第7話 暗黒のお茶会

 哲学的な素養の少ない私にヘーゲルの歴史哲学講義を読み通すのは大変ではあったが、確かに痛快な読み物だったので休みを利用して上下巻とも読破出来た。

 次の一節が気になった「そもそも国家の大変革というものは、それが二度くりかえされるとき、いわば人びとに正しいものとして公認されるようになるのです。ナポレオンが二度敗北したり、ブルボン家が二度追放されたりしたのも、その例です。最初はたんなる偶然ないし可能性と思えていたことが、くりかえされることによって、たしかな現実となるのです」

 繰り返されることによる、現実の醸成。私がやっていることは、私の人生は、歴史にとって何の意味があるのだろう、なんだろうと自問自答する。空虚な考えが浮かんでは消えていく。流浪の果てに、畝る時間の放流の中で、やがて何処へ流されるのだろうか。でも、私が出来る事は繰り返す事、そしてそれに賭ける事。よし、やっていきましょう。


 私は森羅万象研究会のお茶会に招かれていた。

 部長は殆ど毎日放課後部室に居るようだが、白雪さんや上遠野さんが部室に来るのは不定期で三人が揃う事は月に数度あるかということらしい。その時は決まって会合を兼ねたお茶会をやるんだとか。

 私は二度目の部室の門をくぐった。部屋は古いが手入れが行き届いており、綺麗に整えられている。上遠野さんが小物を揃えているらしい。紋章の刻まれたタペストリが部屋の雰囲気を引き締め、訳の分からない機械やオブジェが違和感なく融和している空間を作り出している。古い紙の匂いがほのかにする。椅子やテーブルは学校の備品を使わないといけないのでパイプ椅子に古い木の机だが、模様の入った品の良いクロスが敷かれていて、ロイヤルコペンハーゲンの茶器が並べられて洒落ていた。そんなオイルヒーターで暖められた部室は、寒い廊下を抜けて冷えた身体には天国のように感じられた。

 部長は本を読んでいた。クァンタン・メイヤスー『有限性の後で』

 上遠野さんがお茶とお菓子の用意をしているところだった。まだ白雪さんは来ていないようだった。

「上遠野先輩、借りてた本をお返しします」

「ありがとう、本棚に戻しておいて。白ちゃんが来るまでには支度を終わらせるから、そこに座ってて」

綺麗に並べられた食器に、お菓子が盛り付けられている。一度お湯を食器に注いで、ちょうどいい温度に保つ。上遠野さんの用意に抜かりはなかった。ここまで本格的にしなくても、と思うくらいに。

「空ちゃんは何を飲みたい?」

「アッサムがあれば飲みたいです」

「私もアッサムがいい!!」

 部屋の隅っこでだらけながら携帯ゲームをしている木ノ下さんが、私に便乗をした。

 はぁ、とため息をつく上遠野さんは、

「まぁ丸佳ちゃんも実質ここの部員みたいなものだしね…」

 と半ば仕方がないかのようにぼやいた。

「それならミルクティーにする?」

「お茶菓子があるので、普通にストレートで!」

「はい、かしこまりました」

そう言って上遠野さんはいたずらっぽく微笑んだ。至れり尽くせり、という待遇だ。部長は未だに本を読んでいた。上遠野さんは、何も手伝わない部長に対して文句はないのだろうか。くつろいでいる木ノ下さんには思うところがあるようだが、甘やかしすぎじゃないかな、と思った。

「瑠衣は何が飲みたい?」

「いつもアレで頼む。あーアレだ、セレッシャルのアレ」

「いつも飲んでるのはハニーバニラカモミール?」

 部長は上遠野さんに微笑み、

「あれ好きなんだ、頭の悪い味がしてな」

「バカだもんな!」

「ほっ…ほう、ほほ~~~う?」

 待ってましたとばかりに木ノ下さんは茶々を入れた。部長はイラッとしていた。

 ドアが開いて、白雪さんが現れた。彼女は部長を真っ直ぐに見ていた。するとようやく部長が本を閉じて、白雪さんを出迎えて、手慣れた仕草で手を取った。

「先輩」

 白雪さんはいつもの無表情で部長を見上げる。身長170cmはあるだろう部長と白雪さんは背丈に15cm以上差があって、白雪さんは手を取られながら部長を見上げていた。表情は崩してはいないが、その瞳には、間違いなく憧憬の感情が宿っていた。

「先輩、私はまた少し先輩に近付けた」

「皮肉がお上手なこと。私が下らない人間だって?」

 憧憬が宿る瞳とは裏腹に、言葉には突き刺すような棘がある。

 二人はどういう関係なのか、部長が白雪さんを評した言葉を思い出す――どうやら一筋縄ではいかない間柄のようだ。

「普段は一週間に一度は顔を出すのに、一ヶ月間来なかったね。来るなって言ったから。私は、楓が寂しくて寂しくて、でも素直になれなくて意地張ってる期なのかなって、楽しかったよ」

「私も先輩に会えなくて清々した」

「そうか、流石は自慢の妹だ」

「妹!?!???????」

 思わず大声を出して驚いてしまいました。まさかの、妹?

 確かに二人の間には、普通の先輩後輩にはないような親密な雰囲気が漂っていて、姉妹と言われてもおかしくはなさそうだった。でも、この部長ならスール制度を実際にやってのけていても不思議ではない。偽の姉妹を演じているなら、かなり妖しい関係かも知れない。私の頭はこんがらがっていた。

「なんでここにいるの」

 白雪さんがようやく私の存在に気付いて言った。

「楓を追い回しているようだから、はっきり話させてやろうと思って。あえて言ってなかった」

「余計なことを」

 白雪さんは手を取られたまま、ぼそっと照れくさそうに言った。手を取り合う二人は、まるでおとぎ話の王子様とお姫様のようだった。

「余計、過剰、残滓、それこそが人生で本当に大切なことだよ」

 そうして部長は白雪さんの耳元で何か囁いて――突き放す。弄ぶかのように。

 突き放された白雪さんはバランスを崩しかけて、よろめく。

「まぁ、いいけど」森羅万象の探求者の妹は、私の方を見つめて。その瞳は何かを訴えていた。

上遠野さんは白雪さんに心配するような視線を、そして部長には咎めるような視線を向けて、場の空気を構築し直すかのように優しい声で言った。

「瑠衣、白ちゃん、座ってて。丸佳ちゃんも行儀よくして。お茶を淹れるから」

 木ノ下さんが椅子に座り、

「フッ、今の瑠衣の恥ずかしい台詞を聞いたか?」と私に話しかけてきた。

「えぇ、聞いてましたけど……」

 そうして木ノ下さんは部長の方を見て微笑み、

「良かったな、聞いてくれていたそうだ!良い後輩を持ったな」

 ちょっとテンションに付いていけなかった。彼女の会話術は途方もありませんでした。

 暗雲垂れ込めるお茶会が始まった。

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