17.王族専用の宝飾店

 あたたかな陽射しに、ジュリアは目を細めた。

  ライディスが来たあの日から五日、ジュリアの日常は落ち着いている。

 ミラディアがジュリアの元を訪れることもなく、ただ毎日が穏やかに過ぎている。

 もう、ジュリアの靴擦れも治っていた。

 それでも、ライディスが巻いてくれた包帯を捨てられずにいる。


(ライディス様、忙しいのかしら……)


 ミラディアの訪れがないのは嬉しいが、あれからライディスの訪問もない。

 しかし、お見舞いの花だけは女官を通して届けられる。

 そして、ライディスの指示で城の外にはジュリアの目に触れないように騎士たちが護衛についてくれている。

 ジュリアの前では噂を気にしていないように言っていたが、もしかしたら本当は嫌だったのかもしれない。

 顔も会わせたくないぐらいに。

 そう思うと、ジュリアの胸は押しつぶされそうになる。

 安全な宮殿で、こんなにも苦しい思いをするとは思わなかった。

 なんだか、うっとおしいくらいにいちゃついていた両親でさえも恋しくなる。

 一週間に一回は会っていた親友のサーシャにも、ずっと会っていない。

 穏やかな日々で、窓から見える景色は美しいのに、ジュリアの心はさみしいという思いでいっぱいだった。

 しかし、今一番会いたいのは、どういう訳かライディスだった。

 ライディスのことを思って溜息を吐いていると、ノックの音が耳に届いた。

 この宮殿には女官が十人と侍女が五人いる。

 その中の誰かだろうと思って、ジュリアは憂い声のまま返事を返す。


「俺だ。入ってもいいか?」


 聞こえてきた声に、ジュリアの身体は飛び上がりそうになった。

 何日ぶりの声だろう。ジュリアは慌てて居住まいを整える。

 鏡に向き合って、結い上げた髪に乱れがないことを確認し、ライディスを迎え入れた。

「すまない。仕事が立て込んでいて、なかなか時間が取れなかった」

 開口一番、ライディスは会いに来られなかったことを謝罪した。

「足はもう大丈夫か?」

「はい。この通り」

 ジュリアはその場でくるりと回ってみせた。

 ダンスはけっこう得意なのだ。

 きれいなターンを披露したジュリアを見て、ライディスは表情を和らげた。

「あれから、何も問題はなかったか?」

「えぇ、お陰様で。ライディス様こそ、お疲れではありませんか?」

 どことなく、ライディスの顔には疲れが見える。

 ジュリアの心配よりも、自分のことを心配してほしい。

「あぁ。俺は大丈夫だ。急だが、少し時間をもらってもいいか?」

 改まって、何だろう。

 不思議に思いながらもジュリアは頷いた。

 大したことのない足の怪我のために様々な予定は今日まですべてキャンセルされていたので、特段予定など入っていない。

「よかった。では、俺についてきてくれ」

「はい」

「………………」

 返事をしたのに、ライディスは言葉を放ったままの状態で固まっていた。

「ライディス様?」

 あまりに沈黙が続くものだから、ジュリアは思わず声をかける。

 すると、はっとしたようにライディスが身じろぎし、きょろきょろと視線を泳がせてから、再度ジュリアに向き直った。

「……その、俺がエスコートしても問題はないか? いや、やはりいい! 問題だらけだな。俺は男で、あなたは男が嫌いなのだから……近づかないと言っておきながら、妙なことを言ってしまってすまない。気にしないでくれ」

 真顔のまま早口でまくしたてられ、ジュリアが口を挟む余地がなかった。

 それに、あまりにぼそぼそと口ごもっていたので、ジュリアはほとんど聞き取れなかった。

 自己完結したのか、ライディスはつい先ほどの言葉がなかったかのように「では、行こうか」と背を向ける。


(……一体、ライディス様はどうなさったのかしら?)


 心なしか、ライディスの頬が赤いような気がするが、きっと気のせいだろう。

 ライディスの行動を疑問に思いながらも、ジュリアは彼の後ろを一定の距離を保って静かについていった。




 王宮内のどこかに行くのだろう、と思っていたが、気付けば馬車に乗り、王都を走っていた。

 ジュリアのことを気にしてか、馬車は二台用意されており、ライディスとは別々だった。

 そのため、目的地について尋ねようにも尋ねることができなかった。

 それ以前に、ライディスの背中があまりにピリピリしていて、話しかけることなどできなかった。


(ここは、貴族御用達の高級店が集まる区域ね)


 いきなり、どうしてこんな王都に来ることになったのだろうか。

 そして、ライディスのあの様子は一体どうしたというのだ。

 ジュリアの頭の中は疑問符ばかりが浮かんでいた。

 ようやく馬車が泊まり、たどり着いた先は宝石店だった。

 それも、男爵家のジュリアでは店に入ることもためらわれる『ミセス・ローズビリアの宝飾店』。

 『ミセス・ローズビリアの宝飾店』は、王族相手に商売をしており、流行の最先端を走っている。

 メインで取り扱っているのは宝飾品だ。

 王族がローズビリアのデザインした髪飾りやネックレスを身に着け、それを見た社交界の人間たちによってそのデザインが流行っていく。

 貴族たちは自分のお抱えの宝飾店や仕立屋を持っているので、自分が気に入ったローズビリアのデザインを元にアレンジを作らせるのだ。

 ジュリアも、いくつかそうして作られたネックレスやイヤリングを持っている。

 しかし、オリジナルを見たことはない。

 まして、『ミセス・ローズビリアの宝飾店』になど、来たことがなかった。


「どうかしたか?」

 馬車から降りて、呆然と店を見つめていたジュリアを見て、ライディスが声をかけてきた。

 ジュリアとて、女の子だ。

 きらきらした美しい宝飾品は好きだ。興奮しない訳がない。

 でも、今まで自分には手の届かない幻の場所だと思っていたのだ。

 今目の前にその店があり、当然のように従業員が出迎えのために並んでいる光景が信じられない。


「ようこそいらっしゃいました。ライディス殿下」

 店内から、紫紺色のきらきらとした光沢のあるドレスを身にまとって現れたのは、肖像画でしか見たことがなかった六代目のミセス・ローズビリアだった。

(ほ、本物のローズビリアだわっ!)

 年齢はたしか五十代だったはずだが、肌にはシミひとつなく、つややかだ。

 身に着けているイヤリング、ネックレス、指輪はどれもダイヤモンドで統一されていて、豪華でありながらも派手すぎず、品良く見える。

 王子相手にも堂々と構えていて、その内にある確かな矜持が伺えた。

「この方が、ライディス殿下の婚約者の方ですね。お可愛らしい方ですこと。さぁ、どうぞ中にお入りください」

 女性の憧れの的であるローズビリアにエスコートされ、ジュリアは煌びやかで美しい宝飾品が並ぶ店内へと誘われた。

 

「お名前は何とおっしゃるの?」

「ジュリア・メイロードですわ。どうぞよろしくお願いいたしますわ」

 一体何が始まるのかよく分からないが、おそらくは結婚式に関係するものだろうとジュリアはようやく思い至る。

 ショーケースが並ぶ広い店内の奥には、応接室があった。

 本革製の上質なソファは、座り心地が抜群だった。

 しかし、三人掛けのソファであるのに、座ったのはジュリアだけでライディスは側に立っていた。

「彼女の美しさに相応しいものを頼む」

 淡々と、ライディスはローズビリアに注文する。

 しかし、ジュリアとしては聞き捨てならない言葉が入ってきた。


(ライディス様から見て、私は美しいのかしら? でもきっと、仲の良さを見せるための言葉よね)


 だからこそ、ライディスの声には抑揚がなかった。

 しかし、ライディスに美しいと言われて、嬉しい、という感情がなかったといえば嘘になる。


「分かっておりますわ。そのためにも、まずはサイズを測らせていただきますわね。ジュリア様、立っていただけますか?」

「……あ、はい」

 言われるがままに立ち上がり、首回りや手首、腰などをメジャーで測られた。

「最後に、左手を出していただけますか? とはいえ、この薬指にはめるものはお二人の愛の証。せっかくですから、是非お二人の愛ある未来を象徴するもので作らせていただきたいわ」

 ふふふ、とローズビリアがジュリアとライディスを見て笑った。

 しかし、当の本人たちは一瞬固まってしまった。


(私とライディス様の愛ある未来を象徴するもの……?)


 まず、二人の間に愛はない。

 そして、この先もきっと、ライディスとの愛を象徴するものなどできはしないだろう。

 ジュリアは何も答えられない。


「ミセス・ローズビリア。結婚式まで時間がない。あなたの思う、彼女に似合うデザインで頼む」

「まあ。時間がないからと私のブランドの既製品で結婚指輪を済ませようとしていたライディス殿下が、予定を変更して婚約者の方を連れてくると聞いて私がどれだけ嬉しかったと思っていますの? それに、もうジュリア様に会ってしまいましたもの。絶対、お二人の愛を象徴するものでなければ指輪は作りませんわ!」

 ローズビリアは頑なだった。

「分かった。だが、今すぐには無理だ。ジュリアには、忙しくてまだ結婚指輪の話をしていなかったんだ。だから、二人で相談させてくれ」

「なんてこと。ライディス殿下、仕事はできても女心はまったくですわね。でも、そういうことならば仕方ありませんわ。結婚式は五日後でしたわね? 三日、待ってさしあげますわ」

 というローズビリアの言葉を最後に、ジュリアたちは店を出た。


 心が浮き立った『ミセス・ローズビリアの宝飾店』だったが、帰りは心が重く沈んでいた。

 


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