6.先輩とチョロイン

 今日の放課後は静かだった。

 俺も二上先輩もほぼ同時に部室にやってきて、軽く挨拶。

 それぞれの席についてそれぞれ本を読む。

 そのまま双方黙って一時間。

 

 秋の夕方、暗くなりつつある空。LED照明に照らされ明るい室内。

 たまに顔を上げると真剣に読書する先輩の顔が見えた。手で髪の毛を整える仕草が優雅だ。

 何やら昨日からライトノベルを黙々と読んでいる。家に持ち帰っていたことから、はまったのだろう。

 ちなみに先輩が読んでるのはラブコメな内容のやつだ。


「ふぅ……。こういうのは初めて読んだけれど。なかなか面白かったわ」


 俺が再び読書に戻ろうとしたところで、先輩は顔をあげて一息ついた。

 満足げな表情から物語を楽しめたことがよくわかる。


「意外ですね。先輩、ラブコメとか読まないかと思いました」

「それは偏見よ。いえ、偏見があったのは私ね。読んでみると状況を横からニヤニヤ眺めてる気分になって面白いわ。一応、誰とくっつくかも気になるし」


 先輩が読んでいたのは主人公がハーレム風味な人間関係を構築しつつも、誰とくっつかで色々とトラブルが起きる王道タイプだ。

 正面から堂々と楽しんだようで何よりだ。微妙に意地悪い読み方なのは二上先輩なので仕方ない。


「でもね。気になることがあるの。出てくる子達、主人公を好きになるの早すぎない?」

「まあ、こういうのはヒロインが増えてからが勝負ですし、多少のチョロイン化は仕方ないかと」

「チョロイン? 聞き慣れない言葉ね。オタク特有の造語かしら」


 なんで微妙に棘のある言い回しなんだ、この人は。


「まあ、そうですけど。簡単に主人公に惚れちゃうチョロいヒロイン。略してチョロインです」

「そうやって何でも効率化して、キャラクターを記号みたいに扱っていくのね」


 そんなこと俺に言われましても。過去になにかあったのか。


「まあ、よくある話です。特に理由も無く『なんか優しい』『一緒にいるとほっとする』みたいな理由でヒロイン化することは」

 

 だいたいそういうヒロインって何らかの地雷が仕込まれてる気もするけどな。


「……ちょろ。いや、私は違う……違う……」


 なんだか先輩が煩悶していた。


「まあ、なんですか。こういうのはフィクション特有の現象ですよね。現実に『なんかいい感じ』『優しいところがいい』だけで好きになられたりすることはまず無いでしょう」

「も、もし現実にそういう人がいたらどう思う?」


 面白い質問だ。考えたことがなかった。


「……とりあえずは観察? いや、そもそも精神面の弱さを心配するべきか? そうですね。貴重なチョロインのサンプルとして観察したり、心境の変化を聞いたりしたいですね」

「ほう」

「できれば、『なんでこんなのを好きになっちゃたのか。私にもわかんないの』みたいなテンプレ台詞を引き出したいですね。それが出れば本物です」

「本物……」

「とはいえ、客観的に物語を俯瞰できる小説や漫画などの媒体でなければチョロインかどうかは判定できないわけですから。現実的には不可能な話でしょう」


 現実に「あ、この人今惚れたな」というのが具体的にわかる場面を目撃できることはまずない。残念なことだ。


「そうね。現実には観測できないわね……」


 なんだか先輩が脱力している。体調不良か?


「二上先輩、調子が悪いなら帰ったらどうですか? 下校時刻も近いですし」

「優しいのね納谷君。……あ、私はチョロくないからほだされないわよ。ホントだからね!」


 何を言い出すんだこの人は。


「俺は先輩にそういうのを期待していませんから、安心してください」


 胸を張って断言する。

 先輩、見た目が綺麗なせいで恋愛絡みで苦労してるからな。

 せめてここにいる時くらいリラックスして貰おう。


「……なんかムカムカするから帰るわ」


 そう言って先輩は何だか怒りながら帰り支度を始めた。


「あの、なんか怒ってます?」

「怒ってないわ。今日は勉強になったわ。色々と……」

「やっぱり怒ってます?」

「怒ってないわ。納谷君、明日からも宜しくね」


 微妙に迫力のある笑顔を残して、二上先輩は先に部室を去っていったのだった。

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