第7話 可愛さよりも大切なモノ

 酒場を逃げ出したリューガは、一目散に走り続けた。


 やがて人気のない路地に駆け込むと、頭を抱えてうずくまる。

 ガタガタと震える格好は、股の間に尻尾を挟んで怯える犬のごとし。


「リューガ! もう大丈夫だから! 恐い人はいないから!」

 震えの治まらないリューガを、ニケが懸命になだめすかす。

「あうぅ~にけ~~」

 腰からニケを取り外すと、リューガは鞘に鼻づらをこすりつけた。

 リューガが竜牙だった頃、鈴木奈美に甘えていたのと同じように。


 そのいとけない仕草が、ニケの琴線のどこかに触れる。

「…………リューガは良い子だねー、よーしよし」

 声は自然と優しくなり、何度も何度も慰めた。

 それに反比例するように、鞘の内では怒りの炎が燃え盛る。

(あの暴力女め―! わたしのリューガを蹴りやがってえー!!)


 そもそもの原因は、リューガのセクハラなのだ。

 しかしそんな真っ当な理屈など、激怒するニケには通じない。

 理性を司る使徒とは思えない、沸点の低さだ。


「ほらー、男の子がいつまでもメソメソしてたらダメだぞー?」

「…………はい」

 ずずっと鼻をすすった途端、リューガの腹がグーと鳴る。

「お腹が減ったのね…………」

 ニケが悲しげに呟く。

 さきほど骨付き肉を一本食べたが、あれっぽっちで足りるはずもない。

 かえって、すきっ腹を意識しまったのだろう。

 

 するとリューガは、ヒクヒクと鼻をうごめかした。

 きょろきょろと辺りを見回し、路地の脇に置かれたゴミ箱見つける。

 リューガの鋭い嗅覚は、えもいわれぬ芳香に気付いた。

「ゴハンッ!」

 ゴミ箱に駆け寄り、まさに蓋に手を掛けた瞬間である。


「ダメ―――――!!」


 ニケが、絶叫した。

「それだけはダメ! お願いリューガ! 止めてちょうだい!!」

 ニケの必死な懇願に、蓋を開く途中でリューガの動きが止まる。


(これを許しちゃいけない)

 リューガは元が犬だ。もしゴミ箱をあさることを覚えたら、どうなるか。

 きっと味を占め、ひんぱんに同じことを繰り返すようになるだろう。

 それは色んな意味でダメだと、ニケは思うのだ。


「…………はい」

 リューガは、渋々ゴミ箱の蓋を閉じた。

「よーし、偉いぞーリューガ」

 褒められたところで空腹感が消える訳ではない。

 リューガは悲しげに腹をさする。


「大丈夫、わたしに任せなさい!」

 ぱっと、リューガの目の前に何かが出現した。

 それは手のひらサイズの、三頭身にデフォルメされた女の子だ。

 パタパタと白い翼を羽ばたかせ、上下に揺れながら宙に浮かんでいる。

 天使のような女の子は、にっこりと微笑んだ。

「ほーら、リューガ? これ、どうかなー?」

 自慢のファッションを見せびらかすように、空中でクルリと回転した。


 問答無用である。

 大口を開けたリューガが、いきなりミニ天使にかぶりついた。


「ぎゃああああ――――!?」

 愛らしい容姿とは裏腹な、断末魔のごときミニ天使の絶叫。

 あわやスプラッタな事案かと思いきや、

「びっくりした!? いきなりなにすんのよ!!」

 何事もなかったかのように、そこにミニ天使が浮かんでいたのである。

「視点をこっちにしているんだからね! ぐわっと迫られて驚いたわよ!」

 ぐるぐると腕を振り回し、リューガに抗議した。

 しかしリューガは、またもやミニ天使に噛みつこうとする。

 何度繰り返しても、ミニ天使はリューガの目の前にいて変化はない。

 業を煮やしたミニ天使が、両手を振り上げて怒り出す。

「あーもう! いい加減にしなさいリューガ! 何がしたいのよ!」


「ゴハンッ!!」

「食べる気満々だった!?」

 ミニ天使の愛らしさなど眼中になかった。


 さらに数回試みて諦めたリューガに、ニケが説明する。

「つまりコレはね? リューガには見えるけど、他人には見えないモノなの」

 まるで自分で喋っているかのように、ミニ天使が口元をぱくぱく動かした。

「網膜投影によるナビゲートシステムよ」

 ミニ天使は両手をひらひらと振って、アピールする。

「ほらほらー、ホンモノみたいでしょー?」


 この街にリューガを誘導する際、ニケはさんざん苦労させられた。

 言葉による指示がいまいち通じないリューガのために、視認できる案内人ナビゲーターを創ったのである。

(これでも十分役立つはず。さすがにアストラル・リンクはマズいし)

 ちなみに女の子のキャラにしたのは、彼女がそんな気分だったからだ。


 チョンと突っつこうとした指先が、天使の腹に入り込む。

「…………ニケ?」

 リューガは不思議そうに見詰めながら確認をする。。

 どうやらニケとミニ天使を同一視したらしい。

「まー、それでもいいけどねー?」

 特に支障はないと考えたニケは、リューガを手招きした。

「さ、こっちにおいでー」

 ふわりと天使ニケが宙を飛ぶ。


「…………わたしが、なんとかしてあげるから」


 そう呟く彼女を追い、リューガは路地から抜け出した。

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