8.結婚の理由
「ライディス様、本当に私と結婚するおつもりなのですか?」
ジュリアがまっすぐにライディスを見つめると、彼はようやく顔を上げた。
そして、眉間に皺を寄せ、口を開いた。
「当然だ。私と結婚するのは、あなた以外いない」
普通なら、もっと甘く優しく言うべき台詞を硬い表情で言われ、ジュリアはなんだかおかしくなった。
本当に、ライディスはジュリアの虜になっていないのだ。
運命神ディラの呪いも、王子様には効かなかったのかもしれない。
「その理由を、お聞かせくださいませんか?」
何故、ジュリアしかいないのか。
ジュリアでなければならないのか。
ジュリアへの愛情などないライディスが、求婚してきた理由。
「そうだな。あなたには話しておく必要がある」
ライディスはひとつ頷いて、部屋の隅に控えていた女官たちを引かせた。広い部屋で、完全にジュリアはライディスと二人きりになった。
男性と二人きり。
いつもなら絶対に避けるべき恐ろしいシチュエーションだが、ライディス相手に心配は無用だった。
しん、と静まり返る室内で、ライディスははじめてジュリアと視線を合わせた。
「俺は、いや、王族は〈運命の相手以外に触れられない運命〉を背負っている」
ジュリアは真顔で聞いていたが、その言葉をすんなり受け入れることはできなかった。
何故なら、ジュリアは彼に触れることができたのだ。
「信じられないか?」
何の反応も示さないジュリアに、ライディスが問う。
自分でもうんざりしている、というような投げやりな言い方に、ジュリアは苦笑をもらした。
求婚の時、ライディスも運命に振り回されていると言っていた。彼もきっと、運命神ディラのせいで大変な思いをしてきたのだろう。
それについては同情もするし、共感もできる。
しかし、聞き捨てならないのは『運命の相手以外』というところだ。
「……え、と、つまり、私がライディス様の〈運命の相手〉ということですの?」
「最初からそう言ったはずだが」
ジュリアを見て〈運命の相手〉だなどと言う男は腐るほどいた。
だから、その言葉の重みを忘れていた。
「……ライディス様も、今まで大変でしたね」
運命の相手はただ一人だけ。
ジュリアはもう、運命の相手などどうでもいいと思っていたが、一国の王子ともなれば無視できないだろう。
しかも、〈運命の相手〉にしか触れられないなど、王家としては血眼になって〈運命の相手〉を探そうとするはずだ。
ライディスの意思など関係なく、いろんな女性と引き合わされたに違いない。
王子だから余計に、その権力を求めて言い寄ってくる令嬢は多かっただろう。
相手を傷つけたくないのに拒絶するしかない心苦しさは、ジュリアにはよく分かる。
だからこそ、〈運命の相手〉を見つけて形だけでも結婚してしまえば、もう周囲を困らせることもないと考えたのだろう。
そしてそれは、ジュリアが異性から逃げるために修道女になろうとしたことと、同じだ。
そう思って言葉をかけたのだが、ライディスは驚愕の表情でジュリアを見ていた。
そして、はっとしたように視線を逸らし、紅茶を口に運んだ。
動揺、したのだろうか。
「あなたの方こそ、今までよく無事だったな」
やけに感情がこもった言葉に、ジュリアは曖昧に頷いた。
何度、乙女の危機があったことだろう。
父に護衛をつけてもらったこともあったが、その護衛の男までジュリアに迫ろうした。運良く人が通りかかったり、使用人の女性に助けられたりして、純潔は守りきっている。
運命神ディラの加護だろうか。
『あなたは運命神ディラ様の《祝福》を受けた子だもの。今は苦しくて、辛いかもしれないけれど、きっと、誰よりも幸せになれるわ』
男性に恐怖して涙する娘を、同じように涙を浮かべながら母は抱きしめた。
母は、本気で運命神の《祝福》がジュリアを幸せにしてくれるのだと信じて疑わない。
ジュリアだって、幸せになりたい。信じたい気持ちがない訳ではない。
それでも、心に深く残る傷がある。
封じていた過去を思い出しそうになった時、ライディスの声がジュリアを現実に引き戻してくれた。
「すまない。いくら触れないと約束しても、俺がここにいることが、あなたを怖がらせてしまっているな……」
思考に沈んでいたジュリアが、ライディスを男として恐怖していると思われたらしい。
彼はいっきに紅茶を飲み干して立ち上がった。
(もしかして、今まで会いに来なかったのは私を怖がらせないため……?)
男子禁制の宮殿を与えてくれたのも、ジュリアが男嫌いで男性不信だと両親から聞いていたからだ。
ライディス自身、男だと自覚していたから、ジュリアに近づかなかったのかもしれない。
ようやく、ジュリアは求婚の際にライディスが述べていた言葉を反芻する。
男の言葉は信じてはいけない、という教訓が心に染み込んでいたせいで、ライディスの言葉も受け流してしまっていた。
「あの、待ってください。ライディス様が私に会いに来なかったのは、女嫌いだからではなく……私のためですか?」
部屋を出ていこうとするライディスに、ジュリアは直球で聞いてみる。
「俺のせいでこうなったんだ。これ以上あなたに迷惑はかけたくない。だから、結婚式も身代わりをたてる。あなたは何も心配しなくていい」
ジュリアに向き直って、ライディスは真摯に言った。
大事にされている、頼もしいその言葉に、普通ならときめくのだろうか。
ジュリアは、なんだか無性に腹が立った。
「ライディス様、それはあなたの勝手な思い込みですわ。私がいつ、迷惑だと言いましたか? 確かに私は男性が怖いです。今だって、体が震えています。けれども、夫となるあなたから何の説明もなく、どうすればいいのか分からないまま、私にこの宮殿に閉じこもっていろと言うのですか? それこそありがた迷惑な話ですわ。私は、自分の意思でライディス様の求婚をお受けしたのです!」
感情をぶちまけて、ジュリアはすっきりした気持ちでライディスを見る。
運命神のせいで、今までジュリアの本心を男性にぶつけることはできなかった。
しかし、ライディスいわく運命の相手であるからか、ジュリアは彼を虜にすることも、言葉を制限されることもないのだろう。
はっきりと自分の意思を伝えることができて、ジュリアはかなり満足だ。
呆気に取られていたライディスだが、ややあって微笑を浮かべた。
「それは、申し訳なかったな。では、どうする? 結婚式には出席するのか?」
どこか楽しんでいるような物言いに、ジュリアもにっこり笑って答えた。
「もちろんですわ。主役ですもの」
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