23.友の心遣い
もう冷めてしまった紅茶に口をつけ、ジュリアは溜息を吐いた。
ライディスを見送って、特に予定もないジュリアには先日の事件のこともあり、部屋に引きこもる以外の選択肢はない。
ぼんやりとこの宮殿に来てからの日々を思い返していると、新しいティーセットを用意してサーシャが入ってきた。
あたたかな赤茶色の液体を、上品な花柄模様のカップにそそぐ。
砂糖を二杯分入れて、濃厚なミルクを一回し。
自分の髪色よりも少し濃い色のミルクティー。お茶菓子は、レモンが香る焼き立てのマドレーヌだ。
だんだんと、侍女の仕事が板についてきているような気がする。
元々令嬢らしくお淑やかに振舞うことを苦手としていたサーシャだが、できない訳ではない。
むしろ、本気を出せばジュリアなど足元にも及ばないほど、サーシャの礼儀作法は洗練されている。
しかし、それだけの教養を持ちながら、自分の柄ではないとサーシャは笑うのだ。
なんでもできる友人が、ジュリアは本当に羨ましかったし、心から尊敬している。
サーシャに侍女仕事などさせていいものか、と思っていたのだが、嬉々として仕事を覚え、励んでくれている。
それは、初めての侍女仕事に興味があったからというのもあるだろうが、ジュリアを心配してくれているからに他ならないだろう。
サーシャがいてくれるおかげで、ジュリアは独りではない。
「ありがとう、サーシャ」
心からの礼を込めてほほ笑むと、サーシャはにっこりと頷いた。
「それで、どうしたの? 大きなため息なんてついて」
安心させるような笑みを浮かべて、サーシャが問う。
自分を取り繕わなくてもいい友人の存在というのは、本当に有難い。
だから、ジュリアは心のままに言葉を紡ぐ。
「私、ライディス様のことが好きなの」
「うん」
「でも、ライディス様と出会って、今までは耐えられたことが耐えられなくなっている気がするの……私ね、自分はもっと強いと思っていたのよ」
社交界で悪女の噂を流された時も、女性に陰口を言われた時も、いきなり男性に襲われた時も、心当たりのない脅迫状が届いた時も、ジュリアは気にしなかった。いちいち相手にするのも面倒だったから。そうやってずっと耐えてきたのに、ライディスが絡むとどうしても耐えられない。
噂話なんて信じないと言ってくれたけれど、これからどんな噂が彼の耳に入るか分からない。
いつか、ライディスに軽蔑されるかもしれない。
ミラディアや他の令嬢たちに、ライディスには相応しくないと言われる度に、心が痛んだ。
それは、好きな人に相応しい人でありたいと願っているから。
男に襲われた時だって、自分に触れるのはライディスでなければ嫌だと本気で思った。
ライディス以外の男性はあり得ない。
いつの間に、自分はライディスをこんなにも愛してしまっていたのだろう。
ライディスに認められる同志でありたいのに、ジュリアはどんどん自分が弱くなっている気がしていた。
こんなはずではなかったのに。ライディスへの想いを抱えながらも、自分ならば今まで通り振舞えると思っていたのに。
「それはさ、今までずっと強がっていたジュリアの心が素直になれたってことじゃないのかな。だって、ジュリアは何があっても泣かなかったし、何をされても平気な顔して耐えてたから心配だったの。見かねてあたしが裏で仕返ししてたぐらいだし……ジュリアはもっと自分の気持ちを正直に伝えて、甘えてもいいのにってずっと思ってた。ライディス殿下に出会ったおかげで、ジュリアの強がりがなくなったなら、あたしは嬉しいな」
思いがけない友人の言葉に、ジュリアは反応に困ってしまった。
確かに、ジュリアは今まで誰かに助けを求めたことも、辛いと泣いたことも、怖いと不安を漏らしたこともなかった。
自分が耐えていればいいと思っていた。
そんなジュリアを、サーシャは心配してくれていた。
ジュリアは素直に感動した……が、聞き捨てならない言葉もあった。
「……え~と、仕返ししたことがあるの?」
「あるよ」
笑顔で即答するサーシャ。
「だ、誰に何したの!」
「たくさんいたから覚えてないなぁ」
と、とぼけるサーシャにジュリアは頭を抱えてしまう。
でも、なんだかおかしくなって、ぷっとふき出した。
サーシャも一緒になって笑い出し、しばらく二人でおもいきり笑った。
「本当に、サーシャには敵わないわ。いつもありがとう。これからも、仲良くしてね」
「もちろんよ」
「でも、もう仕返しなんてしないで」
「えぇ。これからはライディス殿下がジュリアのことを守ってくださるものね」
なんだか生暖かい目で微笑まれ、ジュリアの頬は熱くなる。
「もう、私たちは形だけの夫婦なんだから……! ライディス様が守ってくれるのは騎士としての義務からよ」
自分で言って悲しくなってきた。
萎れた花のように急にしゅんと落ち込んだジュリアを見て、サーシャは笑う。
「大丈夫よ。ライディス殿下はジュリアのことを大切に想ってくれているわ。だからほら、元気出して」
サーシャはマドレーヌを一つとり、ジュリアの目の前に持ってきた。レモンの香りが食欲をそそり、ジュリアは素直に口を開けた。
バターの濃厚なしっとりとした生地と、レモンのさっぱりとした味わいが絶妙だ。
「甘いものを食べると、幸せな気分になるでしょう?」
「えぇ。とっても美味しいわ」
二人で久々のお茶会を楽しんでいると、ノックの音がした。サーシャが対応するために部屋を出て、少しして戻ってきた。
「ミセス・ローズビリアからの使いが来ているわ。婚礼用のドレスが完成したから試着してほしい、と。とりあえず、今は客間で待ってもらっているけど、どうする?」
サーシャの報告に、ジュリアはぱっと顔を輝かせる。
あのミセス・ローズビリアが作ってくれたドレス。どんなものなのか早く見てみたい。
それに、結婚式は三日後だ。
ライディスは何も言っていなかったが、急いだ方がいいだろう。
指輪の意匠についても、どうなっているのか知りたい。
「すぐに向かうと伝えて頂戴」
「分かったわ」
そうして、ジュリアはミセス・ローズビリアの使いだという男とともに馬車に乗った。
何故かサーシャとは別の馬車に一人で乗ることになったが、ジュリアは特に気にしていなかった。
浮き立つ心は、使いが男だとしても、抑えられるものではなかった。
頭を占めるのはミセス・ローズビリアのドレスのことばかり。
しかし、ジュリアは急いでいたために気が付かなかった。
乗り込んだ馬車に刻まれていた紋章が王家のものでも、ミセス・ローズビリアのものでもないことに。
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