初めての街

第4話 初訪問・初逮捕

 使徒であるニケは現在位置を割り出し、最も近い人里を検索した。

 リューガの食料が得られる、安全な根拠地を探すためである。

 条件に該当する村があったので、ニケはリューガに移動を促した。



 しかしニケにとって、それは試練の始まりを意味した。

 ニケを剣帯に吊るし、いざ出発という時。

 リューガは四つん這いになって駆け出し、すっ転んだのだ。


 人間ヒューマンの体格は、四つ脚で走行するのに適していない。

 そんな初歩的なことから、リューガを指導しなくてはならなかった。

 二足の歩行様式自体は、転生処置で植え付けられている。

 初めの内こそぎこちなかったが、一歩ごとに歩き方がスムーズになった。

 しかし二足歩行に慣れると、今度は注意が散漫になってきたのである。


 犬との感覚のギャップも、既に調整済みだ。

 リューガは興味の赴くまま、あちこち道草を始める。

 小さな花を見つけては鼻を近付け、飛び回る蝶を追い掛け回す。

 お陰でちっとも前に進めないあり様だ。


 しかし、これも慣熟訓練と情操教育の一環だと、ニケは忍耐を重ねる。

 それとなく興味を誘導して進路を修正するなど、気苦労が絶えなかった。


 そうやって半日ほど歩くと、草原に浮かぶ人工物の影が見えてきた。

「やっと…………やっとだわー!」

 ニケが、心底うんざりした口調で叫んだ。

「…………あれ? でも情報よりも規模が大きい?」

 接近するに従い、輪郭が明瞭になる人工物。

 それは石造りの外壁に囲われた街だった。


 ニケは創造主フロスティアから、低レベル帯の情報を受け継いでいる。

 その情報を基に、小さな集落を目指していた筈なのだ。

 情報と現実の齟齬。考えられる理由に、ニケは思い至った。

「情報が、更新されていない?」

 どうやら創造主が、地図情報のアップデートをさぼっていたらしい。

 四六時中、異世界の放送メディアばかり観ていたせいだろう。


「女神さまー! 勘弁してくださいよー!」

 ニケは嘆いた。ただでさえ、手間の掛かる子供を抱えているのだ。

 せめて地図情報ぐらいは、最新版が欲しかった。

 そんな恨みがましい気持ちを切り替え、ニケはリューガに語り掛ける。


『仕方ないから。情報収集を優先しましょう』

 いきなり頭の中でニケの言葉を感じ、リューガはビクッと身を竦ませた。


 ニケは直接心に語り掛ける技術、精神感応について説明する。

 もちろんリューガの理解度を考慮した、丁寧な説明を心掛けはした。

『――という訳なんだけど、ちゃんと分かったかなー?』

「わん!」

『違うでしょ!』

「わはい!」

『惜しい!』

「はい!」

『よく言えましたー、偉いぞー』

「はい! はい!」

 ニケに褒められ、リューガはご機嫌である。

 微妙に腰が動いているのは、尻尾を振っているつもりなのか。

『でもほんとは、分ってないよねー?』

「…………」

『まあ、いいわ。こういうものだと憶えておけば』

 苦笑じみた感じで、ニケは匙を投げた。


 外壁の高さはおよそ一〇m。

 街を円形に囲み、直径は一kmほど。

 城壁沿いに歩くと、街道を面した正門が見えてきた。

 両脇に塔がそびえる立派な門の前で、歩哨が槍を片手に立っている。


(不審者が街に侵入しないように見張っている訳ね)

 ニケは、彼らを相手に情報収集を目論む。

 現地人である歩哨に友好的に接触し、コミュニケーションを図る。

 相手の応答から城壁内部の様子を探り、安全性を確認するのだ。

 ニケはリューガと最後の打ち合わせをする。

『分っているわね? まずは挨拶よ』

「こんにちは?」

『そうそう。何か聞かれたら、わたしの指示通りに答えなさい』

「はい!」

 リューガが、自信満々に返事をする。

 不安は残るが、自分がフォローすればいい。

 そう考え、ニケは行動開始を告げる。

『では、ミッションスタート!』



「こんにちは!」

 リューガは歩哨に近付くと、元気よく挨拶した。

「そこで止まれ! 名前と身分と来訪の目的を述べろ!」

 言葉は厳しいが、形式的なものなのだろう。

 歩哨が特に警戒している様子はない。

「はい!」

 リューガは元気よく素直に返事する。


 そのまま歩哨をスルーして、門を潜ろうとした。


「お、おいこら坊主! ちょっと待て!」

『リューガ!? 止まりなさい!』

 血相を変えた二人の歩哨が、リューガの前に立ち塞がる。

 槍の穂先を突き付けると、彼らは叫んだ。

「「武器を捨てろ!」」


『信じたわたしがバカだったー!』

 いきなりピンチに陥り、ニケが思念で絶叫する。


「はい!」

『なんだとコンニャロー!!』


 若い歩哨が素早く背後に回り、リューガの腰からニケを奪った。

(しまった!?)

 リューガから引き離され、ニケはうろたえる。

「何者だ! 名を名乗れ!」

 リューガの鼻先に槍を付けた年嵩の歩哨が、声を張り上げる。

 真っ赤な髪が印象的な、見上げんばかりの巨漢だ。

「リューガ」

 危機感が全くないのか、リューガは呑気に答えた。

「どこから来た!」

「あっち」

 リューガが素直に背後を指差すと、赤毛の巨漢が顔をしかめる。

 妙なやつが来たぞと、彼の表情が語っていた。

「…………それで、この街に来た目的はなんだ?」

「?」

「いやそんな顔をされても…………」

 不思議そうに首を傾げるリューガに、赤毛の巨漢も困惑する。

 しかしニケの指示に従っただけのリューガには、答えようがない。


『えーと、そうだ! 旅の途中だと答え、あ、こら! 何すんのよ!?』

 若い歩哨に鞘から勝手に引き抜かれ、ニケが怒り出す。

 若い歩哨は、ニケの刀身に魅入られて息を呑んだ。

「隊長、これ…………」

 隊長と呼ばれた赤毛の巨漢が横目でチラリと伺い――――絶句した。


 その冴え冴えとした刀身の輝きは、尋常一様の業物とは思えない。

(まさか魔剣か!?)

 いきなりの関所破り、しかし本人には全然悪びれた様子がない。

 訊かれたことに応える態度は幼く、衣服は卸し立てのように真新しい。

 しかも、魔剣とおぼしき剣を所持しているのだ。

 長年街の治安を預かっていた隊長だが、こんな状況は初めてである。


 この場をどう取り繕うかと、ニケが焦る。

 しかし隊長は声を和らげ、腰を屈めてリューガと目線を合わせる。

「あのな、坊主?」

 本人的には優しい表情のつもりらしいが、元が厳めしい面構えである。

 逆にひどく怖い顔つきになり、若い歩哨がぷっと吹き出した。

「はい!」

「連れはいないのか?」

「ニケ!」

 リューガは即座に答え、ニケを指差した。

「そうか。あの剣の銘は、ニケというのか」

 恐ろしげな隊長を前に平然と受け答えするリューガに、若い歩哨は驚く。

 なかなか度胸のあるやつだと、強面の自覚がある隊長自身も感心した。


 元が犬であるリューガは、たんに人間の容貌に無関心なだけなのだ。

 それに隊長の醸し出す匂いから、自分に害意がないことも感じていた。


「ともかく! 身元のはっきりしない者は、この門は通せぬ!」

「はい!」

 気を取り直した隊長の宣言に、リューガは明るく答える。

 くるりと背を向けると、そのまま立ち去ろうとした。

「あ、おい、ちょっと待て!?」

『リューガ!? どこいくのよー!』

 あっさり退散しようとするリューガを、隊長とニケが同時に呼び止める。

「はい?」

「…………行く当てはあるのか?」

 振り返ったリューガは、口をぽかんと開けた。

 真っ黒に澄んだ純粋な瞳で、隊長をジッと見詰める。

『えーと、えーと、あーもうどうすればいいのよー!!』

 ニケが癇癪を起すのと同時に、隊長がガリガリと頭を掻きむしった。


「あー、くそ!!」

 隊長が、忌々しげに悪態を吐く。

「おい、ちょっとここ、頼むぞ!」

 隊長に声を掛けられ、若い歩哨は苦笑する。

「相変わらず人が良いっすねえ、隊長は」

「こんな怪しいやつ、野放しにできるか!」

 隊長は手招きすると、リューガは足取り軽く近寄った。

「ひょっとすると犯罪に巻き込まれた被害者かもしれねえだろが」

 リューガの肩に分厚い手を置くと、隊長は若い歩哨をじろりと睨む。

「一旦保護して、後で詳しく取り調べるんだ。勘違いするんじゃねえ!」

「はいはい。ほら坊主、剣を置いて行くつもりだったのか?」

 若い歩哨は呆れ気味に、ニケを手渡した。


『…………リューガ、わたしのこと、忘れていたわね?』

 ニケが恨めしい気持ちを思念に込める。

「はい!」

『なんだとコンニャロー!!』

「ど、どうした坊主!」

「なんだいきなり!」

 ニケの言葉が聞こえない隊長達は、突然声を上げたリューガに驚く。

 文句をまくし立てようとしたニケは、グッと堪えて注意する。

『念話の時に、返事は要らないから』

「はい!」

「ぼ、坊主? 大丈夫か?」

「腹が痛いとか、その、頭が痛いとか」

 隊長と若い歩哨は、どこか可哀想なものを見る眼差しになる。

『…………ひょっとして、わざとやってない?』

 今度こそ言いつけを守り、リューガは口を噤んで答えなかった。


 こうしてリューガとニケは、辺境の街エネ・トルボーの門を潜ったのである。

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