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「おれは、ここに来るやつらが増えているような気がしているんだ。知っているか? この国の貴族が貧しいやつらから土地をやっすい値段で買い上げて、その日暮らしの金が欲しくて土地を手放した落ちぶれたやつらが王都に入ってきて、貧民街はできた。貧民になったやつらに土地を返そうと動いていたカストーノ王子が死んじまった」

 カストーノの名が出た瞬間、ゴラン・ゴゾールは、男に対して妙な違和感を覚えた。髭を剃って歯を磨き、身なりを整えたからだろうか、この男の目の奥底に光っているものの意味がわかるような気がしたのだ。それに、どこかで見たことがあるような気がする顔だ。

「で、マローノ王子は、王都の貧民街を整備し、都市の浄化をして、麦を育てる為に貧民になったやつらを雇う官職を作って、救える人間を救う、っていうことを、考えているらしいな。その為におれたちはここで木を切っている。だが、王都の方から新しく来たやつらは、前と変わらんと言うんだ。王都に行って貧民街に建てられる家になるはずの木はどこに行ったんだろうな?」

「……そういうことですか」

「木材を買っている商人がいる。いくらで買って、いくらでどこに売っているかだ。おれはここに来るやつらからこんなことも聴いた……前宰相の突然の失脚によって、宰相の地位を得たネーロ・ヴォプロが、商人を懐柔しているとか、な。それはそうと、お前」

 男は、相槌を打ったカールを、射貫くように見た。

「堅気じゃないよな」

「まあ、詐欺師ですからね」

「なるほどなあ」

 ふたりは視線を交わし、にやりと笑いあった。

「で、ぼうず、やってくれるか」

「いいよ、おやすいごようさ」

 ルパは二言もなく頷いた。ゴラン・ゴゾールは慌てた。幾ら己が少年の卓越した手先の器用さを見たことがあるとはいえ、まだ十歳の子供なのだ。

「やめておけ」

「大丈夫だって」

 口を出せば、ルパはにっこりする。

「どうしてもって言うなら、ついてきてよ」

「……おれは忍べるほど小さくない」

「コソコソしなくていいんだ。ぼくに向けられる注意を逸らすくらい、できるでしょ? カンツウミスイが何なのかよくわかんないけど、力持ちなんだし」

 それを聞いて、男は爆笑した。

「助けてもらえるなら有難い。だがまあ、ただでとは言わんさ。おれには仲間も多いしな。見たか? みんな、まだ目は死んじゃいねえだろ」


 ゴラン・ゴゾールは、近衛騎士の職を賜った際、初めてカストーノ王子の御前に連れていかれた時よりも緊張していた。

 油断していると、きっちりとした騎士の歩き方になってしまうので、悪人のような歩き方を、小綺麗になった中年の男から教わった。暗闇の中でそれを己に向かって実践してみせるのも滑稽だったが、そのように歩いたことがなかったので、いざゴラン・ゴゾールが歩いた時は、恐ろしい男というよりもただ怪しいだけの者になった。

「今まで通りに歩いてきて迫る方が却って怖いですよね、あなたは」

 そのように駄目出しをしたのはカールである。男はちょっとだけしょんぼりしていたので、ゴラン・ゴゾールは少しだけ爪先を外側に向けて歩くことにした。それが一番しっくりきた。

 日も高くなった昼である。今日は伐採場で働いている全員に休憩が与えられていた。食事を取って休憩所にしていた小屋を出るとき、男はカールと何やらひそひそ話をしていて、それが少し気になった。何せ、あの青年は、自ら設定した姦通未遂というゴラン・ゴゾールの罪状に沿って、とんでもない提案をしてきたのだ。そんな彼だから、この男と組んで、何やら企んでいてもおかしくない。だが、それを訊いてみる勇気は、まだなかった。

 視線を向けられているのに気付いたカールは、ゴラン・ゴゾールに向かって、こう言った。

「危なくなったら、お迎えに行きますから」

 巨大な天幕の方へ歩いていく。耳から聴こえてくる鼓動は、敵襲の時に打ち鳴らされる鐘の速度よりもずっと速い。ルパは既に姿をくらませていて、見えない。

 生成りをした天幕の布は、小屋と違って清潔を保たれており、隙間もなく、分厚かった。それに施されている立派な蔦模様の刺繍が、はっきりと見えてくる。警邏隊の者だろう、入り口には槍を持った男が二人立っている。

 そのうちの一人が、近づいてくるゴラン・ゴゾールに気が付いて、声を掛けてきた。

「お前、どうした」

 そんな言葉と共に、槍を向けられる。だが、ゴラン・ゴゾールは、相手の双眸に宿る僅かな怯えを見て取った。もう一人いるが、腰が引けている。このふたりを相手取ったところで、少なくとも負けはしないだろう。

「褒美を寄越せ」

「何だと?」

「このおれが脇目も振らず真面目に働いてきた、女を抱きたい」

 ゴラン・ゴゾールは、カールが用意した台詞を口にした。二十二年生きてきて一切思ったことのない感情である。だから、せめて強く見えるように大きな声で言ってみたのだが、思ったよりもそれが白々しく響いたのがわかった。

 視界の端では、ルパがこっそり移動しながら、気の毒がっているような表情を向けてくる。槍を突き付けている方が色めきたって、負けじと声を張り上げてきた。

「慎め! 今日はツコどのがいらっしゃっているのだぞ!」

 ツコどのとやらは、おそらく木材を買い付けに来た商人だろう。己だって可能ならばこんなことは慎みたかったなどと思いながら、ゴラン・ゴゾールは、また用意された台詞を言うべく、口を開く。今だけ、あの綺麗な顔の青年を忌々しく思った。今だけだ。目を逸らすにはいい案だったし、最小限の犠牲を払って進むには、これ以外の案は思い浮かばなかった。

 ゴラン・ゴゾールは結局、己の肉体にものを言わせることができるのである。ならば体を張るのは当然だった。騎士だとかどうだとか関係なく、守られるべき者たちがそこにいるのだ。だから、言った。

「普段ならもうちょっと上手くやるが、もう限界だ。ここの女ときたら、誰もかれも死んだ目で、いい声も上げそうにない。そんなのを見ていてもやる気など出ん。活きのいいのを寄越せ、いるだろう」

 天幕の中にはまだ綺麗な身なりの女性が何人かいる、ということを突き止めていたのは、名も知らぬ中年の男である。罪の覚えがないのに捕らえられて慰み者にされているのだ。それを聞いた時は胸糞悪くて胃がむかむかしたが、それを所望する役どころというのも、ゴラン・ゴゾールにとっては苦痛であった。

 だから、更に、用意された台詞を言うのだ。

「何ならあなたたちで鬱憤を晴らしてやってもいいかもな。性別がなんだろうと、おれは構わん」

「……何だと?」

「やれるものならやるといい」

 二人目も、ゴラン・ゴゾールに向かって槍を構えた。その時、天幕の合わせ目が揺れて、複数の人間が出てきた。ひとり、やたらと体格がいい者が先頭だ。

「何を騒いでいる」

 凛と張った声だ。

 ゴラン・ゴゾールは、真っ先に出てきた人物の顔を見て、驚いた。

 見知った顔だったからだ。金色の巻き毛、灰青色をした切れ長の目。燭台の谷で、この顔をした男のちぎれかけていた足の手当てをし、きちんと歩けるようにした覚えがあった。感謝されて邸宅へ招待を受けた記憶もある。王都へ帰還した後に、警邏に配属され、監督官となっていたようだ。それから、返事もろくにせぬまま二年。

 相手も、そこにいるのがかつて救ってくれた自分の同期であったことに気付いたのだろう。目を見開いた。が、すぐに冷たい眼差しを向けてきた。

「罪人の癖に女を寄越せと言うのです」

「……罪人だから当然だろうな。見たところ、姦通か何かだろう。違うか?」

 記憶を探っているのだろうか、それとも今後どのような処置を施すべきかを考えているのだろうか。相手は腰にはいた剣に手を掛け、据わった目でこちらを見ながら、ふうむ、と唸り、手違いか、と呟いた。対して、ゴラン・ゴゾールは丸腰だ。分が悪いとしか言いようがない。

 しかし、こうも見事に姦通という言葉を当て嵌められるのはいい気分ではない。女性は丁重に扱うものだと教えられてきたし、結ばれることになる女性が現れた時には相手を姫君と思って仕えたいなどと思っていたゴラン・ゴゾールである。もう本当にひと暴れしてやろうかと、全身の力を抜いて、周囲をさっと見渡した時だ。

「どういたしました?」

 天幕が揺れる。そこから、ふたりの人間が、顔を出した。ゴラン・ゴゾールの同期は振り返って、うって変わって丁寧な口調となった。

「ツコどの……娘御まで」

「揉めているように聞こえましたが」

 壮年の紳士だ、四十を過ぎたくらいだろうか。その隣には、つんとした雰囲気の、黒髪の美女がいる。パミルとは正反対だがどちらも胸は大きいな、と、ゴラン・ゴゾールは思った。その時、天幕の中に、何か小さな影が入っていったのが見えたような気がした。ルパだろうか。

「罪人が罪人らしい振る舞いを行っているだけです、お気になさらず」

 暴れてやろうかとは思ったが、ツコという男とこの女性を巻き込むわけにはいかない。ゴラン・ゴゾールは非のない者を打ち据えるのが嫌いであったから、なんとか怒りを抑えようと、大きく息を吸って、吐いた。気持ちを宥めると、誰かが走ってくる足音が聞こえる。

 振り返れば、その人間は、カールだ。

 走ってきた青年は、ゴラン・ゴゾールの腕に縋って、叫んだ。

「だから、駄目だと言ったじゃないですか! 女性の方がいいのはわかりますけれど、お願い……今まで通り、私で、我慢して下さい」

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