25.男たちの思惑

 ミセス・ローズビリアのドレスや宝飾品を楽しみに弾んでいた心は、馬車の窓から見える風景がつい最近通った道ではないと気付いてから急に不安に沈んでいた。

 ジュリアが到着したのは、教会だった。

 もしかして、本番のリハーサルでもあるのか、と希望的観測をしてみたものの、ライディスと結婚式をするはずの聖ディラ教会ではなかった。

 それに、サーシャもいない。

 どういうことか、と使いの者に問うと、「すぐに分かります」と答えた。

 そして、ジュリアは礼拝堂とは別棟のとある一室に案内された。



「こちらで、お召し変えを」

 室内には、少し暗い顔をした女性がいた。黒髪に茶色の瞳を持つ、三十代ほどの女性。

 侍女のお仕着せを着ている彼女は、ジュリアを見るなり、笑顔を作った。

 その様子を不自然に思うと同時に、バタンと扉が閉じられた。

「さあさあ。ミセス・ローズビリアお手製のドレスですわ!」

 不自然すぎるほどの笑顔で棒読みの台詞を口にした女性は、ジュリアに着替えを促す。

「あの、本当にミセス・ローズビリアのドレスなのですよね? 彼女もここにいらっしゃってるんですよね?」

「えぇ、もちろんですわ。ドレス姿を見たいとおっしゃってましたから」

 そうは言うものの、彼女はいっこうにジュリアと目を合わせようとしない。

 しかし、本当にミセス・ローズビリアの指示かもしれない、と思う気持ちもあり、強く否定はできなかった。

 どのみち、ドレスに着替えればわかることだ。

 テキパキと動く女性にされるがままに、ジュリアは真っ白なドレスを身に纏った。

 フリルがふんだんにあしらわれ、贅沢にも大きな宝石が胸元で輝いている。

 どうしていいか分からずにジュリアは女官を見つめるが、彼女は無言でジュリアの髪を結い上げている。

「あの、サーシャも来ていますよね……?」

「えぇ、礼拝堂でお待ちです」

 淡々と、女官は答えた。


(……ライディス様)

 何故だろう。今、無性にライディスの顔が見たい。

 ライディスのために飾り立てても、所詮は形だけの夫婦だ。

 そのことが胸を苦しめる。

 それでも、ジュリアはやはりライディスに会いたい。

 むっとしている彼でもなく、王子様として優しく微笑む彼でもなく、無防備に思わず笑みを漏らした彼に、ジュリアは会いたい。


「できましたわ。ジュリア様、礼拝堂へ」

 女性に促され、ジュリアは立ち上がる。そして、重いドレスの裾を引きずって歩き出す。

 結婚をして、生涯ただ一人の伴侶となるのに、ライディスの愛は自分に向けられることはない。

 ミラディアはライディスを愛している。それに、ジュリアにはない共に過ごした多くの時間がある。

 もしこの先、ミラディアの恋心を、優しいライディスが受け入れてしまったら?

 触れられないだけで、彼に近い女性は存在するのだ。

 高貴な生まれで、美しく、お似合いな二人。

 ジュリアは妻という立場でも、形だけの夫婦なのだから文句のひとつも言えない。

 自分を見て欲しい、なんて尚更言えるはずがない。


(そんなの、嫌だわ)


 形だけの夫婦など、今のジュリアには受け入れられない。

 離れていても、彼に会いたい。彼を知りたい。その心に触れたい。

 ジュリアの中に芽生えた恋は、いつの間にか自分を押さえつけるすべての感情を勝るほどに育っていた。


(私、ライディス様とは結婚したくない)


 愛されることがないのなら、妻という立場が辛いだけだ。

 結婚式のためのドレスを身にまといながら、ジュリアは婚約破棄を考えていた。見えてきた礼拝堂の大きな扉を前に、ジュリアは呼吸を整える。


(ライディス様が戻ったら、私には結婚する意志はないと伝えよう)


 怒られるだろうか。

 それでも、ジュリアを愛していない優しいライディスは、ジュリアの意志を尊重してくれるような気がした。

 覚悟を決めて前を向き、ジュリアは細い脚を一歩前に出した。

 そうして開かれた礼拝堂の祭壇の前に立っていたのは、ミセス・ローズビリアでもサーシャでもなく、ジュリアが避け続けていた男たちだった。

 それも、皆が白いタキシードに身を包んだ新郎姿で、ジュリアをうっとり見つめている。


「我らの美しい花嫁の入場だ」


 朗らかに、美しい金髪をなびかせて中央に踊り出たのは、つい先日ジュリアを誘拐しようとしたフレディ伯爵だった。

 驚きのあまり動けずにいたジュリアの後ろで、扉の閉まる音がした。



 * * *



 ジュリアの宮殿に到着すると、すでに騒ぎは起きた後のようだった。

 ライディスの登場に、護衛に配置していた騎士たち、女官たちが青白い顔を見合わせる。その中に、ジュリアに関することであれば最も信頼できるであろう人物を見つけ、ライディスはすぐに詰め寄った。


「一体、ジュリアに何があった!?」


「ライディス殿下っ! ……実は、ミセス・ローズビリアの使いと名乗る男が来たんです。試作品を見てほしいと。ジュリアはドレスを楽しみにしていたから、すぐについて行きました。でも、あたしも一緒について行こうとしたら、急に薬を嗅がされて、気が付いたらジュリアがいなくなってた……あたしがちゃんと見ていなかったから、ジュリアが!」


 ジュリアの友人であるサーシャは、自分も危険な目に遭ったというのに、ジュリアを守れなかったことを本気で自分のせいだと思っている。

 自分を責めて泣いたのだろう。目が真っ赤になっている。


(ジュリアを守り切れなかったのは俺だ)


 サーシャが襲われた時点で、本物のローズビリアの使いでないことは確かだ。

 どうしてずっと側にいてやらなかったんだ、と後悔したところで遅い。

 今は、ジュリアを助け出すことが最優先だ。


「落ち着いてくれ。今回の件は、あなたのせいではない。怪我はないか?」


 ジュリアを心から案じてくれるサーシャに、ライディスは焦りを押し隠して優しく声をかける。

 サーシャは、必死で我慢していた涙をこぼしながら、こくりと頷いた。


「サーシャ嬢、ジュリアを攫う者に心当たりはあるか?」

「ごめんなさい。ジュリアの虜になっている男は本当に多くて、絞り切れないわ」

「分かった、ありがとう。ジュリアのことは俺に任せて、あなたはゆっくり休んでくれ」

 ライディスは安心させるように力強く言った。

 サーシャは気丈に振舞ってはいるが、れっきとした伯爵令嬢である。

 襲われた経験などないだろう。

 ライディスは、じっとこちらを案じるようにみていた女官にサーシャを休ませるように頼んだ。

 ちょうどその時、右腕であるレイモンドが到着した。


「ライディス、嫌な予感が的中した。以前、王城にジュリア様を奪還しようと押し寄せていた男たちの動向を調べたら、全員いなくなっていた」

「なんだと? 全員が?」

 レイモンドの報告に、ライディスは内心怒りに燃えながらも、頭では冷静に考える。

 虜になって王城に押し掛ける、という行動的な男たちの誰かの仕業だろうと思ったが、まさか全員関わっているとは。

 ジュリアの虜になった男たちが、何故か全員いなくなった。

 それも、ミセス・ローズビリアの使いだと嘘をついて。

 それが意図することとは。男たちの目的とは。

 その答えにたどり着き、ライディスはすぐに走り出す。


「……くそっ! 絶対に許さない」


 後ろから、レイモンドたち騎士がついてくる。

 彼らを待つこともなく、ライディスは愛馬に跨り、再び王城から飛び出した。

 ジュリアの虜になり、彼女に求婚した男たちの望むことは、ただ一つだろう。

 それは、ジュリアと結婚すること。

 王子と結婚する前に、自分のものにしてしまおうとしているのだ。


(間に合ってくれ……!)


 この国では、教会で結婚の誓いをしてしまえば、運命神ディラの強い加護を得ることになる。

 元々祝福を受けているジュリアにとっては、その加護はそれほど強い影響はないだろうが、相手の男性との縁は切れなくなってしまう。

 ライディスの焦りを感じ取っている愛馬は、今までにない速度で風をきって走った。

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