21.募る想い
ダイニングルームに行くと、何故かライディスがいた。
どうりで、ここに来るまでサーシャがにやついていた訳だ。
「ラ、ライディス様っ? ど、どうしてここに……」
まさか、会えるとは思っていなかった。それも、昨日の今日で。
いっきに彼に触れた時の記憶が蘇り、ジュリアは赤面した。
そして、大泣きをしてしまった失態も思い出し、ジュリアは逃げたい衝動にかられた。
しかし、扉は閉じられ、背後でサーシャがにっこりとジュリアを逃がすまいとしている。
「おはよう。一緒に朝食を、と思ったんだが、迷惑だったか?」
「い、いえ。そのようなことは……」
好きだと自覚してしまったからか、ライディスの顔がまともに見られない。
その低く優しい声を聴くだけで、心臓はどくどくと鼓動を速めていく。
なんだか、彼が自分を見ていると思うだけで落ち着かない気持ちになる。
今日のライディスは、黒の騎士服姿でも、王子様としての正装でもない。
装飾のない白いシャツと紺色のズボン姿で、ラフな格好だった。
きっちりとした騎士服を着ている時よりも、鍛えられた身体のラインがよくわかり、ますますジュリアの顔は熱くなる。
それに、いつも感じていた壁までもが、騎士服とともに取り払われたような錯覚を覚えた。
ライディスにエスコートされ、ジュリアは席につく。
ライディスは、ジュリアの正面に座った。
顔を真っ赤にしてテーブルを見つめていると、給仕の使用人によって朝食が並べられた。
野菜のスープ、オムレツ、パン、サラダ、グレープフルーツ。美味しそうな匂いのおかげで、ようやく空腹を感じ始めた。
スープを一口、パンをひとかじりして、ジュリアの心臓はようやく落ち着いてきた。
「ライディス様、お仕事は大丈夫なのですか?」
騎士団長も務めるライディスは、多忙なはずだ。
それなのに、ライディスがここにいるのは、ジュリアのためだろう。
昨日あんな風に泣いてしまったから、優しい彼を心配させてしまったのだ。
でも、ジュリアは彼の邪魔はしたくない。
「……あの、昨日のことを気にされているなら、私は心配いりませんわ」
「いや、仕事は落ち着いているから問題ない。それに、俺があなたと一緒に過ごす時間を持ちたいと思ったんだ」
真剣な眼差しに、ジュリアは息をのむ。
ライディスの藍色の瞳に囚われ、ジュリアはもう逃げられなくなる。
ライディスが好き。
その気持ちがジュリアの中でどんどん大きくなっていく。
「……ありがとうございます。私も、ライディス様と……一緒にいたいと思っていました」
「それはよかった」
ジュリアの答えを聞いて、ライディスはほっとしたように笑った。
その笑顔にまた胸がきゅうっとなり、ジュリアはライディスから目が離せない。外回りが多いせいか少し日に焼けた肌色、鋭くもあたたかい藍色の瞳、ジュリアに触れる力強く優しい手。
じっとライディスに見惚れていると、本人とばっちり目が合ってしまった。
そして、何故かライディスは自分のグレープフルーツをひとつ、ジュリアの皿にのせた。
「……あの、ライディス様?」
「グレープフルーツをじっと見ているようだったから、好きなのかと思ったが、違ったか?」
どうやら、ライディスを見つめていたのを、グレープフルーツ欲しさに見つめていると勘違いされたらしい。
「ち、違います! 私が見ていたのはグレープフルーツではなくて……」
ライディス様です、と言いそうになって、途中で口を押えた。
危ない。好きで見つめていたのがグレープフルーツではなくライディスだなんて、言えるはずがない。恥ずかしすぎる。
顔を真っ赤にしながら、ジュリアは苦し紛れに笑う。
「そ、そうなんです。私、グレープフルーツが大好きで! ありがとうございます」
「そうか。遠慮せずに、欲しいものは俺に言ってくれ」
なんだか、ライディスの方が嬉しそうだ。
彼が笑っていてくれているなら、自分はグレープフルーツ大好きな女でいいかな、と思ってしまう。
どぎまぎしつつも、初めてのライディスとの朝食は楽しい時間だった。
忙しいライディスは、もう帰ってしまうのだろうと思っていたが、どういう訳かまだジュリアと一緒にいてくれる。
サーシャが気を回して、ジュリアの私室で二人きり。
ともに朝食をとったおかげで、だいぶ緊張感はほぐれているが、好きな人と二人きりになってドキドキしないはずがない。
「今日は一日休暇をとっているんだ。だから、あなたとゆっくり過ごしたい」
それも、真剣な顔でこんな嬉しいことを言われたら、平然としていられる訳がない。
しかし、こんなことを言われては、ジュリアだって勘違いしそうになる。
ライディスも、ジュリアのことを想ってくれているのではないか、と。
そんなこと、あり得ないのに。
昨日あんなことがあったから、優しいライディスはジュリアを守るためにここにいるのだ。
それでも、側にいてくれるだけで幸せだ。
「腕の具合は、どうだ?」
今日は七分袖のドレスを着ていて、腕の痣は隠しているが、ライディスには昨日見られていたのだろう。
「まだ少し痛みますが、これくらい大丈夫ですわ」
「くれぐれも、無理はしないでくれ」
「はい、ありがとうございます。そういえば、昨日のあの男は一体誰だったのですか?」
ライディスにただ優しく甘やかされているだけでは、本当に自分がダメになってしまいそうだ。
ジュリアは頭を冷やすためにも、昨日の騒動の話を持ち出した。
警備が厳重なはずの宮殿に、それもジュリアの私室に侵入することは容易ではない。
それなのに、男は侵入した。
男が何者なのか、ずっと気になっていた。
「そうだな。あなたには知る権利がある。あの男は、あなたを襲うよう金で雇われたらしい。元々あなたの虜になっていた男ではないが、実際にあなたを見て本気になったのだろう。宮殿への手引きをしたのはこの宮殿の女官だ。自分の婚約者があなたに夢中になってしまった過去があり、許せなかったということだった」
「そう、でしたか……」
婚約者の心を奪った女が王子妃になり、さらにはその女に自分が仕えなければならないなんて、その女官はさぞ苦しんだことだろう。
ジュリアを恨む女性は多い。
こんな運命に生まれたせいで、どれだけの人の心を傷つけてきただろうか。
(運命神ディラの祝福なんて、やっぱりいいことなんてひとつもない)
でも、一番はジュリア自身の責任だ。
運命のせいにして、自分では何も変えようとしなかった。
ジュリアは、この宮殿で仕えてくれる人たちのことを知ろうともしていなかった。
噂話の誤解を解くことも、近づく努力も、何もしていなかった。
見限られても当然だ。
復讐されても、仕方がない。
「ライディス様、その女性はどちらに?」
「今は牢に入っている」
「その方に、会わせてもらえませんか」
自分が歩み寄ることをしなかったせいで、傷つけてしまった人だ。許されるとは思わないが、話をしてみたい。
しかし、ライディスに厳しい表情で止められた。
「それはできない。あなたを傷つけようとした人だぞ。それに、男を雇った金にも不審な点が残っている。あの女単独で動いていたとは考えにくい。すべてが明らかになるまで、あなたにはじっとしていてほしい」
最後の言葉は、懇願に近かった。
ライディスを困らせたい訳ではない。
しかし、自分のことなのに、すべてをライディスに任せてじっとしているなんて嫌だった。
「嫌だと言ったら?」
「無理矢理閉じ込めてでも、俺はあなたを守る」
真っ直ぐに向けられた言葉に、胸が締め付けられる。本気で心配してくれている。
そこに恋情はなくても、好きな人に心配されていることは素直に嬉しかった。
「そうですか。では、私たちの結婚式はどうなりますか?」
「そのことなんだが、やはりあなたが出るのは危険だ。今回のこともある。あなたには王宮での晩餐会にだけ参加してもらい、王都でのパレードは別の者に……」
「それは嫌ですわ!」
ライディスの隣に、別の女性が花嫁として立っているなんて、絶対に嫌だ。
その思いが強すぎて、自分でも驚くくらい大きな声が出ていた。
一度深呼吸をして、ジュリアは言葉を続ける。
「……結婚式には、ちゃんと私が出ます。危険はありませんわ。だって、ライディス様の側が一番安全なのではありませんか? 私を守るとおっしゃるのなら、閉じ込めるのではなく、側にいてください」
身勝手な言い分なのはわかっている。
相手は婚約者とはいえ、一国の王子だ。
男爵令嬢であるジュリアが何を言ったところで、最終的にはライディスの意見が通るだろう。
きっと、相手がライディスでなければ、ジュリアは代わりの花嫁という案に喜んでいた。
好きになってしまったから、許せないだけなのだ。
これは、ただの嫉妬。
本当の恋人でもないのに感情的になってしまったことを、ジュリアは今更ながらに後悔していた。
なんと見苦しいのだろうか。
さすがのライディスでも、生意気な女だと怒るかもしれない。
しかし、聞こえてきたのはライディスの笑い声だった。
「……ははっ。あなたの言う通りだな。俺も、あなたが襲われて冷静さを失っていたようだ。すまない」
「いえ、そんな……」
ライディスのどこか吹っ切れたような笑みに、ジュリアもほっと息をつく。
怒ってはいないようだ。
それどころか、ライディスの方が謝っている。
「結婚式が延期になっていることで、国民から心配されていることも事実だしな。ちゃんと、あなたが俺の花嫁なのだということをお披露目しよう。そのためにも、早急に今回の件は解決させなくてはな」
そう言って、ライディスは立ち上がった。
もう帰ってしまう。
忙しい人なのだから、言葉通りゆっくりしていられないことぐらい頭では分かっている。
それに、ライディスはジュリアとの結婚式のために動こうとしてくれている。しかし、やはりもう少し一緒にいてほしかった。
「では、また来る。安静にしておくように」
ジュリアを気遣う言葉をおいて、ライディスは部屋を出て行った。
「引き止める資格なんて、私にはないんだから……」
ジュリアは独り残された部屋で、自分に言い聞かせるようにぽつりと呟いた。
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