11.晩餐会


 豪奢なシャンデリアに照らされた、煌びやかな室内で、ジュリアは顔に笑みを張り付けるのに必死だった。

 晩餐会、という名目で招待されたものの、晩餐の間にいるのは、ライディス、国王、王妃、ジュリアの四人だけである。

 給仕をする使用人たちが控えてはいるが、王族にとって彼らは数には入らない。

 染みひとつない白のテーブルクロスがかけられた長テーブルには、赤や黄色などの花が活けられた花瓶が置かれており、華やかさを増している。

 しかし、そんな人が作った華やかさよりも、この場を神々しく見せているのは、何よりも出席している王族が放つ威厳と気品である。


「そなたが息子の〈運命の相手〉か」

 テーブルを挟んで向かいに座る国王ペリオットが、にこやかにジュリアを見た。噂に聞いていた通り、国王は明るくおおらかな人なのだろう。

 金茶色の短髪と黒の瞳はどこかライディスに似ていたが、ライディスのように硬い表情ではなく、優しげな顔をしていた。

 それは、隣に麗しき王妃が座っているからだろうか。

 王妃ラミリアは、その澄んだオレンジの瞳で微笑を湛えたままジュリアを見つめている。

 艶のある蜂蜜色の髪を結い上げ、胸元の開いた深い青色のドレスを着ている彼女は、今までにジュリアが出会った中でも比べることができないほどの美貌の持ち主だった。


(こんな美しいお母様がいるのなら、その辺にいる令嬢なんて眼中にもないわよね……)


 ジュリアは、横目で隣に座るライディスを見る。

 ライディスが男色に走った理由がどんどん増えてきて、ジュリアは男を求めるしかなかった彼に同情すら覚えていた。


「国王陛下、王妃様、御挨拶が遅れて大変申し訳ございませんでした。私は、ジュリア・メイロードと申します。この度は、ライディス様に選んでいただき、とても光栄に思っております。貴族として至らぬこともあるかとは思いますが、どうぞよろしくお願いいたします」


 緊張しながらも、ジュリアはできるだけ落ち着いて言葉を紡いだ。

 これから、国王と王妃が義理の両親となる。

 形だけの夫婦とはいえ、家族となるのだ。

 できるだけ、良い印象を与えておきたい。


「まぁ、かわいらしい娘さんじゃないの」

 透き通るような声が響いたかと思うと、王妃が口元に手を当てて優雅に笑っていた。

「さすがは、わしらの子だな。しかし、もう出会って何十年も経つのにラミリアの美しさは変わらないなぁ」

「うふふ、あなたったら。息子たちの前ですわよ?」

「おっと、そうだったな」

 ライディスは晩餐会の前、国王を虜にしてしまわないかとジュリアが不安を漏らした時、何も心配することはないと言っていたが、理由はこれなのかもしれない。


(国王陛下の目には、王妃様しか映っていないんだわ)


 国王夫妻の熱々のやり取りを見て、ジュリアは既視感を覚えていた。

 毎日、見ていた光景に似ている気がする。

 晩餐会がはじまってから一言も口を開いていないライディスを一瞥すると、彼もまたうんざりしたような顔で両親を見ていた。

 そして、ライディスを見つめるジュリアに気付いたのか、隣に座る彼は少し身体を近づけてこっそり耳打ちした。


「気にしないでくれ。恥ずかしいことだが、うちの両親は未だに新婚気分が抜けていないんだ」

 ジュリアの両親と同じだ。

 毎日飽きもせず甘い会話を繰り広げ、娘が完全にお邪魔虫となってしまう。

 そんな空気に耐えられず、ジュリアはいつも一人部屋にこもったり、街へ買い物に行ったり、サーシャの屋敷に行ったりして逃げている訳だが、国王と王妃の前から逃げることなどできはしない。

 そして、ライディスも普段ならば逃げているであろうこの空気に、ジュリアと共に耐えてくれている。

 お互い、ラブラブな両親を持って苦労しているのだ。

 そう思うと、今目の前の光景に気まずいのは自分だけではない、と勇気をもらえた。

「大丈夫ですわ。私の両親も似たようなものでしたから」

 そう言って笑うと、今度はライディスが驚いて目を見開いた。

「……もしかして、恋愛推賞派か?」

「えぇ。毎日のように恋は素晴らしいと聞かされていましたわ」

「俺もだ。一人の女性にすべての愛を捧げることの幸せを延々聞かされた」

「人の気も知らないで、本当に迷惑な話ですわよね」

 いつの間にか、ジュリアはライディスと顔を近づけて話していた。

 しかし、はじめて両親への不満について共感できる人が目の前にいるのだ。

 そのことが嬉しくて、ジュリアは必要以上にライディスと顔が近いことに気付いていなかった。

「まったくだ。歴代の王は皆、〈運命の相手〉を見つけたから国を導く力を得たのだ、と父は言うが、愛に溺れる馬鹿では話にならん」

「そうですわね。国を背負う立場の方が、一人の女性の手によって振り回されるというのはある意味恐ろしいですわ」

「あぁ。だから俺は、あなたが〈運命の相手〉で本当によかったと思っている」

 急に真剣に言われ、ジュリアは目をぱちくりさせた。

 それは、ジュリアならばライディスを愛さないということか。

 それとも、ライディスがジュリアを愛することがないということか。

 大きな瞳でライディスを捉え、その真意を探る。

 しかし、どこか冷たい印象を与える藍色の瞳を見つめたところで、彼の心が見える訳ではない。

 もし仮に、ジュリアがライディスを好きになってしまったとしたら、自分は彼の理想の相手ではなくなってしまう。

 それが、少し残念な気がするのは何故だろう。


(私ったら、何を考えているの! 私が男性を愛することなんてないし、ライディス様だって女性を愛することはないんだから! だからこそ、私たちは運命の相手なのに)


 内心で大きく首を横に振り、一瞬浮かんでしまった自分の考えを否定する。


「まぁまぁ、仲のいいこと」

 うふふ、と笑う王妃の声で、ジュリアはライディスとの距離の近さに気付き、慌てて離れた。

 そしてライディスの方も、はっとして元の位置に戻った。

 心なしか、自分の顔が熱い気がする。

 隣をちらりと盗み見ると、ライディスの頬も少し赤い。

 異性との至近距離は、誰でも照れくさいものだ。

 きっと、この胸の高鳴りも、そういうものだ。

 今まで男性に対して危機感しか抱かなかったことなど忘れて、ジュリアはそう言い聞かせた。

「さぁ、若い二人のいちゃいちゃも見られたことだし、食事にしようか」

 国王の合図で、給仕たちが一斉に動きはじめる。

 何も置かれていなかった目の前の白い皿に、前菜が用意され、グラスにはシャンパンが注がれる。

「この二人の行く末が、明るく幸せであることを祈って、乾杯!」

 国王の明るい声が、晩餐の間に響き渡った。




「急なことで、申し訳なかった」

 一歩離れた位置で隣を歩くライディスが、ジュリアに謝罪した。

 晩餐会を終え、ジュリアは自分に与えられた宮殿に向かう途中である。

 本来であれば女官たちが送り届けてくれる手筈になっていたが、何故かライディスが送ってくれることになった。

 おそらく、国王陛下にジュリアをエスコートするようにと言われたのだろう。

 国王陛下も、王妃も、ジュリアとライディスが本当に愛し合っているのだと信じている。

 〈運命の相手〉である女性を放っておいたら怪しまれてしまうから。

 男性と愛し合っているふりなど自分にできるのだろうかと不安だったが、実際に国王陛下と王妃にお会いして、ライディスとも普通に話すことができてジュリアは自分でも驚いていた。

 それに、晩餐会は時々出席する社交界のように苦痛な時間ではなかった。

 だから、ライディスに謝られるようなことは何もない。


「はじめは確かに緊張しましたけれど、国王陛下も王妃様も私に優しくしてくださって、とても楽しかったですわ」

「それはよかった。俺も、実をいうと両親と一緒に食事をするのは久々だったんだ。あなたのおかげで、いつもより楽しめた気がする」

 月明かりに、彼の黒茶色の髪がきれいに浮かび上がった。

 優しげな瞳で笑みを零したライディスから、目が離せない。

 今までに一度も、彼はジュリアの前で無防備な笑顔を見せなかった。

 それは、おそらく心の距離を近づけないためで、お互いに形だけの夫婦になることを了承している関係だからだと分かっていた。

 その壁が、一瞬崩れたのだ。

 ジュリアは、不覚にもときめいてしまった。


「今日は疲れただろうから、ゆっくり休むといい。明日はまた結婚式についての様々な段取りを伝えに来る」


 あっという間に着いてしまった宮殿の自室の前で、ライディスが紳士的な笑みを浮かべて言った。

 王子として身に着けたその完璧な笑みには心を動かされなかったが、先程見てしまった笑顔が頭から離れない。


「ライディス様、おやすみなさい」


 精一杯、ただ一言それだけを言って、ジュリアは扉を閉めた。

 ライディスの方は、何事もなかったかのようにあっさりと背を向けて帰っていった。

 自分の感情についていけなくて、かなり混乱している。


(相手は王子様で、女性に興味がなくて、男が好きな人なのよ! ううん、それ以前に、男の人はみんなケダモノなんだから……)


 ライディスに触れられるのはジュリアだけなのに、越えられない壁がある。

 ジュリア自身も、踏み込む勇気はない。

 ジュリアにとって、男はまだ拒絶し、嫌悪する対象なのだ。


「それに、私は男性に愛されたいなんて思えないわ」


 忘れたいのに、忘れられない。

 ジュリアの心に刻み込まれた深い傷。

 それでも、どこかで普通の女の子として恋をしてみたいと思う自分がいることに、ジュリアは気付きはじめていた。


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