10.結婚式の準備
二階の窓から、去って行くライディスの後ろ姿が見えた。
ライディスの隣には、騎士というにはやや粗野な印象を受ける男が歩いている。
二人の親しげな様子を見て、ジュリアは複雑な表情を浮かべていた。
「まさかとは思って聞いてみたけれど、ライディス様は男色家だったのね……」
ライディスは〈運命の相手以外に触れられない運命〉を背負っているのだという。
そして、その彼が触れられる女性がジュリアだった。
普通なら、今まで女性に触れられなかった分、〈運命の相手〉であるジュリアに迫ってきてもおかしくはない。
その上、ジュリアは〈異性を虜にする運命〉を背負っているのだから、普通の女性よりも男性に与える何かがあるはずだ。
その何かが分かれば男性を追い払うこともできるかもしれないが、自分では分からない。
とにかく、ライディスは今まで女性を避け、男ばかりの世界で生きてきたのだ。
もしかしたら、触れられない女性ではなく、触れられる男性に興味が移ったのではないか。
形だけでも夫婦となるのだから、夫の趣味嗜好は理解しておかねばならない。
そう思い、ジュリアは尋ねた。
――ライディス様は男色なのですか? と。
そして、彼はある一点を見つめたまま、曖昧に頷いた。
(女性に興味がないから、形だけの夫婦を望んだのね)
ほっとする反面、物足りないような気持ちになってしまったのは何故だろう。
ジュリアには触れられるくせに触れようとしないライディスのことを考えていると、ノックの音と共に女官たちがぞろぞろとドレスや装飾品を持って入ってきた。
「ジュリア様、ウェディングドレスの仕立て直しをさせていただきます」
女官が大事そうに抱えていたドレスは、純白のウェディングドレスだった。
結婚式を身代わりで済ませようとするライディスに物申したため、身代わりの女性サイズで仕立てられていたドレスをジュリアに合わせる必要があるのだ。
ジュリアは女官に促されるままに、その純白のドレスを身に纏った。
裾まで広がる繊細なレースと、細かく散りばめられたダイヤがドレスを輝かせる。
デザインはシンプルながらも気品あふれるこのドレスは、花嫁を美しく魅せてくれるだろう。
今のままでも問題はないように思えるが、やはり裾の長さや腰まわりなど、微調整は必要のようだった。
そうして作業が進む中、また扉がノックされ、女官姿ではない若い女性が部屋に入ってきた。
「ジュリア様、お初にお目にかかります。わたくし、コッセル侯爵令嬢のミラディアと申します」
流れるような美しい金色の髪と、翡翠色の大きな瞳を持ち、薄い紫のドレスを着たその女性は、ジュリアを見てにっこりと微笑んだ。
ジュリアと変わらない年齢ながらにも、言葉の節々に高貴さがにじみ出ている。
それもそのはず、コッセル侯爵家といえば、名門中の名門である。
たしか現国王の王妃の実家がコッセル侯爵家で、目の前にいる侯爵令嬢はライディスとは従兄妹同士にあたるはずだ。
男爵家のジュリアよりも、はるかに上の世界で生きてきた令嬢だ。
そんな彼女が、一体ジュリアに何の用があるのだろうか。
「初めまして、ミラディア様。ジュリア・メイロードと申します。わざわざこのような場所まで足を運んでくださり感謝いたします」
「お気になさらないで。これもライディスに頼まれたことだもの」
そう言って頭を下げたジュリアに微笑むと、ミラディアは女官たちに作業の進み具合を確認していた。
(……今、ライディス様を呼び捨てにされたわよね?)
従兄妹同士だから、と言っても相手は王子である。
しかし、ミラディアがそうして王子を馴れ馴れしく呼ぶことに女官たちが顔色を変えないということは、これが日常なのだろう。
つまりは、ライディスがそれを許しているということだ。
女性に触れられないからと言って、女性と接したことがない訳ではないのだ、という当たり前の事実に、今さらながらにショックを受けた。
(……どうして、私はショックを受けているの)
ジュリアはライディスのことを知らないし、形だけの夫婦なのだからこれからもきっと知る必要はない。
彼からも、必要以上にジュリアに近づいてくることはないだろう。
それで、いいはずだ。
男と関わらない人生を、ジュリアは望んでいたはずなのだから。
「ジュリア様、時間がないので今から説明することをしっかり覚えておいてくださいね」
自分の中に見つけた違和感に戸惑うジュリアの耳に、ミラディアの声が聞こえてくる。
どうやら、ジュリアに結婚式当日の予定を教えてくれるようだ。
「聖ディラ教会まで、ジュリア様はライディスとは別の馬車で向かいます。教会についたら聖堂で祈りを捧げ、ライディスの待つ礼拝堂へ。神に夫婦の愛を誓い、口付けを交わした後は、国民へのお披露目パレード、あとは夜まで祝宴となります。詳しい手順や作法などはわたくしが教えて差し上げますわ」
はぁ、と聞きながら、ジュリアは何故女官ではなく、侯爵令嬢に説明されているのだろうかと考えていた。
その疑問が顔に出ていたのか、ドレスの直しをしてくれている女性が教えてくれた。
「ミラディア様が、身代わりの花嫁を務めるはずでしたの」
なるほど。では、ミラディアは当日のリハーサルをもう何度もしていたに違いない。
だからこそ、ライディスは結婚式の内容を把握しているミラディアに説明を任せたのだろう。
(私が言い出さなかったら、ライディス様はこの方と結婚式に出ていたのね)
しかし、ジュリア以外の女性との結婚式など、ライディスにとっては面倒事が多いはずだ。
女性に触れないよう細心の注意を払いながら、さらには花嫁役であるミラディアと口付けるふりもしなければならない。
本当は結婚式自体したくないだろうが、一国の王子の結婚式が非公開などありえない。
しかし、女性に興味はなくとも、ライディスはジュリアを気遣ってくれている。一定の距離を保ち、深くは踏み込んでこない。
ジュリアから少し近づいたとしても、彼の方が逃げてしまいそうだ。
今までとは逆のその反応に、ジュリアは初めて男性を知りたいと思った。
なんだか、ライディスならば近づいても問題ないような気がしてきた。
何故なら、彼は男が好きなのだ! ジュリアに欲情することも、襲うこともないだろう。
そんなことを考えていると、いつの間にかドレスの仕立ては終わっており、ミラディアの説明も終わりに近づいていた。
「ということですので、ジュリア様は当日この部屋で迎えの者が来るのを待っていてくださいね。ウェディングドレスに着替えるのは教会ですから、何をお召しになっていてもかまわないですわ」
「はい、ありがとうございます」
「結婚式のお話はこれでおしまいですわ。それで、個人的に聞きたいのですけれど、ジュリア様は本当にライディスを愛しているの?」
翡翠色の双眸が、ジュリアの目の前でぎらりと光る。美しい彼女の顔も相まって、その威圧感にジュリアは身じろいだ。
(愛している、と答えなければどうなるのかしら……?)
自分たちは形だけの夫婦だ。
しかし、それは二人だけの約束事である。
とはいえ、この関係をどうするかについてはまだ話し合いができていない。どう答えるべきなのか。
黙っているジュリアをじっと見つめて、ミラディアは溜息を吐いた。
「ライディスは、あなたを“運命の相手”だと言うけれど、わたくしにはあなた方が愛し合っているとは思えませんわ。もし、王妃の座を狙ってライディスを騙しているのでしたら、この宮殿から出て行ってくださる?」
ミラディアはきれいな笑みを作って、はっきりと言った。
「ライディスは、今までどんな女性も相手にしなかったのに、どうしてあなたのような方を〈運命の相手〉だなんて言うのかしら……あなた、ライディスに何をしたの?」
きっと、彼女はジュリアの根も葉もない噂話を知っているのだ。
コッセル侯爵家は社交界の中心にいるのだから、それも当然だろう。
見境なく男をたぶらかす、人の婚約者を平気で寝取る、自分に夢中にさせておいて男をポイ捨てする……ミラディアは、ジュリアのどんな悪女の噂を知っているのだろうか。
(耳に毒な噂話なんて、知りたくもないけれど……)
聞きたくもない噂話をジュリアが知っているのは、屋敷の侍女たちの井戸端会議を偶然聞いてしまったり、恋文に交じって嫌がらせの手紙が来たりするからだ。
ジュリアが王子妃になることを望んでいるのは、きっとライディスと両親だけだろう。
しかし、敵が多くとも、ジュリアはもうここから逃げる訳にはいかない。
ミラディアの冷ややかな視線を感じて、ジュリアは心から逃げたくないと思った。
「ミラディア様、ご心配には及びません。私は、正真正銘ライディス様の〈運命の相手〉ですもの」
彼に触れることができる唯一の女性。それが、ジュリアなのだ。
「そう、ならいいわ。今夜、国王陛下と王妃様があなたを晩餐会に招待しているそうよ」
ミラディアはそれだけ言って、優雅に部屋から出て行った。
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