26.逃げる方法

 押しても引いても動かない扉を前に、ジュリアは自暴自棄になっていた。

 後ろには、花婿よろしく幸せそうな笑顔を浮かべた男たちが迫っている。

 その数、およそ三十人。


(どうしてこうなったの……!)


 悲鳴にも近い問いを内心で叫びながら、ジュリアは冷静に状況を理解しようと努める。


 ミセス・ローズビリアの試作品が完成した、というのは嘘だった。

 ミセス・ローズビリアどころか、共に来ていたはずのサーシャの姿もない。

 待っていたのはジュリアの虜になった男たち、それも身なりのいい貴族ばかり。

 馬車が別れていたのではなく、はじめからサーシャは来ていなかったのだろう。

 ジュリアのことを守ろうとしてくれる優しい友人は無事だろうか。

 ジュリアのせいで、サーシャを巻き込んでしまった。

 サーシャの身に何事もないことを祈る。


(……きっと、ライディス様にも心配をかけてしまっているわ)


 宮殿で男に襲われた時、ジュリアを守れなかったとライディスは自分を責めていた。

 義理堅く、優しい彼は、ジュリアのことを本当に大切に想ってくれている。

 そこに男女の愛情はないとしても、ジュリアは嬉しかった。

 しかし同時に、ジュリアに何かあった場合、ライディスを悲しませてしまうことになる。

 だから、ジュリアは王子妃としての責任ある行動をしなければならなかったのだ。

 それなのに、婚礼衣装が早く見たくて、軽率な行動をとったために、今ライディスに心配と迷惑をかけている。


(私は形だけの妻なのに……これ以上ライディス様に迷惑をかける訳にはいかない)


 長引けば長引くほど、大ごとになる。

 未来の王子妃が行方不明になったのだ。

 きっと、多くの人員を割いて捜索が行われるだろう。

 ただでさえ騎士団は王城や王都の警備で忙しいというのに、ジュリア一人のために仕事を増やしたくない。

 今考えるべきは、ここから無事に脱出することだけだ。

 鍵がかけられている扉をこじ開けることは諦め、ジュリアは覚悟を決めて振り返った。

 男たちのうっとりとした溜息があちこちから聞こえてくる。

 こちらを嘗め回すように見つめる視線に鳥肌が立つ。

 しかし、怯んだら負けだ。ジュリアは男たちに向き合う。


「皆様、これはどういう状況ですの?」


 怒りを含ませたつもりだが、彼らにジュリアの怒りが届いたのかは分からない。

 いや、届いてはいないだろう。

 何故なら、彼らは頬を赤く染め、とろけるような瞳でジュリアを見つめているのだから。

「あぁ、そうだった。ジュリアを驚かせようと思っていたから、何も話していなかったね」

 にっこりと微笑みながら、周囲にいる男たちを押しのけて前に出てきたのはフレディ伯爵だった。

「ジュリア、君が恐ろしい冷血漢であるライディス殿下に嫁がされるということを知った時、僕の心はズタズタに引き裂かれた。でもね、辛いのは僕よりもジュリアなんだってことに気付いたんだ」

 悲し気に眉を寄せ、フレディ伯爵が言った。

 その言葉に、ジュリアを取り囲む男たちが同意する。

「ライディス殿下からジュリアを助け出すために、僕は色々考えた。強行突破をしようにも彼の騎士団は強い。僕だけでは敵わない。そんな時にね、同じく君を救いたいと願う同士たちと出会ったんだ!」

 そう言ってフレディ伯爵が両手を大袈裟にあげると、男たちから歓声が上がった。

 ジュリアは深い溜息を吐いたが、それに気づく者はいない。

 つまり、ジュリアの虜になっていた男たちが、ジュリアの結婚を前に手を組んだのだ。


(あぁ、なんて面倒なことをしてくれたのかしら)


 ジュリアをライディスに渡したくない、と協力関係を結んだ彼らに、ジュリアは呆れて物が言えない。

 全員が全員白いタキシードに身を包んだ新郎姿だが、ジュリアは一人しかいない。

 ライディスから奪った後はどうするつもりなのか。


「そして、君自身がライディス殿下のところから逃げたいと思っていることも、ある人から聞いたんだ」

 そんなことを言った覚えはない。ある人、とは誰なのか。

 ジュリアとライディスの結婚を白紙にしたいと思っている人物は多いだろう。

 しかし、貴族である男たちを動かせるほどの力を持ち、正式に婚約発表されているにも関わらず強硬手段に出るほどにライディスを愛している人物。

 そんなの、一人しか思い浮かばない。

 美しく、気高い誇りを持つ侯爵令嬢、ミラディア。

 こんな騒動を起こしてまで、ミラディアはジュリアを王宮から追い出したいらしい。


「僕たちは皆、ジュリアを愛している。だから、僕たちは皆で君を守るよ。だから、そのために」


 わざと言葉を区切って、フレディ伯爵が優しげに笑う。


「僕ら全員と結婚してほしい」


 一瞬、ジュリアは間抜けにもぽかんと口を開けてしまった。

 そんなジュリアも可愛いよ、などという囁きが聞こえたが、それはジュリアの耳には届いていなかった。


(全員と結婚……!? できる訳ないじゃない!)


 という全否定の声を、ジュリアは力強く発しようとした。

 この時ばかりは、運命神ディラの運命縛りの存在を忘れていたのだ。


「まぁ、なんて素晴らしいことでしょう」


 ジュリアの口から出たのは、肯定の言葉だった。

 〈異性を虜にする運命〉であるジュリアは、異性に対してきつい言葉を使うことができない。

 非難も中傷も、それが酷いほどに逆の意味の言葉が口から出て来てしまうのだ。

 普段はその危険性を少しでも低くするために、やんわりと遠まわしに否定したり、口数を減らしたりしているのだが、この状況で冷静な判断などできるはずもなかった。


「嬉しいよ、ジュリア! 君なら受け入れてくれると信じていた!」


 満面の笑みを浮かべたフレディ伯爵を筆頭に、男たちがジュリアとの距離をどんどん詰めてくる。


「……でも、私にも心の準備が必要ですわ」


 少しでも時間を稼がなければならない、とジュリアは言葉を慎重に選ぶ。


「そうしたいのは山々なんだけどね、ライディス殿下が君をまたさらってしまう前に、運命神ディラ様に誓いを立てたいんだよ」


 ライディスは、軽率な行動をしたジュリアをわざわざ探しに来てくれるのだろうか。

 ジュリアがいなくても、ライディスならば国王としてやっていける気がした。

 ジュリアのように面倒な妻なんて、いらないのではないか。

 彼が助けに来てくれる、と信じたいが、それが騎士の義務としてだけならば寂しい。


「そんな悲しい顔をしないで。僕らは君の笑顔を守りたいんだよ。君を、愛しているから」


 ぞわり、とジュリアの全身に鳥肌が立った。

 甘く囁くフレディ伯爵に、周囲の男たちは反発の声を出す。

 お前ばかりジュリアに近づいてずるい、と叫び出す。

 その様子から、彼らが本当に心から協力しているのではないと知り、ジュリアはあることを思いついた。


「私を心から愛してくださる皆様に対して、全員と結婚するなどと不誠実なことはできませんわ」


 ジュリアは感情を込めて、声が響くようにお腹から声を出す。

 その瞬間、礼拝堂内は静まり返った。


「私は、私を真に愛してくださる方と、結婚しますわ!」


 そう言って、ジュリアは柔らかく微笑む。

 男たちが息を呑むのが分かった。そして、ジュリアは止めの一言を放つ。


「さあ、私を真に愛してくださるたった一人の方は誰ですの?」


「俺だ!」「僕だ」「私です!」という言葉があちこちから聞こえ、たった一人しか選ばれないジュリアの結婚相手になるために、男たちは隣に立つ男をライバルだと認識したようだった。

 そして、どこからともなく乱闘が始まる。


(今のうちに……)


 祭壇まで真っ直ぐに伸びる通路の両側には、木製の長椅子が置かれている。何十人もの男たちが暴れているために、整然と並んでいた長椅子は歪んでいたり、転がったりしていた。その脇を、ジュリアはそっと通り抜けようとする。祭壇の奥に、小さな扉が見えたのだ。

 おそらく、外に通じるものであるはずだ。ジュリアは惜しげもなくぜいたく品が詰め込まれたウェディングドレスの裾を手で引きちぎり、足早にかける。

 しかし、その華奢な身体はすぐに男たちに捕らえられる。全員が全員、我を忘れて乱闘騒ぎをしている訳ではなかったらしい。

「ジュリア、私を覚えていないのか? 君の夫にふさわしいのはこの私だろう」

 ジュリアの右腕を掴んだのは、いかにも真面目そうな眼鏡をかけ、ひょろっとした黒髪の男だ。ジュリアは、彼の名すら覚えていないというのに、彼はジュリアの愛を求めてくる。

「俺がお前を幸せにしてやる!」

 と、今度はジュリアの左腕を掴んだ、短髪の二十代前半の男が乱暴にジュリアを引き寄せようとする。

 しかし、それはジュリアの右腕を掴む眼鏡の男が邪魔をした。

 二人の間で引っ張られているジュリアは、絶望的な気持ちになっていた。

 この男たちから、ジュリア一人で逃げ切れる気がしない。


「ジュリア、僕が君を救ってあげる」


 そんな声が聞こえたかと思うと、フレディ伯爵がジュリアの腰を思いきり抱きかかえた。

 しかし、鍛えられていないフレディ伯爵の身体は到底ジュリアを支えきれず、一歩進んだところで力尽きた。

 不安定なフレディの腕から解放されて安堵していると、乱闘していた男たちが次々とジュリアめがけて走ってくる。


「ジュリアをこの場からさらった奴が結婚できる!」


 どこの誰か知らないが、とんでもないことを言ってくれた。

 せっかく男同士でもめている隙に逃げようと考えていたのに、これではジュリア争奪戦だ。


(もう、何でこうなるのよ!)


 ジュリアに群がる男たちの眼はどれも血走っていて、どんなことをしてでもジュリアを手に入れたいと語っている。

 肌に触れる無骨な手が、怖い。

 ジュリアの意思を踏みにじるその行動が、怖い。

 男たちに見つめられると、全身の毛が逆立つのを感じた。身体の震えは止まらず、しまいには吐き気を覚える。煌びやかだったウェディングドレスは、男たちが引っ張ったことでもう原型をとどめていなかった。

 あまりのことに、涙も出なかった。


(ライディス様……!)


 彼のために、彼への愛情に誠実であるために、ジュリアは絶対に男たちから逃げたい。

 しかし、数で勝っている上に、全員がジュリアを求めて詰め寄ってくるのだ。勝てる気がしない。

 ジュリアの心が折れかけた時、バン! と凄まじい音が礼拝堂に響いた。

 その音に、誰もが動きを止めた。

 しかし、その中で堂々と歩みを進める者がいた。ジュリアはその人物の姿を視界に捉え、思わず涙をこぼした。

 まるで絵本に出てくる王子様のように、ジュリアを助けに来てくれた。

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