第5話 ステータス

 リューガとニケは、辺境都市エネ・トルボーの門を潜った。

 二人の前に、色鮮やかな街の風景が広がる。

 レンガ敷きの赤い大通りの両脇に、揃えたように三階建ての建物が建ち並ぶ。

 どれもが漆喰と木材で組まれた瀟洒な造りで、色とりどりに塗装されている。

 行き交う人の数も多く、その上質な衣服からは街の豊かさが窺えた。


 平和で繁栄した街というのが、ニケが感知した第一印象である。

 リューガは顔を上げてくんくんと鼻を鳴らす。

 次の瞬間、いきなり駆け出そうとした。

「こら坊主! 離れるんじゃねえ!」

 赤毛の隊長は素早く手を伸ばし、リューガの襟首を掴む。

「うおっ!?」

 しかしリューガの勢いに引っ張られ、たたらを踏んだ

『リューガッ! 大人しくなさい!!』

 ニケが精神感応で一喝すると、リューガは大人しくなった。

 この隊長、容貌こそ強面だがリューガに好意的な感じがする。

 ならば彼の心証を損ねるのは得策ではないと、ニケは判断したのだ。


 叱られてうなだれるリューガを、隊長が鋭い眼差しで見下ろす。

「…………レベル一〇超えか?」

(レベル?)

 彼が漏らした単語に、ニケは注意を引かれる。

「ほら、こっちだ」

 リューガの首根っこを押さえながら、隊長が先へと進む。

 しかしリューガがしきりに鼻を鳴らし、隙あらば走り出そうとする。

(ははあ? さては食べ物の匂いが気になるのね)

 ニケも念話で叱りつける一方で、無理もないと考える。

 転生を果たしてから半日以上、何も口にしていないのだから。

 そろそろ水と栄養を補給させないと―――――、

 そこまで考えたニケが、ハタと気付く。

 豊かな街そうなので、おそらく食料は豊富にあるだろう。

 しかし、その食料を入手するには、どうすればいい?


(お金が要るんだ!?)


 もしニケが人間なら、一気に青ざめていたはずである。

 これだけの都市を築いているのだ。文明レベル的に貨幣経済の段階に至っているはず。

 だから食料を購入するには、まずは通貨を入手しなくてはならない、のだが。

(どうやってお金を手に入れるのよ!)

 万物生成マテリアライズならば、通貨を偽造することは可能だ。

 しかしリューガの衣服を創ってしまったので、インターバルに数日間必要である。

(あーもーどうすればいいのよー! リューガが飢え死にしちゃう!!)

 混乱状態に陥ったニケは、周囲の状況が把握できなくなってしまった。



 リューガが赤毛の隊長に連れて来られたのは、エネ・トルボーの市庁舎だった。

 土台部分がレンガ造りの四階建て、赤い屋根からは青いドームを被せた尖塔が突き出ている。

 そこは議会、裁判所も兼ねた、エネ・トルボーの中枢である。

 隊長が市庁舎の右側にある玄関から入ると、そこはホールになっていた。

 奥にあるカウンターを一瞥して、顔見知りの職員を探す。


「ソーニャ」

「あら、ベネット隊長?」

 声を掛けられた二十代半ばの女性職員が、目を通していた書類から顔を上げた。

 切り揃えた亜麻色の前髪の下から、隊長とリューガに訝しげな視線を向ける。

「どうしたのですか、こんな時間に? それに、その子は?」

 ベネット隊長がリューガの襟首を掴んでいるのを見て、眉をひそめる。

「あー、なんて言うか…………不審者?」

「不審者?」

 ベネット隊長の言葉に、ソーニャが首を傾げる。

「さっき東門にやってきて、街に不法侵入しようとした」

「なんですって!?」

 驚いたソーニャが、リューガをまじまじと見詰めた。


 辺境都市では治安上、人の出入りは厳しく管理されているのだ。

 不法侵入すれば逮捕され、場合によっては処断されてしまうほどの犯罪である。

 しかし当の本人はいたって呑気で、物珍しそうに周囲を見回している。


「訳ありっぽいんだが、尋問してもいまいち要領を得ない。同行者の姿も見当たらない。所持品は剣一本」

 頭を掻きながら説明するベネット隊長は、困惑顔である。

「身元も不明で着の身着のままで、ふらりと立ち去ろうとするから……」

「連れてきちゃったんですか?」

「いや、ほら、いちおう尋問を…………」

「仮滞在許可書は手続きしますから、市長にはご自分で報告してくださいね」

 ベネット隊長の意図を察し、ソーニャが先回りする。

「でも、これから門の歩哨に戻らなきゃならねえんだけど」

「なんで隊長が、歩哨なんてやっているのですか?」

「ルディスが用事で、今日は休みなんだ」

「それで代わりに歩哨を? 他の方に命じればいいのに」

「俺が一番ヒマそうだったからな?」

 なんやかや言い訳をして、ベネット隊長は事態を回避しようとする。

「市長は現在、執務室にいらっしゃいます」

 しかしソーニャはすげなくあしらい、ホール脇の階段を指差す。

「で、でも、こいつ、捕まえておかないとふらふらと出歩くから…………」

「そうなのですか?」

 ここに来る途中で、さんざん苦労したとベネット隊長が愚痴る。

「ぼうや、こっちにいらっしゃい?」

「わはい!」

 ソーニャが笑顔で手招きすると、リューガが駆け寄る。

 カウンターに両手を揃えて置き、そのままジッとソーニャを見詰める。

 ソーニャが何となく頭を撫でると、興奮のあまりぴょんぴょんと跳ねた。

「素直で良い子じゃないですか?」

「おいこらボウズ」

 現金なリューガに、ベネット隊長が呆れる。

「こちらは大丈夫なので、さっさと行ってください」

 二人の様子を不機嫌そうに窺いつつ、ベネット隊長は執務室へと向かった。


「ぼうやの名前は?」

 あらためてリューガに向き直ると、ソーニャが尋ねる。

「リューガ!」

「良い名前ね。これから仮滞在許可書の手続きをするわね?」

「はい!」

「身分を証明する書類がない人が街に滞在する場合、その人のステータスを登録する必要があるの」

 ソーニャが、カウンターの下から一枚の板を取り出す。

 表面が鏡のように滑らかで、書類ほどのサイズの物体だ。

「これ、知っている?」

「はい!」

 リューガは何も分からないまま、自信満々に返事をする。

「じゃあ、ここに手を置いて?」

「はい!」

 リューガは素直に、差し出された板の上に手を置く。


 その時のニケは、まだ思考のループ状態から抜け出せずにいた。

(いざとなったら、わたしが…………)

 ようやく結論に至ろうとしたニケは、奇妙は波動を感知した。

 その波動が、リューガの内部を駆け巡っている。

『なんなのこれ!? リューガ、何があったの!!』

 我を取り戻したニケが、矢継ぎ早に質問を発する。

「はい、もういいわよ」

 ソーニャが、手を離すように指示する。

『こいつ!? リューガに何をしたのよ!』

 ニケの認識では、ソーニャはいきなり目の前に現れた人物である。

 彼女に対して、ニケは警戒感をむき出しにした。


「じゃーん! はい、これがリューガくんの能力値ステータスです!」

 滑らかな板の上に、光る文字で以下のように表示されていた。

 名称:リューガ・F

 種族:ヒューマン

 年齢:一五


医療解析器メディカルアナライザー!?)

 その正体を看破したニケが、驚愕する。

(こんなものが、どうして地上にあるの!?)

 対象を走査して、身体能力その他諸々を数値化する装置である。

地上基地ビフレストから技術流出したの!?)

 おそらく劣化コピー品だが、文明レベルⅢではオーバーテクノロジーだ。

 画面には、リューガの能力値ステータスが表示されていた。


 名称:リューガ・F

 種族:ヒューマン

 年齢:一五

 身長:一五六

 体重:四二

 マテリアル値;六

 エーテル器官:Lv一〇

    出力:三〇

    容量:四〇

    防御:二〇

    速度:二〇〇

 職能:剣闘士

 技能:記憶補完・言語習得・格闘戦・着火・洗浄・浄水

 特記:☆☆


「リューガくん、すごいわ!」

(うわーショボイなー)

 ソーニャとニケが同じ能力値ステータスを確認し、真逆の感想を抱いた。


「エーテル出力が三〇なんてすごい!」

「すごい?」

「ええ! 成人男性の平均出力の三倍よ!」

 ソーニャは興奮しつつも、小声でまくし立てる。周囲に配慮しているのだろう。

「しかも速力が二〇〇!? エネ・トルボー最速だわ! おまけに戦闘職持ちだなんて!」


(エーテル出力の平均値が一〇なら、確かにそれなりなんだろうけど…………)

 様々な能力を向上させるエーテル出力、それが高めなのは良い事ではある。


 だがあくまでも、一般人基準でしかない。

 創造主から受け継いだ知識で、ニケは知っているのだ。

 世界には規格外の個体や、強大な魔獣が跋扈していることを。

 その中で、たかがエーテル出力三〇が、どれほどのものか。

 暴れ狂う巨獣の群れの足元でウロチョロする、子犬にしか思えない。


 技能スキルパッケージである職能ジョブが、一つだけなのも物足りない。

 職能を構成する技能は、単体で取得する技能よりも機能的には劣る。

 しかし経験や学習がなくても、特定の技術や知識が得られる技能スキルを一括して複数得られる職能ジョブは魅力的なのだ。

(女神さまー、ケチケチしないで奮発してくださいよー)

 あれほどリューガに入れ込んでいたのに、あまりにもショボい能力値である。

 通常の転生者でさえ、もっとマシな性能諸元だろう。


 しかし速度二〇〇は、能力値平均化補正が働く人間ヒューマンとしては突出している。

 足が速ければ、危険を避けて生き残る確率が高まるはずだ


(…………きっと女神さまには、深いお考えがあったのね)

 幸せをもたらすのは強力な力ではないという、思し召しなのだろう。

 だから初期性能が、戦闘よりも逃走向きなのかもしれない。


「あら、特記事項があるのね?」

「はい?」

 ソーニャが、能力値一覧の一番下でチカチカ点滅する、☆☆を指し示す。

「特別な情報がある場合に表示されるの。開示義務はないけど……、ちょっと興味があるわね」

 何かを期待するようなソーニャの眼差しに、リューガは首を傾げる。

「そこを本人の指先で触れると、閲覧できるわよ?」

 ソーニャが、さりげなく誘導する。

『っ!? リューガ! 押しちゃダメ――――!』

 ぽち

 素直なリューガは、ニケが止める前に点滅する文字を押してしまった。

『リューガ! 伏せえ――――!!』

「きゃっ!」

 ソーニャが覗き込もうとした瞬間、リューガは医療解析器メディカルアナライザーの上に上半身を投げ出した。

 しかしニケには、そのわずかな時間で十分である。

(なっ! なっ! なっ!?)

 特記事項を読み取り、ニケが激しく動揺する。

(なんだコリャア―――――!?)


 嗅覚:一〇〇〇〇〇〇

 加護:女神の応援がんばれー♪


(なに考えてんですか女神さま!?)

 嗅覚、一〇〇万。

 もし基準値を一〇で調整しているなら、通常の人間ヒューマンの一〇万倍である。


 転生した漂流者は、生前の優れた技能や能力を継承できる特典がある。

 その継承能力は様々で、古武術、超能力、イメージ力など様々だ。

 フロスティアは犬の嗅覚を、そのまま能力として与えたのだろう。

 おまけに加護を付与するのはいいが、いまいち役に立ちそうもない。

(…………がんばれー、じゃないですよー)

 ニケは鞘の中で、がっくりと脱力した。


(まあ、嗅覚だけなら誤魔化せるかなー?)

 リューガを見守る立場としては、常軌を逸した能力も困るのである。

 派手に目立つことで、トラブルに巻き込まれる可能性が高くなるからだ。

 ニケの目的は、リューガを英雄に仕立てることではない。

 とにかくリューガを生き延びさせ、幸せにすることなのだ。


 リューガが指を離した拍子に、特記事項は再び非表示になった。

 ちょっぴり残念そうなソーニャだったが、仮滞在許可書発行の準備を始める。

「それじゃあ、リューガくん? あそこに座って――――」

 そう言って、彼女がロビーの片隅にあるベンチに目を向けた瞬間だった。


 リューガが、風になった。

 そう錯覚させるほどの素早い動きで、その場から移動した。

「ベネット隊長を待って―――――、あれ、リューガくん?」


 ソーニャが辺りを見回した時には、リューガは市庁舎から飛び出していた。

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