27.過去の呪縛
「ライディス様っ!」
今度はちゃんと空気を震わせて、ジュリアは叫んだ。
ライディスの表情は、いつもの優しいものではなく、ただ感情的に怒りを示していた。
彼がこんなにも感情を剥き出しにした姿を見るのは、ジュリアははじめてである。
「王太子殿下といえども、我らの花嫁をお渡しする訳には参りません!」
フレディ伯爵の声に触発されたように、皆がライディスに向かって襲いかかる。本当の敵はジュリアを婚約者にしたライディスだと思い出したらしい。
しかし、ライディスはそんな男たちなど存在しないかのように、祭壇近くにいるジュリアを目指して歩き出す。
正面から来る者、背後から狙う者、武器を用いた者、罠をはろうとする者、ライディスはそれらすべてを虫けらのように払いのけていた。
さすがはディラエルトの団長である。
「これ以上無駄な抵抗はやめろ」
冷たく言い放ったライディスに、男たちは怯んだ。
しかし、彼らの中にはもうライディスが忠誠を尽くすべき王子であるということよりも、愛する者を奪った憎き恋敵であることの方が強かった。
出自は貴族である彼らだが、中には騎士学校に通っていた者もいる。
徐々に数が減らされていき、とうとう残ったのは男だらけの結婚同盟軍きっての精鋭たちだった。
鍛えられた肉体と精神力、それらでジュリアを守りたいと切望していた男たち十数人が、ライディスの前に立ち塞がった。
「ジュリア様を守るのは俺の役目だ!」
「いくら王子だからといって、俺のジュリアを傷つけることは許さん!」
そんな訳の分からないことを言いながら、どこから持ってきたのか、彼らは一斉に剣を抜いた。
「剣を抜いたということは、命を懸けるということで間違いないか?」
憤りを抑えた低い声で、ライディスが血走った目をする男たちに問いかける。
その答えはもちろん肯定で、ライディスも鋭い剣を抜いた。
愛する者を守ろうとする正義感から、彼らには自らの行動が間違っているという意識はない。
(大丈夫、なの……?)
ライディスが強いことは、先程までの体術を見ていても分かる。
しかし、一対多数で剣を交えるのは相当危険なのではないか。
ジュリアの心臓がどくどくと忙しなく動く。
ライディスには傷ついてほしくない。
どうしてこんなことになってしまったのだろうか。
ジュリアは、どこか違う世界から眺めているような気分で、ライディスがいくつもの攻撃をかわしているのを見ていた。
大丈夫、きっと大丈夫だ、そうジュリアは自分に言い聞かせる。
しかし、いくつもの攻撃を受け止めているうち、ライディスの勢いは失われているように見えた。
よく見ると、彼の額にはじわりと汗が浮かんでいる。
きっと、ここに来るまでにも無茶をしたのではないだろうか。
いくら鍛えられているとはいえ、体力の限界というものはあるだろう。
そしてついに、正面から斬りかかられた剣をはじいた時、後ろから近付く刃に気付くのが遅れて利き手である右腕を斬られてしまった。
ぽとり、と床に血のしずくが落ちる音を聞いて、ジュリアの意識は完全に現実に戻ってきた。
「……ライディス様!」
ジュリアが叫ぶと、ライディスはこちらを見て、薄く微笑んだ。
「こんなのはかすり傷だ。心配いらない。もう少し待っていてくれ」
ただそれだけ言うと、ライディスはまた剣の雨を受け止めた。
(私のせいだわ……)
こうなったのは、すべてジュリアのせいだ。
運命神に与えられた運命から逃げることしか考えていなかったから。
ジュリアに近づいてくる男性のことを何も知らずに逃げていたから。
もし、ジュリアが運命に向き合っていたら、何かが変わっていたかもしれない。
もし、ジュリアがきちんと男性と向き合っていれば、何かが変わっていたかもしれない。
少なくとも、ジュリアがはっきりと気持ちを口にする努力をしていれば男たちが馬鹿な妄想を膨らませることもなかっただろうし、ストーカーのように日々付きまとわれることもなかっただろう。
彼らも、普通の男として生きられたはずなのだ。
そして、そんなジュリアが逃げずに向き合ったただ一人の男性が、ジュリアの愚かな行いのせいで暴走した男たちに襲われることもなかっただろう。
それもこれも、ジュリアが中途半端に相手にしてしまい、言葉足らずで、最終的には逃げることしかしなかったからいけないのだ。
ジュリアは、細い足を一歩出して、歩き出す。
何人かの男性が止めようと手を伸ばしてきたが、ジュリアはその手をきれいに避けて大切な人に近づいていく。
「もう、やめてください」
叫んだ訳ではないのに、不思議とその声はよく通った。
剣を握っていた男たちが、ぼんやりとジュリアに意識を向けたのが分かった。
そして、ライディスもジュリアを見ている。
「皆様、今まで私を愛してくれてありがとう。でも、もういいの……私は、皆さんの運命の相手ではありません」
落ち着いて、ジュリアは言葉を紡ぐ。そして、ライディスを見て笑う。
「私の〈運命の相手〉は、ライディス様だけですわ」
その言葉に、最も驚いていたのは名指しされたライディス本人だった。
求婚の時に同じようなことを自分で言っておいて、今さらどうして驚いているのか、ジュリアには不思議である。
しかし、その衝撃はライディスだけではなく、集まった男たち皆にも与えられていた。
「そんな、はずはない! ジュリアは僕を愛している」
フレディ伯爵はジュリアの言葉を否定する。多くの者がその言葉に続く。しかし、ジュリアは男たちに向き合ってはっきりと言った。
「私は、皆さまのことを愛したことなど一度もありません」
ジュリアが男たちを前にしてきつく否定的な言葉を吐けなかったのは、運命神ディラの呪いのせいだけではない。
自分を愛していた男の、呪縛。
――ジュリア。僕はこんなにも愛しているというのに、君はどうして僕を怖いと言うんだい? 君のすべてを僕のものにできないのなら、こんな命は無意味だ。
まだ、自分の運命が幸せに満ちていると思い込んでいた十二歳の時。
初めてジュリアの虜になり、愛を伝えてきた家庭教師の男は、ジュリアの目の前で自殺した。
最期の瞬間まで、その瞳にジュリアを映して。
とても、良い教師だったと思う。ジュリアを欲に満ちた目で見るようになるまでは。ジュリアが心を開いてくると、だんだんと男はジュリアの身体に触れてくるようになった。
それが怖くて、気持ちが悪くて、ジュリアは強く否定の言葉を口にした。
そして、彼がジュリアの家庭教師から外されることになった時、ジュリアの目の前で自らの首にナイフを突き刺した。
視界が血の赤に染まり、自分を愛したが故に死んでいく男の姿だけが浮かび上がる。
それは、ジュリアの心に深い傷とトラウマを与えるには十分すぎる出来事だった。
――私が愛情を否定すれば、彼らは死ぬかもしれない。
その呪縛から逃れられずに、ジュリアは男たちを避けてきた。
自分を愛したせいで誰かが死ぬのをもう見たくない。
だからこそ、ジュリアは無意識に制限していた。
自らの言葉が彼らの心を傷つけないように。
否定的な言葉はできるだけ使わないように。
しかし、そのせいで今、愛する人が危険にさらされている。
過去の呪縛に囚われるのは、もう終わりにしよう。
ジュリアは目を閉じて、軽く深呼吸をする。
そして、男たちに本当に気持ちを話す。
「……いつも、あなたたちが怖かった。私を見ているようで見ていない、その瞳も、愛の言葉も、そのすべてが怖かった。私は、あなたたちのことを何も知らない。それなのに、どうして愛せるというの? 私をちゃんと見てくれたのは、ライディス様だけです」
ジュリアの声は震えていたが、彼らの心にしっかりと響く。
無理矢理に王子と結婚させられていた、と勘違いしていた者ばかりである。
だからこそ、ジュリアを救うために行動を起こしたのだ。
それなのに、ジュリア本人が望んでいる結婚ならば、どうして邪魔などできようか。
そんな諦観と悲しみが、彼らの瞳には浮かんでいた。
握りしめていた剣を落とし、膝をついて泣き崩れる者まで現れた。
白いタキシードを着た者たちが集まってわんわん泣いている構図というのは、なかなか見ることはないだろう。
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