13.最悪のお茶会

 身代わりの花嫁ではなく、本人が出席することとなり、結婚式の日程は急遽変更することとなった。

 表向きは、花嫁の体調不良を理由に結婚式を延期しているが、内情を知る者たちは急な変更に慌ただしく動いていた。

 その当人であるジュリアも、当然ながら混乱の渦中にいた。


「ジュリア様、もう少し優雅に歩けませんの? 王子妃となる方がそんな立ち居振る舞いでは、ライディスが恥をかきますわ」


 結婚式だけでなく、国民へのお披露目パレードや王侯貴族たちを招いた晩餐会にもジュリアは出席しなければならない。

 そのため、礼儀作法や王宮でのしきたりについても、ジュリアはミラディアに教わっていた。

 しかし、一応ジュリアも男爵令嬢としてそれなりの教養はあり、礼儀作法も身に着けている。

 それなのに、ミラディアからは駄目出しばかりで、ずっと高いヒールのまま広間を歩かされている。


(五十周もヒールで歩き続けていたら、足もふらふらにもなるわ……)

 しかも、着替えさせられたドレスには、無駄に宝飾品が付けられていて、普段の何倍も重い。

 ジュリアの足はもう限界だった。

 踵には靴擦れができていて、おそらく皮がむけている。かなり痛い。


「申し訳ありません、ミラディア様。少し休ませていただいても……?」

「まあ。ジュリア様、もう疲れてしまわれたの? 王宮はこの宮殿よりもはるかに広いですわ。こんなことで、結婚式に出られるのかしら?」

 自分は広間の壁際に置かれたソファに優雅に腰かけて、ミラディアが困ったように溜息を吐く。

 本来なら、結婚式のためにこんな特訓することなんてないはずだ。

 しかし、ミラディアはこれが王宮に慣れるための第一歩なのだと言う。

 初対面の時に言われた言葉といい、この特訓といい、ミラディアがジュリアのことを良く思っていないのは分かっている。

 女性に嫌われるのはもう慣れっこだ。

 しかし、ここで弱音を吐いたら負けだ。

 ジュリアが結婚式に出るのは無理だとミラディアからライディスに報告されたら、きっとこの努力は水の泡になる。


「そうですわね。先程は弱音を申しましたが、まだ頑張れそうですわ」


 にっこりと微笑み、ジュリアはじんじんと痛みを訴えてくる足を叱咤して歩き出す。

 こんなにもヒールを憎らしいと思ったことはない。

 しかし、ジュリアはミラディアがもういいと言うまでひたすら耐え抜いた。意地でも痛みなど感じていない、という涼しい笑顔で。


「ジュリア様、お疲れになったでしょう。わたくし、あなたのためにお菓子を持って来たのよ。それに、ジュリア様はあまり貴族の方と交流がないようでしたからわたくしのお友達も呼んだのよ」

 ようやく地獄のウォーキングが終わったかと思えば、精神的に疲れるお茶会に誘われてしまった。

「そんな、私のことはお気になさらないでください……」

「どうしてそんなつれないことをおっしゃるの? 忙しい中、せっかく皆様に来ていただいたのに。それにね、未来の王妃様に会えるのをみんな楽しみにしているのよ」

 ミラディアが窓の外を指すと、いつの間に、お茶会をセッティングしていたのか、そこには一つのテーブルを囲む三人の令嬢たちの姿があった。

 彼女たちはミラディアに気付き、にこにこ微笑んで手を振っている。もちろん、その視線はジュリアにも向けられていた。

 心底断りたいが、断れるはずもない。

 ジュリアは疲労困憊の重い身体を無理矢理奮い立たせて、お茶会に参加した。


 ミラディアは、可愛らしい令嬢たちに自己紹介するように、と微笑んだ。

 ジュリアは、強制的に両親と共に出席させられる時以外は、社交界には極力顔を出さないようにしていた。

 だから、三人の令嬢の顔を見てもピンとはこない。おそらく、会ったことはないはずだ。


「はじめまして。わたしはリンデル伯爵家のマリーですわ」

 ジュリアの右隣に座るのは、ふわふわの金色の髪と若緑の瞳を持つ、小柄で可愛らしい令嬢。

「あたくしはヴォルター侯爵家のベロニカですわ。仲良くしてくださいね」

 ジュリアのななめ前でこちらを品定めするように微笑むのは、漆黒の髪と瑠璃色の瞳を持つ令嬢。

「私はシュライン伯爵家のリリネですわ。今日はライディス殿下のお話をたくさん聞かせていただきたいわ!」

 ベロニカとミラディアの間には、レモン色の髪と好奇心旺盛な紫の瞳を輝かせる令嬢。

「それじゃあ、皆様が気になって仕方がないライディスの婚約者の方にも自己紹介していただきましょう」

 当然のようにジュリアの左隣に座っているミラディアに促され、ジュリアは控えめに口を開いた。

「メイロード男爵家のジュリアです。どうぞよろしくお願いします」

 皆が家名を名乗ったので、ジュリアもそれに倣った。

 しかし、ジュリアの家名を聞いて、皆が顔の色を変えた。

「……男爵家? ミラディア様、どういうことですの?」

 ベロニカが怪訝そうにジュリアを見つめ、ミラディアに問うた。

「あぁ、そういえば、ライディスの婚約発表では何故か婚約者の名前は公表されなかったのでしたわね。その理由は、きっと皆さんもうお分かりでしょう?」

 ミラディアが、にっこりと微笑んだ。

 ジュリアの虜になった男たちは、当然ジュリアの動向を探って王子の婚約者となったことを知っている。

 しかし、それ以上の混乱を避けるために婚約発表では婚約者であるジュリアの名前は発表されていなかった。とはいえ、かなり騒ぎになっていたようだから、ジュリアが婚約者であることは皆が知っていた、はずである。


(ミラディア様は、わざと私のことを知らない令嬢を連れてきたの? それとも、みんな知っているのに知らないふりをしているのかしら……)


 ミラディアに誘われたのだから、楽しいお茶会にはならないだろうと覚悟はしていた。

 しかし、早々にジュリアは退席したくなった。


「すごいでしょう? ジュリア様は、男爵家の出でありながら、ライディス様のお心を射止めた素晴らしいお方なのよ」

 心にもないことを、ミラディアはきれいな笑顔で言う。

「ミラディア様はお辛くありませんの? 実はわたし、ライディス様はミラディア様とご結婚されるのだと思っていましたわ」

「私もですわ。お家柄的にも、ミラディア様はお似合いですし」

 控えめに、しかしはっきりとミラディアを擁護するような言葉を放ったのは、マリーだった。

 そして、リリネもそれに同意する。

「もう、皆さんジュリア様の前で失礼ですわよ」

 窘めるように言って、ミラディアは柔らかく微笑んだ。

 身分のことを言われては、ジュリアは何も言い返せない。

 ここにいる誰よりも、ジュリアの男爵家という身分は低いのだ。

 そして、この場で最も身分が高いのは侯爵家令嬢であるミラディア。

 彼女の友人だという三人は、会話をしながらミラディアの顔色を伺っている。

 こういう身分や権力に左右される人間関係があるから、社交界は嫌だったのだ。

 もちろん、一番の理由は男がいるからだが。


「……そういえば、わたし聞いたことがありますわ。メイロード男爵家令嬢のお噂」

 控えめに、しかしどこか挑戦的に口を開いたのはマリーだ。

 はじめから、これを言いたかったのだろう。

「あら、私も聞いたことがあるわ」

「あたくしも……」

 リリネとベロニカもじっと嫌な視線をジュリアに向ける。そして、その噂を知らないはずのないミラディアがわざとらしく驚いて声を上げた。

「まあ。どんな噂があるのかしら? ライディスの心を射止めた“運命の相手”だもの。きっと素敵なものなのでしょうね」

 ジュリアの噂を知っているくせに、ミラディアは素知らぬ顔で笑っている。

 柔らかな声音で紡がれる言葉たちは、ジュリアの心をきりきりと締め付ける。

 ミラディアが王子であるライディスのことを呼び捨てにした時から、薄々は気付いていた。

 ミラディアはライディスのことが好きなのだと。

 だからこそ、ジュリアを許せないのだろう。

 女の嫉妬は、本当に恐ろしい。

 今までも、いつの間にかジュリアに恋して婚約者を捨てた男が何人もいて、嫉妬に狂った女に嫌がらせをされたことが何度もあった。その経験から、女のネチネチとした嫌がらせには慣れていたはずだった。

 傷つかないよう心を無にする術も身に着けていた。

 気にして、傷つくだけ心と体力の無駄遣いだ。

 それなのに今、何故かジュリアは傷ついている。

 目の前では、令嬢たちが社交界に流れるジュリアの噂を持ち出して、ライディスにジュリアはふさわしくない、と熱く語っている。

 本人を目の前にして、よくもまあべらべらと悪口が言えるものだ。


(どうして……いつもは平気なのに)


 ライディスにふさわしくない、という言葉がジュリアの心を乱す。

 その理由を探りたくなくて、ジュリアは足の痛みだけに集中した。


「他にも恋人がたくさんいると聞いていますけれど……」

「そういえば、あたくしの友人がジュリア様に婚約者を取られたとか」

「まあ。ジュリア様、本当なのですか? まさか、ライディスのことも色仕掛けで……?」

 ミラディアが信じられないというような表情でジュリアに問うてきた。

 令嬢達の会話を聞く価値なしと判断し、耳に入れないよう意識していたジュリアは、反応に少し遅れた。

「……いえ。ライディス殿下には偶然街で会っただけですわ」

「偶然? ライディスのことを待ち伏せていたのではなくて?」

 ジュリアとライディスの出会いを知らなかったのか、これには本気でミラディアは眉根を吊り上げた。

 言い返すなら今だ、と思いジュリアはきれいな笑みをつくって言った。


「はい、偶然です。きっと、運命の出会いだったのでしょうね」


 その一言に、こそこそと計算高い女だの魔性の女だのと言っていた令嬢たちも息を呑んだ。

 ライディス自身が、自分が結婚する相手は〈運命の相手〉だと公言しているのだ。

 運命神を信仰するこの国では、誰も運命に逆らおうとはしない。

 運命こそが重んじられているのだ。


(ずっとこの運命を呪っていたけれど、運命に庇われることもあるのね)


 何も言い返せなくなった彼女たちを見て、少しだけジュリアの気分は晴れた。言われっぱなしは御免だ。


「なんだか、空気が悪くなってしまいましたわね。今日はもうお開きにしましょう。結婚式までにジュリア様がご自分のお立場をよく考えてくださればいいのですけれど」


 ミラディアの一言で、嫉妬心に塗れたお茶会は終わりを迎えた。

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