第9話 異世界転生初日の終わり
「すまねえ! この通りだ!」
鍛冶屋のエイギンはひざまずき、深々と頭を下げた。
頑固でプライドの高いドワーフが、屈辱的な格好で謝っているのだ。
彼が深く後悔しているのが、良く分かる光景だ。
しかしベネット隊長は腕を組み、厳しい表情でエイギンを見下ろす。
「つまり、勘違いでボウズを
さらに街の住民達は、ろくに確認もせずリューガを暴行したのだ。
現在、意識を失ったリューガは横たわったままで目を覚まさない。
ベネット隊長が冷やかな視線で見回すと、その場にいた全員が気まずそうに俯いた。
『謝ったって許さないからね!』
リューガの胸に抱かれた
『腐れドワーフだけじゃないわ! あんたも! あんたも! あんたもよ!』
リューガを追い詰め、暴力を振るった住民一人一人に、ニケは照準を合わせる。
本来、守るべき存在であるリューガが、自分のために災難にあった。
そのことが、いっそう彼女を激情に駆り立てる。
『あんた達だけじゃない! この街全てに災厄をもたらしてやる!!』
理性のタガが外れたニケは、荒れ狂う思念を放射した。
怒れる使徒をよそに、額を路面に擦りつけたドワーフの謝罪は続く。
「どうかしてたんだ。その小僧の剣が――――いや、すまねえ。見苦しい言い訳だった」
「剣だと?」
ドワーフの言葉に、ベネット隊長が眉をひそめる。
「ああ、小僧の剣が――――」
「ご、ゴホンッ! それよりもボウズの容態はどうだ?」
わざとらしい咳払いで遮ると、ベネット隊長は視線を転じた。
リューガは意識を失ったまま、ニケをかばうように抱き締めている。
「怪我をしている様子はありませんが」
リューガの傍らで、顔色や傷の有無を確認している男が、首をひねって答える。
『リューガ、ねえリューガー、お願いよー、目を覚ましてよー』
ニケが一転、心細げに呼び掛ける。どうすればいいのか、考えがまとまらない。
自分の情けなさに、ニケは泣きたいという感情を初めて知った。
『リューガ、ほら、起きなさい、ゴハンの時間だぞー?』
「ゴハンッ!!」
がばっと、リューガは跳ね起きた。
『ほんとに起きた――――!?』
リューガの食い意地の汚さに、ニケは喜ぶよりも驚愕する。
ぴょんと立ち上がったリューガは、キョロキョロと辺りを見回した。
「ゴハンどこ! ゴハンゴハン!」
「お、おい、ボウズ? 身体は大丈夫なのか?」
「ゴハン!」
「すまなかった、小僧! なんと詫びたらいいのか……」
「ゴハン!」
会話が成立しない。期待に満ちたリューガの瞳が、きらきらと輝いている。
「…………大丈夫そうだな」
ベネット隊長は呆れ返り、頭を掻いた。
冷静さを回復したニケが、状況を理解する。
(…………空腹で目を回していたのね)
「とにかく、この様子じゃ事情聴取は無理そうだな」
ゴハンゴハンと騒ぐリューガを見て、隊長はため息を吐く。
「エイギンは明朝、市庁舎に出頭しろ。ボウズは、こっちに来い」
「はい!」
弾むような足取りで、リューガはベネット隊長の前に立った。
「メシを食わせてやるからな」
「ゴハン!」
喜色満面のリューガの頭を、ベネット隊長は苦笑しながら撫でる。
『良かったわね、リューガ!』
元気を取り戻したリューガに、ニケも大喜びであった。
◆
ベネット隊長に連れられ、リューガ達は移動した。
街の中心部から外れると、庭付きの戸建て住宅が目立つ区域に入った。
「この辺りは、定期的に警邏が巡回している。まあその分、地代は高いが」
なるほどと、ニケは納得する。
安全に関わる情報は重要だ。リューガのために、些細な情報も疎かにできない。
そんなニケの配慮も知らず、リューガは大はしゃぎである。
ダッと駆け出しては、分かれ道で足踏みして待つ。
何度注意しても同じことを繰り返すリューガに、ベネット隊長は匙を逃げていた。
(もうちょっと詳しい情報を引き出したいけど)
リューガがあの調子では無理だろう。
ニケとベネット隊長は、期せずして同じ感想を抱いた。
しばらく歩き続けてから、リューガ達は明るい色合いの一軒家に到着した。
狭いながらも庭があり、花壇も手入れが行き届いている。
「おーい、マレーラ!」
ベネット隊長が玄関のドアを開けると、奥からパタパタと足音が近付いてきた。
「ベネット? どうしたの、ずいぶんと早いじゃない?」
廊下の奥から現れた女性が、嬉しそうに声を掛ける。
年の頃なら二〇代後半。スカーフでまとめた、緩くウェーブの掛かった黒い髪。
ほっそりとした、可愛らしい印象の女性である。
「すまないが、このボウズにメシを食わせてやってくれ」
「お客様?」
外から中の様子を窺うリューガを見て、女性が首を傾げる。
「ああ。どうした、入れよ」
「――――はい」
言われたリューガは、おずおずと玄関に入る。
そのままベネット隊長の背に隠れてしまった。
『リューガ? どうかしたの?』
妙に気後れした様子のリューガに、ニケは訝しそうに尋ねる。
「こんにちは。わたしはマレーラ、ベネットの妻よ」
人間ならば、厳ついベネットと可愛らしいマレーラの組み合わせに驚く場面である。
しかしリューガは、ふんわりと笑うマレーラの自己紹介にぎこちなく頷くだけだ。
「…………リューガ」
『あれ? ちゃんと名前が言えたね? 偉いぞー、リューガ?』
褒めて伸ばす方針のニケだが、リューガに違和感を感じて歯切れが悪くなる
「さあ、奥へどうぞ? 歓迎するわ、リューガくん」
◆
食堂に通されたリューガは、マレーラに促されるままテーブルの椅子に座った。
「ちょっと待っていてくれ」
そう言い残し、ベネットはマレーラを連れて台所に引っ込んだ。
視線をテーブルの天板に固定したまま、リューガは身じろぎ一つしない。
『ねえ、リューガ? さっきからどうしたのよ?』
緊張? まさかリューガが? そんな疑問で一杯である。
ニケの問いに、リューガは考え込むそぶりを見せる。
だいぶ時間が経ってから、リューガはぽつりと呟いた。
「…………ボス」
『ボス?』
シンプル過ぎて、ニケには意味不明である。
詳しく訊こうとしたところで、マレーラが戻ってきた。
彼女が手にしたトレーには、湯気の立つ深皿が載せられている。
「ごめんなさいね、あいにく残り物しかなくて」
リューガの前に、深皿とスプーンが置かれた。
『いいこと! ちゃんとスプーンで食べるのよ! 皿に顔を突っ込んじゃダメだからね!』
しかしリューガは深皿を凝視するが、一向に手を出そうとしない。
「おいおい、口を拭けよ」
傍らに来たベネットが注意する。リューガの口元から、ダラダラと涎が垂れていた。
「ほら、なに遠慮してんだ。さっさと食え」
『食べなさいよ、リューガ』
ニケと隊長が勧めても、リューガは動こうとはしない。
「どうしたの、リューガくん?」
マレーラの声に、ハッとリューガが顔を上げる。
「よし?」
「え?」
「よし?」
困惑するマレーラだが、リューガの尋ねたいことは察したらしい。
「ええ、もちろんよ。どうぞ召し上がれ」
リューガは、料理に襲い掛かった。
深皿の中身は、肉と野菜のシチューぽいもの。
ちゃんとスプーンを扱い、具材をすくって食らいつく。
噛み終える前に、次の具材を口に押し込む。
ろくに噛まず、ほぼ丸呑みで次々と貪っている。
二、三度咳き込んだが、お構いなしだ。
「そんなにがっつかなくても、メシは逃げねえよ」
無茶な食べっぷりを見かね、ベネットがリューガの肩に手を置いた。
「がうっ!!」
「うおっ!?」
リューガに噛み付かれそうになり、慌てて手を引っ込める。
すぐに皿の中身は無くなったが、表面に付着した汁をこそげ落とす。
「…………よっぽどお腹が空いていたのね」
マレーラが、考え込むように呟く。
そして再び台所に戻ると、今度はビスケットらしきものを持ってきた。
「はい、お食べなさい」
リューガはビスケットを受け取ると、すぐさま食らいつく。
「ちゃんと噛みなさい? でないと、次をあげないわよ?」
呑み込もうとしたリューガが、ぴたりと硬直する。
リューガはマレーラの顔と、彼女が手にした二枚目のビスケットを交互に見詰める。
やがて、もぐもぐと口を動かし始めた。
「はい、呑み込んで」
言われるままに嚥下する。
「ほら、口を開けて?」
マレーラは口の中にビスケットが残っていないことを確認し、二枚目を咥えさせた。
そんなやりとりを、何度も繰り返す。
「はい、おしまい」
リューガが悲しそうな顔になると、マレーラが彼の頬を撫でた。
「あんまり食べ過ぎると、夕食がお腹に入らなくなってしまうわ」
言葉の意味が分かったのかどうか。
ともあれリューガは大人しく頷いた。
(餌付けされた――――!)
それまで唖然としていたニケが、再起動した。
「なんだか俺とお前じゃ、えらく態度が違うんだが…………」
「そうなの? 素直で良い子じゃない」
「えー? そうかー?」
危うく噛み付かれそうになったベネットがぼやくと、マレーラが穏やかに笑う。
(あなたより、彼女を上位者と認識したのよ)
犬は元来、群れで生きる動物である。そして群れの中で順位付けをする。
リューガは、マレーラのことを上位者と認識したのだろう。
(あれ? じゃあ、わたしのことは?)
リューガの中での自分の立ち位置が気になる、ニケであった。
「あら、おねむなのね」
食欲が満たされて眠気を催したのか、リューガの目がトロンとしている。
マレーラは生あくびを繰り返すリューガの手を取り、立ち上がらせた。
「ほら、ベッドで休みましょう」
「おい、ちょっと待て。ボウズから色々と訊きたいことが」
「後でいいでしょう? 疲れているみたいだし、寝かせてあげましょう」
「しかしだな」
「いいわね、ベネット」
「おう、もちろんだ」
別に威圧する口調ではなかったが、ベネットは大人しく引き下がった。
客室に案内されたリューガは、ベッドに寝かされた。
『お休みなさい、リューガ』
ニケの思念を最後に、リューガは異世界転生の初日を終えた。
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