第3話 デビュタント 2

 クリス姉さんを見送った後、俺は厨房に顔を出した。

 遠方よりお菓子を取り寄せるというクリス姉さんの言葉をヒントに、前世でよく食べていたお菓子を再現して発表することを思いついたのだ。


 ちなみに、食べたことがあるからと言って、普通は作れないって思うだろ? だが、俺はそのお菓子については作り方を把握している。

 なぜならそれ、バームクーヘンは前世の妹の好物で、何度も作らされたことがあるからだ。


 妹は自由奔放というか、わがままというか……俺が兄の嫌がらせを受けて落ち込んでいるときに限って、やれ遊べだの、なにか作れだの俺を散々と振り回してくれたのだ。


 もっとも、そのおかげでデビュタントで発表するお菓子を作れるかもしれないので、人生、なにが役に立つか分からないと言ったところだな。


「これはアレン坊ちゃん、厨房になにかご用ですか?」

「実はデビュタントで発表するお菓子を作るのに厨房を使わせて欲しいんだ」

「お菓子を作る、ですか……?」

「あぁ、もちろん空いている時間だけでいい」


 困った顔をされたので、素早くそんな風に付け加える。

 だが、料理長の困った顔は晴れなかった。


「……なにか、問題があるのか?」

「いえ、厨房を貸すことに問題はありませんが……アレン坊ちゃん、デビュタントで、自分が作ったお菓子を振る舞うつもり、なんですか?」

「あぁ……そう言うことか」


 小さい子供が親に手作りのお菓子を振る舞うのならともかく、デビュタントで自作のお菓子を作っても評価されるはずがない――と、心配してくれているのだろう。


「心配するな。たしかに素人の域を出ない腕前だが、この国の貴族が誰も食べたことのないお菓子を作って振る舞う予定だ」

「オリジナルのお菓子を開発するつもり、ですか?」

「いや、えっと……書物で読んだお菓子を再現する予定だ」


 前世の記憶云々はむろん、今から考えると言っても呆れられるのは目に見えている。だから俺は、書物で読んだお菓子だと嘘を吐いた。

 一応、俺が知らないだけでこの国に存在している可能性を考慮した保険でもある。


「そんなわけで、バームクーヘンというお菓子を聞いたことがあるか?」

「バームクーヘン、ですか? いえ、聞いたことありませんね」

「じゃあ、薄い生地が何層にも重なったお菓子はどうだ?」

「……そんなお菓子があるんですか?」


 少なくとも料理長は見たことも聞いたこともなさそうだ。これなら、少なくともデビュタントで興味を惹くことは出来るだろう。


「そういう訳だから、使ってない時間に厨房を使わせてくれるか?」

「なんなら、俺が手伝いましょうか? レシピさえ教えていただければ、いまからアレン坊ちゃんのデビュタントまでに研究してみせますよ?」


 そういう料理長の顔には、未知のお菓子のレシピに興味があると書いてある。


「気持ちはありがたいが……今回は遠慮しておくよ」

「俺の腕は頼りになりませんか?」

「いや、もちろんそんなことはない。料理長の食事はいつも美味しく頂いてるよ」

「遠慮してるなら……」


 料理長のセリフは、首を振って遮った。


「腕前は信頼してるけど、料理長はあくまでウィスタリア伯爵家当主の料理人だろ?」

「それは、ご当主に許可を取っていただければ問題ないのでは?」

「そういう問題じゃないんだ」


 本来であれば、ウィスタリア伯爵家の人間は全て身内だ。

 だが、当主争いにおいては、父の使用人が俺の味方であるとは限らない。デビュタントの要となる新しいレシピを教えるのは危険だと思うのだ。


 考えすぎと思うかもしれないけど、デビュタントの件は父はギリギリまで教えてくれなかった。それに、レナードの件もある。

 ウィスタリア伯爵家の使用人だからと信頼したら、サクッと裏切られる気がする。


「まぁ……とにかく今回は自分で頑張るよ」

「そうですか。分かりました。では、アレン坊ちゃんが厨房を使っているときは、誰もここに立ち入らないように手配しておきます」

「……ああ、そうしてくれ」


 まるでこちらの意図を理解しているかのような対応に、思わずため息をついた。



 それから二週間。

 俺はデビュタントの準備を進める傍ら、厨房でバームクーヘン作りにいそしんだ。

 前世の俺が使ったのは、魔導具で温度管理の出来るオーブンだったが、ここにあるオーブンは薪を使うので温度管理が難しい。

 最初は生焼けになったり焼けすぎになったりしたが、オーブンの使い方なんかは料理長に教わることが出来たので、なんとかまともなバームクーヘンが作れるようになった。


 味はプレーンで、まだまだ改良の余地がありそうだが……この国の人間はそもそもバームクーヘンを食べたことがない。

 未知の食感を持つお菓子と言うことでおそらくは評価されるだろう。


「……いや、念のために確認はしておいた方が良いな」


 そんなわけで、使用人に頼んでレナードを呼んでもらった。


「なんだ、アレン。もう俺に泣きつくつもりか?」

「いいや、残念だろうがハズレだ」

「そうか、それはたしかに残念だ」


 むちゃくちゃ残念そうな顔をされた。

 今に見てろよ。バームクーヘンで驚かせてやる。


「それで、俺になんの用だ?」

「その前に確認させてくれ。レナードは父に仕えてはいるが、後継者争いにおいては俺のお目付役であり、相談役……で、あっているか?」

「その通りだが、それがどうした?」

「いや、レナードに相談という形で漏らした情報はどうなるのかと思ってな」

「あぁなるほど、そこに気付いたか」


 相談役という意味では、レナードに相談する分には問題ないように思える。

 だが、お目付役という観点で考えると、レナードに教えた情報は全て父上のところへ筒抜けになることが予想される。

 その辺りがどうなっているのか確認したかったのだ。


「たしかに、俺が知っていることは全てご当主様に報告することになっている」

「……やっぱりか」

「ただし、俺がアレンの相談役として知り得た情報は、後継者として相応しいか判断することにしか使わないとのことだ」

「なるほど……」


 情報は父上に対してだだ漏れになるが、情報漏洩的な意味で心配はしなくて良いってことだな。……っていうか、やっぱり情報漏洩に注意する必要があるんだな。油断ならねぇ。


「それで、俺にどんな相談だ?」

「相談って言うか、デビュタントで発表するお菓子の味見をしてもらおうと思ってな」

「はっ、お菓子だと? 贅の限りを尽くしている貴族相手に、生半可なお菓子で納得させられると思って……」


 俺が差し出した皿のバームクーヘンを見た途端、レナードがセリフを飲み込んだ。


「どうやら、生半可なお菓子ではなさそうだな?」

「見た目はたしかに珍しいな。だが、いくら珍しい見た目でも、味が良くなければ興ざめも良いところだぞ? ……あぁ、なるほど。だから俺に味見をしろと言うことか」


 俺は肯定の意味を込めてバームクーヘンが乗った皿をレナードに渡す。


「見た目は美味そうだが……毒とか入ってないだろうな?」

「入れるわけないだろ。良いから早く味見しろ、相談役」

「くっ、分かったよ!」


 なにやら決死の覚悟で一切れを口に放り込んだ。疑い深いと呆れるべきか、俺の信用がないと嘆くべきか悩ましい。

 だが、どのみち食べさせてしまえばこっちのものだ。レナードは目を見開いて口を動かすと、無言でもう一口、更に一口とバームクーヘンを口に運んでいく。


「どうやら、お気に召したようだな」


 食べ終わるのを待って声を掛けると、レナードはハッと顔を上げた。


「おまえ、いま試食だってこと忘れてただろ?」

「い、いや……こほんっ。もちろん覚えているぞ」

「口にクリームがついてるぞ」

「――っ」


 慌てて口元を拭うレナードを見て思わず吹きだしてしまった。


「冗談だ。その分だと、デビュタントで発表しても十分に通用しそうだな」

「食感といい甘みといい、いままで食べたことがない。間違いなくこのお菓子の話題で持ちきりになるだろう。これは……本当におまえが作ったのか?」

「俺は再現しただけだけど、この国ではオリジナル、ということになるんだろうな」


 ちなみに、心棒に生地を塗って焼き、塗って焼きを繰り返し、最後にぬいた心棒の代わりに生クリームを詰めてある。

 この生クリームも、どうやらこの国には存在していないようだ。なので、それを組み合わせたバームクーヘンは、レナードにとって相当驚きだったはずだ。

 いまだ信じられないという顔をしている。


「これのレシピは……」

「必要があれば教えてやるが、ひとまずは秘密だ」


 心底残念そうなレナードに、また今度味見を頼むというと物凄く元気になった。こいつ、外見に似合わず意外と甘党だな。

 ……いや、それだけバームクーヘンがこの国で画期的なお菓子なんだろう。このお菓子を使って、次期当主候補の座を勝ち取ってやる。

 

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