9.彼女の印象


 宮殿を出て、ライディスはジュリアとの会話を反芻していた。


 ――ライディス様も、今まで大変でしたね。


 ライディスのせいで嫌いな男と結婚することになった上、慣れない環境にも戸惑っているはずなのに、ジュリアは素直にそう言った。

 まさか自分のことを気遣ってくれるとは思わなかったため、ライディスの思考は一時停止してしまった。

 ライディスの運命を切り開いてくれる存在である彼女に、自分ができることは少ない。

 それは、ライディスはジュリアが嫌悪し、恐怖している男だからだ。

 つい先ほども、ライディスが部屋に入ると、距離をとられた。

 触れないという言葉を信じてもらえたのか、向かい合って話をすることはできたが、彼女がずっと震えていたのは知っていた。

 結婚式の前に一度は会って話をしなければならないだろうと思っていたが、やはり会いに行かない方が良かったかもしれないと感じた。

 それというのも、ライディスはここ最近、王宮に詰めかけるジュリアの虜になった男たちを追い払うのに体力を奪われている。

 あんな強烈な男たちに追い回されていれば、男嫌いにもなるだろう。

 ジュリアのように華奢な女性が、今までよく無事だったものだ。

 これからは、そんな怖い思いをジュリアにさせる訳にはいかない。

 そう思い、徹底してあの宮殿に男は近づけなかった。

 そうして自分を含む男を近づけないことでジュリアを守ろうとしていたのだが、そんなライディスを彼女ははっきりと否定した。

 どうやらジュリアは、ただ守られる可憐なだけの花ではなかったようだ。


(面白い……)

 今までライディスに近づいてくる女たちは、自分がいかに美しく、いかに聡く、いかに王妃となるに相応しいかをアピールしてきて正直うっとおしかった。

 謙虚なふりをして図々しく、お淑やかに振る舞いつつも五月蠅かった。

 ライディスに言い寄って来た女も、少し冷たくすれば手の平を返したように冷血漢だと叫び出す。

 どの女性の顔にも、王妃になりたいと顔に書いていて、嘘ばかり吐く口は目障りで、甲高い笑い声は耳障りだった。

 近づいてくる女たちの中に、一人でもライディス自身を見ようとしていた者はどれだけいるのだろうか。

 みんな、ライディスではなく、王子という立場に目を輝かせていただけだ。

 自分を見ていない者に、優しくする必要はない。

 相手をするのも面倒だった。

 そんな風に女性に対する偏見がかなり出来上がっていたライディスだが、ジュリアだけは印象が全く違った。

 それは、彼女が〈運命の相手〉だからだろうか。

 はじめて触れた柔らかな感触に、自分を見つめるサファイアの瞳に、どんな楽器を用いても真似できないような美しい音を奏でる声に、ライディスは心を撃ち抜かれていた。

 しかし、そのことにライディスは気付かないふりをしていた。

 国王となる者に背負わされる運命に、二十二年間うんざりして生きてきたのだ。そんな自分が、あっさりと〈運命の相手〉に一目惚れをしたなど信じたくなかった。

 それに、両親のようなバカップルになりたくなかった。

 母を好きすぎて、国王である父は公務をすっぽかすことがある。それをまた母に怒られているのだが、説教さえも喜んでいるのだから始末に負えない。

 すっぽかしても特段問題のないような定例報告の公務ではあったが、議長となる国王がいないなどあってはならないことだ。

 代わりに議長代理をさせられるライディスの身にもなってほしい。

 そんな父のような醜態をさらさないよう、ライディスは〈運命の相手〉とはいえ愛する訳にはいかなかった。

 運命神の思い通りに進むのも癪だったから、というのも理由のひとつである。

 そして何より、ジュリアが最も嫌悪し、恐怖するのは自分に恋愛感情を抱く男なのだ。

 ライディスがジュリアを愛してしまったら、彼女を怖がらせてしまう。

 今はまだ、ライディスがジュリアの虜ではない、という前提があるから普通に接してくれているだけなのだ。

 それに…………。


「何か楽しいことでもあったか?」

 突然聞こえてきた声は、ライディスの腹心の部下であり、友人でもあるレイナード・ボゼフのものだった。

 かっちりとした騎士服を着崩し、腕まくりをしている。赤茶色の髪を後ろにまとめ、オールバックにした前髪のおかげでよく見える野性的な瞳は茶色で、その整った顔立ちには無精ひげが生えている。

 貴族でありながら、山賊の頭にでもなれそうな男である。

 そんな粗野な印象を受けるレイナードは、ライディスを見てにやにやしていた。

 そういえば、彼を宮殿の外に待たせていたのを忘れていた。

 レイナードに指摘されて気づくが、ライディスがかみ殺していたはずの笑みはダダ漏れだった。

「お前が女の園にいってそんな顔するなんてなぁ。何があったんだ?」

「別に。ただ、俺の〈運命の相手〉はかわいいだけの女性ではなかったらしい」

 去り際に言われたジュリアの一言もまた、ライディスのツボだった。


 ――ライディス様、ひとつお伺いしてもよろしいですか?


 そう言って、彼女はとんでもない発言をした。

 真面目な顔で言われたものだから、ライディスも極力真顔で答えたのだが、表情筋が崩壊しそうだった。


「……彼女は、俺を男色家だと思っている」


 ぶはっ! と吹き出すレイナードを横目に見て、ライディスも再び笑いそうになった。


 ――ライディス様は男色家なのですか?


 男だらけの騎士団での仕事、女の敵だという噂、さらには異性を虜にする彼女にまったく近づこうとしないことを材料に考え合わせた結果、ジュリアの中ではそういうことになってしまったらしい。

 〈運命の相手以外に触れられない運命〉のことも話したから、今まで女性と触れ合えなかったこともその疑惑を強くした要因だろう。

 たしかに、今までライディスがまともに触れ合うことができたのは男だけだ。

 だからといって、断じて男が好きな訳ではない。

 しかし、その方がジュリアにとって都合がいいなら、とライディスはあえて否定しなかった。


「お前、男色家だったのか……ってことはなんだ、お前もしかして俺のこと……!」

「殴られたいのか」

「はっ、勘弁してくれよ」

 誰が無精ひげを生やしたどこぞのむさくるしい男を好きになるか。

 ライディスは冷めた瞳でレイナードを見る。

「俺の結婚式だが、変更点がある」

 ライディスが騎士団長としての口調に変えると、レイナードも顔から笑みを消す。

「花嫁は身代わりを立てる予定だったが、本人が出席する」

「……本気か?」

 レイナードも、ライディスと共にジュリアを追いかけて王宮までやってきた男たちを追い払っていた。

 異性を虜にしてしまうジュリアが、結婚式に出ればどうなるのか。

 レイナードの目は、やめた方がいいと言っている。

 しかし、ライディスは決めたのだ。

 自分の我儘で彼女を王宮の鳥かごに入れたのだから、それ以外のことではすべて彼女の望む通りにしよう、と。


「もちろんだ。そのため、警備体制を見直す必要がある。パレードが最も危険だろうから、その辺りも相談して決めていくぞ」


 結婚式を挙げて、世間にジュリアはライディスの妻だと認識されれば、ジュリアを想う男たちも、ライディスに言い寄る女たちも諦めてくれるだろう。

 そのために、本来であれば一年間ほど設ける婚約期間を特例でなくしたのだ。

 婚約であれば、破棄という可能性に希望をもって、あの暴徒と化した男たちがジュリアを狙うかもしれないから。

 だからこそ、ライディスは早く結婚式を挙げて諦めさせようと考えていたのだ。

 

 そうすればきっと、静かで平和な日常がやってくる……はずだ。


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