第2話 ミス研と魔女の夏

 大きなシャンデリアが吊された豪華な劇場。そこに集められた人々は舞台の上に座るひとりの男に目を向けていた。男は、家達写楽やだちしゃらくは関係者が揃ったことを確認すると不敵に笑って見せた。


「ではナゾ解きを始めようか」


 ***


 これは私が夏期休暇中に友人の家達と彼の恋人である宿浦愛梨やどうらあいりの出演する舞台を見に行った時に起こったものである。


 単位確定試験が終わった午後。ミス研の部室に蝉声が雨の音のように響いた。

「なんていう声を出しているんだ」

「今、僕は物凄くこの場から逃げたいのだよ。何故なぜだかわかるかい。和戸わどくん」

 鼻に通る薄荷ハッカの香りをまとわせて家達は安楽椅子に沈む。

「判らないな。普通、自分の彼女が来る時はもっとわくわくしてそうなものだが」

「普通はね。ただ私達の場合は少しばかり普通とは違うのだよ。それに……あの女は魔女だ」

「誰が魔女ですって?」

 凜とした声に入り口を見ればそこには噂の主が立っていた。

「やァ、愛梨。ご機嫌いかがかな」

「まあまあよ。写楽」

「それは良かった。それじゃあ用件を話せ」

 語彙の荒くなった家達の前に私は淹れたばかりの紅茶をいささか強めに置くと宿浦女史にも椅子と茶を勧めた。

「初めまして。俺は和戸たけるだ」

「宿浦です。初めまして。あら、温かいお紅茶」

「ミス研は少し他のサークルと違って部室に給湯室があるんだ。ああ、家達の好みで淹れてしまったがこの暑い時期にホットティーは飲み辛いか。ペットボトルで良ければ冷えたウーロン茶もあるが」

「いえいえ、お構いなく。どうせ話が終わる頃にはぬるくなってしまうでしょうから」

 女史はそう云うと鞄から長方形の紙を二枚出し、家達に滑らせた。

「用件だけど、招待しに来たの。この公演はきっと貴方が気に入るだろうと思ってね。主演はこの劇団の看板女優。私も出るけれど別にそのことは気にしなくて良いわ。貴方アナタ方の招待という依頼を受けてくれるわね?」

「何故、僕が気に入ると思う? たかが「人魚姫」如きを」

 チケットを一瞥した家達は私にそれを渡し、鼻で笑った。確かに人魚姫は謎と驚きに満ちているわけでは無い。何故という家達の疑問ももっともだ。

「あら、私からの依頼が受けられないの?」

「そうじゃあ無いのだけどね。……質問にこたえろ」

「嫌だわ。そのご自慢の頭脳は海の向こうにでも旅に行ってしまったのかしら。自分で考えるのね。それでも依頼を受けないのならいつものように勝負しなさい」

「……判った。チェスで良いな」

 私は始終立ち尽くしたままだった。常に置いてあるチェス盤の前に二人が移動し、女史が駒を三つ、家達が四つ動かして女史によってキングが倒された。その間は十五分。どちらもチェックメイトをしていないのに二人の中では家達が負けたようだった。

「また私が勝ったわね。それじゃあ公演の日、開演二時間前に楽屋で」

 ふわりと香る甘い匂い。香水か何かだろうか。そんな事を考えているうちに女史は消えていた。

「また負けた……」

 私は紅茶を淹れ直しながら、ボードゲームサークルの主将にさえ圧勝する家達が負けたことに驚きつつ、人間味を感じて少し安堵していた。


 公演当日、私達は約束の通り二時間前に宿浦女史の楽屋を訪ねた。

「あら、いらっしゃい」

 舞台化粧の施された女史は別人のようだった。

「お前は「隣国の姫君」か」

 家達が女史の姿を見て放った言葉に女史は頬を上げる。

「相変わらず無駄な知識を蓄えているの?」

「言っただろう? 俺の脳内の宮殿には必要な情報しか無いと」

 私は昔、家達に話して貰ったことがある。彼は膨大な情報を整理する為、脳内に宮殿を持っているのだと。数々ある部屋のそれぞれに種類分けした情報をしまっているのだ。彼の宮殿の部屋の種類は大まかに分けると三つしか無い。自身に関すること、事件、そして芸術。つまり、関心のあることしか覚えていないのだ。だから、家達は惑星の並びも電車の乗り方も知らない。

「ふうん。その調子だとまだ電車に乗れないのね」

「僕の宮殿に不必要な知識など無菌室でくしゃみをするようなものなのだよ」

「はいはい」

 私はその会話の間ずっと首を傾げていた。

「どうしたの?」

「ああ、「隣国の姫君」ってどんな役なんだ?」

 正直なところ私は有名なアニメーション映画の「人魚姫」しか知らなかったので聞いたことのない役どころに首を傾げていたのだ。

「今回私達が演じるのはハンス・クリスティアン・アンデルセンの人魚姫をベースとしているの。某アニメーション映画はオリジナリティが濃いけれど私達は原作の童話に忠実にこの舞台を作ったわ」

「あらすじはこうだ。輪廻によって死なない魂を持つ人間にあこがれを持った人魚の姫が難破した船からある国の王子を助け恋心を抱く。しかし通りがかりの修道女が王子を見つけ介抱した為に姿を現す機会を失ってしまう。どうしても自分が救ったと伝えたい人魚は人間になるために海の魔女のもとに向かい自分の声と引き替えに脚を貰う。王子に愛して貰えなければ泡になってしまう呪いと共に。そうこうしてうまく城に住まわせて貰えた人魚だが王子は人魚のことに気が付かない。歩く度にナイフでえぐられるかのように痛む脚と声の出ない喉を抱えながらも人魚は王子に恋心を抱いていた。そんな折に王子が思い続けていた隣国の姫君との縁談が決まる。人魚は泡にならない為に王子を殺そうとするが出来ずに自分の死を選ぶ。泡になりながら天に昇り神から死なない魂を貰う」

「人魚姫ってそんな宗教的な話なのか?」

「ヨーロッパの古典なんて大体そんなものよ」

 私の疑問に答えてくれたのは楽屋の入り口に現れた女性だった。

「あら、エリカ。さっき主演からマンゴープリンを差し入れに貰ったけれど食べた?」

江戸えどエリカです。ところで愛梨、私がマンゴーはアレルギーでたべられないってことの忘れた?」

 彼女は「海の魔女」役の江戸エリカ嬢だった。

「ごめんなさい。そうだったわね。……そうそう、海の魔女は本番でこの劇団の宝とも呼ばれる「人魚の声マーメードズボイス」を付ける予定になっているの」

「「人魚の声」? それはどのようなモノなのかい?」

「何の変哲も無いただの貝殻のついたチョーカーよ。でもね、この宝物には不気味な謎がついて回るの」

「謎?」

 愛梨の言葉に家達の瞳がきらりと光る。

「そう。都市伝説と云っても良いかもしれないけれど。「人魚の呪い」なんて呼ばれているのよ」

「やだ! 愛梨そんなことを気にしていたの? 確かに海の魔女を演じた女優が死んだだの、幕が下りた後首に手の形の痣が浮かんだとか。オカルト週刊誌にでも載りそうなこと信じるなんて」

「まあね。私も怖い物は怖いのよ。でも貴女は平気そうね。矢張り皆に羨まれる騎士ナイトが居るからかしら」

 私はこのとき女史の言葉にしっくりと来ていなかった。どちらかというと宿浦女史は家達の関心を引くためにわざわざ話に出した。そしてその策にまんまとまった家達は薄荷を吸って思案顔をしている。

「フン。私は戻るから」

 宿浦女史の言葉に気分を害したかのように急にエリカ嬢は出口へと向かった。

「あら。エリカ、愛梨、そちらのお二方は?」

「愛梨から聞いて頂戴」

 エリカ嬢と入れ違いにやって来たのはふんわりと優しそうな女性であった。

「丁度良いところに来たから紹介するわね。彼女は主演で人魚姫役の須々木すずきりん。こちらは和戸くん。あっちで微動だにしないのが家達。私が招待したの」

「この度は見に来て下さりありがとうございます」

「いえ、こちらこそ。舞台楽しみにしています」

 鈴嬢の舞台化粧をしていても分かる愛嬌のある笑顔に思わず照れてしまった。

「ああ、そういえばマンゴープリン美味しかったわ」

「そう? ありがとう。津江田つえだくんが好きだって言っていたから差し入れに持ってきてみたの」

 宿浦女史がはっきりとした化粧をしているからか柔らかな印象の鈴嬢とは正反対に見えた。

「津江田くん?」

「うちの看板俳優の一人で王子役よ」

「彼は素晴らしい役者なんです。私は彼を見てこの劇団に入ったので……」

 うっとりという言葉しか当てはまらないような表情で津江田という俳優について語った。

「なんだ君のうちの看板女優に惚れたのか?」

「ち、違いますが」

 私の肩をいきなり抱いてきた人物に思わず返すと、その男は私から離れると大袈裟に肩をすくめた。

「別に誤魔化さなくても鈴に惚れる奴は沢山居る」

「津江田くん。その人とあっちのは私の客人よ。茶化さないで頂戴」

「そうなのか。どうも、王子役の津江田アレクです。鈴、愛梨、もうそろそろスタンバイだ。では姫様、お手をどうぞ」

 大袈裟な身振りはわざとか、素か。津江田は二人に声をかけるとすぐに鈴嬢と共に部屋から出て行った。

「あら、そんな時間。じゃあ行ってくるわね」

 私はまだ何か考えている家達を連れて客席へと急いだ。


 幕が上がった。


 舞台は素晴らしいものだった。演者一人ひとりが輝きを放ち、くるりくるりと舞う。静かな海底に嵐吹く船の難破場面。まるでその場に居るかのような臨場感に目がくらんだ。舞台上で鈴嬢演じる美しい人魚姫が葛藤し苦悩すると私の心も掻き乱されるような感じさえする。息もつけない迫力の物語の中に私達は放り出された。

 そしてエリカ嬢が現れ人魚姫との契約の場面に事件は起こった。

「もしッ……ヒュッ」

 舞台の上。骨と難破船で出来た魔女の家。エリカ嬢は鈴嬢から手渡されたチョーカーを付けた状態で喉を掻き毟り呼吸困難へと陥っていた。

「失礼ッ!」

 家達と共に舞台の上へ上がり私はエリカ嬢の腕を取る。血圧が下がっているのか脈は弱く、呼吸は浅い。チョーカーを付けた喉元や腕には発疹が出ていた。

「家達、これは多分アナフィラキシーショックだ」

「ああ。流石さすがは医大生だな。間違いないだろう。そこの君! 今すぐ救急車を呼ぶんだ」

 家達に指差さされた人物が電話をしたのを確認してエリカ嬢の気道を確保する。

「和戸くん、多分ここまで救急隊が到着するまで十分といったところだと思うのだが」

「そんなの間に合わない! 誰かエピペン! アドレナリン注射を持ってないか!?」

 ざわつく観客に私が叫ぶと津江田が舞台袖からポーチを持ってきた。

「ここにエピペンが!」

 私は放られたポーチから注射器を探し当てると表示を確認後に素早くエリカ嬢の太腿に突き立てた。幸いにも心臓は動いていたため、エリカ嬢のすぐ傍に座り、呼吸が戻っても救急隊員が来るまで付き添った。

 その後エリカ嬢は近くの病院へと運ばれていき、私達関係者以外は家に帰された。


 ***


 城内のセットの上、上演中は仕舞っていた薄荷を吸いつつ玉座に座っている家達は恐ろしく似合っている。

「ではナゾ解きを始めようか」

「写楽、私達を集めてなんの謎を解くつもり?」

「それは勿論、江戸エリカ嬢殺害未遂事件の謎だよ」

「殺害未遂事件? エリカはアナフィラキシーショックで運ばれたんだろう?」

 エリカ嬢のエピペンを持ってきた津江田氏が声を上げた。

「いいや。あれは間違いなく誰かが故意に起こしたことだよ。勿論、犯人はエリカ嬢が死にかけるなど思ってもみなかっただろうがね。さて、まず君達にいくつか質問をしたい」

「質問?」

「ああ。まず、エリカ嬢の恋人はどなたかな?」

「僕がそうだ」

「王子様……津江田氏。そうか君か。だからエピペンのことも知っていたのだね。……では次に、エリカ嬢のアレルギーは皆知っていたのかい?」

「知っていたはずよ」

 宿浦女史の声に皆頷く。家達は組んだ脚を解き立ち上がると薄荷を吸った。

「そうかこれで全て判った。犯人は君だね? 主演の人魚姫さん」

 指を指された鈴嬢はわなわなと震えている。

「僕は最初から動機は強い感情だと思っていたのだよ。演者は自分が舞台を壊すのを一番嫌うからね。君は片思いの彼を盗られた事への意趣返しのつもりだったのだろう。それでエリカ嬢がウルシ科のアレルギーなのを知りつつチョーカーに細工した。わざわざマンゴープリンまで用意して事故に偽装するつもりだ。しかし誤算が生じた。それはエリカ嬢のアレルギーが予想より重たかったこと。違うかい?」

 鈴嬢は声も無く崩れ落ちた。

「本当のことなのか、鈴? だとしたら、いつから君は僕のことを……」

「……最初からよ。私がこの劇団に入った時からずっと。エリカに恥をかかせてやろうと思っただけ。でも、探偵さん。一つ間違えているわ」

「何かな?」

「私がマンゴープリンを用意したのは彼の好物だったからよ……」

 鈴嬢は劇団の責任者とともに警察へ自首しに行った。

 王子に思いを伝えることの出来なかった人魚姫は感情の矢印を向ける方向を間違えてしまったのだ。


「そういえば、「人魚の呪い」とかいう都市伝説の真相ってなんなんだ?」

 私の質問に家達はつまらなそうに答えた。

「大方、舞台化粧とチョーカーで出来た汗疹が大げさに伝わったのだろうね」

「そんなものか」

「そんなものさ。……それにしても愛梨、この事件が起きることを君は気付いていたのだろう? だから僕を呼び出した。そうだろう?」

「どうかしらねえ」

 宿浦女史はとろけるような笑みを浮かべていた。その時私は理解した。女史は全てを判った上で今回私達を招待したのだと。そして依頼として事件を解決させた。

 全てを隠すような逢魔が時の空の下、私は家達の女史への感想に大いに賛同した。


 宿浦愛梨は魔女である。




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名探偵 家達写楽の事件簿 森居ハイジ @Haiji_Morii

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