20.友との再会


 久しぶりに、ぐっすりと眠ったような気がする。

 ジュリアは日の光を感じて目を開けた。


「……あれ? 私、いつから寝てたのかしら?」


 寝起きで頭がぼんやりしていて、すぐには思い出せなかった。

 しかし、ふと右腕に赤黒い痣ができているのを見つけ、思い出す。


(そうだ、これ……昨日抵抗して花瓶を落とした時にできたんだわ)


 自分の身体に覆いかぶさる、男の大きな身体。

 ジュリアの抵抗など、何の効果もなさなかった。怖くて、怖くてたまらなかった。

 ジュリアを助けてくれたのは、ライディスだった。

 ライディスの顔を見て、ジュリアは心からほっとしたのだ。


「わ、私、とんでもないことを言った気がするわ……!」


 あの時、自分が言った言葉を思い出して、顔から火が出そうだった。自分からライディスに抱きしめてほしいだなんて、いくら頭が混乱していたからといって形だけの夫婦となるジュリアが言う言葉ではなかった。


(ライディス様、私の気持ちに気付いたかしら……)


 ライディスを好きだということを伝えたら、彼はジュリアをここから追い出すのだろうか。

 それは嫌だ。この宮殿の外には多くの騎士おとこがいるから、ジュリアはほとんど引きこもりのようにここで過ごしている。

 だから、ライディスとの接点はこの宮殿しかない。

 彼が会いに来てくれなければ、ジュリアはただ一人ずっとこの宮殿で寂しい思いをするだけ。

 それでも、ライディスのことを思うだけで何故か心が満たされる。


「はあ~。私、本当にライディス様に恋してしまったのね……どうしよう。このままじゃ、結婚なんてできないわ」


 今まで、恋愛などしたことがなかった。

 もちろん、トラウマばかりあるので自分から恋愛をする気にもなれなかった。

 そもそも、恋愛対象にしたいと思える男がいなかったということもある。

 そんな自分が、突然現れた王子様に本気で恋をしてしまうなんて、どこの絵本に出てくる夢見がちで馬鹿なお姫様だろうか。

 本気で恋をしてしまったから、ライディスとは結婚したくない。

 だって、彼は男が好きなのだ。

 運命の相手だが、ジュリアは女性だ。

 性別を変えることなどできない。

 形だけの夫婦、つまり結婚しても愛されないということだ。

 大好きな人と結婚するのに、その人から愛されないなんて、耐えられっこない。


 ジュリアが盛大な溜息を吐いた時、いつもは控えめなノックが、今日は何故かドンドン! と部屋中に大きく響いた。


(どうしたのかしら?)


 不思議に思いながらも、ジュリアは返事をした。

 そして、その扉から現れたのは、ここにいるはずのない人物だった。


「サーシャ⁉ どうしてここに?」


 そこには、侍女のお仕着せを着たサーシャがいた。

 ジュリアはすぐに駆け寄り、サーシャに飛びつく。


「ジュリア、久しぶり! んもう、こっちこそ、いきなり王子様と結婚するなんてびっくりしたじゃないの! 婚約の報告だけして、そのあとは一切連絡がないし、あたしがどれだけ心配したかわかる?」

「それは……ごめんなさい」

 サーシャには、王宮に移り住む直前に手紙を出したきりだったのだ。

 何度も連絡しようと思ったが、自分の心の整理もできていなくて、色々なことがあったから、手紙では何を書けばいいのか分からなかった。

「まあいいわ。こうしてまた会えたんだし!」

「そういえば、どうしてサーシャがここにいるの? それも、侍女服なんか着て……」

「あ、これね。あたし、今日からジュリアの侍女になるのよ。あら、あなたの王子様から聞いてない?」

 サーシャは当たり前のように言ったが、ジュリアにとっては寝耳に水である。

「え、どういうこと?」

「そっか、本当に聞いてないんだ。王子様がうちに来た時は本当に心臓が飛び出るかと思ったわよ~。お父様の青ざめた顔、今思い出しても笑えるわ」

「ちょっと待って。ライディス様が、直接、リナード伯爵家へ行ったの?」

「そうよ」

「いつ?」

「昨日の夕刻よ」

 おそらく、昨日の騒動の直後だ。

 ジュリアが泣き疲れて寝てしまってから、ライディスはどういう訳かリナード伯爵邸へ向かったのだ。

「いや~、でもまさか王子様が頭を下げるとは思いもしなかったわ。本当に、ジュリアは愛されているのね」

 にっこりと、サーシャが明るい笑みで言った。

 しかし、ジュリアにはまだ理解できない。

 それが思い切り顔に出ていたのか、サーシャは呆れながらも説明してくれた。

「ジュリアのために、あたしに侍女になってほしいって、ライディス殿下は頭を下げたの。次期国王が、たかが伯爵家によ。それにはお父様も恐縮しすぎて倒れそうだったけどね。お父様も、行き遅れている娘の将来を心配していたし、あたしもジュリアに会いたかったし、王子様の熱い愛も感じたし! ってことで二つ返事で荷物まとめて今日ジュリアの侍女として宮殿にやってきたという訳よ! どう? 理解した?」

 じゃじゃーん、というようにサーシャは両手を広げて楽しそうに種明かしをする。

 ジュリアはといえば、何故サーシャがここにいるのかは理解したものの、心がどういうことだとまだ混乱していた。


「……理解はしたわ。でも、どうしてライディス様が」

「そんなの、ジュリアを心配してるからに決まってるじゃない。本当に、愛されているのね。よかったわ、ジュリアにもまともに恋愛できる男の人がいて。あたし、いつもふざけてはいたけど、本気で心配してたんだからね」

「サーシャ、ありがとう」

 昨日大泣きしたせいか、かなり涙腺がゆるんでいる。

 大好きなサーシャの笑顔が、涙で歪んで見えない。

「もう、ジュリアったら。これからは、あたしがいるから大丈夫よ。あ、でもジュリアには大事に守ってくれる王子様がいたわね」

「……そうなんだけど、ライディス様は私を愛している訳ではないのよ」

「どういうこと?」

「サーシャにだから、話すのよ」

 涙を拭いて、サーシャに向き合う。

 真剣なジュリアの声音に、サーシャも表情を引き締めた。


「ライディス様はね、男色家なの」


 その一言に、サーシャは一瞬固まった。

 無理もない。ジュリアもはじめは信じられなかった。


「信じられない気持ちはわかるのよ。でもね、本当なの。ライディス様は男の人が好きなの。でも、次期国王として結婚しない訳にはいかないから、男嫌いな私と形だけの結婚をすることにしたのよ。ライディス様は私のことを大切にしてくれるけれど、私を愛していないわ」

 自分で言ったのに、愛していないという言葉が胸にグサリと突き刺さる。

 しかし、ようやくジュリアの言葉を理解したらしいサーシャが腹を抱えて大爆笑を始めてしまったので、そんな胸の痛みも吹き飛んだ。

「あはははっ……ジュリア、それ本気で言ってるの?」

「えぇ」

「そんなの、ありえないわよ。だって、ジュリアのことを話す時、ライディス殿下はこっちがびっくりするぐらい真剣だったもの。それに、愛していなければあたしたちなんかに頭を下げたりしないはずよ。きっと、ジュリアのためにそういうことにしてるんじゃないの?」

「そ、そんなはずないわ……!」

「まあ、それはいいとして。ジュリアはどうなの? ライディス様のこと、好きなの? 嫌いなの?」

 サーシャに真っ直ぐな問いを向けられ、ジュリアはうっと言葉に詰まる。

 サーシャには、今まで散々「男なんて~」という愚痴をぶつけてきたのだ。

 それなのに、王子様相手に恋をしたなんて、恥ずかしくて言えない。

 王子様だから好きになったのではない。

 ジュリアは、ライディスだから好きになったのだ。

 でも、まだ初めての恋心の整理の仕方が分からない。


「もう、完全に恋する乙女じゃないの」


 言わなくても、サーシャにはバレバレだったらしい。

 確信を持った笑みを向けられて、ジュリアは仕方なく白状する。


「えぇ。私は、ライディス様のことが好きよ。でもね、元々は形だけの夫婦という約束だし、好きになるつもりなんてなかったの……これからも、この気持ちはライディス様には伝えないつもりよ」

「あら、どうして? あたしは応援するわ、ジュリアの初恋だもの」

「でも! ライディス様は女嫌いで、男の人が好きなのよ。女の私が好きだなんて、それも約束を破ってライディス様の愛を求めてしまったら、きっと嫌われちゃうわ」

「ははぁ。本当にジュリアってば、不器用よね。ライディス殿下も苦労するわねぇ」

 どこか遠い目をして、サーシャが笑った。

 そんな友人の反応に、ジュリアはまるで理解ができない。

「さて、お喋りはここまでよ。朝食の準備ができているから、一緒に行きましょうか」

 急に侍女っぽいことを言い出したサーシャに、ジュリアはなんだかおかしくなってくすりと笑う。

 令嬢らしく振る舞わないサーシャだ。

 侍女らしく、侍女の仕事をこなす、というのはあまり期待できないだろう。

 それでも、気心の知れた友人が側にいてくれるというのは、驚くほどの安心感と心に余裕を持たせてくれる。

 ライディスが、ジュリアのためにサーシャを連れてきてくれた。

 その事実に、改めて胸が熱くなる。


(あぁ、どうしよう。どんどんライディス様のことを好きになっている気がするわ)


 優しく自分を包み込む腕の感触、あたたかなぬくもり、それらを思い出してジュリアの頬は桃色に染まる。

 もっと、触れてほしい。そんな恥ずかしい思いを抱いてしまうほどに、ジュリアの心はライディスへの想いでいっぱいだった。

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