第3話 星に願いを。-03
「……どういうつもりですか何のつもりですか僕を社会的に殺す気ですか」
「へへ、演技上手いでしょあたし」
「なんで、そんな、誤解を招くような演技を、ご近所に響き渡る大声で、なさったのかと、聞いてるんです」
「やだあ狼狽えちゃって、ウブなんだから。もしかして鯨井君って童貞?」
けらけらと笑う遠藤さんを見て、僕はちょっと顔面の中心を強めに殴りたいと思った。
「鯨井さん、少し長くなりそうなので上がらせてもらってもいいですか」
「あ、はい……どうぞ」立花さんの言葉に戸惑いがちに頷く。入れてしまったものはしょうがない。幸いハンマー女は現れなかったし、話を聞くだけ聞いてさっさと帰ってもらおう。僕はため息をつきながら「どうぞ」と三人を中へと促した。
「おっじゃまー」
「し、失礼します……」
何の躊躇いもなくずかずか入っていく遠藤さんと、それに遠慮がちに続く舞初さん。あぁ、何でこんなことになってるんだろう。女子高生が三人も家に来るなんて男にとって夢のシチュエーションのはずなのに、あんまり嬉しくない。なんだこの気持ち。
「お邪魔します」
最後に残った立花さんは、きちんと三人分の靴を揃えてから立ち上がった。真面目だ。所々の言動に多少の棘を感じるものの、礼儀正しいところは素直に感心する。それに、よく見ると若干の幼さが残る顔は、普通にしていれば可愛い部類に入るように思う。だとするならば、やはりそのお堅い性格がすごく勿体ない。学校でもだいぶ損しているはずだ。彼女が遠藤さんみたいに明るく笑ったならば、きっと大抵の男は壁に頭を打ち付けて死ぬだろう。おそらく僕も死ぬ。スタイルだって悪くないし、特に脚のラインなんか――――
そこで僕の思考は停止した。再起動するまでに、数秒を要した。
彼女の、立花さんの、脚。すごくバランスが良くて、思わず見惚れてしまいそうになるけれど、そんなことは今やどうでもいい。その脚に着用している、もの。最初は白いニーハイソックスかと思い、真面目そうな彼女にしては意外なチョイスだなとまで考えて、違うと気付いた。
――――それは、包帯だった。彼女は両足に真っ白な包帯を膝上辺りにまでぐるぐる巻きにしていた。怪我をしているのだろうか。それにしては軽い足取りだ。だとしたら、何故……?
「どうかしましたか」
立花さんの声に、ハッと我に返る。彼女はじっと僕の目を見つめていた。それがあの夜のハンマー女と重なって見えて、また背中が粟立つのを感じた。
三人分のコーヒーを持ってリビングに戻ると、三者三様の待機模様だった。僕はとりあえず見事な正座を披露している立花さんの前にコーヒーを置き、部屋を漁りまくっている遠藤さんを座らせ、それから何やら頻りにソワソワしている舞初さんの方を向いた。
「えっと、どうしたんですか」
「あ、あの……」
「はい」
舞初さんはそのまま燃え上がりそうなほど顔を真っ赤にして「……お手洗い何処ですか」と呟いた。あー。
「奥行って右です」
「すみませんお借りしますすみません」
舞初さんはすみませんでサンドイッチを作るやいなや、僕の返事を待たずしてリビングを出て行った。よっぽど我慢していたらしい。どうか間に合いますように。
「ねーねー牛乳どこおー」
不意にキッチンの方から声がしたので嫌な予感と共に走って行くと、遠藤さんが勝手に冷蔵庫を物色していた。
「何やってんすか……」
「だってあたしコーヒーは牛乳ないと無理だし」
「だったら言ってくれれば出しますよ」
「あ、魚肉ソーセージ発見。食べていい?」
僕はそこにある大根で彼女の後頭部を思い切り打ち抜きたいと、爽やかに思った。
騒ぐ遠藤さんを無理矢理リビングに連れ戻すと、ちょうど舞初さんが晴れやかな表情でお花摘みから帰ってきたところだった。間に合ったらしい。そんな中、立花さんは姿勢を少しも崩すことなく正座を続けていた。これは本格的に立花さんサイボーグ説を唱える必要がありそうだった。
「ご家族の姿が見えませんが」
「ああ、両親は仕事の都合でしばらく海外に」立花さんの問いに答えると、魚肉ソーセージを貪っていた遠藤さんがたちまち目を輝かせた。
「え、じゃあ鯨井君こんな広い家に一人暮らし? いいなあー憧れちゃう。鯨井君の家って結構ブルジョワだよね、広いし冷蔵庫でっかいし。ラノベの主人公かよ。よし、ちょっと婚姻届もらってくるから結婚しようぜ」
「はいはい」
僕が華麗に受け流すと、後ろで舞初さんが最高級の苦笑いをなさっていた。
「あの、それで話って」
ようやく場が落ち着いたところで、僕は切り出した。遠藤さんと舞初さんが立花さんの顔を見た。立花さんはすっと静かに口を開いた。
「鯨井さん、学校へ来てください」単刀直入だった。
「……無理です」
「何故ですか」
「それは」僕は言葉に詰まってしまった。果たしてハンマー女の話をして、目の前の彼女らが信じてくれるのだろうか。ちなみにあの日の後、すぐに警察に連絡したが、彼らのリアクションが「あー……じゃあとりあえず周辺のパトロール強化するから、何かあったらまた連絡してね」なんて中途半端なものだった。「何か」あってからじゃ遅いだろうが! なんて言い分を、これの半分ぐらいのテンションで申したら「別に何か危害を加えられたわけじゃないんでしょ」と返された。ぐぬぬ。確かにあの後はちょくちょく無言電話があるくらいで特別何かが起きたわけではないけれど……でもその静寂が逆に怖いんだよ! 絶対何か企んでるよあの女! 視、線、を、感、じ、る、ん、だよ! なんて叫び散らすわけにもいかず、そうして僕は引きこもり生活を始める次第となった。警察ですら半信半疑だったんだから、女子高生に話したら笑われてしまうかもかもしれない。「何それ鬼のようにウケる~」なんて言われたらなんか立ち直れる気がしない。
「鯨井さん、私は一年C組の学級委員を任されています」
下を向く僕に、立花さんが言った。ああ。確かにこの人、委員長って感じだ。よく似合っている。これからは委員長と呼ぼう。
「今日は担任の
担任。そういえば引きこもりだしたばかりの頃、何度か訪ねてきたような気がする。まあぜんぶ居留守使って無視したけど。自分じゃ無理とわかって、今度は委員長投入したわけか。つまりこんな不可思議な状況になった元凶は担任か。そうか。まあ特に何かするつもりはないけれど、一応覚えておこう。特に何かするつもりはないけれどね。
「クラスに長期欠席者がいるのは、私としても困ります」
「それは……何故ですか」
ああ。聞かなくてもいいのに、聞いてしまった。彼女の返答はだいたい予想できる。真面目すぎる彼女はきっと――――
「私には、委員長としてクラスをまとめる義務があるからです」
予想通りの答えが返ってきて、ですよねーと思った。予想していたのだからダメージも少ない、ということはなく、その言葉の刺々しさに僕の脆弱なハートは穴だらけになった。空気が重くなったのを感じてか、遠藤さんと舞初さんが何か言おうと口をパクパクさせている。
「先生に言われて、義務感に駆られ、それで仕方なく来ていただいたのはわかりました……でも残念ですが、学校に行くという約束はできません」
思った以上に声が震えていて、僕は恥ずかしくなった。
「それは何故ですか」
「…………」
返事を濁す僕に業を煮やしたのか、立花さんが息を短く吸うのがわかった。
「鯨井さん、私にはあなたが学校に来ない理由がわかりません」
「ゆ、夕子ちゃん……」舞初さんがやんわりと制止するが、彼女の口は止まらなかった。
「例えば、それがもし『ただ何となく行きたくない』という理由だけなら、それは甘えです」
鳩尾の辺りがぐっと熱くなる。気持ち悪い。帰りたい。ああ、ここが家だった。
「誰にだって嫌なものはあります。でもそれを嫌だからといって避けるのは単なる我儘です。そんな堕落的な考えは身を滅ぼします。反省してください。ただ」
「出てけッ!」
僕は立花さんの言葉を叩き潰すように、大声で言った。遠藤さんたちが驚いて目を見開いている。気が付けばもの凄い力でズボンを握りしめていた。
「あ……すみません、でもほんとに帰ってください。気分が、悪いんです」
「わかりました。二人とも、鯨井さんは体調が悪いそうなので今日のところはお暇しましょう」
立花さんは顔色一つ変えることなく、立ち上がった。
「もし明日、体調が良ければ学校へ来てください。姿が見えなかったら、また放課後伺います」
「……もう来ないでください」
「いえ、まだ話は終わってませんので」
立花さんはそれだけ言うと「お邪魔しました」とリビングを出て行った。残りの二人は少し迷っていたが、黙ってそのまま彼女の背中を追って行った。
手を付けられずに冷めてしまったコーヒーを眺めながら、僕は「何も知らないくせに」と呟いた。その言葉がひどく負け惜しみじみていて、僕は力なく笑った。
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