第8話 リューガの逃走

 人通りのある街路に出ると、ニケは省エネモードを解除して集音を開始。

 同期している天使の虚像も、両手のひらを耳に添えてグルグルと回転する。

 そしてなぜか同じポーズを真似する、リューガ。

『やらなくていいから。しかも耳ふさいでいるし』


 様々な音が混然一体となって響く街の騒めき。

 もつれた糸をほどくように音響解析すると、ニケは求める音源を特定した。

『んーとね、あっちに行こっかー」

 省エネモードに戻すと、天使ニケは右手方向にパタパタと飛ぶ。

「はい!」

 蝶に誘われる犬のように、はしゃぎながらリューガは後を追った。

 天使を指先で突っつくが、やはりすり抜けてしまう。逆にそれが楽しいようだ。

(よし! 作戦成功!)

 天使ニケに興味津々なリューガを見て、彼女は内心ほくそ笑む。

 しかし網膜映像に過ぎない天使ニケは、リューガ以外には見えない。

 歩きながら奇妙な素振りをする彼を、周りの通行人達は奇異な目で眺めた。


 ニケに誘導されるまま歩いていると、やがて職人街へと入り込んだ。

 狭い路地の両側に延々と連なる、種々雑多な金属製品を扱う職人の工房。

 それらの軒先では、職人達が様々な作業に勤しんでいる。


 鍋釜を修繕する鋳掛屋。装飾品に彫金する細工師。

 真鍮の板から鍋や釜、香炉までも自在に生み出す鍛金師など。

 どこかで鍛冶仕事でもしているのか、金属を叩く甲高い音が鳴り響く。

 話し声がかすんでしまうような音量に、リューガは怯え気味である。

 最初は夢中で天使ニケを追っていたのが、職人街に近付くに次第に腰が引けた。

 金属音が鳴り響くたびに、びくりと身を竦ませたりしている。


『どうやら、ここみたいね』

 一軒の工房の前で、天使ニケが停止した。

『リューガ、ちょっと声を掛けてみて?』

「…………もしもし?

『いやそんな小声じゃ聞こえないよ?』 

 ほら大きな声でと促され、リューガは胸いっぱいに息を吸い込む。

「もーしもーし!! いーますかー!!」

「誰だ! いま手が放せねえんだ!」

 工房の奥から怒鳴り声が返される。

『よし、勝手に入りましょう』

 天使ニケがパタパタと奥に侵入すると、リューガも続く。

 やけに細長い造りの工房を進むと、突き当りが鍛冶場だった。

 ずんぐりむっくりした男が、ふいごで炉を焚き、ハンマーで金床を叩いている。

 飛び散った火花が剥き出しの腕に掛かるが、まるで気にする様子はない。

 男はどうやら剣を鍛造しているようだった。


『ドワーフの武器職人だったのね』

 音響解析から鍛冶師を探していたニケだが、さすがに種族までは推測できなかったようだ。

 リューガは無言で首を傾げる。

 転生前に女神が説明したのだが、当然ながら覚えていないらしい。

 あの時は犬だったし仕方がないかと、ニケは改めて説明する。

『アイスベルの主要種族の一つよ。筋力と器用度が高くて、冶金や鍛冶では他種族の追随を許さないわ』

 今度は反対側に首を傾げるリューガ。やはり理解できないらしい。


 そんなやり取りをしながら作業を見守っているうちに、かなりの時間が経過した。

 やがて一段落ついたのかドワーフはハンマーを脇に置き、じろりとリューガを睨む。

人間ヒューマンのガキが、なんの用だ? いっとくが人間は弟子にとらねえぞ」

「でし、ちがう。みて、ほしい」

「ああ?」

 リューガはニケを鞘ぐるみ外して、ドワーフへと突き出す。


「いくら、かう?」


 ニケに促されるままに、そう尋ねた。

 ――じぶんが身売りして金を入手する、それがニケの結論だった。

 お腹を空かせたリューガを食べさせるためには、お金が必要である。

 現状金を稼ぐ手段がない以上、他に方法がない。

『たった一日の付き合いだったけど、これでお別れね』

 ミニ天使をリューガの前に浮かべながら、しんみりと語り掛ける。

『金を手に入れたら、あの隊長を探しなさい』

「はい!」

 職人街に来る途中で説明した今後の方針を、ニケは改めて繰り返す。

『お金をどう使うかは、彼に教えてもらいなさい』

 見掛けによらず親切そうで、隊長という責任のある立場の人間だ。

 リューガを悪いようにはしないだろう、そう期待したいニケだった。

「分かった?」

「分かった!」

『いい返事ねー。もーちょっと、名残を惜しんでほしーけどねー』

 ほんとに理解しているのかいないのか、リューガの表情に悲壮感は皆無。

 ぐずられるよりは良いかと、ニケは苦笑じみた感慨を抱く。

「…………おいガキ、大丈夫か?」

 うっかり声に出していたリューガに、ニケも気付かずにいた。

 ドワーフが不審そうな眼差しになる。

『邪魔しないでよ。いまリューガと最後のお別れを――』

「あのな? うちじゃ、買い取りなんてしねえぞ?」

 念話が聞こえないドワーフは、ニケの文句を途中で遮る。

『…………え?』

「俺は商人じゃねえ。作ったもんを、連中に卸すだけだ」

 自分は鍛冶師である。そんな自負心からか、ドワーフは不満げに説明する。

 そうか、請負制なのかとニケは納得する、

「なに? なに?」

『えーと、そのね?』

「なにもくそもねえよ。さっさと帰りな」

『そ、そうだ! このドワーフに鑑定してもらいましょう! 事前に価格を知っておきたいから!』

 自分の勘違いで愁嘆場を演じたニケが、懸命に誤魔化そうとした。

「いくら、なる?」

「目利きしろってか? 俺様を相手に、ずいぶんと強気だな」

 グイッと突き出されたニケを見て、ドワーフが鼻先で笑う。

「下手なもんだったら、ハンマーで叩き折っていやるからな」

『ふふん、ドワーフ風情が偉そうに。腰を抜かさないようにしなさいよ』

 売り言葉に買い言葉。もちろん相手に聞こえないが、ニケは自信満々である。

 女神ご自身に与えられた形態だ。きっとすごいに名剣に違いない。

『ドワーフだって、びっくり仰天よ!』

 ニケはリューガに自慢げに告げた。


 むんずっと無造作に鞘を掴んだドワーフだが、柄を引き抜く手付きは意外と丁寧だ。

『さあ、どうよ! 驚いたか―――って、あれ?』

 現れた刀身を見詰めるドワーフは、ほとんど無表情である。

 その眼差しに感嘆はなく、ちょっと眉間に皺が寄る程度の変化しかない。

『あれ? あれ? 実はわたしって、大したことないの?』

 ドワーフが動じないので、ニケの自信が急落する。

「はい!」

『なんだとコンニャロ――――!!』

 リューガの適当な相槌に、ニケが怒り出す。

 ドワーフは無言で腰を下ろすと、ニケを金床に横たえる。

『えっ? ちょっ、ちょっと! なにするつもり!?』

 ドワーフはハンマーを手にして、いきなり打ち下ろした。

『ぎゃああ――――!?』

 ガキンッと、金属音が鋭く炸裂した。

 ドワーフが、全身全霊を込めて打ち下ろしたハンマー。

 その柄は折れ、ハンマーの頭が飛んで壁にめり込んだ。


『びっくりした!? あーびっくりした! なにすんのよ腐れドワーフ!!』

 ニケが猛然と罵倒する。

 ハンマーぐらいで叩き折られるほど、やわではない自信はあった。

 いきなりの仕打ちに動揺したのだ。


「なんじゃこりゃああああああああああああ!?」


 しかしドワーフの驚愕は、ニケの比ではなかった。

「刃毀れ一つねえ! まったく歪みがねえ!」

 血走った目で、氷のようなニケの刀身を凝視する。

『ひいいいいっ!?』

「材質はなんだ! ミスリル! 違う!」

 ドワーフは真っ赤に燃え滾る炉に、ニケを突っ込む。

 燃料をくべ、ふいごを押しまくって火力を上げる。

『ひいいいい――――!』

 しばらくしてからニケを引き抜き、素手で剣身に触れる。

「まったく熱が伝わってねえ! おい! だったらどうやって鍛えたんだ! ああ!」

 目を剥いたドワーフが口の端に泡を吹き、ニケを睨み付ける。

『ひいっ! ひいっ! ひいっ!』

 ドワーフの目に宿る危ない光に、ニケは恐怖しかない。

「おい! ガキ!!」

 ドワーフが振り向き、リューガに怒鳴る。

 その時リューガはドワーフの豹変に怯え、鍛冶場の片隅で震えていた。

「買ってやる! 幾らでも出すぞ! この剣を売れ! 売ってくれ!」

 ドワーフは哄笑し、ニケをブンブンと振り回す。

「全財産だっていいぞ! 足りなけりゃこの工房を売り払ってやる!」

 ドワーフの宣言はニケの思惑通り、いやそれ以上だっただろう。

 大金を手に入れるチャンス到来、しかし――――


『リューガ――! 助けてえええ――!!』


「――――えっ?」

 ドワーフは、空になった手を呆然と見詰めた。

 顔を上げれば、入り口から逃げ出すリューガの後ろ姿。

 その手には、ニケと鞘を掴んでいた。


「ど、ドロボ――――――!?」


 ドワーフは怒声を張り上げ、リューガを追って駆け出した。


 ◆


『リューガー恐かった! こわかったよ―――!』

 泣きじゃくる。そんな感じのニケを、リューガは走りながら鞘に戻した。

 逃げる彼を、短い脚をフル回転してドワーフの鍛冶屋が追い掛ける。

 さかんにドロボーと叫び続けるドワーフと、剣を抱きかかえて走る少年。

 そんな二人の追い掛けっこを見れば、当然誤解する者が現れる。

「止まれ!」

 一人の男が、リューガの前に立ちふさがる。

 両手を広げて飛び掛かる男を、リューガはさっと躱した。

 バランスを崩して倒れる男に構わず、リューガは走り続ける。


『…………ごめんね、リューガ』

 冷静さを取り戻したニケが、静かに語り掛ける。

『さっきは、ちょっとビックリしただけなの』

 照れ臭そうな感情がこもった、ニケの念話。

 事態に気付いた通行人が幾人も、リューガの追跡に加わる。

『なんか予想外に高く売れそうねー! さすがわたし!』

 全力で逃げ続けるリューガに、元気さをアピールする。

 止まれ逃げるなと、背後から罵声が飛ぶ。

『もう大丈夫だから、ね? あのドワーフに、わたしを売りなさい』


「ワオンッ!!」


 リューガが、吠えた。

「リューガ!?」

「ワンッ! ワンッ! ワンッ!!」

 吠える声が通行人達の注目を集め、さらに追跡者が増える。

 前後左右から群がる追跡者。

「ワオオオオ――ン!!」

 彼らを躱しながら、リューガは追跡者全員に吠え掛かる。

 リューガが何を考えているのか、ニケには分からない。


 リューガが転んだ。

 ふたたび立ち上がるが、足元がふらつく。

 疲労と空腹が限界に達し、リューガの逃げ足を鈍らせる。

 脇から飛び出した男の体当たりを、躱し損ねてしまう。

 転倒するリューガを、別の男が押さえつける。

 抵抗するリューガを、男が殴り付けた。次々と追跡者が集まる。

『リューガ! リューガ! リューガ!!』

 ニケを抱き締めて放そうとしないリューガを、男達が蹴りつけた。


「なんの騒ぎだ!!」


 怒声が、群集に降り注いだ。

 人垣をかき分け、ベネット隊長が姿を現す。


 彼を目にした途端、リューガは気を失った。

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