応しいデビュタントの準備を整えてやる」


 切り札と引き換えに、俺は掛け替えのない仲間を手に入れた。

 

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