第2章 父よ、なぜあなたは私をお見捨てになったのですか

第4話 森羅万象研究会

2章 父よ、なぜあなたは私をお見捨てになったのですか

 私は、自分の生のあらゆる異常な前提の帰結を引き受けることになろうのだろうか。私はあなたをこの腕の中に抱え込むことになろうだろうか。――それとも……

(セーレン・キェルケゴール『1839年の日記』)


 森羅万象研究会。アカシックレコードに接続し、森羅万象を解き明かし語り明かす事を目的とした集団だという。一体何をやっているのか皆目検討もつかないし、よく学校側も存在を認めているなと思うくらいにふざけたお題目を掲げている。部員もたった3人しかいないらしい。日夜裏世界の人間との熾烈な闘争に明け暮れているとかいないとか。ミステリアスな雰囲気に惹かれて入部希望者はそれなりに居るらしいが、入部テストが難関らしく、それを受けたクラスメイトは何をやらされて計られているのかすら分からないと言っていた。兎に角謎のヴェールに包まれてはいるのだが――この学校で有名な部活と言ったら、誰もが森羅万象研究会を挙げるくらい異彩な印象を放っていて高名、あるいは悪名高い。


 その理由は、森羅万象研究会の部長である有栖零瑠衣ありすれいるいのその謎に包まれた振る舞いによる。

 私は覚えている。今年の春、部活動紹介で彼女が出てくる前の風雲急を告げるような上級生達のそわそわとした雰囲気と、実際に出てきた有栖零瑠衣の姿を。

 他の部員が制服か、あるいは部のコスチュームで現れたのとは異なり、有栖零瑠衣はどこのフランスの社交場だと思うほどに絢爛豪華で華美な衣装に身を包んで現れた。仰々しい装丁の『アーカシャ降臨歴』という、ネットで調べても出てこない謎の書物を携えて。現れるやいなや当然会場はざわつき、一体何が始まるのかと彼女の動きを見守っていた。

 登壇した有栖零瑠衣の発言に、全校生徒が稲妻に打たれような衝撃を受けた。

 「聞いて下さい。サラダ十勇士トマトマンより、ベジタブル・マイ・ラブ」

 彼女の歌唱は100秒近くに渡った。それからユヴァル・ノア・ハラリの本を引用しての演説を初めたが、何を言っているのか正直あまり覚えていない、というか理解できなかった。森羅万象を探求し始めたBAという人がいて、その人の意思を継いでいるとかなんとか。でも、あるフレーズを繰り返し言っていたのは覚えている。

 「われわれこそ、われわれが待ち望んでいた存在である」


 森羅万象研究会の入部テストを突破しても、そこから必須読書リストに記された本を全て読破する必要があるという。クラスメイトの柿島さんは入部テストに合格はしたが(部長から幾つか意味の分からない質問をされたので適当に答えていたら、訳のわからないままに合格を言い渡されたと言っていた)、必須読書マラソンが面倒過ぎて追い出されたという。

 新旧問わず様々なジャンルが揃っていた。ドストエフスキー『地下室の手記』、ノストラダムス『百詩篇』、ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』、ジョーゼフ・キャンベル『神話の力』、ユング『人間と象徴』、パラケルスス『予測の書』、ヘーゲル『法哲学』他にも色々あるという。カバラの二大原典、律法博士アキバ・ベン・ヨセフの偉大なる『創成の書』、十三世紀末スペインの高僧により記された『壮麗の書』などの古典も欠かせない。そしてアレイスター・クロウリーの著作集、エリファス・レヴィ『魔術の歴史』に『秘教哲学全集』全六巻分の翻訳を読む。これらを全て読みきる事で初めて正式に森羅万象の探求者として認められ、BAが執筆した秘蔵の書物『アーカシャ降臨歴』に目を通す事を許される。

 私には到底無理だと思った。そりゃ部員三人しかいないわ、というか森羅万象とか訳の分からないことを言っている人が三人もいるのかと思った。ゲッターチームばりに濃いメンバーが揃っていそうで。しかもその中の一人は白雪さんという事は、彼女もこれらのリストを全部読んだのだろうか。このマラソンを完走するのは相当な読書家か、あるいは森羅万象を解き明かそうと息巻くやる気勢か、世界征服の野望でも抱いていない限り無理だと思った。

 

 放課後、私は森羅万象研究会の部室の門を叩いた。

 出てきたのは、有栖零瑠衣ではなく綺麗な栗色の髪に編み込みを入れた女の子だった。光で透かすと淡い金色になりそうな、色素が薄めの可愛らしい栗色。ボブ風のセミロングを編み込んでいるのだろうか、お洒落に気を使っている、丁寧な人だという印象を受けた。

「こんな時期に入部希望者?森羅万象を解き明かしたいの?」

からかうような、いたずらっぽい余裕のある声色だった。身長は少し低めで160cmないくらいだけど、雰囲気は大人びていて女性ファッション紙に載っていてもおかしくない、出来る女っぽい、絵になる人だなと思った。

「森羅万象を解き明かす為に、必要な事を聞きにきました」

 女の子は嬉しそうに微笑み、私を部室に招き入れた。


 森羅万象研究会の副部長という彼女は、にこやかな笑みを絶やさず愛想よく私を迎え入れてくれた。パイプ椅子に座って足をぱたぱたと動かしながら話す彼女の、大人っぽい雰囲気とは違って子供っぽい動作も優雅な所作に見えた。

 彼女の他には、紫のメッシュが入ったアシンメトリーの髪型の、風紀委員や教師からすれば不良と烙印を押したくなるような女の子が部屋の隅でマットを敷いて寝ていた。

「あちらの方は」

「あの子の事は今は気にしないで、寝かしておいてあげて」

 アシメの人は、イヤーカフを付けた派手で近寄り難いルックスに反して、どんな夢を見ているか気になる程、それはもう幸せそうな表情を浮かべて安らかな寝息を立てていた。 

「新入部員の子が来るなんて久しぶり。ほら、うちは部長があれだからさー、もう大半の人はどん引きしちゃって」


 この人が副部長ということは、有栖零瑠衣とこの人、アシメの人、そして白雪さんの四人が森羅万象研究会のメンバーということになる。

 噂では三人しかいないと聞いていたが、実際のところは四人だった。例の部長と、アシメの人と、感情の希薄な白雪さんはまだ分かるかもしれないが、この人はどう見ても普通で。森羅万象がどうだのアカシックレコードがどうだの言いそうには見えない。

「それでもあの部長とお近づきになりたいとか、何か変わった事をしたいって思ってくれる子が入部したいって来てくれたりもしたんだけど、部長が厳しい入部テストを出してさー。そりゃ素質ある子だって皆付いてこれないよ。森羅万象を解き明かすのに満足したブタは要らん!とか言っちゃって。もっと門口を広げた方がいいと思うんだけど……。ってこれ、部長には言わないでおいてね。あ、そういえばまだ名前言ってなかったね。私は二年、副部長の上遠野柚子かとおのゆず

「一年の黒鳩空です」

「そういえば、万研が何をするとこか知ってる?」

「森羅万象を解き明かすべく、日夜奮闘されているとか」

 部室の中には難しそうな本が大量に揃えてあった。これらは全て森羅万象を解き明かす為の資料なのだろうか。他には怪しげな機械に気味の悪い人形も置いてある。私に意義が理解出来そうなものは品の良い食器と、古臭いオイルヒーターだけだった。

「正解。でも副部長の私も具体的には分かってないの。部長の頭の中に全てはある」

 副部長ですら実態を全て把握していないらしいとなると、いよいよ何の為の部活が怪しくなってきた。

「でもどうして今更ここに?」

「白雪楓さんについて聞きにきました」

 そう言った瞬間、上遠野さんは顔を強張らせた。まるで地雷を踏んだような。

「あなたは白ちゃんの何?」

「私は、白雪さん公認の、知り合いです」

「部長か白ちゃんが来るまで待ってて、呼んでくるから」

「屋上で白雪さんと話しました。今日はもう早退するらしいので彼女は来ないと思います」

 私の血を舐めて知り合いにならなってもいいと最大限の譲歩を見せてくれたあと。彼女は無表情のままウンウン唸った挙げ句、考え事があるから、今日はもう家に帰ると言って屋上を後にしていた。

「じゃあ部長を呼んでくる。まぁ元々瑠衣が来ないと始まらないし」


 現れた有栖零瑠衣は、制服の上に漆黒のトレンチコートを羽織っていた。腰まであるストレートの黒い髪に、切れ長の目。周囲を威圧するような居丈高な雰囲気を纏っていて、黙っていれば近寄り難いが出来る女、といった風体だ。そして『アーカシャ聖典』を携えていた。この本も、後で調べてみたが全く情報が出てこない。

「柚子、この部外者は何者だ」

「白ちゃんの知り合いの黒鳩さんだって」

「はぁん。はじめましてだな。お嬢ちゃん、要件を聞こうか」

 その不敵な笑みを処世術として、人々を得体の知れなさの畏怖に服従させてきたに違いない。

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