第3話 ニート以前

 地元の高校をかなり良い成績で卒業したが、そもそも通っていた高校のレベルが低かったため、入った大学は勉強ができる人達が集まる学校ではなかった。しかし、地元ではスポーツ選手を多く輩出している有名な大学。僕の入った学部は、スポーツとは全く関係なかったが、大学内でもかなりの競争率で、知る人からは、すごいね、という評価を与えられていた。そんな事は、今となってはどうでも良い。


 大学に入り、少しお金が欲しくてアルバイトを探した。勤務日数と希望の時間帯で検索し、ヒットした所が家から近いショッピングセンター内にある百円ショップだった。母にも、チラと相談したが、僕の自主性に任せられた。

 バイトをするのに電話を掛けるという経験はその時が初めてだった。俯いて、事なきを待つ、そんな僕では知らない店に電話などできない。僕は、今までの僕からサヨナラしなければならなかった。思い切って電話をし、面接日を決められ、履歴書を持って行った日に、母はショッピングセンターの屋上駐車場で待っていた。

 

 あれは、ゴールデンウィークの真っ只中の通知だった。家族で乗る車の中、僕の携帯電話が鳴り響いた。嫌だったが、その着信に僕は応えなければならなかった。はい、ありがとうございます、ありがとうございます、を何回か連呼した覚えだけある。採用の連絡だった。僕は、社会に認められたことを素直に喜んだ。


 それから、働き始めた百円ショップの仕事は、実にくだらなかった。くだらなかったが、自分のできる仕事をそれなりにこなし、多少の充実感は得ていた。休みたい人がいれば、積極的に手をあげたりした時期もあった。他のスタッフから旅行へ行ったお土産をもらったり、何でもない日に甘いお菓子をもらったりした事もあった。自分も一度か二度同じような事をした。

 

 当初、週二日の勤務だったのが、気が付けば、週四日に増えており、土日は長時間勤務を強いられたりもした。シフトの相談をしても、人手不足だから、などと言われ、何も改善しなかった。 

 

 不満というものは、仕事に慣れるにしたがって、増えるか減るかのどちらかである。その職場は増える一方であった。ゴミのような客に、クズでもできる仕事。全く、この世の底辺の社会が、ショッピングセンターの片隅に、人知れず在った。

 

 ショッピングセンター内に設置されているトイレへ出勤前には必ず立ち寄り、自分の姿を鏡で見た。いつも曇り気味のその表面を、何度自分で磨こうと思ったことか。そんな低レベルの鏡にさえも、僕は自分を映し、その場で評価と確認をした。そうでもしなければ、何時間もレジに立つ自分を制することができなかった。

 

 得たものなら、少しある。何も知らなかった僕に、多少の社会の知識を与えてくれた事と、未熟だった世界観をゴロッとかきまぜてくれた。冷たいスプーンでかき混ぜただけで、何の味付けもなかったが、素っ気ない経験はそれだけで完成した。インスタント。一瞬にして化石だ。完璧。辞める決意は早々に着いた。 

 

 バイト最終日、初めて持ち帰ったエプロンを、家の洗濯機で洗ってもらった。母は黙ってそれにアイロンをかけた。そして、母にもらった普通の茶色い封筒に小さく畳んで入れた。小さなメモ紙に、お世話になりました、と書き、エプロンに重ねて入れた。出来るだけ平らにしてセロテープで封をした。確か、郵便局に持って行ったのは母だった。バイトについての話は、これ以上特記することはない。


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