第11話 リューガは我慢する

 ぐっすり眠っていたリューガだが、突然の息苦しさに目を覚ました。

 瞼を開けば、自分の上にまたがっている幼い少女と視線がかち合う。

「おはよう、おにいちゃん!」

 年の頃は六歳ぐらいか。赤い髪を三つ編みにした、元気そうな女の子だ。


「…………だれ?」

 安眠妨害されて不機嫌なのか、リューガはぶっきらぼうに尋ねる。

『さあ? さっき部屋に入ってきたのよ』

 ベッドの脇に立て掛けられたニケが答えた。

 相手は小さな女の子、危険性はないと判断して看過したのである。

「ティアだよ!」

「…………」

 自分への質問だと思った女の子は、嬉しそうに名乗る。

 しかしリューガは、憮然として黙り込んだままだ。

『ほら、ちゃんと挨拶しなさい』

 ニケが注意すると、渋々といった感じで口を開く。

「リューガ…………おはよう」

「おかあさんが、ちょーしょくだって!」

「ゴハン!」

 ティアの伝言に、リューガは即座に反応する。

 彼が跳ね起きると、ティアはコロンと後ろに転がった。

『こら! 落ちたら危ないでしょ! 気を付けなさい!』

 ニケは、遺伝的な特徴からティアがベネット隊長の娘であると推測していた。

 だから、うっかり怪我でもさせたら厄介なことになると判断したのである。

 ニケに叱られ、リューガは首をすくめた。



 ティアに手を引かれ、リューガは食堂に入った。

 リューガが昨日と同じ席に座ろうとすると、

「ティアのイスだよ!」

 ふくれっ面で抗議されたので、彼女を抱き上げて膝の上に乗せた。

 そのままビシッと背筋を伸ばして待つことしばし。

 やがてベネット隊長の妻マレーナが、朝食を載せたトレーを持って現れた

「おはよう、リューガ君。娘と仲良くなったのね?」

 トレーをリューガの前に置きながら、マレーナが微笑む。

 リューガの膝の上で、ティアはご満悦な様子だ。

「おはよう……」

 うわの空で挨拶したリューガの視線は、朝食に釘付けである。

 マレーナが、食事の邪魔にならないようにティアを持ち上げてから、

「さあ、召し上がれ」

 と言った途端、リューガの手は丸いパンを掴んでいた。

 顎を限界まで開き、口の中に押し込むようにかぶりつく。

「よく噛んで食べるのよ?」

 リューガは硬直し、上目遣いでマレーナを窺う。

 それからゆっくりと、パンを噛み始めた。


『うーむ。躾けられているなー』

 十分な咀嚼は、消化を助けて栄養摂取を効率的にする。

 だけどニケは、何となく面白くなかった。



 ベネット隊長が帰宅すると、愛娘がリューガと遊んでいた。

 というか、ティアが一方的にかまっている。

 床にべったりと、リューガはうつ伏せになっていた。

 その背中に馬乗りになったティアは、大はしゃぎだ。


「なんだ、あれ?」

 台所を覗き、洗い物をしていた妻に尋ねる。

「なんだかティアが、やけにリューガ君に懐いちゃって」

 マレーナは若干苦笑ぎみに答えた。

 居間に戻れば、ティアがリューガの髪に指を突っ込んでいる。

 感触が気に入ったのか、わしゃわしゃと楽しそうに白い髪をかき混ぜていた。

 リューガは無抵抗、されるがままだ。

 床に顎を付けて、遠い目をしてひたすら耐えている。


『ひょっとして、子供が嫌いなの?』

 ニケがリューガに確認した。

 ティアを目にした最初から、どうもリューガの反応が鈍い気がする。

「…………いいえ」

 ぼそっと、リューガは億劫そうに否定した。

『どいてもらったら?』

 ニケのアドバイスにも、諦めの境地に達したような顔だ。

「…………しょうがない」

 その場の光景に、ニケは女神から受け継いだ記憶が喚起される。

 とある動物番組で観た、子供の手荒な愛情表現を我慢する犬そっくりだ。


「ほら、ティア。そこまでにしておけ」

 ベネット隊長が娘を持ち上げ、リューガを助けてやった。

「やだー! おにいちゃんとあそぶー!」

 片腕で抱きかかえられたティアが、ジタバタと暴れる

 ほっとしたリューガは、四つん這いで逃げようとした。

「おい、ボウズ。ちょっと付き合え」

 ベネット隊長は反対の手を伸ばし、リューガの襟首を掴んだ。


 ◆


 ベネット隊長は、リューガと一緒に家を出た。

 二人が向かった先は、街を囲む外壁の東門である。

 昨日、リューガが不法侵入しようとした場所だ。

 あの時の若い歩哨もいて、リューガに手を振った。

 エネ・トルボーには二つの門があり、南が正門に当たる。

 こちらの東門は、いわば街の勝手口のようなものだ。


「ボウズは、あの辺にいろ」

 ベネット隊長が東門の外、詰め所の脇に据えられたベンチを指し示す。

「はい」

 リューガはひょこひょこと歩いて、素直にベンチに座る。

 が、すぐに欠伸を漏らし、こてんと身体を横倒しにした。

『良い天気になりそーねー』

 気温や湿度、気圧などを観測し、ニケは今日の気象状況を予測する。

「はい」

 日射しを浴びて、リューガは気持ちよさそうに目を細める。


『……ところで、これからのことなんだけどー』

 睡眠を必要としないニケは一晩中、今後の方針について検討した。

 そして導き出された結論が、


『リューガ、あなたは強くならないといけない』


 昨日、リューガが集団リンチを受けた時、ニケは思い知った。

 理不尽な暴力を跳ね除けるには、それ以上の暴力が必要なのだと。

 危なくなれば逃げてしまえばいい、そんな都合の良い状況ばかりではない。

 ニケは自分の認識が、いかに楽観的だったか痛感したのである。


『強くなるために、エーテル・ボディを強化するのが一番手っ取り早いの』

 その理由を、ニケは詳しく説明した。

 アイスベルの原住上位生物種は、三つの層から構成されている。

 アストラル・エーテル・マテリアルの、各ボディだ。

 遥か遠い昔、神々によって改造された人類種も同様である。

 中でもエーテル・ボディは、強化すれば攻撃力・防御力の向上につながる。

 スキル技能エーテル操作魔術の威力も、エーテル器官の出力に依存しているのだ。


『それでね? 促成強化には効率的な方法が……って、リューガ?』

 話の内容が小難しいせいか、リューガはうつらうつらと微睡んでいた。

『おねむなの? いいわ、ちょっと休みなさい』

 ニケが優しく促すと、リューガは寝息を立て始める。


(まあ、いっかー)

 理論的な話は、後回しでも問題はない。

 なにしろリューガは、【記憶補完】、【知力向上】、【言語解析】の技能を所持している。

 それらはある意味、リューガにとって最も大事な武器といえた。

 とりあえず記憶の断片さえ残っていれば、いつの日か理解できるだろう。

 だから今のうちに、できるだけ情報を伝えておくことにしたのである。


(ちゃんとフォローしてあげなきゃね!)

 リューガの寝顔を捉えながら、ニケは決意を新たにした。

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