第2話 鈴木竜牙と転生女神(後)

【異種族転生 不可】

【加護・職能ジョブ付与 不可】


 竜牙の各種パラメーター、その最後に記載された禁止事項。

 フロスティアの指先が、パネル上を猛烈なスピードで踊り出す。

 参照項目を次々とタップし、何枚ものパネルが空中に具現化した。


「ふっざけるなああああっ!!」


 原因が判明した途端、フロスティア吼える。

 女神の長いツインテールが急旋回し、次々とパネルを打ち据えて破壊した。


 転生の基本プロセスは、対象者に一定水準以上の潜在的知能を要求していた。

 転生の対象者は、人類であるという前提なのかもしれない。

 しかし犬である竜牙は、その水準に達してない。

 技術的には、犬でも人類への転生処置は可能である。

 しかしシステムにロックが掛けられた状態では、人間どころか他の生物にさえ転生できない。

 つまり竜牙を犬のまま、アイスベルに送り出すしかないのだ。


 状況は、最悪だった。

 アイスベルに同種族のいない竜牙は、独り異形の存在となるしかない。

 加護や職能ジョブがなければ、身を守ることさえおぼつかないだろう。


 ――これでは婉曲な殺処分同然である。


 ひとしきり悪態を喚き散らすと、フロスティアは肩を落とした。

「…………はあ、もう無理ねー。君、諦めなさい」

 疲れた笑みを浮かべ、竜牙に最終宣告を下した。

 しかし竜牙は諦めるどころか、そもそも自分の状況も末路も理解していない。

 ハッハッと舌を出しながら、女神を見上げるだけだ。

 フロスティアが、おそるおそる竜牙に手を差し伸べる。

「ワンッ!」

 頭を撫でられる。それだけで竜牙は喜び、尻尾を激しく振った。

「うわあっ! 君の毛、柔らかいねー」

 この空間では、漂流者達は生前そのままの姿が再現される、

 ふかふかの毛並みは、鈴木奈美が入念に手入れした成果だった。


 女神にとって、漂流者に触れるのは初体験だ。

 情が移らぬよう接触を戒めていたが、自然と手が伸びてしまったのである。

「モフモフとは、まさに言い得て妙ねー」

 ワシャワシャと両手で撫で繰りまわす女神。

 映像データでは味わえぬ実物の感触に夢中である。

 竜牙もまた大興奮。腰をクネクネ振って身悶えた。

「わっ!? こらっやめなさい」

 鼻づらを押し付け、女神の滑らかな頬を舌で舐めようとする。

 くすぐったそうに顔を背け、フロスティアは無邪気に笑う。


 竜牙と出会ってから初めて浮かべた、演技ではない本物の笑顔だった。


 その油断に付け込まれた。竜牙は、サッっと女神の背後に回り込む。

「えっ!? な、なにっ!?」

 竜牙は女神の背中に圧し掛かり――――カクカク腰を振り始めたのである。


「ひっいやあああ――――――っ!?」


 空中に逃れたフロスティアは、竜牙から見て逆さまの格好で叱り付ける。

「あ、あんたねー! 女神に、あ、あんなことして、タダで済むと思ってんの!」

 竜牙は何度もジャンプするが、距離があって届かない。

「信じられないわね! もう!」

 顔を真っ赤にして怒るが、所詮は動物が本能のままにしたこと。

 さすがに神罰を下すのは大人げないし、女神げない。


「ほら、ちょっと遊んでなさい」

 彼女が手を振ると、白い空間は一変した。

 滑り台にブランコなど、一般的な遊具を備えた公園が具現化する。

 竜牙の記憶から、彼が日常的に散歩していた場所を再現したのだ。


 竜牙は、喜び勇んで公園中を駆け回る。

 リードに繋がれていないので、思うがままに飛び跳ねた。

「はあ…………どうしよっかなー」

「女神さまー。何をお悩みですかー?」


 フロスティアの傍らに、淡い燐光を発する球体が出現した。

「さっさと地上に送り出せばいいのではー?」

 女神の周りをくるくる回りながら、光の球が尋ねる。

 フロスティアがたった今、無意識に創造した【使徒】である。

 話し相手が欲しいなーと思ったら、思考の一部が神力を帯びて分離したのである。

 神々にとっての自問自答、あるいは独り言のようなものである。


「どーしよーもないですよー」

 竜牙のために、できるだけ手を尽くしたのだ。これ以上、してやれることはない。

 だから仕方がないのだと、使徒が女神を慰める。

 理性を司る部分から分離した使徒だから、その内容は合理的だ。

「そうなんだけどねー? なんか可哀想でさー」

 女神は滑り台の頂上まで降りると、手摺りに腰掛ける。

 砂場で一生懸命穴を掘る竜牙を、憂鬱そうに眺めた。


 フロスティアは今までにも、数え切れないほどの漂流者を地上に送ってきた。

 漂流者達の反応は、様々だった。

 元の世界に戻してくれと、泣き喚く者。

 自分は選ばれたのだと、胸躍らせる者。

 怒りのあまり、女神を面罵する者。

 絶望し、全てを諦める者。

 運命を受け入れ、挑もうとする者。


 しかし、どんな風に思われようと、彼女には関係なかった。

 許可された範囲で新しい世界について説明し、加護と職能を付与し、送り出すだけ。

 恨まれることにも、とうに慣れてしまった。

 せめて自分への憎しみを、生きる気力にしてほしい。

 そんな風にさえ思うようになった。

 むしろ感謝されると、心が痛んだぐらいだ。

「でもほら、あの子はさー?」


 ――何も、理解していないのだ。


 この空間に竜牙を匿ってしまおうか、女神はそんなことまで考えた。

 重大な規則違反な上に、いまの竜牙の身体は仮初かりそめのもの。

 現在進行形で崩壊を続けており、半周期を待たずに竜牙は消滅するだろう。

 それでも、地上で悲惨な結末を迎えるよりは――――。


 そこまで女神が思い詰めた時、公園に夕方五時を告げる時報が鳴った。

 竜牙のためだけに創られた公園は、現実を忠実に再現する。

 夕陽を映して茜色に染まった世界に、間延びしたアナウンスが鳴り響いた。


『五時になりましたー』


 あお――――ん

 竜牙がアナウンスに応え、天を仰いで遠吠えをした。


『お子さまは、おウチに帰りましょー』

 ああおお――お――――ん

 ああおお――お――――ん

 切なげな遠吠えが、虚構の公園に長々と響き渡った。


 おお――――ん

 遠吠えの余韻が止むと、竜牙は脱兎のごとく駆け出した。

 そのまま公園の出口に向かって、猛然とダッシュする。

「ちょ、ちょっと!? どこに行くのよ!!」

 慌てたフロスティアが空間を跳躍し、竜牙を抱き止めた。

 唐突な行動の原因を探ろうと、竜牙の意識に接続して情動を解析、言語化する


 ――ゴハン!


「エサかいっ!!」

 フロスティアが、思いっきり突っ込んだ。

「この時間帯に食事を与えられていたのではー?」

 小さな光球状の使徒が、竜牙の代わりに答えた。

 仮初の肉体に食事は不要だから、条件反射的なものだろう。

 仕方がない、何か創ってやるか。

 竜牙の嗜好を読み取ろうと、女神がより深く探った瞬間である。


 ――ゴハンッ! ゴハンッ! おねえちゃん、ゴハンッ!!


 竜牙の中から溢れた情動が、女神になだれ込んできた。

 鮮烈で強烈なイメージ。混じりっ気のない動物の、動物だからこその純粋さ。

 本能と欲求の奔流だった。

 ――ゴハン! おねえちゃん! おかあさん! おとうさん!

 ――どこ! おねえちゃん! ゴハン! おねえちゃん、どこ!


 ――ゴハンちょうだい! おねえちゃん!!


「もう会えないのよ!!」

 フロスティアは叫び、竜牙を抱き締めた。

「君はもう二度と! 家族に会えないの!!」

 しかし竜牙に、女神の言葉は届かない

 ――おかあさん どこ! おとうさん どこ!

「理解しなさい! 納得しなさい!!」

 ――おねえちゃんおねえちゃんおねえちゃん どこ!

 竜牙は必死にもがき、女神の腕から抜け出そうとする。

 ただひたすら、鈴木奈美を求めて。


「ここから出ても君の家はない! 家族はいない! 鈴木奈美はいない!!」

 竜牙の耳元で、女神は残酷な現実を告げる。

「君は一人ぼっちで! 別の世界に行って! そこで死ぬの!」

 アハハハハッ! 

 突然、女神がけたたましく笑い出す。


「そうよ! 同じ種族もいない世界で、惨めに! 孤独に! 無残に死ぬのよ!」


 悪意のこもった嘲笑で、竜牙を怒らせようとしたのか。

 あるいは、自分の無力さを嘲ったものなのか。

 しかし、女神の意図がどうであれ、竜牙には一切通じない。

 これまで女神が扱ってきた漂流者達とは、根本的に違う。

 希望も絶望も理解も納得も怒りも憎しみも――――彼には、何もない。

 竜牙は振り仰ぐと、黒々と澄んだ瞳で女神を見詰める。

 どことなく不思議そうに見える顔付きで、首をひねった。


 ――みんな どこ?









「ドッチクショウがああああ――――――っ!」

 女神が、ブチ切れた。


 激怒したフロスティアの罵声が、虚構の公園を散り散りに吹き飛ばす。

 理不尽など、どの世界にもある。数え切れないほど、それこそ無数にある。

 竜牙の運命もまた、その一つに過ぎない。


 しかし女神の心は、とっくに限界に達していたのである。

 神としての責務を全うするため、押し殺し続けてきた感情。

 転生の実態を知ってからも、漂流者達を死地に送り続けてきた苦悩。

 女神は自らの内面世界に引きこもり、現実を拒み続けてきた。

 それでも女神の優しさは彼女自身を傷付け、心をすり減らし続けたのである。

 そうやって諸々の矛盾を封じていた殻が、ついに決壊してしまった。


 純粋なる魂に、触れたがゆえに。


「リクエスター! フロスティア=アイスベル!!」

 女神の叫びと共に、白い空間をひときわ明るい光が満たす。


「システムオーダあああ――――!!」


「女神さま!? ダメです!!」

 創造主の意図を察し、使徒が必死に押し止めようとする。

 しかしフロスティアは、使徒理性の制止を無視した。


 己の権限を駆使して、統合管理システム《アクシス》に強制介入。

 竜牙に付与された【異種族転生不可】【加護・技能付与不可】の規制を強引に無効化。

 さらに幾重にも張り巡らせた防衛壁を突破し、《アクシス》の深層領域に侵入。

 無数にある転生に関するシステムを検索。

 その中で最も秘匿されたプロセスを起動する。


「《特例転生》開錠! 対象:鈴木竜牙! 変換種族:ヒューマン!!」


 転生プロセスを光速演算する女神は、眼前に自らの紋章アイコンを展開する。

 複雑な文様を描くそれは、彼女の権能の象徴であり、リミッターである。


「オーバアア――ライトオオ――――ッ!!」


 フロスティアの右ストレートが、紋章を貫いて破壊した。

 女神が内蔵するアストラル機関が、限界を超えて稼働する。

 発生した膨大なエネルギーを、転生プロセスが貪欲に吸収した。


 竜牙の身体を目映い光で包んだ。

 人間ヒューマンの形質、行動仕様、基本知識等々。

 犬であった竜牙が、異なる存在へと上書きされようとしていた。

 そして神々さえ成し得ぬ、蘇生の奇跡が発現する。


 仮初めだった竜牙の身体が、鼓動と生命を取り戻した。


 フロスティアと竜牙の周囲に、紋章の破片がはらはらと雪のように降っていた。

 足元に舞い落ちた破片が、銀河のように渦を巻いて文様を描く。

 それは顎を大きく開き、牙を剥くドラゴンの紋章であった。


 白い空間に、突如として警報が鳴り響く。

「女神さま!? 何かが結界を突破しようとしています!」

「っち! 対応が速い!」

 女神が忌々しげに舌打ちし、転生プロセスを加速させる。

 集中する創造主に代わり、使徒が《アクシス》にリンク、ログを追跡した。


>アイスベル界域監察機構より、第一種厳戒態勢発令

>鍵門特級神FAによる、アクシス不正介入を感知

>準反逆行為に該当、FAを邪神と認定

>第一級神器グレイプニルの起動を許可


>至急、邪神FAを拘束せよ


「邪神認定!?」

「邪神上等! 望むところよ!!」

 女神が啖呵を切った直後、白い空間を守る結界が突破された。

 染みのように浸食した宙空から、黒いロープ状の先端がぬるりと出現する。

 それは胃壁を食い破る寄生虫のごとく、次々と白い空間に出現した。


「女神さま! 対神拘束具です!!」

 使徒の警告が終わるより先に、一条の対神拘束具グレイプニルが急激に伸びる。

 まるで這い寄るヘビのようにうねりながら、女神に襲い掛かった。


「フロスティアさまを! 舐めるなあ―――!!!」


 神々を束縛するための、不壊の神器。

 その対神拘束具グレイプニルを、女神はツインテールを鞭のように振って弾いた。

 しかし侵入する神器は、次々に数を増してゆく。

 何百という数の神器が、雪崩を打って女神に襲い掛かった。


「汝、鈴木竜牙よ」

 腕の中にいる竜牙に、フロスティアが厳かに語り掛けた。

 それまでの軽薄さが嘘のような、眩いほどの神々しさを放つ。

 今の彼女はまさしく、女神そのものであった。


 周囲では女神のツインテールと神器グレイプニルが、縦横無尽の攻防を繰り広げている。

 ツインテールが音速を越えて旋回し、黒い神器をまとめて薙ぎ払う。

 しかし黒い神器は執拗に迫り、さらに増援を得て女神を制圧しようとしていた。

「クウーン」

 その混沌とした状況に怯える竜牙は、すがるような眼差しで鼻を鳴らした。

「汝に、新しき世界における名を授けましょう」

 そんな竜牙を、女神は赤ん坊でも抱くようにあやした。


「リューガ」


 新しい名を与えたことにより、転生プロセスが最終段階に至る。

「汝はこれより、リューガとして生きなさい。そして――――」

 チュッと、女神はリューガの鼻先に接吻した。


「必ず生き延びて、絶対に幸せになりなさいよ!」


 フロスティアが、茶目っ気たっぷりに片目をつぶった。

 そこに襲い掛かる、グレイプニル。

 幾千にも増殖した黒い神器が、押し潰さんばかりの勢いで殺到する。


 女神が、リューガから手を放した。

 落下するリューガの先にあるのは、ドラゴンの紋章。

 大きく開いた顎の奥には、地上へとつながるゲートがあった。

 リューガの身体を呑み込むと、ドラゴンの顎が閉じられていく。


 その最後の瞬間に、リューガが目にしたもの。

 ゲートを守って立ちはだかるフロスティアに、黒い神器が襲い掛かる光景。

 神器に巻き付かれて拘束されてゆく女神の、かろうじて覗く口元。


 女神の唇に浮かぶ、無限の慈愛に満ちた微笑みだった。

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